BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

異国のかかわり

2022-09-09 | いにしへおもほゆ

ことの始まりはD2で巡ってきた院の就活にあった。どういうことか。研究会を主宰したM先生には学会の副会長の要職にもあって、いずれその方面での需要にとK研究所にの日本語教育センタ拡大に研究員の募集に応じた。それは人事院の予算削減でわたしは逃す結果になって、それは致し方なく、それから院の就活にはD3のときから、国語国文学と日本語教育という分野に専門を得るべくして、その1年後には研究員、非常勤、ポスト待ちになるという、つまりオーバドクタに時間を得ていたのだが、就活はめぐまれたものとなった。そして助手のポストで勤務先を得ることになる。非常勤の日本語教育講師は継続することになって1979年から1984年前期まで、セメスターにすれば11を務めた。新幹線通勤という、とんでもないことをした。時代がそれによって変わる。国家公務員の通勤費の枠が外れて東京と大阪の勤務が名古屋から通ったことで前例として可能となったのである。それはさて、留学生日本語教育が始まって、その1年たって大学の職でいわば国文と日本語教育の道が引き続き開かれていく。
新幹線通勤は快適だったのであるが、実は長く続けられないという思いもあって、勤務先大学と北京の外語学院いまは大学との協定で交換教員に派遣されたのを機に、海外滞在となって日本語教育の、わたしにとっての、新たな展開をとげる。




南京滞在2週目
2006年09月11日
先週の土曜日は日本語教育特別講座があった
国際文化教育学院のホールがいっぱいになる参加者があった
南山大のS教授が、第2言語習得について、わたしが、論文作成の指導と方法の話をした
いつも講演をすると中国語でするのかと聞かれるが、そうではない、日本語でする、日本語科の学生たちに聞かせるわけだから、日本語でよいということになっている

中国語コミュニケーションコースの学生に、中国の先生をお招きして中国語で講演するようなものだが、いかがか
このあいだの講演会では英語で行なわれて学生たちは理解していたようだから、そのようなものか
通訳を使わずに話すので日本語教育の経験から分りよいペースで話そうとする、多分普通にはなしても、そのままわかるだろう
南京師範大学の学生は双業専攻で日本語も英語も話せるので将来が楽しみだ

昨日の日曜日は、揚州旅行、ワンボックスカーに9人で8時半から4時半まで
大明寺、痩西湖を見学した
天気がよかったので、秋の気配訪れる公園を散歩した
帰りのバスで、少し車酔いをしたので、帰って寝たら治った

夜、学生たちが来て話した
中国学講座をしているとかいって、たんなる雑談だ




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