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めざせ!介護の達人

元リーマンの専門学校生
学校で学んだいろんな事を徒然と書いております。ちと理屈っぽいページです。

躁鬱病

2004-10-23 | 戯言
今回は躁鬱病について、私がチョッと感じた事についてのお話。

躁鬱病について簡単に言いますと(ホントに大雑把にね)精神に関する病気なんです。

原因はハッキリしてはいないのですが、脳内の神経伝達系に異常をきたす事が原因ではないか?という説があります。
精神障害を持っている人って、統合失調症なんかもそうなんですけど、知らない人が見たら障害を負ってるなんて微塵もわかんないんですよね。
コレがこの障害の持つ大きな特性の一つでもあるんですが、「周りの人に理解されない事」が本人を苦しめる一因になっているんです。
身近に罹患している方がいる人だったら「彼女はそうなのかな?」と思ったりしますけど…


一般ピープルの人達で躁鬱状態になっている人を見た事がある人はどの位居るのでしょうか?
うつ状態の時は外出する事はモトより他の人と接する事さえ苦痛になっているので、うつ状態で苦しんでいる姿を街中で見ることは殆どないでしょう。
躁状態の時を見かけたとしても、その人が病気を持っていると知らなければ
「明るい性格の人」とか「お喋り好きの人」という印象だけで終わってしまうんじゃないでしょうか?
世の中では(ネットで検索してみれば分かると思いますが…)躁鬱病に関しての捉え方は「治療」一色の考え方が体勢を占めています。
確かにコイツは病気でありますし、治療技術も進んでカンカイする方も多くいらっしゃいます。
しかしケースワーカーを目指す身としては、「治療」ではなく「精神障害の置かれている環境」について何とかしなきゃイケナイと思うんです。

福祉専門職を目指す学校の生徒でさえ、全員が“躁鬱病を持つ人”をありのままに受け入れ、生活しやすい環境を作る事は難しいのです。
噂話や陰口なんかはモトより、興味本位で聞かれた質問でさえ「自己否定」に繋がってしまう事を
しらないと大変な事態になりかねないのです。
私は「他の人が出来る事」といえば、当事者の周りの環境(空気)をネガティブにしない上で常に係わり合いを持ち続ける事が重要なんだと思います。

精神障害を煩っている人達が、深刻な状態に落居らない環境に巡り会えるようにしなければ…
と思っております。

役割性格

2004-09-24 | 戯言
今回は映画“es”についてのお話。
1971年 アメリカの心理学者ジンバルトによって行われた臨床実験「囚人と看守の実験」というのがありました。
この実験は戦後に行われた心理学の実験の中で“最悪”とも言われています。
その実験を2002年に映画化したのが“es”で、ドイツ語で「本能」という意味の題名です。

ではジンバルトの実験(アメリカ)とはどんなモノだったのでしょうか?

まず21人の中流階級でキリスト教信者である白人男性を集めました。
被験者の条件を同じようにするために敢えて揃えたそうです。
その21人をランダムに“看守11人”と“囚人10人”に振り分けました。
実験施設の中に刑務所の施設を作り、看守には制服を与え、囚人にも囚人服と囚人番号を与えました。
さらに看守役の人達には囚人を厳しく監視するように伝えてあり、実験がスタートしました。
実験開始2日後位から、看守役は看守らしく振舞い、抑圧的・暴力的な行動が目立ちはじめました。
一方、囚人役の人も気力が無くなり、その後人間としての尊厳が無くなってしまった態度が見られるようになりました。
実験開始後、4日目に囚人役の人が自我崩壊し発狂した為に、実験中止となった。被験者が受けた心理的苦痛が問題になり訴訟にまで発展した実験である。


この実験で得られた成果というのが、パーソナリティーを構成する“役割性格”と呼ばれるモノの検証でありました。
ヒトは置かれている環境や地位によって“自ら取る行動が変っていく”という事なんです。それが作為的に作られた環境であっても、変化していくという事が証明されました。

これが障害を持つ人達に当てはめてみると、
ネガティブな視点を持つ社会的態度(環境)が障害を持つ人の考え方をネガティブなモノにしていくんです。
障害を持つ事が“普通ではない”とか“可哀想なこと”という視点が社会一般的に存在しているん事が、障害をもつ人やその家族にネガティブな影響を与えているんですね。
しかしコレをポジティブに捉えれば、作為的に作った環境でも“役割性格”はポジティブなものに変えていけるという事が重要なんです。
私達、一人一人の意識が少しずつでもポジティブなモノに変っていければ世の中が変っていくという事なんです。
障害を持つ人達と触れ合う機会がありましたら、是非そういう視点で接してみてもらえると嬉しいです。


*看守が看守らしく振舞う所では“役割性格”という視点もありますが、ミルグラムの実験などで言われている“権威からの指示”も多分に含まれていると思われます。今回はその部分の説明は割愛します。

施設で働いている人に聞いてみたい!

2004-09-15 | 戯言
今回は「養護老人ホームでの出来事」についてのお話。
あくまで施設職員ではなく福祉専門職のタマゴが見てきた感想です。
施設で働いてる人が見てくれましたら、「こんな所を見てるんだ。」とでも思ってくだされば幸いです。ご指摘の点があれば気軽にカキコミお願いします。


先日、私は千葉県内の某養護老人ホームホームへ“強制ボランティア”へ行って参りました。“強制”って言うのは、学校が「夏休みの宿題」という名のもとに行かせたからなんですが…(笑)
そこでの出来事のお話です。

某施設は養護と特養が併設されている施設なんですが、当日は“夏祭り”が開催されるという事だったので、ボラの募集があったんです。
今までのボラでは、施設に行くと担当介護職の人(大抵、主任クラスの人)が出てきてアレコレを指示されるんですよ。
「あなたの受け持ちは、●●さんです。」ってな感じで…

勿論、今回も同じく指示されたんですが違う点があったんです。ソレは指示された場が

「日勤・夜勤者の引継ぎ&介護職とNSの夏祭りのブリーフィングの場」

だったんです。
部外者の学ボラが会議の最初から参加している事には正直驚きで、本当に“素”の職場を見せている事に施設職員、とりわけ介護職の人の自信が見えました。
さらに私を驚かせた事が、この施設ではあったんです。

「自主性の尊重」とか「主体性」という言葉があります。
介護や援助をする上でとても重要な事なんですが、「介護目標」というのもあるんですよね。
例をあげれば「寝たきりにさせない」とか「元気高齢者への介護予防」とかetc…。
そこで問題になるのが、介護目標を達成しようと頑張ると利用者さんの主体性を損なう可能性があるのです。
“介護”とは利用者さんのしたいと思われる“自己決定”を介護者が代役として行っている事ですので、極論を言ってしまうと“介護”は“利用者の主体性”を奪う可能性がある、という事です。
おそらく現場で働いている介護職の誰しもが、その境界を見極め、主体性を損なわないように介護する事に悩んでいるんじゃないかと思います。

そして、この某施設で驚かされた事というのが次のような事なんです。

夏祭りが開始されるという事で、利用者の皆が外に出て近隣住民の方と一緒に盆踊りとかを踊ったりするので、私の担当利用者S氏と指定席で先に待っていたんですよ。世間話なんかしながら…
しかしS氏は夏祭り開始直前に、
「やっぱり、部屋に帰りたい!」
と言い出したのです。

もう開会の式が始まる直前で、施設長を筆頭に議員さんや県の偉い御役人さんが勢揃いしているんですよ。
こんな時に席を立って建物の中に戻るのは、
「さすがにヤバイんじゃないかな?」
とは思いましたが、近くに居た介護職の方に報告し判断をあおぎました。
職員の方が再度Sさんと話した後に、私に言いました。

「Sさん、今すぐ部屋に帰りたいらしいので、部屋まで連れて行ってください」
と…

言われた通り私はS氏を連れて、お偉いさん達がいる前を通って部屋まで戻ることにしました。しかしS氏はパーキンソンの持病を抱えている身なので、歩く速度はカナリ遅いのです。目立ちまくりでした。

そして部屋まで戻る道中、色々な職員の人に当然
「Sさん、どうしたの?」
と声を掛けられるんですよね。

その都度、私が
「部屋に戻りたいそうなんです」
と答えると、皆一様に
あら、そうなの。それじゃ部屋までお願いしますね」
と返事をされるんですよ。
他の介護職の人だけでなく、事務職の女性の方や調理師さん?(厨房の格好をしてたんですが…)の人達まで、同じような対応なんです。

誰一人として、部屋に戻る事を止めて夏祭りに参加するように仕向けるような声掛けをする人が居ませんでした。

こういう“利用者の主体性の尊重”という考え方が施設全体に行き渡っている感じをうけました。
これが私が驚かされた2点目でした。



直接、現場で働いているケースワーカーが主体性の尊重の視点を重視しているのは分かるんですが、施設全体の職員にそういう考え方を水平展開している所って殆ど無い様に思っていたんです。
そんな事はないんですかね?
施設職員に対する(理念等の)教育ってのは、最近じゃしているモノなんですか? 現場で働いている人に聞いてみたいです。

垣間見える現状

2004-07-21 | 戯言
福祉施設の「質」についてのお話

世の中の学生の殆どが、夏休みに入り浮れ気分でいるのでしょうが『介護系の学生』はチョット違うんですよね。
この夏休みの時期を利用して、福祉施設へのボランティアに参加してくるという課題が出ています。

都心部地域では、福祉関係施設(要は特別擁護老人ホーム)のハード&ソフトの面での向上が見られますが、地方の地域ではマダマダだと思われます。
そんな状況の介護現場を自ら見て、体験し、実感し、問題意識を持たせようという狙いが学校の方にはあります。
そんな中に今回の問題が浮上してきました。


「学校で習っているんだから、当施設ではボラの人達にオムツ交換をさせます」


こういう施設が出てきたんですね。
普通、学生ボラといえば素人に毛の生えた程度ですので、危険が伴う介助をさせようと思えば、職員が立ち会ったりして余計に手間が増えるハズなんです。
なので学校の方としても“この施設の返答”には困った様子でした。
施設のほうとしては、学生にイイ経験をさせてやろうという想いが会ったのかもしれませんが、本音はボランティアの学生を“対価が発生しない、都合のいい労働者”と思っているんじゃないかと思います。


「使えるモノは何でも使ってやれ!!」


という感じですか?


実際にその施設を見て無いので、無責任な発言になりますが、
そういう考えを“上の人”が持っている施設では、おそらく職員の数もギリギリで、“現場で働く人達の労働環境が悪そうだ”という事は簡単に想像できます。
もしかしたら利用者の方への対応も悪いのかもしれません。

“現場で働く人達”の多くは、立派な問題意識を持っている人達と思われますが、立場的に弱い人達(パート勤務)が多い為に声に出せないのかもしれません。

今回の騒動で、“千葉の田舎はマダマダ、進歩してないなぁ~”なんて思っちゃいました。


結局、学校側の対応(学生への回答)は“危険を伴う介助を依頼された場合は、各自の判断及び自己責任で対応する事”だそうです。
まぁ簡単に言っちゃえば、「するな!」って事なんですけど、他の施設&他の介護系学校の手前「ウチの学生では心配ですからヤラセマセン」とは言えないですもんねぇ~。
しかし「安全の確保&危機意識(プライバシー問題)」から言えば、学生ボラにオムツ交換の介助はやらせ過ぎ、という意見に私も賛成です。

※何故、オムツ交換は危険か?
寝たきりの高齢者の場合、体を動かしていない為に股関節が堅くなっており、あまり動かない状態が多いのです。そんな体なのに、オムツ交換時に手で足を広げさせようと力を入れたら、簡単に骨折します。
多くの施設でこういう事故は何件も起きているのが現実です。

自閉症を持つ家庭の現実

2004-07-04 | 戯言
昨日2004年7月3日付の毎日新聞に、こんな記事が掲載されていました。

◇「疲れた……分からなくなりました」
--妻は自閉症児と無理心中した

 ゆっくり流れる大きな川の桜並木の堤防近くに
2Kのアパートはある。
早番勤務を終え帰宅した会社員(46)はチャイムを押した。
「おとうさん」と言ってドアに駆け寄る長女(4)の足音が
今日は聞こえない。
鍵を開けた。電気はついている。寝室をのぞくと、妻(43)が、ネクタイで鴨居(かもい)からぶら下がっていた。
うっ血した腕が変色している。足元の布団に、長女と
小学3年の長男(8)が横たわっていた。
首に手で絞めた跡が残っていた。
5月31日午後2時48分、会社員は110番した。



《以下、記事全文》

この記事の中の一文で
<外見は普通に見えるのに意思疎通ができない、親のしつけのせいにされる……。>と出てくるんです。“子供の成長が悪いのは親の所為だと…”
この自閉症という病気は、日本において“知的障害”の一部として扱われています。
しかし“周囲の視線”は障害児とミナサナイ為に、家族が苦しめられている現実がこの様に本当にあるのです。挙句の果てには自殺です。

この記事を読んで、私は「周囲の人達は、どうしてこの家庭を救えなかったのだろうか?」と思います。
全ての人が障害のある人への理解を持つのはナカナカ難しいですが、理解ある人が一人でもいれば、ここまで追い詰められる事は無かったんじゃないかと…。
チョット冷たい言い方ですが、自殺した母親は“周囲の視線”の人達と殆ど一緒で、いわゆる差別的な考えを持っていた人だと、私は考えます。
“障害の事を知ろうとしない人達”と“障害の事を悪だとか悲惨で辛いモノ”と考えている人に、どれほどの違いがあるのでしょうか?
この母親や家族に、誰かが
“障害があっても一人の人間であり、決して不幸なんかじゃない”
と伝える事が出来たなら、今も元気で走り回る姉弟がいたのじゃないかと…

障害を持つ人を支える事も大切ですが、支えている家族やコミュニティへの配慮やシステム(教育)が、これからの社会には必要なモノじゃないかと思います。

一日でも早く、このような事件が無くなるように頑張らねば!…と思う記事でした。


重度身体障害者の代筆投票実現

2004-06-26 | 戯言
 重い身体障害などのため自分で投票用紙に記入できない在宅の有権者の「代筆投票」が、国政選挙では今回の参院選から可能になった。
在宅で寝たきりの有権者の郵便投票も始まった。
総務省によると、全国で計約25万人の投票機会が広がったことになる。

~毎日新聞 2004年6月25日 東京夕刊~より抜粋

この記事を読んでビックリされた方も居るんじゃないでしょうか?
今まで「国政選挙」では、自分で投票用紙に○を書けない人は選挙に参加出来なかったのです。それが今回の参院選から「代筆による投票」が認められる事になったのです。
今までこの様な制度が無かった為に福祉分野は「都合が悪くなった(景気が悪くなった)時の最初の経費削減の対象分野」になっていました。今でも全然、充分じゃないですけど…

まぁ政治家の先生様達にとって、参政権を持たない人達の処遇がどうなろうと「知ったこっちゃない!」でしょう。
投票用紙に自分の意見を表せない人が、世論に抗議して社会問題になる可能性は低いだろうと考えられてました。
むしろ多くの有権者層が気にしている「景気問題」とか「国際貢献」の方が優先されてきました。
先生方にとっては、限りある予算をどう使うか? が一番の問題なんです。


※これを経済学では、予算制約式「PX1+P2X2=I」と言い
予算を分配する人にとって一番満足度が高い組み合わせを用いる事を指します
例えば、
5000円(I)を持って買い物に行った時
1000円のTシャツ(P1)を3枚(X1)買って
残りを2000円のバック(P2)を1個(X2)買いました。

予算とは普通こういう風に決まっているんですよ。皆さんも意識しないでやってますよね?
この組み合わせは人によって変わってきます。
何故か?っていうと、買い物をする事によって得られる満足の方向度合いが人によって違うからです。


多くの先生方にとって「一番満足度の高い事」に予算を使う事とは
「多くの有権者の関心事」に予算を分配する事に他ならないのです。
政治家の先生様方を擁護するわけじゃありませんが
世の中の関心事が「景気対策」「国際貢献」など政治・経済ばかりに向いているという事実を政治家の先生様が如実に顕していると言っても過言じゃ無いような気がします。

今度の参院選、そういう視点から先生様の演説を聞いて観てはいかが?

独居老人

2004-06-19 | 戯言
今回は「独居老人」についてのお話

最初に書きますが、このお話は授業で扱っている内容です。しかも現在レポート提出を求められているモノなので「正解」とか「コレが正しい」という結論は出ていません。ただ実在している人物だという事は言っておきます。


女性A氏は2004年で78歳になる独居老人です。
閑静な住宅街の中にある築3~40年の一戸建てに住んでいます。
一人娘は結婚して孫娘が一人いました。

A氏が50歳の時、A氏の旦那と死別
A氏が61歳の時、娘夫婦が交通事故で死亡。残った孫娘(当時13歳)を引き取り養育する。
A氏が70歳の時、足腰が弱くなり、外出が困難になる。
A氏が72歳の時、軽度の痴呆にかかる。この間、孫娘が結婚をせずにA氏の介助を行っていた
A氏が76歳の時、孫娘は彼氏と蒸発。行方不明。
A氏が78歳の時、ソーシャルワーカーの私と会う

A氏は元来、内向的な人であり友達付き合いも少なく、地域活動にも参加されてない人でした。足腰が弱くなった所為で更に外出の機会も減った。
生活費の方は、全額年金に頼っている状況で月額5万円前後。
住んでいる所は、A氏所有の建物。痴呆の症状は軽度ではあるが段々、進行している。

「この状況でソーシャルワーカーの私は、社会資源をどう活用すれば良いのかを考えよ」
という課題でした。
只今レポートを纏めている最中ですが、与えられた状況(情報)で考えると結構難しい問題です。

偽善の心

2004-05-18 | 戯言
今回は福祉関係に従事する人への1つの倫理感についてのお話。

この道を選ぶ以前の私は、「ボランティア精神」を謳う人を信用出来ないような感じを抱いていました。
何故か?って言いますと、「偽善者」っぽい感じを受けるからだったんです。
もっとも私の了見が狭かった事も原因の一つだった事は否めませんが、福祉の原理を学んだ事で、スッキリした事がありました。

福祉従事者の原理の1つとして「人はあるがままの状態で、自己選択・自己決定・自己管理(自己責任)・自己実現をしようとする権利がある」という、昔とは違う「自立」の概念があるのです。

ちょっと難しい内容ですが一般的に「自立」って言いますと
「経済的自立」とか
「精神的・身体的自立」
「社会的自立」を指すと思います。
しかしこの考え方ですと
「痴呆高齢者の方は精神的に障碍があるから自立してない」って事になります。しかし、
痴呆高齢者の方で私より経済的に裕福な方は大勢いるでしょう。
痴呆にはなっているが体は普通の人以上に健康な方も大勢います。
社会的地位を築き上げてきた方も中にはいるでしょう。
はたして痴呆高齢者は自立した人間じゃないのでしょうか?

後者の一般的な「自立」と言うのはアクマデ、健康な人々が考えた発想の「自立」なんですよ。
その考えの下地には「障碍を持つ人」や「痴呆を持つ高齢者」は社会的弱者だから皆で助けましょう♪と言う考えがあるんです。(自立してないから助けましょうと言う考え)

こう聞いてると、「なんだ別に変な事言ってないよな。むしろ奉仕するような発想で偉いじゃん!」みたいに思いませんか?


だけど自己選択や自己決定出来る障碍者や痴呆高齢者にしてみれば必要以上の助けなんか要らないんですよ。(重度の痴呆高齢者の場合は割り切れない所もありますが…)
介護者の人達(他人)が自分の意向を無視して話を進めたりしてるのは、有り難迷惑そのものなんです。
この心境を表した言葉で、
「障碍の事は本人(障碍者自身)が一番良く知ってる」ってのがあります。
確かにその通りだと思いますね。

この「社会的弱者」を「健常者の我々」が手助けをするってのは、言い換えれば
「私達は困ってないから、困ってる貴方達を助けてあげますよ♪」という障碍を持つ人を見下してるような差別的な発想に基づいている言葉です。

障碍を持つ人達は私達と同じ様な生活をする為には私達の支援が必要なんだから、だから私達の決定に従いなさい…なんて事言うのはオカシイですよね。


私が以前感じていた「ボランティア精神を謳う人」のイメージって正にソレだったんですね。
「困ってる人がいるのだから、助けなくちゃ!」とか
「障碍を持って大変(可哀想)だから、手助けしなきゃ!」なんて言ってそうな人達だったんですね。
障碍者本人の言葉では無く、健康な我々の立場の言葉であり、差別的なニュアンスを含んでいる為に「偽善者」の発言に聞こえてたのです。


確かに障碍を持つ人には支援は必要ですし、障碍者を支援していこうとする姿勢は大切な事と思います。しかし支援を要求するのは他人ではなく本人自身であり、または自分の事を一番理解してくれてる人(家族)なんだと思います。


補足&追加(6月8日)
「私達は困ってないから、困ってる貴方達を助けてあげますよ♪」という障碍を持つ人を見下してるような差別的な発想に基づいている言葉なんですが、
これを別な言い方をしますと
「私達が(経済的等で)困ったら、貴方達への手助けは引き上げますよ」って事なんです。
事実、私達の住む日本では公共・公益事業として取られてる福祉政策も景気が悪いからといって補助金カット、はたまた年金カットになっているんですね。
ボランティアも同じ発想の上で成り立っており、危うい体質を持っていると思います。
そこで最近よく耳にする言葉なのですが「NPO法人」「特定非営利活動法人」というモノです。内容はボランティア団体と同じ様な事をしているのですが
法人化する事によって「団体運営費は少額ですが利用者の皆様から頂きますよ」その代わり「継続して団体の活動を行いますよ」という事を明らかにしているのです。
こうすれば、余裕がある人が都合のいい時にNPO法人でボランティアをすれば、差別的な潜在意識があったとしても(無い方がいいですけど…)利用者の方には届きにくいのじゃないかと思います。

チョット寂しい現実

2004-05-09 | 戯言
今回は「忘れる」のマメ話。
加齢による「物忘れが酷くなる事」についての授業で、こんな話題が出ました。

人間の「記憶力」というのは3つに分けられるそうです。
①ものを覚える(記銘)
②保存する(保持)
③呼び起こす(再生&想起)

高齢者になりますと①の能力が特に低下し、さらに③の能力も次第に低下していくのですが… ココがポイントなんです。

「呼び起こす」能力が低下する場合、どういう部分から支障が出てくるか?というと、最近の出来事で印象の薄いものから「思い出せなくなる」のです。
普通の人でも、「●日前の朝ご飯は何を食べたか?」なんて思い出せないですしね。
痴呆などの原因により、この状態が進行すると最後には家族の顔までも思い出せなくなる事がよくあります。

では、「おじいちゃん&おばあちゃん」にとって新しく覚えた家族の中で印象が薄い人とは誰でしょう?

そうなんです。「おじいちゃん&おばあちゃん」の面倒をよく見てくれる「お嫁さん」なんです。覚えた順番で行けば「孫」になるんですが、可愛さの差?・血が繋がってないからか?で、お嫁さんは孫に負けるそうです。

これは人間の老化にとって普通の出来事なんですが、一生懸命にお世話をしているお嫁さんにはショックな出来事だとは思われます。
長年一緒に住んでて一生懸命御世話しても忘れられる時は一番で、普段会いに来ない小姑達や外孫の事はよく覚えてるんですものねぇ。 チョット気に食わないですよね。

家族の人達を忘れる順番っていうのがありまして、
①嫁
②孫
③子供
④夫・妻
⑤父親
⑥母親
の順番で思い出せなくなるらしいです。
人間、最後まで覚えてる人の顔とは「母親の顔」だそうです。

「おじいちゃん&おばあちゃん」に一番に忘れられても「子供」には最後まで覚えていられる存在なお嫁さん。
そう考えれば少しは報われる気がします。
…しませんか?

喫煙について

2004-04-29 | 戯言
喘息の持病を持ってるのに喫煙が止められないこうたろです コンニチハ。
先日、学校の事務局へ近隣住民からタバコのポイ捨てについてクレームが入った模様です。現在は校舎内での喫煙は成人のみとなっており、未成年者の喫煙は認められていないのが現状です。
なので未成年の喫煙者は校舎外へ出て吸う状態になってしまいました。
この状況を打開しようと成人喫煙者と事務局との間で話し合いが持たれました。
その結果、公には認められないが未成年者も校舎内での喫煙を認めようという形になりました。
事務局からは喫煙場所の厳守と清掃の強化、モラルの向上を目標にクラス毎の成人喫煙者が責任を持つ形になりました。
喫煙者の置かれる立場が益々なくなってるのに、モラルに欠ける行為によって更に狭くなる事は避けたいですもんね。

私のオウチでも喫煙は台所の換気扇の下のみになっております。
PC弄りながらタバコを吸ってた時が懐かしい…

人間の行動 その2

2004-04-24 | 戯言
ちょっと他の日記サイトを見てて思った事があったので2回目の更新。

「夢」という題材で詩を詠っていたモノなのですが、
現実世界と自分の意識(世界)の狭間で整合をとるモノと書かれていました。
私はこの事を「合理化」と思ってます。

心理学では、ある刺激(ストレス等)に対しての人間の行動は3つに分類されるそうだ。  自分は心理学を学んではいるけど専門ではないので、間違ってる部分もありそうですが・・・

①攻撃行動  暴力や破壊、他人を非難したりする行為。

②退行行動  文字どおりの意味。又は自暴自棄のような放棄

③合理化行動 意味的には責任転嫁という意味合いが強い。

この③の合理化行動の中に「夢」とか「忘れる」も含まれると言っていいんじゃないかと私は思ってます。
人は常に何らかの刺激を受けていますので、その刺激を「夢」の中で「自分の経験」と整合しているのだと思います。
そして整合されたモノが自分の意識となって代わっていくものと考えてます。

人間の行動

2004-04-24 | 戯言
入学してから約1ヶ月経ちまして、学校生活のリズムにやっと慣れてきた感じです こうたろです コンニチハ。

やっぱり1ヶ月位経ちますと、女の子の間に幾つかのグループが出来るんですよね。ウチのクラスは女性が23名いるんですが、綺麗に分かれております。こういう事は男性ではあまり無いんですが女性は集団化する傾向が強いですよね。
トシを積んできてもある事だけは全くわかりません。


ナゼ、他のグループとも仲良くなれないんですか?


ここを読んでくれた女性の方に聞きたいんですよね。
仲良しグループを作るのは人ですので当たり前なのですが、他のグループと、敵対関係までいかないまでも口も利かない・無関心のような行動にでちゃうんでしょうね。

こういう光景って昔からよく見てたんですが、時間が経つとグループのメンバーも替わって段々仲良くなるような気もするんですけど…もしくはもう少し大人になれば違うのかも。

先日ある女の子2人がケンカ?をしてました。朝っぱらからね。(カンベンしてくれよ…


級長のKさん(21歳)は お姉さんらしく2人の間に入って仲裁していました。(Kさん頑張れ! と心の中で叫ぶ俺 
ケンカの原因はココには合わないので日記の方に書こうかと思います。
人間関係に詳しい方がいたら誰か教えてほしいもんです。




何故人は集団化すると集団を防衛しようと動くのですか?




何故グループ外の人の悪口を言って、グループ内の結束を固めようとするのですか?




それよりも重要なことを聞きたい!











何故、俺はもてないんですか?(大涙

大人でいう所の親睦会

2004-04-17 | 戯言
そろそろ腰が重く感じる年頃になってきました、こうたろです こんにちは。

新しいクラスや学校になった時って、最初は「仲良くなれるかな?」なんて思ったりして不安になりますよね。暫く経ってくれば知り合いもできてきますが、小さなグループに纏っちゃって何か余所余所しい。
なんとかしなきゃいかんなっつう事で提案してみた。


こうたろ「野郎ドモ、これから飲みに行くぞ!」


半分、強制的に皆を連れ出し繁華街へ。


お天道様が輝いてる夕方に居酒屋に入るのはチョット抵抗があったが、只今新歓コンパの最盛期。下手すりゃ店に入れない可能性もあるんで、かなり早い17時スタートだ。
しかも、野郎オンリー&未成年ばっかりで…

最近の研究では、呑めるお酒の量ってのは遺伝的に決まってるらしいんですってね。アルコールを分解する酵素がどうのこうのと…
私が学生時代の頃は
「酒の強い、弱いは訓練だ!」 
「呑んで、吐いて、呑んで、吐いて…それを繰り返してりゃ、皆強くなるんだ!」と…
こんな事を今の子に言ったら、完全に退かれちゃいますよ。
けど、呑ませたい。ガンガン呑ませたい ワルイ自分がこんな所に。

高校を卒業したばっかりの彼等、自分の限界なんてしらないだろうから、勧めたらドンドン呑んじゃうでしょ。ある程度、弾けちゃうのは想像してたんだけど










開始15分で、寝ちゃってるヤツいるんですけど (汗





最初の乾杯で呑んだサワー1杯で潰れちゃうなんて、超安上がりなヤローだよ チミは。
こんなに弱いのに無理に起こし飲ませて急アルになったら洒落にならん。したがって、そのまま放置。

飲み会は大学時代を彷彿させるような久々の盛り上がり。なんか若返ったようなきがするよ。リーマン時代でイッキするなんてキャバクラ意外ではありえない。っていうか、あっちゃいけない。
そんな時に突如、チミが目覚めて立ち上がったと思ったら、







チミ「○○ちゃん、大すきだぁ~♪」 (*゜ノO゜)<>






一同 「はぁ?」





いきなり起きてきて、突如の告白
何がどうなったのかはワカランが、彼の中のアツイ何かが爆発したんだろう。オジサンには理解できんが…





チミ「○○さんの為なら、僕いつでも死ねます」真剣な眼差しで叫んでますよ。 
オジサンは昔の武田鉄也のアレとかさなって、かなり引いちゃったけど……




その後、周囲の白い視線をものともせず最後まで彼女への思いを叫び続けてるチミ。その間、僕らは大爆笑。
いいよ、その純真な思い、一直線だよ、マジ面白いよ チミ。

チミをみてるとオジサン、心がスサンでると痛感しちゃいました。
そんなに酔って弾けられる君がホントに羨ましいワ。サワー1杯だしな。


気遣うコト

2004-04-11 | 戯言
在宅介護についての話を聞いたので紹介します。
老人の在宅介護については色々と気を使う事もシバシバらしいんです。
何故か?っていうと、その家のお嫁さんが非協力的な事が多いらしいんです。
原因を追求すると自分のお家の台所を見られたり使われたりするのが嫌らしいんですよ。特に主婦のヘルパーさんなんかだと、意地悪されたりクレームになるケースもあるらしいですよ。
(ヘルパーさんの資質に問題がある場合もあるでしょうけど…)
利用者は事業所を選べる時代なんで、サービス業的精神が必要なのは分るんですが、高齢者の在宅介護においては家族の協力は不可欠なんですよ。
介護福祉士等は理性をコントロールして対応して行く訓練を積むんですが向こうは一般の方々、第一印象が悪かったりすると嫌われちゃったりするんですね。
介護に従事する方にもサービス精神が必要なんですが、依頼する方にも歩み寄りをして欲しいもんですね。

この話を聞いた感想を述べますと…





「オメェーの方から頼んで来たんだから、ガタガタ言わずに協力せぃ!!」 凸(゜皿゜メ) ウラァァアア!!





……ハイ こんなコト言ったら、イッパツでクビです。

最初のヤマ場?

2004-04-10 | 戯言
今日、初めてのホームルームってヤツがあるんですよ
入学した面々が仲良くなる為の時間ってのをワザワザ学校が用意してくれてるんですよ。
まぁ会社でも歓迎会なるモノも存在しますから当然と言えば当然ですけどね。しかし



三十路手前の俺には、ハズしちゃいけない修羅場なんです!

そう、ここで若者達の心を掴んでおかなければ…


予め、自己紹介の時のコネタは用意した。爆笑を取れるようなネタではないが、まぁ印象づける程度はイケるだろう

一人づつ教室の前に出て自己紹介をしてるんだがみんな、あんまりパッとしない内容だね。
これならイケるよ。
掴めるよ 若者の心をグッと鷲掴みですよ。
さて、俺の出番が廻ってきました。
教室の前に出て、堂々とした姿勢で周りを見回してみると、






・・・・・(無言)





あれ? 俺、今、緊張してるの?

……見事にすっ飛びました。
周囲の反応を見て、合うように考えた色々なネタ達が消えちゃいましたよ。
どこか遠くに…( ┰_┰) シクシク

リーマン時代は、先方のお偉いさんの前で1千万規模の商談のプレゼンでもすっ飛ぶ事など無かったんですが、


若い女の子たちの熱い視線にノックアウトですよ



しかも開始1秒で…(泣)

結局、普通のありきたりな自己紹介で終ってしまいました
良いイメージどころか、「年取ってるくせにたいした事ねーな」的なマイナスイメージがバッチリです。

若いコの前で喋るのって、かなり度胸が必要なんですね。
女子高の男性教諭の方々、今まで妬んでばっかりだったけど今では本当に尊敬しちゃってます。