じんくに、今を若々しく生きる 

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   ここの画像は、今までにドライブ旅行に行った時の物です

社が二つ並列している珍しい神社、石取祭の社です

2017年10月09日 19時29分05秒 | 日記
日本一喧しいと言われる桑名市の石取祭、毎年8月の第一土日に開催される


石取祭の山車が奉納される神社が桑名の通称春日神社である


なぜ通称なのかは後で説明しよう


先ずは、青銅製の鳥居である




正門前に堂々と佇んでいるが過去の歴史によると何度か倒壊しているが


その都度修復されているようだ


この鳥居は天災のため次の如く災厄にあった が、その都度代々の鋳匠辻内家によって修復されて今日に至っている。
 1.元文5年(1740)大雨のため倒壊 寛延元年(1748)松平忠刻侯再建
 2.明治29年暴風雨のため倒壊 明治32年再建
 3.昭和20年戦災のため火災で黒こげとなる
 4.昭和34年伊勢湾台風のため倒壊
 5.昭和35年当代辻内善平翁(9代)同恒夫(10代)両氏によって8月4日修復 落慶


修復された記録が刻印されている





チョット分かりにくい判読が難しいけど、昭和34年の伊勢湾台風で倒壊した時に

出来た傷跡がこのへこみだそうです




その横には「しるべ石」(左)がある。「たずぬるかた」「おしゆるかた」と刻まれたこの石は行方不明者を捜す伝言板だったらしい




当時でも道に迷う人が居たのですね、子供が大半だったとか


立派な楼門です




昭和20年の空襲により惜しくも焼失し、平成7年の七百年祭記念事業にて半世紀ぶりに


再建されたそうです


楼門の左右に左大臣、右大臣が安置されています、設置されたのは最近だとの事でした


右大臣、中臣神社の印の「大」が胸の所に金箔で作られています




左大臣、桑名神社の印の「三」が胸の所に金箔で作られています



「左大臣・右大臣の御神像は彫師・森西鶴氏によるもので制作には一年以上要した力作であります。
高さ約5尺、奥行約3尺もの大きさがあります。
あえて色彩は施さず、白木の檜(ヒノキ)に金粉や金箔を貼られております。
年月が経過するにつれて楼門に馴染むように考えられております」という
説明がつけられていました。


参道です




石取祭で奉納された石です、この石は近くに流れている町屋川から採取された物です




本殿前の右に有る大きな石が、陽石と言って、お願いすると子宝に恵まれるとか・・・




奥に残る枯れ木、大きな楠の木だったそうでその前が割れていたそうです


この割れ目とその前の大きな石が男のものを表し、性器崇拝の神木として参詣する者が


昔は多かったとか


一番手前の石は、力石です昔、力自慢が持ち上げたものだそうです


さて、本殿ですが

右側が桑名神社で左側が中臣神社です




右側は木の枝で見にくいですが、賽銭箱が置かれているのがわかりますか




桑名宗社とは桑名神社と中臣神社の両社をあわせた名称であり、


古来桑名の総鎮守として桑名首(くわなのおびと)の祖神を祀っています。


中臣神社も延喜式神名帳にその名を見える古社であり、桑名神社と共に延喜式内社とされています。


中臣神社は山上にありましたが、正応二年(1289年)に桑名神社の境内に遷し奉り、


永仁四年(1296年)に奈良春日大社から春日四柱神を勧請合祀してからは


春日神社「春日さん」と呼ばれています。


との事です。