ときどき、横殴りの。先を急ぎますヨン
養眞堂 / 양진당 (ヤンジンダン) は、豊山・柳氏の総本家で15世紀に柳従恵が河回村に来て初めて建てた家で、養眞堂は河回村にある建物の中でも広い建物です。1963年に宝物第306号に指定されました。壬申倭乱の際に火災に遭い、何度も建て直した跡が今でも残っています。養眞堂という名称はこの建物の大規模な修復を行った柳泳に由来し、また、サランチェにかけられている懸板に「立巌古宅」と書かれた文字は、柳雲龍と柳成龍の父である立巌・柳仲郢の号に由来している。(韓国観光公社HPより)
団体さんのあとを
忠孝堂 / 충효당 (チュンヒョダン) は、儒学者である柳成龍の宗宅で宝物第414号に指定されています。彼の子孫や門下生達が追悼の意を込めて建てました。「忠孝堂」という名称は「国に忠誠をもって仕え、両親には孝行しなさい」という柳成龍の言葉に由来している。(韓国観光公社HPより)
忠孝堂 / 충효당 (チュンヒョダン) の奥に進むとカラフルな建物。
写真を撮っただけで近寄りもしなかったけど、永慕閣 / 영모각 (ヨンモガク) という展示館だったようで
朴正熙元大統領の命令によって1966年にオープンした柳成龍の遺物を保管している展示館です。国宝第132号「懲毖祿」や宝物第160号「柳成龍宗孫家文籍」、宝物460号「柳成龍宗孫遺物」などとても貴重な文献や遺品が数多く納められています。(韓国観光公社HPより)
永慕閣よりも気になった、見事な枝分かれの松。『萬枝松』というソナ。
あいにくのお天気でカフェもお休み
鵲泉古宅 / 작천댁 (チャクチョンデク) 残念ながら、2015.9.15~ 工事中
鵲泉古宅のお隣さん・・・
ローマの “真実の口 ” みたいなポストがあるお宅って・・・
韓流ブームのとき、雑誌等でよく見たリュ・シウォンssi の実家ダッ 穴の上には “ 澹然齊 (タミョンジェ) ” の文字。
見た目、無理かなと思ったけど、私のごついでも何とか入りましたヨン
正門脇にある郵便ポストのような小さな口は貧しい人が食料に困った時に自由に取り出せるよう穀物を入れておくための箱。但し、一度にたくさん取り出せないよう入口は小さくしてあります。(コネスト記事より)
“ 柳時元 ” の表札。 韓流ブーム時は、多くの日本人が訪れたんだろうねェ。
澹然齋 / 담연재 (タミョンジェ) は、朝鮮時代の儒学者である柳成龍の子孫が住んでいる伝統家屋。「澹然齋」は清く澄んでおり、穏やかな心を持つことができると言う意味が込められています。1999年にエリザベス女王が訪問した際に澹然齋の広い庭でお誕生日のお祝いをしました。(韓国観光公社HPより)
ぐるりと土塀が続いてて広ッ の見学できないのかなあ・・・。
ここまでで、村人らしき人と全く行き会わず
フフフッ・・・いちば~ん行きた~い所が見えてきたヨ~ン このままテクテクして行けばいいのに、
なぜかしらまた、リュ・シウォンssiのほうへテクテクしている私。
なんでだろう、なんでだろう・・・って、当時の自分の行動
民俗ノリマダン (遊びの広場) の大ブランコに乗りたかったよぉ が降ってちゃねえ・・・
板跳び(ノルトゥィギ)
投壷(トゥホ)
ノリマダンから見えてる賓淵精舎 / 빈연정사 (ピニョンジョンサ) は、毎週土曜日(4~10月)茶会が開催されるソナ。
がひどくなってきたので急げや急げェ~
賓淵精舎(ピニョンジョンサ) からノリマダンを
ノリマダンと芙蓉台
シルムの土俵
松林を
通り抜けると、
目の前に芙蓉台 / 부용대 (プヨンデ)
で、渡し船で向こう岸に渡って、芙蓉台 (プヨンデ) からの眺めを楽しみたかったんだけど・・・
残念ながら、やはり渡し船は運行しておらず
しゃあない・・・明日にかけよう
しばらく、ジ~ッと芙蓉台 (プヨンデ) を眺めていたら、またまた
激しいになってきたので退散
ほんの数分だったかもしれないけど、まさにゲリラ雨。レインコートの裾から下はビッチャビチャ
蓮池が見えてきたので、もうすぐシャトルバス乗り場。
チケット売り場横の無料ロッカーにスーツケースを預けてあるので、シャトルバスに乗車。
やっちまった 英国女王訪問展示館へ寄ってくるの、忘れたッ