BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

自衛に戦法はありや

2022-12-15 | いにしへおもほゆ

因果律は日本風土に根付いてわたしたちの祖先はその思考法を伝えてきた。仏教の教えではそのままにすると因果は巡り報いとなる戒めとした。それによれば一切の物事の解決の根本は何にあるか。それに信仰を重ねて日本の歴史では無常と念仏と死後の世界での回生を祈ってきている。
さて何を言いたいか。
なにかがずれた状況となって、にっちもさっちもいかなくなってきた。そこに見る原因ははっきりしている。にもかかわらず、それを見ずして考えることはそこに起こっている結果のとらえ方である。

ウクライナ戦争は侵攻による。クリミアのもと、これを見ない。情報戦争と言われたが、その後に力の解決がなるものではない。
防衛費の予算は国を守る対策にある。軍事はその自衛のためで戦後この方に議論がないから国民は税に責任をもたされることになると、おかしな話になる。
ドイツを範にとれば防衛費増は国債発行にあったようだから、国民が受け止めるものは何かを知る。




16年前の記事

愛と恋と
2006年12月15日

メッチャ疲れる毎日だ
次から次へと怒る、ではない、起こる
迷妄の果てにあるものは
覚悟の結びとなるか

冬ばれではあっても安定しない
油断をすれば風邪が流行る
疲れはついそちらになる
気をつけよう

ゼミでの、おもしろ日本語はいよいよ佳境に入った
発表という形式がコミュニケーションスタイルをつくる
それはクイズ方式であり、図解なのである
常識を共有できるかどうかは参加者の参加度による

辞書的語義の解説はすぐに出る
通り一遍の解釈はすぐにわかる
その場のみんなが何を考え選んだか
これは真剣勝負だ

そんななかで愛と恋についての
議論から始まってその語義に
愛は中国語ですか、と気づく
愛するとサ変動詞化したから

恋するは恋うといえるので
恋しいとも、なるし
愛は、会うか、合うか、あいむかうか
音読みが和語のように聞える

愛はまた、悲しい、いとしい、ともなる
さらに、めづ、めでる、となって
幼きものをかわいがる気持ちででもあった
いたいけない思いに、ほうっておけないのが愛である

恋は、恋焦がれる思いに駆られる
感情がいわば一方流出してしまう
となると愛は双方向が望ましい流通だ
愛は広く大きいと言えて不特定多数にも向かう

愛は仏教の伝来に愛着を教えた
執着はとらわれの心であり、語義としてはめでたいとなってしまう
愛に見えるものは対象にある美しさか、かわゆい微笑みか
愛憎不離の表裏だ

愛情にはしたがって、ながく、平等愛がない
そこに神の慈愛が翻訳の概念として登場し
300年近くを経て男女平等の愛へと変わる
愛する行為はまた恋の延長にあるようになる

古くは仏教の教えに愛が解釈されて
ことばの愛には日本的な愛で可愛いとしていた
そこへloveの絶対愛が導入されて
近代化とともに人類愛になる

かつて男女の間のその愛を表す言葉は
忍ぶ思いのしたもえ
恋こそが、わが背、色背にあった
わぎもこの、わが妹子にむかった




        


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