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占い師は蕎麦屋の出前じゃなかった

2016-02-07 21:06:33 | 日記
昨日、俺たち3人は祐天寺で2時間ほど飲み食いをしてから、新宿三丁目のカジュアルバーに辿りついていて、占いというものについて話をしていた。土曜日の19:30頃というホットな時間帯、新宿三丁目はどこも人で溢れかえっていた。店に入ろうとするも、店員に、ごめんなさい、満員なんですよ、と全然申し訳なくなさそうな顔で門前払いを食らってしまう、そんなことを三回くらい繰り返して、やっと辿りついたのが、焼きカレーと北九州の食材を使ったメニューが売りのカジュアルバー、"G's Bar"だったんである。しかし、祐天寺でさんざん飲み食いをしたあとだったので、焼きカレーも九州の食材を使ったメニューも本当にどうでもいいと、我々は考えていたのだった。とりあえず酒が飲めて、軽くつまめればいいという基準で店を選んだので、カレーは必要なかったし、使っている食材が九州産だろうと、北海道産だろうと、もっといってしまえば、タイ料理だろうとなんでもよかったのだから。そして俺たちは、カレーとか北九州の話にはほとんど触れないで、自然と占いの話をしはじめたのだった。

まずはじめに断っておきたいのだが、俺は占いについて話をしたことがほとんどない。なぜなら、占いというものを基本的に信じていないので、占いを受けたことがないからであり、受けたことがないから、話をすることができないからだ。しかし、そのG's Barにおいては、自然と占いの話をしてしまうのだった。なにも店に占い師がよく使うような水晶玉が置いてあるとか、そういうわけではない。なぜなら、その店は占いを売っていたからである。



2000円で占い師"山ちゃん"が占ってくれるとのことだった。"山ちゃん"というネーミングもどうなんだと思った。俺が知っている占い師といえば細木数子くらいのものだが、ただでさえ細木数子に占ってほしくなんかないのに、もし細木数子が"かずちゃん"というネーミングだったらどうなんだ。



どうなんだと言われてもあれなのだが、やっぱり"かずちゃん"には占ってほしくないよ、"ちゃん"っていうのがちゃらちゃらしてるしさ、当たるとか当たらないとか以前にさ、ちょっときついっていうかさ、かずちゃんていうのはさ、みたいなことを考える人が大半なのではないだろうか。しかしこの店が売っているのはかずちゃんではなくて、山ちゃんなのである。俺たちは山ちゃんについて話をしていた。

すごい興味はあるんだけどさ、でもこの占い師山ちゃんってのはどこにいるんだろう?

きっとさ、この新宿三丁目の辺りの居酒屋一帯と契約している占い師なんじゃねーの?

新宿にそんな店ってあったっけ?2000円で占い売ってるなんてメニュー置いてあるとこ他に?でもそんなんだったら仮に占い頼んでも、時間かかったりするんじゃないの。山ちゃん一人で大変じゃん。

でさ、なかなか来なくて、店員にまだこねーのかよ、なんて言うと、店員も面倒くさくなってきて、今さっき出ましたなんて嘘いって、そこから30分くらい待たされるの。

蕎麦屋の出前じゃねーんだよ、って。

でも、この1ドリンク付きって気になるよね。これって、頼んだ人が飲めるのかな。それとも山ちゃんの1ドリンク?

それってキャバクラと同じようなシステムじゃん。占いしてる途中に酒が切れて、もう一杯だけ、テキーラが飲めれば、もっとあんたの将来がはっきりと見えるのだが…、うーむ、もう一杯頼んでくれれば、なんて言ってきたりして。

あんまり覚えてないのだけど、そんなことを話していて、ある時に、山ちゃんがまさに俺の真後ろに座っていることに、俺の正面に座っている友人が気が付いたのだった。後ろを振りむくと山ちゃんは座っていた。しかもやる気がなさそうに足を組んでボケ―っとしていたのだった。占い師がどう座っているべきなのかは俺は良く知らないが、足を組んでいるのはちょっとなぁと考えていた。まぁ貧乏揺すりをしている占い師よりは足を組んでいる占い師の方がマシなのは確かではある。占いということは、自信を持って行われなくてはならない。なぜなら人は占いを信じて、実際に行動に移すのであり、もしその宣託を行う人間が妙にそわそわしていて、貧乏揺すりなんかをしていたら、説得力に欠ける。かといって足を組んでいるのもどうかとは思うが。とにかくも、さんざん本人がいる目の前で占いの話をしてしまって、キマリの悪い気持ちを覚えたことは確かではあり、占いをしないと、この場が収まらないと思って、占いをすることにしたのだった。もちろん聞く内容は恋愛について、これしかないと俺は思った。

1ドリンクは結局占いを受ける側の人間のもので、俺はアーリータイムスのロックを飲みながら山ちゃんの前に座っていた。山ちゃんが生業としているのはタロット占いであり、入念にシャッフルした山の中から、ランダムに一枚のカードを取り出した。



あなたは四月三日生まれなのですね。このカードは大まかなあなたの運勢を占うカードであります。あなたは生年月日からすると、完全星に生まれついた人間なのです。ま、一言でいってしまえば、秘密主義な人間であるわけです。何事も完全になるまでは口に出さない、完全でないと気が済まないので、そうなってしまうわけであります。このカードはタロットカードの最後のカードであり、完成といったことを表しております。パズルのピースがはまるように、物事が完結していくんですね。あなたの星から考えて、きっと恐らくは完全な形で物事が完結していくでしょう。

山ちゃんは再び残ったカードをシャッフルして、11枚のカードを机に並べた。



はぁはぁ、ふーむふーむ、ひっひっ、このカード(手前真ん中)とこのカード(真ん中左から2番目)の組み合わせは、あなたは近いうちに恋人が見つかることを意味しておりますな。そこでこのpast liveのカード(真ん中一番左)を見てください、これはね、前世との深いつながりを意味するんですよ、恐らくは前世で夫婦であったとか、そういう前世で深い仲にあった人と恋に落ちるんでしょうなぁ。

このadventureってカード(真ん中一番右)は一体なんですか?

これはね、そのまんま冒険を意味するカードでね、もしかしてあなたは、普段仲の良い人としかつるまないんじゃないかね?ほら当たった、図星だろう?そこでね、このカードは、普段のコミュニティを抜け出して、新しい世界に踏み込んでいくことで、恋人をゲットできることを意味しているんですよ。趣味は?え、映画鑑賞ですか?はっはぁ~ふっふっふぅ、それなら、あれですな、映画の意見を交換するとか、そういったサークルに飛び込んでゆくことですな、あなたの新しい出会いはまさにそこにあるんじゃないかとタロットは暗示しているんですよ!

とまぁ山ちゃんの占いはこんな感じであった。「普段仲の良い人としかつるまない」と言われて確かに図星だったが、そもそも大体の人が普段仲の良い人とつるむのだろうし、よくつるむからこそ仲がいいと言えるのであり、それは悪いことではないと思った。ちなみに聞いた話によると、山ちゃんのタロット占いはインド仏教的な考えを取り入れているらしい。西洋のタロットとは違うということを力説していたのだけど、そもそも西洋のタロット占いも良く知らないので、インド仏教を取り入れてようが、北九州産の仏教を取り入れていようが自分には違いがよく分からないのが、歯がゆいと思った。
そういえば、焼きカレーに北九州産の食材に、インド仏教を取り入れたタロットと、よく分からない組み合わせの店ではあったのだけど、それ以上に違和感を覚えていたのが、流れている音楽が総じてEARTH WIND & FIREのSEPTEMBERとかLET'S GROOVEといったブチ上げのディスコミュージックであったことである。とにかく踊り出したくなる最高な音楽であることは認めるのだが、それは、北九州の食材とも焼きカレーともマッチしないし、ましてはインド仏教を取り入れたタロット占いの醸し出すスピリチュアルなイメージとはいちばん遠いところにある。

蕎麦屋は決して食いっぱぐれなかった

2016-01-11 22:27:34 | 日記
蕎麦屋ってのは絶対に喰いっぱぐれないんですよ、天ぷらを肴にして、こう日本酒をクイっていってね、最後の締めにはそばを食べてね、そういう客が絶えないもんだからね。蕎麦屋に入るたびに大学の講義の最中に講師がこんなことを喋っていたのを思い出すのだった。講義の名前は忘れてしまったが、経営とかの授業ではなくて、文学に関する講義だった。文学と蕎麦にいまのところ何の関係も見いだせないので、これはただ単に講師が暇つぶしで話した与太話だったのだと思う。悲しいことに講義の本質がどういうところにあったか忘れてしまったのだけれども、こういう与太話がいつまでも頭の中に住みついて離れない。今日は蕎麦屋で夕ご飯を食べたのだった。
あながち、講師の与太話もまるっきりの与太話というわけではなかったのかもしれない。蕎麦屋に行くと、大抵、日本酒を飲みながらちょびちょびと天ぷらをつまんでいるじじいがいたからだ。今日もそういう客がいた。店を切り盛りしているおばさんと酔っ払って話し込んでいたので、嫌でも会話が耳に入ってきたのだった。

「俺、この連休で11万なくなっちゃったよ…」

いきなり暗い話だった。僕はその時、かつ丼を食べていた。かつ丼をかっ込みながら、なくなっちゃったという言葉から、恐らくパチンコか何かで、すってしまったのだろうということが想像された。なぜなら、例えば買い物で11万のものを買ってしまったのだとしたら、11万は確かになくなるが、その対価として11万相当のものが手に入っている筈であり、その場合、「なくなった」という表現を使うのはあまり適当ではないと思われるからである。恐らく金は対価としてのモノを得ることなく、使われてしまったのだろう。店のおばさんはこう返していた。

「あんた!土曜日は5万なくなったって言ってたじゃない。その6万はどうしたっていうのよ、なんで二日間の間に6万も、増えてるのよ」

いきなり怒鳴り出したんである。不思議と聞き入ってしまった。この11万をとかしてしまったじじいは土曜日にもこの店に来ていたらしい。しかし、この店にとってじじいは客なのであり、店の従業員に怒鳴られてるのが奇妙に思えた。普通じゃないと感じた。

「いや、それはそのあれだよ、昨日もここの店に来て、ちょっと飯食ったらそれで」

「あんたは昨日、この店に来ていないわよ、そんなことも忘れたの?大体あんたはいつも狸蕎麦とかそんなものしか頼まないじゃないの、それで6万円もいくわけがないじゃない」

「あれ?昨日来てなかったっけ?そんな昔の話は忘れちゃったね」

映画カサブランカにこんな場面があったような気がする。だが、ここはカサブランカではないし、ましてや場末のスナックでもない、商店街の中にあるうらぶれた蕎麦屋での話だ。じじいはいつもと同じ狸蕎麦を食べているのだし、僕はかつ丼を食べていた。そこにはムード、というものが決定的に欠如している。それでもこの二人の会話にはどこか引き込まれるものがあった。それは恐らく謎が多いからだった。じじいが溶かした11万がどこに消えてしまったのかは、相変わらずの謎であるし、このじじいと店のおばさんの関係も良く分からなかった。11万とかしてしまうことは長い人生を生きていれば、そういうこともあるだろう。しかし、なぜきまりが悪そうにして、「いや、それはそのあれだよ」なんていう答えにならない返事を吐き出しているのだろう。店のおばさんは喋り続けた。

「まったく、近ごろじゃあたしの周りの人間はみんなおかしくなってくよ、鈴木もこの前、病院の前を一日中うろうろしてんのよ」

もうわけが分からなくなってきてしまった。なぜ病院の前をうろうろしてしまうのだろう。じじいはそれに対してこう喋った。

「今日って何曜日だっけ?」

時間の感覚が恐ろしいまでに欠如している。そろそろかつ丼を食べ終わりそうだった。今日は月曜日で祝日だ。明日から仕事が始まるのだった。憂鬱な一週間がはじまるのだ。自分も日本酒をクイっといって、狸蕎麦をかっ込んでおけばよかったのだと思う。それで、自分で自分に問いかける。「今日って何曜日だったっけ?」。酔っ払って時間の感覚がなくなってくる。もしかしたら今日は土曜日なんじゃないか、と考えながら、日本酒を飲み続ける。もし土曜日に戻れるのなら、6万円がなくなってもいいとすら思いながら。意識は病院の前をうろうろし続けていて、その中でただ一つ明瞭に考えることができたのは蕎麦屋は決して食いっぱぐれない、ということだけだった。

その段ボールは家具として使われていた

2015-12-31 21:31:35 | 日記
以前に更新したエントリ「開けゴマ、アブラカタブラ、あ、いいです」で、火災報知器の点検員が家の中にやってきた時に、微妙な間が生まれてしまったことを書いた。本当にどうでもいい話ではあるが、俺はこのエントリを書く時に初めて「アブラカタブラ」という言葉の意味を知ったのだった。この固有名詞を見た事はあった。しかし、「アブラ」とか「カタ」という字面をみていると、家系ラーメンを注文する際の「アブラ多め麺カタめ」というような掛け声が連想されてしまい、もしかしたら「アブラ少なめ、麺はカタブラで」という注文方法も世の中のどこかにはあるのではないかと思い、これはラーメンにまつわる言葉に違いないと思っていたのである。「ブラ」は一体なんなんだ、という疑問を持ったことはあった。一般的に言って、カタめの麺はブラブラしていないのである。しかし、自分にとって都合の悪い部分は棚にあげて、早合点してしまうのが人間なのである。とにかく、語呂が良いと思ってこの単語をブログタイトルに入れる際に、意味を調べて、まじないをかけるときに用いる言葉だと知った。ラーメンを注文する際の掛け声も、言ってみればまじないのようなものなので、自分の予想は当たらずとも遠からずだと思っていた。

前置きが長くなってきた。家に来る知らない人はいつも印象的な言葉を残していく。散らかった俺の部屋を見て、「あ、いいです」と言った火災報知器の点検員、突然の訪問に警戒をしている俺に対して「まぁこの辺は治安が悪いですからね、警戒する気持ちもわかります」と小ばかにするように吐き捨てたNHKの集金人。そして今回書きたいのは、つい先週の土曜日にやってきたJ:COMの調査員だった。

そもそもJ:COMの調査員が何で家にやってくるのかが、よく分からなかった。大体において、調査と名のつくものは断ることができるものだと思っていて、調査日程に関するアンケート用紙を放置していたところ、電話がかかってきた。「日程が迫っているので、早く日を決めていただかないと」という内容だった。日程が迫っている、というのはとても強制力のある言葉である。日程が迫っていると言われると、断るとか断らないとかいう考えは、もうどこかに行ってしまい、「日程が迫っている」ということしか頭に浮かばなくなってしまうのである。なにせ「迫っている」のである。「迫っている」ものを放置した時には、きっと恐ろしいことが起きてしまう。そういった恐怖心が自分に日程を決めさせてしまった。それが先週の土曜日のことだった。

J:COMの調査員は家に上がり込むと、テレビをつけたり消したりして、電波の受信状態の調査をしていた。そこで、どうしてこんな調査をしなければいけないのかという説明をした。彼によると、自分が住んでいる辺りは、比較的に山が多い場所であるので、電波が遮断されることが稀にあり、調査を実施しているとのことだった。それはどうでもいい。一応の納得はできたからだ。納得が出来ないときに、人は腹が立ったり、わだかまりが生まれてしまう。そしてJ:COMの調査員は例のごとく、自分がとうてい納得のできないことを口に出してしまった。J:COMの調査員は一通り調査を終えたあとに、部屋を見回してこう言ったのだった。

「もしかして引っ越してきたばかりですか?」

そんなことは全然なかった。引っ越してきてから2年半が経過しているのだった。これはお世辞なのかもしれない。つまり、部屋がキレイに片付いていますね、ということを暗に言いたいんだと思った。

「引っ越して2年半くらいは経ってるんですけどね、そうですか、やっぱり引っ越し仕立てに見えましたか、ま、ぜんぜん自慢じゃないんですけど、これでも部屋のメンテナンスには結構気を使ってるんですよね」

もちろんメンテナンスなんか全くと言っていいほどしていないが、ここで謙遜をしたら微妙な空気が生まれると思い、嘘をついてしまったのだった。しかし、J:COMの調査員はこう続けたのだった。

「いや、そういう意味で言ったんじゃないんですよ、ただそこに『アート引っ越しセンター』の段ボールがあったんでね、引っ越したばかりだと」

確かに自分は「アート引っ越しセンター」の段ボールを片づけていなかった。というよりも物入れにしたりして、言っちゃあなんだが、家具の一部として使っている。そう、自分にとって「アート引っ越しセンター」の段ボールは「家具」なのである。しかし、J:COMの調査員は、引っ越しの段ボールはすぐ片づけるのが常識であり、それが部屋に残されているということは、引っ越したばかりに違いない(そうでなければものぐさな人だ)と考えていたのだった。そんな考えには全然納得ができなかった。しかし、そのことに対して何も言い返せなかった。そんな自分に対して、行き場のないわだかまりが生まれていた。

いっそのこと「ダック引っ越しセンター」を使っておけばよかったと考えていた。



そうしたらJ:COMの調査員が「ただそこに『ダック引っ越しセンター』の段ボールがあったんでね、引っ越したばかりだと」とか、言い出した時にこう言い返すことができたんだろう。

「好きなんですよ」

J:COMの調査員は状況が呑み込めず聞き返す。

「え?」

「だから好きなんですよ、『ダック引っ越しセンター』の段ボールに描かれているアヒルがね、だから置いてるんですよ、何か悪いことでもありますか?」

しかしそれはそれで、実はJ:COMの調査員はサカイ引越センターの「パンダ」派で「パンダ」か「ダック」のどちらが良いのかとか、わけのわからない議論に時間を費やしてしまう危険も孕んでいる。

んじゃ、5分後くらいにかけ直します

2015-10-31 22:25:55 | 日記
仕事をしていて最近かんがえているのは電話応対のことである。
特に報告していなかった気がするが、自分は今年の四月に部署が変わったのだった。前にいた部署は外部から電話がかかってくることは滅多になかったので、電話応対というものをしたことがほとんどなかった。今いる部署は、外から電話がたくさんかかってくるので、電話応対を覚えることが仕事の第一歩だった

異動したての頃は電話応対どころか、電話の転送すらうまくすることができなくて、家に帰ってから真剣に悩んだり、くよくよしてしまって、電話をとることに恐怖を覚えることすらあった。仲の良い先輩に相談をしたら、とにかく左手は常に電話機に置いて、1コール目で電話を取りまくっていれば、いずれ慣れるよ、というような話を聞いて、実際にそうするようにした。いつでも電話がとれるようにしていたし、実際に電話が鳴っていなくても受話器を取ったりもしていた。そうしていると、その瞬間にまさに電話がかかった場合にほぼノータイムで電話が取れるのである。約半年の間、そういう風に電話を取りまくっていたら、電話の転送はほぼ完ぺきにこなせるようになったし、「ああ、〇〇はただいま席を外しているので、折り返しでもよろしいでしょうか?」だとか「大変申し訳ありませんが、本日は失礼させて頂きました」とかいう、取次先の相手が不在の時に使う文句もよどみなく口から出るようになった。こうして文面にしてみると、そもそもいないんだから「よろしいでしょうか?」も何もないだろとか、帰宅したことを「失礼させて」と表現するのもどうなんだ、とかいろいろと思うところがあるが、他の会社に電話をかけた時も大体同じようなことを言うので、たぶんどこの会社も同じような感じなんだろう。できるだけ表現をぼかすのがミソなのである。「〇〇はいま喫煙所でタバコを吸ってて―」とか、「部署の飲み会があるので〇〇は帰りました。」とか、実際のことをそのまま答えてしまう会社は今まで見た事がない。

そんな風に、大体どこにかけても、実際のことは答えてくれないんだろうとか、電話応対というものに対するすべてを知ってしまったかのような、諦めに似た気持ちを抱き始めていたのだけど、先日にちょっと考えさせられる電話応対をする会社があった。結構、相手先の中では部長とかそのくらいの地位の偉い人に電話をしたいと思ったのだけど、もちろん、部長に一発で繋がるわけがなく、常に左手を電話機の上に置いていることを義務付けられているような下っ端の事務員が電話を取ることになったのだった。女性だった。
「お世話になります。〇〇部長はいらっしゃいますか」
「あぁ…すみません、今は席を外してて、ちょっと小便に行ってるんですよ」
「え?」
「あの、小便に行っているので今はいません」
「急ぎの用だったんですけど、んじゃ、小便ということですので、5分後くらいにかけ直します」

初めて聞いたフレーズだったので、思わず聞き返してしまったのだった。
確かに、部長クラスの偉い人とはいえ、俺みたいな下っ端と同じ人間であり、好む好まざるにかかわらず小便をしないといけないだろう。しかし、実際に言われてみると、いろいろと思うところがあるのだった。
俺は小便には仕事中、何回も行くが、その度に同僚に対して「小便に行く」と、わざわざは伝えない。しかし、下っ端の事務員が実際にそういっているのだから、この部長は小便に行く度に「ちょっと小便に行ってくるよ」と、周りに伝えている可能性が高い。その上、「お手洗い」ではなく、「小便」と限定されているので、この部長は恐らく「小便」と「大便」を区別して、事務員に伝えているのだろう。だから大便に行く時は「大便に行ってくるから、ちょっと遅くなるよ」とか言っているのだろうし、もしかしたらその上に「下痢気味だからしばらく戻ってこないよ」とか「便秘気味だからちょっと時間がかかるかもしれないけど、ヨロシクね」なんていう詳細まで周りに伝えているのではないかと思う。そして、俺が電話をかけて「〇〇部長はいらっしゃいますか」と聞いた時に変な電話応対が生まれてしまうんだろう。
「あぁ、すみません、今はちょっと席を外していて、ちょっと大便に行っているんですよ」
「え、そうなんですか。急ぎの用なんですけど、あー、大便かー。小便だったら2,3分くらいだけど、大便だったら10分後くらいにかければ大丈夫ですかね」
「えぇ、まぁ普通の大便だったらそのくらいでしょうけど、なんていうか申し訳ありません、便秘気味だから時間がかかるって言ってて、20分くらい見た方がいいかもしれませんね。普通の大便だったら早い時は5分くらいで戻ってくるんですけどね、まぁこればかりは生理現象ですから」。

そして、20分後に部長が戻ってきた時に、「いやー便秘気味って聞いたんですけど、ちゃんと出ましたか?ちなみにいつからです?」とかいらないことを聞いてしまって、そうなるともはや仕事どころではなくなってしまうのだった。

君は正直者だと思うと、歯医者は言った。

2015-10-17 22:26:32 | 日記
自分の左上の奥歯、深く虫歯に蝕まれた箇所を削り取る治療を終えると、歯医者の男は水の入った紙コップを渡しながら、俺にこう言った。
「来週は虫歯を削り取った箇所に詰め物をしないといけません。それで、詰めるのは銀歯にしますか?それとも―?」

口腔の左半分は強烈な麻酔により、ほとんど機能をしていないと感じていた。紙コップを覗いてみると、水面に、銀歯とまばゆいばかりに輝く金歯が浮かんできたのだった。歯医者の男は説明をする。銀歯は保険が適用されるので、料金は安くつくが、金歯の方は、保険適用外になるので、料金が4万円以上かかるということ。しかしながら、銀歯に比べると、削った箇所に対する接着力は高く、つまり汚れが入る心配は比較的に少ない、ということ。完璧な詰め物がないということは強調していた。銀歯にしようが、金歯にしようが、ケアをしないと、結局、虫歯を再発する可能性があるということ。結局、歯医者の男は選択肢は示したが、最終的な選択は自分でしなければならなかった。誰かが決めてくれればいいのにな、と、何か重大な選択をしなければいけない時にいつも思う。ケアをしないと、という言葉がいつまでも頭の中に引っかかっていた。歯のケアをしていなかったから、歯医者なんかに通うはめになってしまったのだった。

歯医者にはここ10年間くらい通ってなかった。くらい、と書いたのは記憶が曖昧だからである。大学の時は間違いなく通っていなかった。高校の時はあまり覚えていない。中学の時は、確かに通った記憶がある。大人と少年の間のような時期。それでも歯を削るのは怖いと思ったし、歯科衛生士に歯磨きの仕方を教わるのは恥ずかしいと思っていたことを今でも覚えている。とにかく長い間、行っていなかった。なぜなら、少年から大人になっても、歯を削るのは、相変わらず怖いし、歯科衛生士に歯磨きの仕方を教わるのはさらに恥ずかしいと考えていたからだ。たまに歯が痛くて、虫歯なんじゃないかと思ったときもあった。しかし、翌日になったら、痛みが引いていたりして、あの痛みは単なる勘違いだったんじゃないかと、自分をだますように考える続けることで、歯医者に通うのを避けていた。
そうやって年を重ねてきたが、つい最近になって、自分をだませなくなるほどに、歯の痛みを覚え始めたのだった。そうして歯医者に行くことになってしまった。




28本あるうち、10本も虫歯になっていた。


初日は歯の検診をするだけで終わったのだったが、正直、面喰ってしまった。まあ多分、2、3本くらいは虫歯があのかな、なんて思っていたが、まさかの2桁の数字が浮かび上がってきたのだった。しかも28本しかないうちの、10本だ。自分の歯が28本しかないということを知ったのも初めてだった。そうだった、自分の歯の本数は限られているんだっけ、とか、今まで考えて見た事もなかった事実を突き付けられた。そんなことを考えていると、嫌な汗が止まらなくなってきた。

「神よ 願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」

こうして歯医者通いが始まった。冒頭の場面は2回目に通った際の、一番ヤバい箇所の治療が終わったところである。話を戻して、紙コップの水面に浮かぶ、銀歯と金歯のことを考えよう。銀歯と金歯のどちらにするべきなのだろうか。紙コップの側面には、緑色のカエルのキャラクターが描かれていて、白い歯を見せて笑っている。カエルに歯ってあったっけ?そもそも銀とか金って水に浮かばないんじゃなかったっけ?中学校の時の理科の授業で習った気がするんだけど。考えあぐねていると、歯医者の男は指をパチンッと鳴らし、その音に反応した歯科衛生士の女が自分が座っている椅子に取り付けられたモニター(普段はレントゲン写真を表示して、治療の説明に用いたりする)を操作して動画ファイルを流し始めた。
目の前にスーツを着た、陰気な顔をした冴えないサラリーマン風の男がいた。
「私は少年時代のころから虫歯に悩み続けてきたのでした。」
まるで予め決められたことを喋るだけの、就職活動の面接中の学生のようなぎこちない調子で男は喋りつづけたのだった。
「私の青春は、ありていに言って、多くの時間を歯医者で過ごすことに費やされていました。同年代の友人たちが部活とか、恋愛を楽しんでいる間、私は歯医者に通わなければなりませんでした。会社で働きはじめて、4年目にボーナスが出たころ、金歯を詰めようと私は決心をしたのでした。歯医者の先生に金歯は銀歯よりも歯への接着率が高く、尚且つ強度があり欠けづらいので、虫歯になりにくいと、説得されたからでした。そうして金歯を詰めたのですが、かみ合わせた時に銀歯の時はいつも感じていた異物感が、金歯にしてみると全く、感じないことに気が付きました。フィットしている、とでも言うのでしょうか。以来、私は多くの財産を金の詰め物に費やしてきましたが、後悔は全くしておりません。」
喋り続ける男の歯に金歯が混じっていることに気付く。
「金歯にしてよかったこと?そうですね、やはり金歯をしている人っていうのは少ないですから、仕事の面ですが、取引先の人に強く印象付けられるっていうのはありますよね。名前も憶えてないのに私が金歯であることを覚えている人なんかもいて、この前なんて同僚に『名前忘れちゃったんだけどさ、あの人に代わってよ、あの、金歯の人に』なんて電話もお得意先からかかってきたみたいです。あとは合コンで自己紹介すると、ウケが良いですよね。自己紹介をしてる時なんか、大体は女の子たちはつまらなさそうに話を聞いてるんですけど、最後に『俺、実は金歯をしてるの。しかも5本』なんて言うと、一気に目の色が変わるのが感じられて。たまに、フヒッ、見せて見せて、なんて言いながら、ウククッ、口元を覗いてくる、ヒッヒィッ、女の子なんかもいて―」
今では男の顔から陰気な様子は消え失せて、合コンの話に差し掛かる頃から、ただただニヤついた笑いを見せ続けていた。その歯には確かに5本の金歯が煌めいていた。男は笑い続ける。そして、笑い続けながら、どんどんと老けていったのだった。顔には皺が目立つようになり、髪は徐々に抜け落ちながら、まばらな白髪へと変わっていった。男はまだ笑い続けている。そうして、次第に歯も抜け落ちていったのだが、5本の金歯だけは以前と変わらぬ輝きを放ち続けていた。そして男が90歳とか100歳くらいの年齢の見た目になったころ、男の身体が燃え始めたのだった。今ではぼろぼろになった、かつての冴えないスーツが燃えて、皮膚が燃え、骨も焼けて灰になるほどの温度の炎。断末魔の悲鳴は上げずに、身体中を炎に包まれながらも男は笑い続けていた。そうして男は完全に灰になった。カメラがクローズアップすると、男がかつてしていた金歯が、輝きを放ちながら、5本分、灰の中に埋もれていた。そこで動画は終わった。

金歯ってのはやっぱりすごいのかもしれないと考え始めていた俺に、歯医者の男は続けた。金の相場ってのはね、ここ数年で右肩上がりなんですよ。2000年くらいにはグラム1000円だったのが今では4500円前後を推移するようになっていてね。右肩上がりってのはとても凄い事だと思った。だって、みんなが欲しがってるから相場は高くなったりするんでしょ?結局、自分は歯医者の男の言葉に押されるようにして、金の詰め物をすることに決めたのだった。もし合コンに行ったら、自分も金歯してること言わないとな、あと、きっと、これからは金相場を毎日チェックして、その度に一喜一憂したりするんだろうな、あ、今日の俺の歯の値段は昨日に比べて0.3%上がったんだ、とか考えながら。そして、歯医者の男は、君は正直者だと思うと言い、最後に、ただしケアをしないとまた虫歯になるから気を付けなさいと言ったのだった。