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この街のどこかで

鳥は飛べるカタチ、僕は歩くカタチ。

希望の商人

2009-02-01 23:54:37 | 言の葉摘み
ナポレオンは「リーダーは希望の商人でなくてはならない」と言った。
詠み人知らずではあるが、「リーダーは誰かのリーダーである前に
己自身のリーダーでなくてはならない」と言う言葉もある。

特にリーダーになりたい訳ではないと言ってしまえば、
なんだか2つの引用は元も子もないような気がしてしまうのだけれど、
それはさて置いてしまって、「自分は自分に対して希望を提示できているか?」
と言う疑問を考えてみよう。

昨年はフットサルチームを作ったのと写真展をやったことが自分の中では大きくて、
それが確かに、希望と言うと大袈裟だけど、人生を色鮮やかにさせたと思う。

それらを継続させていくのは楽しく、素敵なことだと思っている。
ただ新しい希望も欲しくなってしまうのはいいのやら悪いのやら、性ですかな笑。
まぁとにかく、今年も何かを始めたい。始めよう。

で、何をやるかと言うと、今年は楽器を習いたいと思っている。
ずばり、サックス。まぁサックスじゃなくても金管楽器をやってみたい。
おっさんになってもボールを追っかけ、写真展を開き、
夜はジャズバーでライブしちゃったりする、そんな男になろう、と画策中。

もっと勉強もせにゃならんのだろうけど。
スクールでどんな人に会えるかなーなんて楽しくなっちゃったり。
それもまたいいじゃない。
「人びとはあなたがどれだけ気遣ってくれているかを知るまでは、
あなたの知識がどれだけ豊富であろうと意に介さない」なんて言葉もある。
自分自身の希望の商人となれれば、きっと勉強も自然にしてるはずだ。そんな気がする。

僕と言う男のささやかな正月。

2007-12-21 00:24:48 | 言の葉摘み
昨晩は僕の出身の大学のガリレオと飲んで来た。
2軒目で食べたプリンがやたら旨かったこと位しか覚えてないのだけれど、
今もこうして会えて、しかも年明けには旅行に行こうって言う話にまでなるなんて、
遠くに離れていく人もいる中でまったく嬉しいことである。


10年は言い過ぎたけど、それくらい昔の話。
僕の近くに(特に自分の)誕生日を祝うのが嫌いな子がいた。
そんなもの素直に祝うなりやり過ごすなりすればいいのに、
頑ななその子は不器用だったし真面目でもあった。
凍結した路面でハンドルをとられてしまうように、
予期できても、またそうなりたくないと思ってもそうなってしまったんだろう。
今でこそ冷静に言う僕の当時なんてただの危険運転常習者みたいなもんだったのだけれど。

そんな僕はその子にこんなことを言った。
「俺なぁ、自分とおったら楽しいねん。嬉しいねん。
 自分と会えんかったら人生大損やったわ。そう思ってる。
 やからきゅーきょくてきにやで、きゅーきょくてきに。
 自分が生まれてこんかったら会えてへんちゅーことやから、
 自分が生まれた日は少なくとも、少なくとも俺にとってはめっちゃええ日やねん。
 毎日祝ったらさすがにうざいやろうから一年に一度くらい、
 そんなつまんなさそうな顔せんと祝わせてーや」


うん、若いね笑。
その後僕がしばかれたのか無視されたのか
はたまた結構ええ思いをしたのかはさておき、
今でもこの考えは僕の中で脈々と息づいている。


時間が流れて環境が変わっても会おうとする相手がいて、
呼応する相手がいる。そんな関係の根っこにだって感謝したい。
今では遠く離れてしまった人たちだってその時その時で
色んな思いを共にしたり影響与え合ったりしてきたわけで、
その関係にも改めて感謝する機会があってもいいだろう。


昔はみんな年が明けてひとつ年をとった。
仮にすべての人の誕生日が正月であると想定して、
上で述べた考えを適用してみるならば、
正月はありとあらゆる関係について感謝を捧げる日と言えなくもない。

いいイメージを持つこと。
感謝すること。
努力すること。

この3つを掲げて生活している僕にとってはなかなかにいいアイデアだ。
(相変わらず努力することはとても難しいのだけれど)
あるいは一に止まる月と書き正月ということで一(初心や基本)を大切にしましょうなんて言う
正月の理念みたいなものに近いっちゃ近いやん(やや無理があるか笑)。

正月までにはまだ11日もの手付かずの日々がある。
来年からじゃなくて今日今からできることがいっぱいある。
いいイメージを持とうとする僕からすればその事実は
まったくもってオブリガートでテレマカシーでドモアリガトーだ。

ほな今日もいい一日を始めよう。

あかつき。

2007-12-19 01:52:49 | 言の葉摘み
もしこのままって幾度か思って、
あれこれとある意味では誠実に考えて、
そうしてある意味では不誠実な顛末。

ある人が昔に言った。
「踏ん切りがつかないお前は結婚相手選びで失敗すんぞ」

まったくやれやれなことを言う奴もいたもんだ。
確か緑色のリクルーターだ。
そりゃ僕はそんなに潔い奴じゃないかも知れない。
だけど心のうちではちゃんと決めてたんだ。
あの時もある意味では誠実に考えて、
ある意味では不誠実な顛末だったかな。

いずれにせよ肩がすっと軽くなったような感覚。
それもまた共通。
能動にせよ受動にせよ僕自身、この顛末をどこかで求めていたんだろう。

迷いがなくなるなんてことはない。
これからも僕はやれやれと思いながら
憂いに憂えていくことだろう。
それはたぶん盲目的に自身の決断を疑わない姿勢より
幾分かはマシな姿勢だと少なくとも僕は思う。

人が憂うと書いて優しいと読み、それが秀でていると書き優秀となる。
なんて言葉遊びはペダルを逆にこいでいる自転車のように
僕をどこへも運びはしないだろうけど、何がしかのヒントはあるように思う。

さて、憂いながらもやはりここだと言える道を歩いていけるだろうか。
ある意味で誠実なこと、ある意味では不誠実なこと。
あれこれやって大して潔くない僕にもそれなりに覚悟らしいものができてきた。
少なくとも緑色の忌まわしい予言を軽く打ち砕くほどには。

とりあえずこれからの2年は相当な正念場になりそうだ。
後ろに引きずるものはあれど思いは常に前に。
真剣に。あくまでも深刻でなく。

さいきん。

2007-12-05 00:53:04 | 言の葉摘み
体重が5キロ減ったのはストレスなんてモンじゃなくて、
酒量とご飯の量をちょっとばかし減らしただけ。
3食もぐもぐ今も食ってるんだから、これまでどんだけ飲み食いしてたんだっつー話で。

最近は安室よりチャットモンチーが好きで。
最近も相変わらず民生だったりヒロトだったり100sが好きで。
最近は量はちょっとでいいから、うまいもの食べたいと思っている。
最近も丼やカレーを祝祭に満ちた食べ物と思い込んでいてたらふく食べてしまう。
最近気になっているのは神社は無料で入れるのに寺はなんで金がとられるのかってこと。
神社は願いを託す場で寺は相談する所と言う話を聞いたことがある。
そう考えればそれなりに説明がつくのかな。

話がやや逸れる。
たとえばすごく悩んでるんですと言う人が2人いて、
片方の腕にはためらい傷がいくつもあり、他方は何もない。
だからと言って前者の方がより悩んでるなんて決めるのはやや早計な気がする。

人は分かりやすいのが好みのようで。
他人に分かりやすさを求めながら、
自身はデパートのフロアを何時間もうろうろしたり、
グレーな立場を保ちたがったりしていると言うのに。
その自身の微妙な感情を分かって欲しかったり。

色んなものが流れていく。
その流れに目を奪われて大きな変化を見逃しちゃいないかなぁ。
あまりに大切な、そしてあまりに当たり前なものの変化に気付けるかなぁ。
まるでアハムービーのように。

いいこと考えている方が悪いこと考えているより脳の容量を使わなくて済む。
その余りを色んな事を考えるのに使えると言う話らしいんだけど、
あまりにポジティブな最近は何かを見落とさないか不安でもある。
とか言いつつ、そういう懸念を持っているから大丈夫だろうと、
また能天気な思いが頭をもたげてくる。とにもかくにも好調は続いている。
たぶん悲観的な学者の温暖化予想のようにこの先もずんずんと上昇。
僕はナイーブにもイメトレ効果を信じている人間だ。

うちの上司がよく言うこと。
「君が社長で、横の彼を雇うとしよう。
 さて彼にどんな仕事を任せる?
 やるべきで面白い仕事は自分でやると思わないか?
 なら、その後に残るのはどんな仕事だろう?
 つまり、新人の君たちが任される仕事は大抵は面白いはずがない。
 でもそこに楽しみを見つけられない限り次へは進めないんだよ」

別に思い込みでもいいっちゃいい。
楽しく、楽しく。
それは最近自分を律する言葉として響く。
将来の楽しさを考える。未来の自分に誇れる動きができてるかなぁと。
案外、楽しさってのも厳しいものだと最近は思うんだ。

ようやく自学がちょろちょろと進み始めた。
しかし来月4日が休みになる可能性が高いと言う狂喜の情報に
心は旅モードへと移りつつあるこの頃である。

現在地点。

2007-11-24 19:57:01 | 言の葉摘み
月曜日:有休を取って、家族と新世界へ遊びに行った。父がいやに嬉しそうだった。
火曜日:1週間ぶりの支店。夜は送別会。みんなただのおっさんだ。
水曜日:インターンが開始。実に色んな事を考えた。
木曜日:引き続きインターン。22時まで働いたのは初めてで、午前のことが昨日のことのよう。
金曜日:友人2人の誕生日を祝う。

とにもかくにも心の中には常に楽しいことをし続けたいと言う思いがあって、
うまく遊べねぇ、仕事ができねぇなんてのは全くもってくそつまらないことで、
倦むことなく遊んだり活気に溢れながら仕事をしたりするのが、
それ故に自身が自身に求めていることで、ただそれは並大抵のことじゃないなと。

俺が思う仕事ができるってのは数字を達成してるだけじゃ足りてない。
遊びも通り一遍のことだけ回してやっていくなんて勘弁願いたい。
なんのかんの理由をつけて諦めながら目を瞑りながらやっていきたくはない。



はっきりとはしてない。
未知の将来に向けて明確な理想を掲げ続けるほどたぶん強くはない。
はっきりとしてはいないけど、常に理想を見ているつもりだ。
単に見るためではなくて、実現するために理想を見ている。

その理想を追える位置に誰だっていつだっていると言えばそうかも知れない。
遅すぎるなんてことはないかも知れない。
今日が残りの人生で一番最初の日だと勇気付けられるかも知れない。
でも遠すぎる理想を見続けて、追い続けて腐らないほどの強さはやっぱりないと思う。

今はまだ理想の背中が見えている。
きついマラソンのような道のりの上で、
ちゃんとその背中は見えている。
腐らないためにはこの位置取りは絶対にキープしなくてはならない。

走れば走るほどきつくなる。
体力も落ちる。体が言うことをきかない。
頭がボーっとしてくる。目がかすむ。
好むと好まざるに関わらず、それはそう言うものなんだ。
でも、追うと、捉えてそれを抜き去って行くんだと、そう決めたのなら、
そう言う状況の中でもむしろ速度を上げなくてはならない。



トクビルはこう言った。
「人間は、極寒の地を目指して休まず歩む旅人に似ています。
 目的地に近づけば近づくほど旅人は足を速めなければなりません。
 そこでは、寒さこそ旅人の精神にとって最大の病魔となります。
 この恐るべき敵から身を守るには精神を活発に働かせておくと同時に、
 常に友人と接触を保つことが必要になるのです」




僕は僕のことをすべて分かっているわけではない。
でも僕が仕事を頑張ってやるのは曖昧ながらもしっかりとした
ささやかな理想を実現するためであり、なぜ実現したいかと言えば、
ごくごく単純に言ってしまえば、それが楽しいと思うからだ。そう認識している。

楽しいと幸せは僕の中でほぼ同義語。
そのせいかどこの信徒でもないが楽しいと思わず手を合わしたくなることがしばしばある。
なんにせよその楽しいとか幸せと言う感覚を味わうのは一人じゃ無理。
それは12の干支を2周してそれなりに痛い思いもして分かっているつもりだ。

色んな人の顔を思い浮かべて、その人との思い出も思い出せば、
感謝の念やら申し訳ない気持ちやら様々な感情が巡り、
たくさんの有形無形のプレゼントに対して僕はちゃんと応えられているんだろうかと
ある種負債のようなものを想像しては途方に暮れてしまうこともある。




そう言う風に考えてくると、
やはり僕は一歩も引けないのである。
バランスを崩してでもやらなくちゃならない時期があると言う事も了承はしているつもりだ。
でも僕は少なくとも遊びも恋も仕事もその他
ほかの誰でもない自分がやらなくちゃならない大切だと思う
諸々のことに関しては僕は引くことはできないのである。

今もそれなりにそういう風にやってるつもりだけど、
まだだ。まだまだだ。悪くはないがそんなんじゃ甘いわ。
ぜってーやってやんべ。

ストレンジャーインザマジカルローカルトレイン。

2007-11-18 01:14:00 | 言の葉摘み
また研修で東京に行っていた。
そこはどうにも楽しく、そしてお洒落で、レベルの高い奴の多い街である。
友達がたくさんいるけど街には馴染んでいない、帰る場所はここではない、
そんなゆるいストレンジャー的感覚が楽しさの源泉かも知れない。

戻ってきていつも梅田ってパッとしねぇなと思う。
でもそんな街に僕の根っこはあるわけで。
他のどこでもなく、そして他のいつでもなく、
ここで今僕は張り切って楽しく、事を成すわけで。

ぼーっとしてたって楽しくない。
やってやって、それで楽しくなってんだ。
でもまだまだだ。まだこんなんじゃ偏差値50程度だ。
やりまくってるなんて言えたモンじゃない。
何ができる?何がしたい?何をしてる?

とにもかくにも最高のバンカーに。
だってそれが楽しいから。だってそれがワクワクするから。
とにもかくにも笑えることを、お洒落なことを。
だってそれが楽しいから。だってそれがワクワクするから。

列車状態よし、信号よし。
鈍行でも誰よりも遠くへ。色んな人を乗せながら、そして別れながら。

なんのかんの。

2007-11-08 00:29:27 | 言の葉摘み
情報が多いと使いづらい。
たとえば地図。東京の渋谷のどこどこのビルに来てと言われて
衛星写真を渡されても、情報が多すぎて却って厄介だ。
ポイントを押さえたシンプルな略地図の方がずっとスムーズにたどり着けるだろう。

情報が多いと間違えやすい。
たとえば数十種の野菜と調味料が置かれていて
ポトフを作ってくださいと言われたら、えげつないことになりそうだ。
必要な食材だけならそうそう惨憺たる結果にはならない、、、と願う。

情報が多いと伝わりづらい。
たとえば言葉。延々喋ると言いたいことが曖昧になっていく。
伝えることを端的に言葉にすればいいのである。
話が少し変わるが、言葉少なに想像力を掻き立てるのは芸術性が求められること。
それは美しく、また他人が入り込む余地が多いものである。
3,4分の歌が1時間×12回のドラマより響くのはそんな理由かもしれない。

まぁ逆も真なり。

とは言え思うのは、
何か決める時にたとえば必要以上に具体的な地図を眺めたり、
あるいは何か作る時に必要以上の食材を買い込んだり、
と言うように余計なことをしすぎちゃいないかと言うことである。

適度と言うのはとてもとても難しいが、
さて、僕たちはそんなに多くのものを必要としているんだろうか?
悩みも希望も思ってるよりちょっとシンプル目くらいが丁度いいのかも知れない。

冬と値段とイタリアンレストランを調べる僕。

2007-11-06 00:07:47 | 言の葉摘み
このところめっきり寒くなってきた。
しかも起きたらまだ暗いわで余計にテンション下がる季節の到来だ。

そんな季節を嫌がっても夏はひょいひょいと戻ってきてはくれない。
夏がブーメランだとしたらそれはまだ僕と垂直になる位置にまでも飛んで行っていないのだ。
こんなよく分からない喩えをするより前に僕はこの寒さから身を守らなくてはならない。
そういう訳でこの前、ハーフダウンを購入した。未だに例の場所で笑。
(無論その時の思考回路は矢印一本程度のシンプルなものだった。寒い→ぬくい服買う)

さて、今日はその時のやり取りで?と思ったことを書こうと思う。

店員Iさんの台詞。
「見てくださいよ~。これね、ロングの方もあるんですけど、
 ロングやからその分1万、2万くらい高いんですよ。生地と毛が多いから。単純ですよね~」

「そうですねー」なんて適当に相槌打ちつつ、あれ?と思った。

確かに単純と言えば単純で、量が多ければ高いとは至極もっともだ。
でも僕のこのハーフダウンだってSMLと生地量も毛量も違うはずである。
しかし値段は同じ。服を購入する場合、これはごく普通である。

となると、ロングが使用量が多いから高いと言う理屈はちょっと妙な気がする。
それ以上にSとMとLの値段が同じという当たり前がそもそも妙なんだろうか。
マクドのポテトや量り売りのような値付けの方がしっくりくる気がする。

マクドで思い出したのだけれど、まぁ思い出したってのはコカコーラのことで、
コーラの自販機では350mlと500mlが同じ値段の場合が往々にしてある。
ポテトはサイズで値段が違うがコーラは変わらず。

うーん、値段ってなんとも不思議。(長くなったので投げっぱなし)

イメージと言葉とポジ恥部。

2007-11-04 19:37:27 | 言の葉摘み
「脳はバカである」

これは僕が相当に好きな言葉のひとつである。
もちろん、これだけではなんのこっちゃよう分からん。
続く解説はこんな調子だ。

脳はバカである。
なんせこうなるとイメージしたことを、
実際に起こることだと思い込んでしまうからである。

何かスポーツをしていた人などはコーチから
イメージすることが大事だ、イメトレに励め、なんて言われた事はないだろうか。
あるいはそう言うやりとりを聞いたことくらいはあるかも知れない。

それは脳がバカだから勧められることなのである。

無論、そのイメージに体がついていかず
失敗するなんてことはあるに決まっている。
そこはやはり地道な日々の積み重ねが大事なのは言うまでもない。
「とにもかくにも全ては積み重ね」
これも好きな、いや、これは肝に銘じている言葉である。

ただその積み重ねを行う際においても、
バカな脳においてよいイメージを持つことが有効であることは確かな話だと言う。

だから
誰のせいでそんなしょぼくれとんのか知らんけど、
服買ったときみたいに嬉しそうな顔しとったらええねん!
うまくやれるんやからわらっとったらええねん!
ということ。

言葉も表情もイメージも力を持っている。
少しでもいいイメージでもって、少しでもいい表情で、
少しでもいい言葉(単に個人的にポジティブなだけじゃないやつ。これがとても難しい)
を語りたいなと思うこの頃である。