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日々の生活から

毎日の生活で感じたこと・考えたこと

うさぎのプリンがくれたもの

2023-03-24 22:12:26 | 意味

5年間一緒に暮らしたうさぎのプリンが天に帰っていきました。

1か月前位から、後ろ足がもつれるようなしぐさを見せていましたが、加齢のせいと甘く見ていました。

この時に、既に胃腸の調子が悪く、力が入らなかったのでしょう。

プリンがペレットをねだるばかりで、野菜をあまり食べなくなっていたので、ペレットを与えないようにしていましたが、それも体力を削ることになっていたのかもしれません。

実家から野菜をもらっているので、それを食べることが最も良いと考え、そちらに誘導したつもりが、命を縮めることに繋がったようです。

「ペレットを減らして、野菜を食べるようにする。健康的で経済的。」100点ではないが合理的で、そう行動することが最善だと思ってました。

私は「自分の考えが合理的だから、それに沿って行動するべき」という、自分のやり方を人にも強く求めてしまう。

子供にも「つべこべ言わず、言われたとおりにしろ。俺は、君の何倍も生きてきて、考えて、失敗して、そこから考えた方法だから、こうするのがベストだ」という態度で接してしまう。きっと仕事でも。

プリンはその命をかけて、私の考えが全てではないことを教えてくれた。

私に必要なのは、理屈を手放すことではないと思う。必要なのは、理屈が上手く行っているのか確かめながら進めることだろう。主観だけでなく、客観で裏付ける。客観が全てではないが、客観なしにはわからない。


鈴木健二君に捧げる追悼文

2011-02-05 15:51:14 | 意味
1月9日の夜に、同級生から君の訃報をもらいました。
私が大学を卒業して住所が変わるのを機に、年賀状は途絶えてしまったけど、
卒業後も数回、会ったように覚えています。
会社に就職してからの君の経歴はJSTの研究者ページに出ていました。
高校のころから深い考え方をするとは思っていたけれど、
博士になって研究者をしていたと知りませんでした。

同じ大学を受験して、「受験が終わった記念に」と、名古屋駅から豊田まで
歩いて帰ろうとしました。あまりの遠さに千種で地下鉄に乗ったのですが、
いまでも、その周辺を通りがかると、そのことを思い出します。
そんなアホなことを一緒にしていたのに、20年も過ぎると随分違った
道をきたのですね。

卒業してから一緒にドライブに行ったときに話してくれたことです。
「たまたま中学校の体育祭をしている横を通ったとき、全体競技をしていた。
 そんな中、出席したくない生徒がいて先生に怒られていた。
 先生は『みんなやっているのに、なぜやらないんだ!』と言っていた。
 みんながやるからやれ!というのはおかしい。」
ずっと以前から反骨の人だったね。
周りとの協調に汲々としている私には、君がとてもまぶしかった。

1年強の闘病だったと思います。4月の研究室の写真に君がいましたから
最初の手術後、一度は復帰したのでしょう。
お通夜であった君は、闘病の厳しさを残していましたね。
お疲れ様。これが適当な言葉なのか、わかりません。
君にしてみれば、やりきれないことだらけで、どんな言葉も足りないでしょう。
それでも、今の私は、それを伝えたい。

お通夜の帰り道で、追悼文を書こうと決めてから、随分時間がたってしまいました。
申し訳ない。

君がいてくれから、今の私があります。ありがとう。

気分転換

2006-05-13 23:59:59 | 意味
今週は辛かった
連休明けということもあるが、色々な締め切りがせまっていて、それがこなせずにいた
集中力が足りないのは連休前から相変わらずだし
そんな中、木曜日の帰りだったか、やっと雨が上がったので自転車を走らせていた
連休中に調整をしたので、とても気持ちよくペダルを踏みこむことができ、その爽快感にリフレッシュした思いがした
今日も雨の中会社に行ったが、白い傘に顔を近付けると、視界全体が優しい光で包まれたようになる
ただそれだけのことに、気持ちが軽くなった

「かにや」にて

2005-12-09 23:59:59 | 意味
忘年会というかmkhogeさんの「飲みに行きましょう」の一言で実現した食事会。
ビールは2杯だったが、大いに食べ、話した。
職場の様子、社会情勢、時事問題から始まり、生活すること、生きることへと話は膨らむ。
ライブドアが調子が良いと言っても、稼ぎは買収したリアルショップや金融がメインだといったするどい指摘。
PCのディスプレイに向かうと瞬きが止まっているという観察。
やっぱり最近の流行りはmixi。
参加者の話に聞き入りつつ、恋愛圧の話がなかなか好評だったという話から、恋愛圧が高まる時というのがあって、そこで人生が選択されていくという実感を交えた話が出たりと、大いに盛り上がる。
今の自分にとって最大の問題である「生まれた土地での生活」について、東京に生まれ育った立場からの意見は、自分に新たな視点を与えた。
みなさま、また、お付き合い願います。

気付き

2005-11-09 23:28:33 | 意味
「順応するのが早い男」さんと焼肉を食べに行く。
多いに食べ、語る。

私は「結婚をしたい」が先になってしまっている。「この人とずっといたい」という気持ちが強くなって、結婚と言う形に落ち着くのが本来の姿だ。
女性との付き合いの形、流れは色々だろう。ただ、相手に対するドキドキ感というか強烈な興味というのは、付き合うきっかけになっても、永く一緒にいたいという付き合いには移行しにくいのかもしれない。

メールの文体についても、気付くことがあった。ソフトウェア開発にたずさわる人が、私の周りには多い。メールをビジネスシーンで使うことがほとんどという人もいる。こういった人たちは、くだけたメールが書きにくいかもしれない。このWeblogもそうだが、気安い文体ではない。
特にビジネスシーンでは一意に読み取れる文章や、結論を明確にすること、相手の質問にはなんらかの答えをだすことが要求される。これがプライベートでのメールにも影響して、相手のメール文中に「?」マークがあると、それには必ず答えを書かずにいられなくなったりする。このプライベートとビジネスシーンの使い分けというのは、なかなか奥が深く、ロジカルシンキングやQCの考え方を家庭に持ち込んでしまう人はいないのか心配になる。ロジカルシンキングの講師など、奥さんとの会話で、どうやって切り替えているんだろう?

色々と気付かされることの多い話だった。
忙しさどっぷりになる前に、どっぷりでもたまには、またお付き合いください。
「退路を断って」臨みます!?

恐い夢を見た

2005-07-20 09:49:17 | 意味
久しぶりに怖い夢を見た。
映画マトリクスとターミネーターを合わせたような感じ。
仕事でのプレッシャーの反映だろうか。
当然かもしれないが、恐いものからは必死に逃げる。
逃げても逃げても追いかけてくるとき、逃げるのが嫌になる。
もう捕まってしまった方が楽だろうとも思う。
それでも、追われると逃げる。
苦しくても生きたいと思っているのだろうか。

夢と言うのは現実とのバランスを取るために見るという話がある。
見たいものを見るというわけだが、う~む。
もっと気合を入れて仕事しろということか?

田口ランディのコラムに、「夢なんてのは裏人生なのだから、映画を1本ただで見られたと思って楽しんでしまう」という話があった・・・はず。
目覚めの気分は良好ではなかったが、それをどう活かすかは自分次第。気合入れてみよう!

反日デモ

2005-05-08 22:26:59 | 意味
報道で伝えられる事件や行動の裏には、背景・動機がある。
反日デモの原因として中国の日本敵視教育が伝えられた。
しかし、私は、中国生産のきしみがデモの背景にあると思う。
元記事が思い出せないのだが、だれかのweblogで、
「日本企業が中国工場で生産をしても、現地の人達は収入が上がらない。
 日本人は偉くなり、高収入の道があるのに、現地の人にはその道が開かれていない。
 会社は収益をあげても、労働者の待遇は変わらない。
 これでは、日本と中国の両方にとって良いことがない。」
という内容が書かれていた。
中国製の安い製品がとめどなく流れてくる現状は、一見、消費者に良いことのように見えて、
全体を疲れさせ歪ませている。消費者もどこかで働いたお金で消費をする。
偏った安さは労働を歪ませる。
人が働くことに変わりはないのだ。それが中国だから安いというのは、中国の人をばかにしていないか?
中国の経済が急成長を遂げていると伝えられる。その中で、以前と同じ労働環境では、働く人は腹も立つだろう。
これが反日デモにつながったのではないか?
新聞やテレビは、スポンサーの面子をつぶさないため、この問題を伏せているのではないか?
中国は絶対的な警察力で取締りを行うので、デモは沈静化しているが、歪みをそのままにしていれば、別の形で噴出すだろう。

余裕

2005-05-05 22:43:11 | 意味
R西日本の不祥事が取り上げられている。
遺族の方々や近隣の人々にとって、非常に腹立たしい報せだろう。
この出来事を、運転手のプレッシャーと重ね合わせた人はどれだけいるだろう?
連日の緊張と超過勤務とで、自分の時間は守りたいと考えた人がいたということではないのか。
世論調査で「仕事より自分の時間を大切にしたい」という人が多くなっている。
そのことと、無関係ではないはずだ。

JR西日本の社員の肩を持つつもりではない。
この不祥事を自分の問題として考えたいし、ヒステリックに反応したくないということだ。

こうした「命」「安全」と、ノルマやプライベートの価値判断は、余裕がないと狂ってくる。
仕事、効率、利益に満ち満ちた「会社」という枠組みに浸かりきらないために、バランスと余裕を持つ。
これが、自分としての捉え方。

5月7日追記
アバンギャルドな日常にて、マスコミの報道や自粛について記事がある。こうした批判はもっともだと思いつつ、自分は怒りを表現するのに抵抗がある。気持ちがざわつくというのだろうか。だからリンクを作成するに留める。

福知山線電車事故

2005-04-29 17:36:53 | 意味
ニュースでは遺族の方々の悲痛な思いが伝えられている。遺族の方々にカメラが向けられることに、かなり抵抗を感じるが、それについては、また、別の機会で触れよう。

この報道を自分のこととして捉えるとどうなるだろう。
まんずさんは出かける家族を笑顔で送り出すようにしようと考えた。
私は自動車の運転で制限速度を守ろうと思った。
また、少しの遅れにも寛容になろう。

事故は色々な要因が重なって起きたと言われている。
その要因の1つにスピードの出しすぎが上げられている。
この事故の原因が運転士さんのスキルだけに帰結しないことを祈っている。
安全よりも時間に気持ちが傾いたのは会社と一秒を争う社会という背景が強く影響しているのだから。
原因と同時に責任についても調査が進んでいる。
こうした事故が起こると当然責任が問われる。
しかし、私はこの「責任」というヤツがよくわからない。
「原因」は、理屈だからわかる。AとBが作用して、Cという条件が重なると、Dが起こる。これが「原因」。
責任は経営者にあるという意見もある。このweblogの意見はもっともだ。では、責任をとるということは、どういうことなのだろうか。「『責任』とって辞めます」では、責任をとったことにならない。事件に関する一連の処理に誠実に対応して、今後の再発防止策を確立することが、責任だと思うが、何かが足りないようだ。
「原因」「責任」「賠償」は緊密に関係しているが、それぞれを分けて考える必要がありそうだ。


許すということ

2005-04-24 17:43:01 | 意味
田口ランディのブログで罪と罰とケアという話が出ていた。
・日本では更正システムが整っていないこと
・水俣病の大阪原告団の勝訴は、時代が変わっていることを示している
・システムの犯罪で、加害者の顔が見えてこない
・水俣病患者の方が「自分のなかにチッソがある」と語り始めた
三菱自動車の欠陥隠しも同様のことと思う。
経営トップに責任があるとされたわけだが、では、なぜ彼らはそのような判断をしたのか。
会社の雰囲気、システムから来ているような気がする。
そしてそれを辿ると、過激なまでの競争の副作用だと思うのだ。
モノ作りの復興が叫ばれて久しいが、モノ作りの現場では、三菱・チッソは他人事ではない。
ほんのちょっと、大切なものを見誤ると、どこにでも起こることなのだ。
現場は徹夜続きで休みなし。それだけ働いても、競争は厳しくなるばかり。
海外では安い賃金と沢山の人材で、怒涛の様に競争を加速させる。
そうすると、「まぁ、これで行こう」と言ってしまいたくなるのだ。
それが「自分のなかにもチッソがある」ということだろう。

三菱やチッソを責めるのはたやすい。
だが、責めて責任を追及しても、同様のことが起こる。
罰を与えたところで、現場の良心を頼みにしている構造は変わらない。
消費する側に変化が必要だ。
安さや利便性を過剰に求めないで、安心のために、これまでより高くなっても購入する決意が消費者にあれば、現場は変わる。変わらざるをえなくなる。
自分が変化の痛みを受け入れないで、相手にのみ変わることを要求しても、無理ではないか。

「家裁の人」というマンガがある。裁判官が主人公で、少年事件を扱う。
その話の一つに、新任判事が窃盗の少年の処遇で悩むという話がある。
「凶悪なら重く、罪が浅ければ軽く、というのが世間の常識ですからね。」
「それを忘れたらどうです?」
「厳しい罰を与えれば、問題のある少年が自分達の前から消えると思うこと自体、完全な誤解です。」
「どんなに長い処分を与えても、少年は社会に戻ってくるんです。誰かの隣に住むんですよ。」
「その時……その少年が、笑って暮らしている可能性を探すのが、裁判官の仕事じゃないんですか。」
罰とは、その罪を許すためにあるのではないか。

このエントリの最初に示したコラムだが、以前は「被害者を放っておいて、加害者のケアなんて…」というトラックバックがあったはずだが、いま(4月24日)見るとなくなっている。
被害者の保護と保障が行き届いていないというのも事実だろう。自分や家族が被害者となったら、加害者のケアなど腹立たしく感じるだろう。
だが、それでも、加害者のケアも必要だと思う。被害者と加害者のどちらが優先されるべきという話ではなく、どちらも大切だ。
加害者のケアが足りなければ、再犯につながるだろう。犯罪にまで行かなくても息苦しい社会になる。その息苦しさは次の被害者を生むだろう。