「蜜蜂と遠雷」のスピンオフ作品集。
作品のコンピレーションアルバムのために書かれた作品がその始まりだったそうだ。
天才たちのその後や、舞台となったコンクールにたどり着く前の話で、本作の雰囲気の延長戦とした楽しかった。
巻末のエッセイに、作者が音楽とどう関係していたのかが書かれていて、物語よりも興味深く読んだ。また、本作のために、繰り返し候補となる曲を聞いて、公正を作り直した話は迫力があった。自分がその練り上げられたプログラムを読み解くことはできなかったが、背景に触れることができて嬉しかった。
売れない営業は「がんばっていないから売れないのではなく、「がんばる以外のやり方が思い浮かばず、そのうえ、がんばり方を間違えているために、結果として追い詰められているのです。(P.30)
P.112
ひとつの考え方として、仏教には「命の事実」とでも言うべき理論が描かれていると見るのはどうだろう。経典には、ブッダが瞑想を通じて徹底的に自己と世界を掘り下げた結果えられたありのままの事実について、人間がりかいできるようにさまざまな表現で語られている。正しい選択肢を教えてくれるのではなく、正しい選択肢を選べるような判断力を身に付ける術をそこから読み取ることができる。というよりは、心身ともに自己と世界に対する洞察力を高めることによって、結果としてさまざまな判断力も身につくようになるといったほうがよいだろうか。だからこそ、仏教に関する知識だけでなく瞑想の方法などもともに発達してきた歴史がある。
私は、「教える/教えられる」というよ下の関係ではなくて、対話をして共感してもらうヨコの関係が相談
の本来的な特徴の1つだと考えています。(P.48)
相談内容が相手にとって興味があるのか、相談されて迷惑なのかは、相談相手に聞いてみないとわからない、としか言えないんですよね。だから、先ほどのように「まず、聞いてみたら?」とツッコミを入れるわけです。聞いてみて、無理だったら無理でいいし、受けてもらえたらラッキー。ボールをまず投げてみて、それが次につながっていけばいいのです。(P.130)
われわれに後世に遺すものはなにもなくとも、われわれに後世の人にこれぞいうて覚えられるべきものはなにもなくとも、あの人はこの世の中に生きているあいだは真面目なる生涯を送った人であると言われるだけのことを後世の人に遺したいと思います
ピンとこない、の正体は、その人が、自分につけている値段です
自己評価は低いくせに、自己愛が半端ない。諦めているから何も言わないでって、ずっといろんなことから逃げてきたんだと思う
「否定しない」は"技術"であると同時に"習慣"でもある