今日は、出社の支度をしていたのですが、めまいがひどく、諦めてお休みにしました。
こんな状態では、かえって迷惑をかけてしまいそうです。
ぐり先生は、今の時代だと、たぶん発達障がいだったと思います。
幼稚園から始まって、集団の中では、ずっといじめられっ子でした。
小学校の時、鬼のお面を作って、自分の面だけ角が折れていなかったことが嬉しくて、おかあさんに早く見せようと家路を急いでいたら、いじめっ子たちにつかまって、鬼の面を取られ、道に投げつけられてしまいました。
もちろん、角も折れてしまいました。
今も忘れられません。
中学のときにも、いじめが問題になり、先生に、
「どうして、いじめられるんですか? 直すところがあったら直します」
というと、
「お前は、10人立ってたら、立っているだけで目立つ」
といわれ、絶望しました。
直しようがないからです。
それはまるで、いじめを受け入れながら生きて行けといわれているかのように感じました。
私は、人間不信になり、死にたいとさえ思っていました。
友だちが一切いないというわけではなかったのですが。
大人になってからも、急に友人が怒り出し、その意味がわからなかったりしました。
コミュニケーションが苦手な、自閉症さんですよね。
そんな中で、児童文学の創作を始めて、お友だちになった方々と、もう20年来のお友だちのままでいてもらっています。
こんな私なので、怒らせることはいっぱいあったかもしれないのに、いつもあたたかく励ましてくれました。
子どものころに克服できなかったことが、大人になって変れることもあるのだと思います。
だから、私みたいに、死にたいなんて思わないで、希望をもって生きて欲しいです。
そんな創作活動で書いたお話の一つ。
ほっこりだましっこ。
しがみねくみこ 童話で、検索していただいて、出てきた作品の一番下のサイトマップを押していただくと、「一覧」の中に出てきます。
よろしくお願いします!(*^_^*)
写真は、河原で拾った石。
キラキラしています!
こんな状態では、かえって迷惑をかけてしまいそうです。
ぐり先生は、今の時代だと、たぶん発達障がいだったと思います。
幼稚園から始まって、集団の中では、ずっといじめられっ子でした。
小学校の時、鬼のお面を作って、自分の面だけ角が折れていなかったことが嬉しくて、おかあさんに早く見せようと家路を急いでいたら、いじめっ子たちにつかまって、鬼の面を取られ、道に投げつけられてしまいました。
もちろん、角も折れてしまいました。
今も忘れられません。
中学のときにも、いじめが問題になり、先生に、
「どうして、いじめられるんですか? 直すところがあったら直します」
というと、
「お前は、10人立ってたら、立っているだけで目立つ」
といわれ、絶望しました。
直しようがないからです。
それはまるで、いじめを受け入れながら生きて行けといわれているかのように感じました。
私は、人間不信になり、死にたいとさえ思っていました。
友だちが一切いないというわけではなかったのですが。
大人になってからも、急に友人が怒り出し、その意味がわからなかったりしました。
コミュニケーションが苦手な、自閉症さんですよね。
そんな中で、児童文学の創作を始めて、お友だちになった方々と、もう20年来のお友だちのままでいてもらっています。
こんな私なので、怒らせることはいっぱいあったかもしれないのに、いつもあたたかく励ましてくれました。
子どものころに克服できなかったことが、大人になって変れることもあるのだと思います。
だから、私みたいに、死にたいなんて思わないで、希望をもって生きて欲しいです。
そんな創作活動で書いたお話の一つ。
ほっこりだましっこ。
しがみねくみこ 童話で、検索していただいて、出てきた作品の一番下のサイトマップを押していただくと、「一覧」の中に出てきます。
よろしくお願いします!(*^_^*)
写真は、河原で拾った石。
キラキラしています!