P爺が元気な頃に、亭主ドノが撮ってくれていた写真の数々。亭主ドノはP爺の撮影が私よりも断然うまいな。
一昨日の記事を書き終えた1時間後。P爺は家族みんなのそばで静かに旅立ちました。

一昨日の夕方、体温も下がって首も脚も力の入らないP爺を抱き上げた時に、もうアカンかな…と思い。
夕食の準備もそこそこに、亭主ドノが帰ってくるまで、私の隣にベッドを置いて、ずっと様子を見てたんだけど。
それまで動かなかったのに、亭主ドノが帰ってきた時、寝たままカッと目を開いて口をパクパクして、何か言うかのように動いた。
P爺、オジサンが帰ってくるまで待ってたんか。「おかえり。間に合った。会えてよかった」とか言ってたんかな。
亭主ドノにP爺を見てもらう間に、簡単な夕食を準備して。食事をしながら横目でP爺の様子を見ていた。
やがて、P爺が口をガクガク震わせたので、色々調べてた時に見た「死ぬ前に痙攣を起こす」事態なのかと思い。
味もよくわからない食事を口にしながら、何も頭に入ってこないテレビを見ていて、ふと思い出してP爺を見たら。
さっきまで動いていた口元も体も動いてない。亭主ドノにも確認してもらうと、心拍が聞こえないと言う。
ちょっと待ってよ…と祈る思いで、食べていた肉料理の汁を指先につけて、P爺の鼻先に近づけると。
かすかに体が動いた。かすかだけど呼吸音も聞こえた。P爺は鼻だけはちゃんと機能してるな〜、と笑った。
でもしばらくしてまた動きが止まって。「ほら、美味しいよ〜」と肉汁を鼻先に近づけたけど、今度は動かなかった。
お腹や背中をさすったり脚を握ったり、どこかがまだ動くんじゃないかと色々やってみたけど、動かなかった。
心拍が全く聞こえなくなったのと、目に光を当てても動きがないのを確認して、亭主ドノが「死んだな」と。
P爺、16歳11か月、没。2021年5月25日(火)20時15分頃。心臓が止まった正確な時刻は把握できてない。
ゴハンを食べなくなってから3日ほどの猶予があるんじゃなかったのか。たった1日で旅立つなんて、心の準備ができんかったよ。
でもそうか。犬は人間の4倍速で生きてるようなもんか。悪くなる時も4倍速で悪くなってしまうのか。
1週間前はガツガツ食べてて、私に「まだ旅立つ気はないらしい」って書かせてたのに。あっという間すぎるよ。
来月の18日が17歳の誕生日なのに。もう少しだったのに。そんなに急がんでもよかったのに。
体が硬直してしまう前に、と亭主ドノが体を拭いてブラッシングをしてくれた。
そこそこの量のオシッコと、口から何か出ていた液体で、ペットシーツは汚れてたけど、体はほとんど汚れずキレイだった。
体がどんどん冷たく硬くなっていくので、姿勢を整えて、まぶたを極力閉じさせて、ベッドに横たわらせた。
そのままベッドを寝室に置いているソフトサークルに入れて、保冷剤を抱かせて、普段どおりにみんなで寝室で一夜を明かした。
翌朝(昨日の朝)。起きてトイレに行く際にP爺が呼吸しているかを確認するのが、毎朝の私のルーティンで。
昨日もついP爺の姿を上から覗き込んでしまい。ああ、もうこのルーティンは必要ないんだとわかって、泣いた。
花を買ってきて、フードやオヤツを置いて、服を掛けて、お気に入りのぬいぐるみたちと一緒に、盛大にP爺を送る準備。
亭主ドノが葬儀の手続きをしてくれたんだけど、緊急事態宣言が出ているので、セレモニーができないらしく。
P爺を渡して骨を持って帰るだけという、恐ろしく味気ない葬儀になると。緊急事態宣言なんてクソくらえだ!!
亭主ドノは仕事をお昼で切り上げて葬儀場に直行すると言うので、P爺を段ボール箱に詰めて車で連れて行く作業を全て私がやった。
「行こうか、P爺」と声をかけて箱のふたを閉じ、なかなかの大きさと重さの箱をひとりで車に積み込むツラさったら。
最近毎日聴くジッタリン・ジンをかけながら、P爺と最後のドライブ。アップテンポの明るい曲なのに何を聴いても泣けてくる。
「いつかどこかで」という曲のサビで「Baby お別れだ〜」とあるんだけど。「P爺、お別れだ〜」と泣きながら歌った。
昨日は久しぶりに快晴で。青空にプードルのような白い雲ができているのを見て、P爺みたいだと思って運転しながら泣いた。
葬儀場に着いたら、運転席に座ったまま受付をして、そのまま車を火葬場の入口につけて。職員の人が段ボール箱のふたを開けて。
P爺と服と花とフードとオヤツとジュースと小さいぬいぐるみと首輪とバスタオルだけを取り出して、火葬の台に手際よく並べた。
私も亭主ドノも車から降りる事を一切許されず、P爺との別れを運転席から窓越しにする事しかさせてもらえなかった。
これが本当の最後だってのに、手を伸ばして冷たく硬いP爺の体を撫でて「いってらっしゃい」と言うしかできなかった。
私の車が火葬場から離れた後、亭主ドノの車が同じように窓越しでのP爺との別れをして、それぞれ一旦家に帰った。
「今まで誰の時でも火葬の日は青空で。煙が上るのを見ると天国に行ったと思えて泣ける」って亭主ドノがいつも言うんだけど。
今回は煙が上るのを見るどころか、そのまま駐車場で待つ事すらさせてもらえず、追い返されるかのごとくだった。
なんだよこのドライブスルー方式。もっとちゃんと送りたかったのに。緊急事態宣言なんてクソくらえだ!!
家に帰って、P爺のいない段ボール箱と、一緒に燃やしてもらえなかったP爺が一番好きだったアヒルのぬいぐるみを下ろした。

アヒルはずっとP爺のそばにいたから、ちょっと大きくても一緒に持たせたかったのに。主がいなくてアヒルも寂しいよな。
2時間後に骨を渡すと言われていたので、亭主ドノの車に一緒に乗って、骨になったP爺を迎えに行った。
この時も車からは一切降りず、窓越しに骨壷を受け取ってハイさよなら。想像以上に最初から最後まで味気ない葬儀だった。
P爺の最終体重は2.15kgで、骨壷の方が重いんじゃないかと思うぐらいズッシリ感じた。実際の重さは1.1kgだったけど。
オプションで足型を石膏でとってもらって。これは確かにP爺の足やなあ、と亭主ドノが笑うぐらい再現度が高かった。

裏には少しだけ足の毛と爪が入っていて。そうだよ、P爺はずっとペロペロ舐め回してたから足の毛がヨダレ焼けみたいに茶色くて。

とにかく葬儀があまりにも味気なく終わってしまったおかげで、私は顔を泣き腫らす事もなかった。現実味もなかった。
P爺を運んでる車中が一番泣いてたんじゃないかと思うほど。もし人間の葬儀もこんなんだったら、今は誰にも死んでほしくない。
P爺が使っていた物を少しずつ片付けて。いつも寝ていたソフトサークルがなくなってガランとした寝室を見て、泣いた。

サークルを置いた時は「寝室が狭くなったな〜」とかブツブツ言ってたけど。あの大きさがなくなると寂しさも大きい。
夕方はいつも、シュナMと黒プーAの散歩とゴハンを終わらせてから、寝室のP爺を抱き上げて「さあ、行こうか」
と外に連れて行くのがルーティンだったのに。もうそれもしなくていいのか、と思った今日の喪失感のひどさったら。
2年半しか一緒に暮らしてないのに、こんなに寂しくて悲しいのか。MやAの旅立ちの時に耐えられるのか、私。
P爺。たった2年半の間にみんなで北海道内をあちこち旅したな。北の端も東の端も南の端も行ったよな。すごいな。
亭主ドノと私とP爺とで撮った写真は、宗谷岬の時のこの1枚しかなかったけど。いい思い出だったよ。

いきなり押しつけられた老犬は、分離不安がひどかったり、シュナMに襲いかかったり、黒プーAとケンカ(ほぼ負けたけど)したり。
部屋のあちこちで高々と脚を上げてオシッコをしたり、扉の隙間に鼻を突っ込んでプシュプシュ鼻水を飛ばしたり。
私は毎日「めんどくさい」「うっとーしい」「かわいくない」と文句ばかりで、P爺の事を好きになれなかった。
そんな私の思いはP爺にも伝わっていたのか、ずっと一緒にいたのに互いの愛情の溝が埋まる事はなかった。
だけどP爺と過ごしてきたからこそ、色々と身についたり勉強になった事も多くて。介護介助はプロの域に達したんじゃないか。
最後のひと月は、階段をストンストンと下りるように老化が激しく進んで。そんなP爺を見るのがつらかった。
でも最後の記念撮影をした時、私に体を預けてなされるがままのP爺とは、やっと溝が埋まった気がした。
最初からもっとこうして抱っこさせてくれて甘えてくれてればよかったのに。頑固者のP爺め。
こんな悪態をつきながら、オバサンはこの記事を書いてる間ずっと、涙を流して鼻をすすって顔がクシャクシャなんだぜ。
P爺、お別れだ。だけど、きっといつかどこかで会えるさ。