BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

おおじょうこく 0310

2024-03-10 | 日々新た
  



 
お経だろう、往生要集、源信の著作、985年に書いたそうだから1040年前のものを、何を思ってか手にしているのは花山勝友訳、1972年の出版、徳間書店で、昭和47年と保存状態は良いから売ろうかなとも、おもって古書の値段を見て買取が240円とかで元値は4800円だとわかってそれではお別れに、と読むことにした。ぱらりとめくっていろいろと思い出す。市場のは高値で2400円だから、売値は例によってその1割のものである。

同名の著作は日本思想大系にある、随分と前のこと読み始めて、往生こいたことがあって、おおじょうこくというのは名古屋弁だそう、三河弁だと思っているからで、それは良しとして、これは経論釈という論法の文章で、原文は漢文のよう、それをまずは地獄の描写に辟易したのである。地獄の思想を書いた梅原猛の日本思想のとらえ方もここにあるから、そのいわばわたしたちの極楽と地獄の見方である。

ふっとこれをどう読んだにせよ、修行にある僧侶にとれば言葉には違いない、およその1000年以上にも長きにわたって、まずは日本語に得たわけだから、語彙力とその読解力の文法のことを考え合わせる。

原文の引用、サイトによる。
 rubyが本文に流れ込み
http://www.yamadera.info/seiten/d/yoshu1_j.htm
往生要集 上巻  天台首楞厳院の沙門源信撰ぶ
>【1】 ^そもそも、 *極楽ごくらくに*往おう生じょうするための教行は、 濁りはてたこの末の世の目とも足ともなるものである。 僧も俗も、 身分の高いものも低いものも、 誰かこれに従わぬものがあろうか。 ^しかし、 *顕けん教ぎょうや*密みっ教きょうのみ法のりはその説くところがさまざまであり、 事じ (有相の行) や理り (無相の行) に依る業因は、 その行が多い。 それらは智慧がさとく、 努力を怠らぬ人は、 むずかしいと思わないであろうが、 私のような愚かなものは、 どうして進んで修行することができようか。 ^こういうわけであるから、 *念仏ねんぶつの一門に依って、 少しばかり経論の肝要な文を集めた。 これをひもといて、 念仏の行法を修めると、 覚り易く行じ易いことであろう。
 ^この書は総じて十門から成り、 三巻に分けてある。 第一には厭えん離り穢土えど、 第二には欣ごん求ぐ浄じょう土ど、 第三には極楽ごくらく証しょう拠こ、 第四には正しょう修しゅ念仏ねんぶつ、 第五には助念じょねん方法ほうほう、 第六には別べつ時じ念仏ねんぶつ、 第七には念仏ねんぶつ利り益やく、 第八には念仏ねんぶつ証しょう拠こ、 第九には往おう生じょう諸業しょごう、 第十には問答もんどう料りょう簡けんである。 ^これを手元に置いて忘れないように備えよう。
 往生要集 巻上 (現代語版) 浄土真宗本願寺派 長久寺
 http://www.yamadera.info › seiten › yoshu1_j
 







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