今回は「特別養護老人ホームでの出来事」についてのお話。
先日、私は特養にて催された“夏祭り”のボランティアに行ってきました。そこの特養は、ある病院系列の一つであり、他にも老人保健施設やディサービス、ヘルパー派遣会社などが系列施設としてあります。
今回の夏祭りは、その系列施設が一同に集まって行われる規模の大きなイベントでした。
参加人数も300人近くに上り、有志による太鼓や盆踊りの演舞が行われ盛況でした。
そんな中で私が担当した利用者は、中~重度の脳血管性痴呆症を患っており、時折パニックを起こす可能性を示唆されている男性のS氏でした。
施設の食堂にて、屋外の準備が出来るまで待機している時に、S氏と挨拶を交わして会話を少し進めてみると、どうやらS氏は夏祭りに参加したくないヨウナ感じを持っているのです。そこで私は
「Sさん、夏祭りで太鼓やら盆踊りを地元の方がやってくれるそうですよ♪ チョット観に行きましょうよ♪」と誘ってみるも、
「ノーサンキュー! ディの人は早く帰ってくれて結構です!」
と拒否されました。(S氏は私の事をディサービスの職員だと思っている様子です)
パニックになるような兆候が見られたので、痴呆高齢者の特性でもある“今、考えて(思って)いる事は、暫くすると忘れる”という事を思い出し、そっとしておく為にチョット離れてS氏を観察する事にしました。
S氏は机の端を手で掴んで、座っている車椅子の位置を直そうとしているのです。しかし体が動かない為なのか、どうにもならない様子でした。
そこで近づいてS氏に「どこか座り心地でも悪いのですか?」と訪ね、よく見てみるとS氏の腰にアレが装着されていたのです。
“安全エプロン”とか“安全オムツ”とか言うヤツです。(正式名称は知りませんが…)
この“安全エプロン”は車椅子に座っている人に履かせ、両端についている紐を車椅子に括り着けて後ろで縛るのです。
これにより車椅子に座っている利用者は、立つ事が出来なくなり常に座っていなければならない状態になるのです。
数年前までは公然とコレが何処の施設でも“安全確保の名目”で使われていたのですが、
“身体拘束”という人権侵害に抵触する
として現在、介護の業界では非常時(生命が危険に晒される時)以外は禁止されているはずなのですが…
ここの施設では夏祭りは、日常の生活とは違う「非日常」であり、施設職員以外が介助をするという事が「非常時」だと解釈されているのでしょうか?
施設の方に訊いてみたかったのですが、学校の方から「何かマズイ点があったとしても、無闇に指摘や質問はしてくるな!」と釘をさされていましたので黙っておきました。普段からS氏が身体拘束をされていない事を祈るしかできませんでした。
S氏はこの拘束具が大変気に入らないようで、機嫌が悪いようなのです。男性がパニックを起こしたりすれば、女性の介護職の人では抑えきれないのでしょうし、徘徊癖があれば、勝手に何処かへ行ってしまうかもしれないし、そこで転倒しようものなら、身体に危険が及ぶかもしれません。
しかも今回は、屋外で行われる“夏祭り”であり、職員以外の学ボラが介助を主として行い、職員の目が全てに届くわけでは無いから、身体拘束を行ったのでしょう。
こう考えれば身体拘束も、なんとなく正当な理由に思えそうです。
この件について私なりに考えてみましたので述べたいと思います。
特に福祉の世界に潜んでいる事柄なんですが、
“個人の人権”より
“上から(上司や利用者の家族)の指示”や
“利用者本人の為と思われる行為”
が尊重されてしまうのです。よく言われるの事なのですが
『人は正義を振りかざす時ほど、自らを省みれない』
というのがあります。
夏祭りに参加させる事は、S氏にとっても楽しいであろうし、施設外の人との交流により精神的にも健康でいられるような配慮なのでしょう。
しかし“本人の為によかれ”と思ってやっている行為自体が“本人の人権や意志を無視”している“おせっかいな行為”が往々にして存在します。
安全・安楽の為に人権を無視しても構わないという論理がまかり通っています。
今回の痴呆高齢者の場合のように、本人の意志を確認する事自体が難しい場合が存在します。
しかし、それはS氏本人の“意志が存在しない”という事ではありません。
その見えにくい“本人の意志”を汲み取る事や、“侵されやすい人権”を守っていく事が福祉専門職に課せられている使命なんですが、悲しい事に、その場での状況や慣習が優先されている状態でした。
人権とは、その場の状況や慣習において左右されるものなのでしょうか?
私は、たとえ法律や条例で定められていたとしても「人権の尊重」が優先されるべきモノと考えています。
想定出来る危険に対処する事は正しい選択なのですが、安易な方法を選択した為に、S氏の人権が侵されていたのです。
“安全エプロン”を着用しなければ、S氏は夏祭りに積極的に参加して、楽しんだかもしれないのに…
日本の福祉の世界は、未だ発達途中の世界です。
全てがこういう状況ではありませんが、日本全国で同じ様な人権侵害が成されているのが現実であったりします。
ただコレでも10数年前から比べれば格段に進歩している状況ではありますが…。
福祉の仕事は人間がやる仕事であるので、一度に全てが変わる事は難しいのでしょうね。一歩一歩、よい状態へ改善する努力が必要だと思います。
先日、私は特養にて催された“夏祭り”のボランティアに行ってきました。そこの特養は、ある病院系列の一つであり、他にも老人保健施設やディサービス、ヘルパー派遣会社などが系列施設としてあります。
今回の夏祭りは、その系列施設が一同に集まって行われる規模の大きなイベントでした。
参加人数も300人近くに上り、有志による太鼓や盆踊りの演舞が行われ盛況でした。
そんな中で私が担当した利用者は、中~重度の脳血管性痴呆症を患っており、時折パニックを起こす可能性を示唆されている男性のS氏でした。
施設の食堂にて、屋外の準備が出来るまで待機している時に、S氏と挨拶を交わして会話を少し進めてみると、どうやらS氏は夏祭りに参加したくないヨウナ感じを持っているのです。そこで私は
「Sさん、夏祭りで太鼓やら盆踊りを地元の方がやってくれるそうですよ♪ チョット観に行きましょうよ♪」と誘ってみるも、
「ノーサンキュー! ディの人は早く帰ってくれて結構です!」
と拒否されました。(S氏は私の事をディサービスの職員だと思っている様子です)
パニックになるような兆候が見られたので、痴呆高齢者の特性でもある“今、考えて(思って)いる事は、暫くすると忘れる”という事を思い出し、そっとしておく為にチョット離れてS氏を観察する事にしました。
S氏は机の端を手で掴んで、座っている車椅子の位置を直そうとしているのです。しかし体が動かない為なのか、どうにもならない様子でした。
そこで近づいてS氏に「どこか座り心地でも悪いのですか?」と訪ね、よく見てみるとS氏の腰にアレが装着されていたのです。
“安全エプロン”とか“安全オムツ”とか言うヤツです。(正式名称は知りませんが…)
この“安全エプロン”は車椅子に座っている人に履かせ、両端についている紐を車椅子に括り着けて後ろで縛るのです。
これにより車椅子に座っている利用者は、立つ事が出来なくなり常に座っていなければならない状態になるのです。
数年前までは公然とコレが何処の施設でも“安全確保の名目”で使われていたのですが、
“身体拘束”という人権侵害に抵触する
として現在、介護の業界では非常時(生命が危険に晒される時)以外は禁止されているはずなのですが…
ここの施設では夏祭りは、日常の生活とは違う「非日常」であり、施設職員以外が介助をするという事が「非常時」だと解釈されているのでしょうか?
施設の方に訊いてみたかったのですが、学校の方から「何かマズイ点があったとしても、無闇に指摘や質問はしてくるな!」と釘をさされていましたので黙っておきました。普段からS氏が身体拘束をされていない事を祈るしかできませんでした。
S氏はこの拘束具が大変気に入らないようで、機嫌が悪いようなのです。男性がパニックを起こしたりすれば、女性の介護職の人では抑えきれないのでしょうし、徘徊癖があれば、勝手に何処かへ行ってしまうかもしれないし、そこで転倒しようものなら、身体に危険が及ぶかもしれません。
しかも今回は、屋外で行われる“夏祭り”であり、職員以外の学ボラが介助を主として行い、職員の目が全てに届くわけでは無いから、身体拘束を行ったのでしょう。
こう考えれば身体拘束も、なんとなく正当な理由に思えそうです。
この件について私なりに考えてみましたので述べたいと思います。
特に福祉の世界に潜んでいる事柄なんですが、
“個人の人権”より
“上から(上司や利用者の家族)の指示”や
“利用者本人の為と思われる行為”
が尊重されてしまうのです。よく言われるの事なのですが
『人は正義を振りかざす時ほど、自らを省みれない』
というのがあります。
夏祭りに参加させる事は、S氏にとっても楽しいであろうし、施設外の人との交流により精神的にも健康でいられるような配慮なのでしょう。
しかし“本人の為によかれ”と思ってやっている行為自体が“本人の人権や意志を無視”している“おせっかいな行為”が往々にして存在します。
安全・安楽の為に人権を無視しても構わないという論理がまかり通っています。
今回の痴呆高齢者の場合のように、本人の意志を確認する事自体が難しい場合が存在します。
しかし、それはS氏本人の“意志が存在しない”という事ではありません。
その見えにくい“本人の意志”を汲み取る事や、“侵されやすい人権”を守っていく事が福祉専門職に課せられている使命なんですが、悲しい事に、その場での状況や慣習が優先されている状態でした。
人権とは、その場の状況や慣習において左右されるものなのでしょうか?
私は、たとえ法律や条例で定められていたとしても「人権の尊重」が優先されるべきモノと考えています。
想定出来る危険に対処する事は正しい選択なのですが、安易な方法を選択した為に、S氏の人権が侵されていたのです。
“安全エプロン”を着用しなければ、S氏は夏祭りに積極的に参加して、楽しんだかもしれないのに…
日本の福祉の世界は、未だ発達途中の世界です。
全てがこういう状況ではありませんが、日本全国で同じ様な人権侵害が成されているのが現実であったりします。
ただコレでも10数年前から比べれば格段に進歩している状況ではありますが…。
福祉の仕事は人間がやる仕事であるので、一度に全てが変わる事は難しいのでしょうね。一歩一歩、よい状態へ改善する努力が必要だと思います。
私もリーマンから福祉の専門学校を出て現在介護の仕事をしております。
で、身体拘束ですが
自分が勤めている老健では、たまに家族から依頼があります。
利用者の程度にもよりますが、転倒回数の多い利用者などは、家族にその状況を説明すると骨折等大きな怪我が怖くて拘束してと依頼になるんですよ。
施設として職員の対応でなんとかカバーしようとしても
家族が転倒や骨折を怖がって拘束を依頼してくるんです。
もちろん人権の話などいろいろしますが、それでも家族にしてみれば
危険性と施設側の対応の限界(常に見守りなんて大変でしょ)の二本立てで強く迫ってくるのです。
しかも断るとあの施設は家族の言うことを聞いてくれないとクレームになるし
施設側にしてみれば困った家族でまいります。
で、しかたなく試しに一瞬だけ拘束しても本人が大抵不穏になって
以前よりも派手に暴れたりして結局使わないって結論になるんですけどね。
(車椅子に固定しても暴れて走り回り階段までいってしまって車椅子ごとひっくりかえったこともあるし)
拘束して、うまくいった例は自分の勤めてる施設では一度もないです。
拘束してうまくいくことは、本当にまれです。
大抵はなにかしら不具合がでてくるものですよ。
ご参考までに・・・
そうですよね。拘束されて気分がいいはずありませんものね。
私も以前、知的障害者の“セルフ・アドボカシー”に関する論文を読んだのですが、
その中のアンケートによって集められたデータにおいて
<本人の意思を阻害している要因>
の一番は“利用者の家族・身内”でした。そういえば…
しかし施設側としても人権侵害だと分かっていても“家族の意向”は無視出来ないのも事実ですよね。
この状況になると“施設の対応方針”を“現場の意思”に合わせていく事が重要なのかもしれません。
「ウチでは拘束はしません」と告知する位の対応を施設として取って貰えれば、現場の方としては助かるんですよね。
ただそういう様な要望の「上申書」を出す事は、とても大変な事なんですが…
施設職員もサラリーマンですもんね。自分の生活も守らなきゃならないのは分かります。
なので何とか自分を守りながら、現状をやり易くする改善策を考えていきたい所ですよね。