ぐり先生の療育日誌

児童発達支援、放課後ディサービスの先生を初めて1年以上が過ぎました。kids first! 新しい施設を立ち上げました!

バタフライ!

2023年12月03日 | プール
今日は、プールで、小学生が、バタフライを上手に泳いでいて、末っ子のことを懐かしく思い出していました。

末っ子が、2万人にひとりの難病、ペルテス病にかかったのは、小学1年生の冬でした。

念のためにといわれて行った医大の小児整形で、その宣告を受けた瞬間から、末っ子は車椅子に。

立つことを許されなくなりました。

自宅から、往復4時間かかる療育施設への入院。

母であったぐり先生は、療育施設に毎日通い、心労で1か月で10キロの体重減。

両足装具は24時間つけていなければならず、足を開いたままの状態の末っ子は、ペルテスカーと呼ばれる大きな車椅子に乗って生活しました。

2か月の療育施設では、毎日の水中とマットの上でのリハビリ。

毎日通ったぐり先生は、その全てを覚えました。

2か月後の退院ののちも、ぐり先生が毎日リハビリをしました。

水中でのリハビリと、水中でだけ重力がかからないので自由に動ける末っ子のために、毎日、市民プールに通いました。

そんな中で、覚えた水泳。

末っ子は、クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ、全ての泳ぎを習得しました。

全て、泳いでいる人を見ての独学や母からの伝授。

仲のいいプールの知り合いもたくさんできました。

そうして、3年生のときにやっと車椅子から解放された末っ子は、スイミングスクールへ。

いきなり、選手コースに入ることができました。

それからは、リハビリと自主練習のための市民プールと、スイミングスクール。

合間の宿題。

小学校の高学年では、ミニバスケットチームにも入り、ミニバスと水泳と勉強の毎日。

休みの日は、試合で、今も、いくつも残るメダル。

懐かしい表彰台。
 
一応、重いものは持たないほうがよかったり、一日中立つ仕事は避けたほうがいいなどはあるものの、今は元気な末っ子がいます。

将来、後遺症が出てきても、医学は進み、少し明るい未来が見えてきました。

今、ぐり先生がプールに通うきっかけも、ペルテス病のおかげです。

それまでは、ぐり先生の生活の中に、プールという存在はありませんでしたから。(*^_^*)

写真は、こたつで寝るミルたんです。

ぐり先生は、素人の童話書き。

ホームページは、しがみねくみこの童話~月の光の中で~といいます。

ぜひ、よろしくお願いします!


コメント
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