BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

20190209 小中華思想

2019-02-09 | 思い遥か

朝鮮王朝末期の思想にある言葉のようである。衛正は、正学、朱子学のこと、斥邪を邪学として仏教や天主教などを排斥すること、という内容であった、と大辞林に説明がある。続いて、欧米列強の侵略に直面して、欧米諸国を夷狄視して排斥し、鎖国を維持しようとする思想へと変化したとある。ウェジョンチョクサ、위정척사。 >思想ないし思想傾向としての衛正斥邪は、全国に展開された書院によって一般的に普及・浸透していたものだが、それが政治的な行動として顕著に現れたのが1864年より始まる大院君政権であった  ウイキペディアより  >大院君らは西洋文明を受け入れた日本も西洋諸国と同一視して(倭洋一体)、通商を求める日本に対しても強硬な姿勢をとった と見える。



世界大百科事典内の華夷思想の言及
【衛正斥邪】より
…国内的には,朝鮮朱子学を唯一の正学とし,朱子学以外の儒教の潮流および仏教を邪学として斥けた。対外的には,華夷思想に基づき,朝鮮を小中華と自認し,清その他の国々を夷狄視した。華夷思想とは,本来漢民族の世界観で,礼の有無によって世界を華と夷に弁別し,自国は礼が備わった〈中国〉,すなわち〈中華の国〉とし,他は夷狄とするものである


世界大百科事典内の衛正斥邪の言及
【小中華思想】より
…李朝前期には朝鮮にとって明は〈大中華〉であり,〈以小事大(小を以て大に事(つか)える)〉の事大=宗属関係があったが,女真族=清が明を滅ぼし,1627年,36年に朝鮮に侵入すると(丙子の乱),政治的には清との事大=宗属関係を維持しながら,精神的には中国は夷狄化したとし,朝鮮を唯一の小中華として自負した。とくに孝宗(在位1650‐59)の治世期には宋時烈らによる尊明排清の北伐論が起こり,それ以来清を夷狄視し,さらに近代に入っては西洋=洋夷,日本=倭夷に対する鎖国攘夷の思想(衛正斥邪)として発展した。18世紀後半期における朝鮮実学の北学派は,たとえ夷狄であっても,長所があれば師として学ぶべきだと主張し,小中華思想の枠組みから離れて世界をみようとした。…


https://news.goo.ne.jp/article/dot/entertainment/dot-2019020600016.html
大野智「自分にとっての“嵐”」とは? インタビューで明かしていた本音
2019/02/08 11:30




遷り変わりを
2008年02月09日19:00

大雪と着雪の知らせも
あすには降水確率も0%
日中は2.5℃だったのが
12℃を予想する

日経コラム2月7日大機小機に
追い越し車線と普通車線と題して日本経済を振り返る一文
記事からして世代は数年、ちょうどきりにしてあるから
戦争を幼児体験にして、いるかな

ひところに誇った日本経済の勢いを
人口ボーナス期を迎えて巧妙に活かしてきたという、それが現在には
国際競争力ランキングは14位、ビジネススクールMD、2007年
一人当たり国内総生産は18位、経済協力開発機構、2006年

コラムの筆者が大学生のときに1964年東京オリンピックがあり
1970年大阪万博が30歳のころだと、一人当たりGDPはイタリア並みになり
1980年にはイギリス並みになり、日本の旬の時期は続く
1990年にはアメリカを追い越したが、それには円高があった

1ドル360円だったのが、いまや120円台に
それは94円という時期を経てのものだ
そしてベルリンの壁崩壊、中国の市場経済への参加があって
95年以降には実質実効円レートの急激な下落が起こっている

今までの経済成長に、追い越し車線へ再びと
思うのだが、実際には普通車線を走り始めているのだ
ニッポン人一人一人が値打ちをあげるほかない、と筆者は言う
人口減少と高齢化が影響するのは・・・






コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。