いよいよ万葉集のムササビにあいにいきます。万葉集にはムササビは三首にでてきます。すでにみた二六七番歌のほかに、巻六の一〇二八番歌、巻七の一三六七番歌です。
この二首が二六七番歌のムササビとどうちがうか、内容をみます。
[万葉集]巻六の一〇二八番歌=ムササビの歌
十一年己卯、天皇が高圓野(たかまとの)に遊猟(みかり)し時、
小き獣、里の中に泄(も)れ走りき。是こに適たま勇士に
値(あ)ひて、生きながら獲ふ。即ち此の獣を御在す所に
献上するに副へたる歌一首
獣の名、俗に牟射佐妣(むささび)と曰ふ
○ますらをの高円山に迫めたれば里に下りけるムササビぞこれ(巻六 1028)
ますらをのたかまとやまにせめたれば
さとにおりけむむささびぞこれ
「丈夫が高円山に追いつめたので、街中まで下りてきた
ムササビというのが、これです」
右の一首は、大伴坂上郎女の作れり。但し、未だ奏を経ずして
小き獣死に斃(たお)れき。これに因りて歌を献ることは停めき。
もう一首のムササビの歌です。
[万葉集]巻七の一三六七番歌=ムササビの歌
譬喩歌寄獣
○三国山木末に住まふムササビの鳥待つごとく吾れ待ちやせむ(巻七 1367)
みくにやまこぬれにすまふむささびの
とりまつごとくわれまちやせむ
「三国山の大きな木の梢に住んでいるムササビが、
じっと鳥が近づいてくるのを待っているように、
わたしも愛しいあなたが来るのをお待ちしてやせ細る
ことだろう」
◆万葉人が親しんだムササビ
詳しく歌をみます。
巻六の一〇二八番歌です。
題詞の「十一年己卯」は、天平十一年のことです。西暦では七三九年です。
天皇が高圓野に遊猟(みかり)したとき、小き獣が京のなかにまよいこんできました。に適(たま)たま勇士がこれにであって、生きたままつかまえることができた。この獣を天皇に献上するさいにそえるつもりで詠った歌一首です。
獣の名、俗に牟射佐妣(むささび)と曰ふ
歌です。「ますらを」は「丈夫」と表記しますが、意味としては立派な官僚、武人的な役人から、ひとりの男といった広範囲にわたります。ここでは「大の大人」くらいの意味でしょうか。
「里に下りけるムササビぞこれ」の「下りける」は、原文では來に流れるとあります。そこで「下(お)りくる」と訓む本もありますが、ここでは「下りける」と訓んでいます。意味としては「下りて来る」となります。「けり」を助動詞にとれば「下りたのだなあ」という詠嘆、あるいは伝聞になりますが、それでは歌意にあいません。ここは明確に「下りて、やって来た」という意味になります。
それで、現代語訳は「丈夫が高円山に追いつめたので、街中まで逃げ下りてきたムササビというのが、これです」となります。
左注にでる大伴坂上郎女は、大伴安麻呂(おおとものやすまろ)の娘です。安麻呂は旅人の父親で、坂上郎女は旅人と異母兄妹ということになります。万葉集に長歌六首、短歌七十八首、旋頭歌一首の、合わせて八十五首もの歌をのこしています。
万葉時代の才女であると同時に、相当に魅力的な女性だったようです。いわゆる才色兼備です。歌も華やいでいますが、異性関係も華麗です。
最初に天武天皇の子どもの穂積皇子の妻となり、皇子が亡くなると藤原麻呂の求婚を受けます。正式に妻となったわけではないようですが、つきあいはありました。さらに、麻呂と別れてからは、異母兄の大伴宿奈麻呂の妻になって、大伴坂上大嬢(おおとものさかのうえのおおおとめ)を生んでいます。この大嬢が大伴家持の妻です。
もう一首、ムササビの歌です。巻七の一三六七番歌です。
歌の分類としては、譬喩歌(ひゆか)で、「獣に寄せる」グループにふくまれます。
歌の三(み)国(くに)山(やま)は、三つの国に接した山という意味です。したがって固有地名ではありません。研究者によってはどこか場所を特定していますが、根拠はありません。歌の内容からすれば、どこの三国山でもかまいません。
「木(こ)末(ぬれ)(こぬれ)に住まふ」は「梢に住む」という意味です。二六七番歌の梢は、住まいではなくて、飛び出すための高い場所の意味ととれるので、同じ「木(こ)末(ぬれ)」で用途がちがうようです。
下の句の「ムササビの鳥待つごとく吾れ待ちやせむ」です。ムササビがじっと鳥を待っているように、わたしもじっとあなたを待って、待ちつづけてやせ細ってしまいました、と詠っています。一途な思いを吐露した歌ということになりますが、いまならストーカーと訴えられるかもしれません。
二つの歌をみて、どうでしょうか。
巻六の一〇二八番歌は、観念的な歌でないことは明らかです。山から街中へ下りてきたのか、逃げてきたのか、ムササビはじっさいに捕まったようです。歌で「これですよ」と確認していることからも、まちがいありません。
捕まったムササビは、夜行性で、移動は空中という習性から、当時でも人間に捕まる事はなかったようです。それで、珍しかったのでしょう。天皇に献上しようとします。ところが、献上していいという許可が下りる前に、ムササビは死んでしまいます。作者にすれば、せっかくのチャンス、天皇に会えるチャンスを逃して惜しいという気もちがあったのです。
京では滅多にない「事件」を大伴坂上郎女が書き留めた歌です。いってみれば歌日記です。これに寓意があるとは思えません。
つぎの巻七の一三六七番歌はどうでしょうか。こちらは慎重で、がまん強いムササビの習性を取りこんで、好きな女性への思いを詠っています。一〇二八番歌が体験したことを即物的に詠っているのとはちがいますが、どちらかといえば、あっけらかんとしています。
こうしてみると、二六七番歌に幾ばくかの不気味さが感じられます。どう不気味か。次回確認します。(2013/01/18 つづく)
この二首が二六七番歌のムササビとどうちがうか、内容をみます。
[万葉集]巻六の一〇二八番歌=ムササビの歌
十一年己卯、天皇が高圓野(たかまとの)に遊猟(みかり)し時、
小き獣、里の中に泄(も)れ走りき。是こに適たま勇士に
値(あ)ひて、生きながら獲ふ。即ち此の獣を御在す所に
献上するに副へたる歌一首
獣の名、俗に牟射佐妣(むささび)と曰ふ
○ますらをの高円山に迫めたれば里に下りけるムササビぞこれ(巻六 1028)
ますらをのたかまとやまにせめたれば
さとにおりけむむささびぞこれ
「丈夫が高円山に追いつめたので、街中まで下りてきた
ムササビというのが、これです」
右の一首は、大伴坂上郎女の作れり。但し、未だ奏を経ずして
小き獣死に斃(たお)れき。これに因りて歌を献ることは停めき。
もう一首のムササビの歌です。
[万葉集]巻七の一三六七番歌=ムササビの歌
譬喩歌寄獣
○三国山木末に住まふムササビの鳥待つごとく吾れ待ちやせむ(巻七 1367)
みくにやまこぬれにすまふむささびの
とりまつごとくわれまちやせむ
「三国山の大きな木の梢に住んでいるムササビが、
じっと鳥が近づいてくるのを待っているように、
わたしも愛しいあなたが来るのをお待ちしてやせ細る
ことだろう」
◆万葉人が親しんだムササビ
詳しく歌をみます。
巻六の一〇二八番歌です。
題詞の「十一年己卯」は、天平十一年のことです。西暦では七三九年です。
天皇が高圓野に遊猟(みかり)したとき、小き獣が京のなかにまよいこんできました。に適(たま)たま勇士がこれにであって、生きたままつかまえることができた。この獣を天皇に献上するさいにそえるつもりで詠った歌一首です。
獣の名、俗に牟射佐妣(むささび)と曰ふ
歌です。「ますらを」は「丈夫」と表記しますが、意味としては立派な官僚、武人的な役人から、ひとりの男といった広範囲にわたります。ここでは「大の大人」くらいの意味でしょうか。
「里に下りけるムササビぞこれ」の「下りける」は、原文では來に流れるとあります。そこで「下(お)りくる」と訓む本もありますが、ここでは「下りける」と訓んでいます。意味としては「下りて来る」となります。「けり」を助動詞にとれば「下りたのだなあ」という詠嘆、あるいは伝聞になりますが、それでは歌意にあいません。ここは明確に「下りて、やって来た」という意味になります。
それで、現代語訳は「丈夫が高円山に追いつめたので、街中まで逃げ下りてきたムササビというのが、これです」となります。
左注にでる大伴坂上郎女は、大伴安麻呂(おおとものやすまろ)の娘です。安麻呂は旅人の父親で、坂上郎女は旅人と異母兄妹ということになります。万葉集に長歌六首、短歌七十八首、旋頭歌一首の、合わせて八十五首もの歌をのこしています。
万葉時代の才女であると同時に、相当に魅力的な女性だったようです。いわゆる才色兼備です。歌も華やいでいますが、異性関係も華麗です。
最初に天武天皇の子どもの穂積皇子の妻となり、皇子が亡くなると藤原麻呂の求婚を受けます。正式に妻となったわけではないようですが、つきあいはありました。さらに、麻呂と別れてからは、異母兄の大伴宿奈麻呂の妻になって、大伴坂上大嬢(おおとものさかのうえのおおおとめ)を生んでいます。この大嬢が大伴家持の妻です。
もう一首、ムササビの歌です。巻七の一三六七番歌です。
歌の分類としては、譬喩歌(ひゆか)で、「獣に寄せる」グループにふくまれます。
歌の三(み)国(くに)山(やま)は、三つの国に接した山という意味です。したがって固有地名ではありません。研究者によってはどこか場所を特定していますが、根拠はありません。歌の内容からすれば、どこの三国山でもかまいません。
「木(こ)末(ぬれ)(こぬれ)に住まふ」は「梢に住む」という意味です。二六七番歌の梢は、住まいではなくて、飛び出すための高い場所の意味ととれるので、同じ「木(こ)末(ぬれ)」で用途がちがうようです。
下の句の「ムササビの鳥待つごとく吾れ待ちやせむ」です。ムササビがじっと鳥を待っているように、わたしもじっとあなたを待って、待ちつづけてやせ細ってしまいました、と詠っています。一途な思いを吐露した歌ということになりますが、いまならストーカーと訴えられるかもしれません。
二つの歌をみて、どうでしょうか。
巻六の一〇二八番歌は、観念的な歌でないことは明らかです。山から街中へ下りてきたのか、逃げてきたのか、ムササビはじっさいに捕まったようです。歌で「これですよ」と確認していることからも、まちがいありません。
捕まったムササビは、夜行性で、移動は空中という習性から、当時でも人間に捕まる事はなかったようです。それで、珍しかったのでしょう。天皇に献上しようとします。ところが、献上していいという許可が下りる前に、ムササビは死んでしまいます。作者にすれば、せっかくのチャンス、天皇に会えるチャンスを逃して惜しいという気もちがあったのです。
京では滅多にない「事件」を大伴坂上郎女が書き留めた歌です。いってみれば歌日記です。これに寓意があるとは思えません。
つぎの巻七の一三六七番歌はどうでしょうか。こちらは慎重で、がまん強いムササビの習性を取りこんで、好きな女性への思いを詠っています。一〇二八番歌が体験したことを即物的に詠っているのとはちがいますが、どちらかといえば、あっけらかんとしています。
こうしてみると、二六七番歌に幾ばくかの不気味さが感じられます。どう不気味か。次回確認します。(2013/01/18 つづく)