今年の秋で一番注目の展覧会と言ってもいい運慶展。私も開催3日目の9月28日と重源上人坐像の展示が始まって7日目の10月13日に馳せ参じました。
会場は多くの人が鑑賞に来てました。2回目は入場制限もありましたがさほど待たなくて済みました。これからもっと混むのではないかと思います。それほどに素晴らしい。運慶の創り上げた仏像の見事さに心が震えました。ただ美しい形を作ったのではなく、魂や意思も感じる彫刻。
それはトーハクの展示のこだわりやセンスも貢献しているように思えました。多くの仏像が360度ぐるりと鑑賞でき、普段は見られない横からや、後ろからの姿の美しさを堪能することができます。そして運慶の彫刻の多くに施されている玉眼には光を宿すように照明が当てられてました。おかげで目がぬるりと濡れているように見え、なおかつ意思を持って何かを見つめているように見える・・・眼が生きているように見えるのです。
まず最初に展示されているのは台座の底に運慶の署名がはいりデビュー作と説明が書かれた仏像。
国宝「大日如来坐像」1176年 奈良・円成寺蔵
運慶が20代で造営した仏像。如来の中では特別にアクセサリーを身に着けている密教の大日如来。細工の見事な宝冠や瓔珞(ようらく)、そして腕釧(わんせん)だけでなくよく見ると結跏趺坐をしている足にもアクセサリーが施されてます。大日如来は胎蔵界(慈悲を象徴する)と金剛界(知恵を象徴する)の二つの世界を持っていてそれぞれ印相が違いますが、こちらは金剛界の印相である智拳印。
ほんの少し体を後ろに傾かせ、印相を結んだ手を胸の真ん中あたりに持ち上げた姿勢の美しさと緊張感。そして半分閉じた目は玉眼が施され本質を見極める聡明さと動じない意思の強さを感じました。
20代ですでに完成された美しさと厳粛な雰囲気を持つ仏像を作ってます。まさに天才。
運慶は奈良仏師の系統に属する仏師 。
京都で主流の仏像は体がふっくらして姿も形式的で身にまとっている衣も彫が浅く体にぴったりしています。奈良仏師の作り上げる仏像は、より人間的で彫が深く衣もゆったりと身にまとっているように見えます。
次に「運慶以前」の奈良仏師の作品が展示されてました。
現存する玉眼を施した最古の仏像
重要文化財「阿弥陀如来と両脇侍座像」奈良仏師 1151年 奈良・長岳寺が展示されてました。
両脇侍の観音菩薩像と勢至菩薩像は頭を少し本尊の阿弥陀如来の方に傾けて、手は左右対称ではなくどちらも右手を膝にのせて左手を上げている、外側の足は台座から降ろしている半跏坐という姿は奈良時代の仏像を手本にしているそうです。その菩薩像の姿勢がリラックスしているように見えて雰囲気を優しくしてました
ほかにも小柄な作品ながら玉眼を施し、美しい彩色が残っている毘沙門天立像が展示されてました。お顔は平安時代の仏像の名残を残す丸顔ですが、より人間的な表情になってました。
そのあと康慶の作品が並びます。
康慶は慶派を始めた人で大工房を運営。運慶の父、快慶の師匠。平家の焼き討ちで焼かれた奈良の寺再建のプロジェクトに参加し。仏像を作り上げます。
国宝「法相(ほっそう)六祖坐像」(1189年 奈良・興福寺)は法相宗の6僧侶人の一人ひとり年齢や顔立ちや表情や仕草が違い、その人の性格まで表しています。法相宗自体が、自分自身と向き合い仏教の理解を深めていく哲学的な宗派。
法相六祖像の一人「伝玄昉坐像」
教義を深め思索する姿を少し強調させて表現しているように見えました。
重要文化財「四天王立像」康慶 1189年 奈良・興福寺(手前より広目天、増長天、持国天、多聞天)
四天王立像のうち、増長天と持国天
実際の人より大きく、目を突き出して憤怒の表情を見せてますが、デフォルメされてその表情はアニメのキャラクターのようです。
運慶以前の仏像は新しい表現を模索し、試行錯誤しながらこれから完成形へと進んでいく勢いを感じ、とても魅力的に感じました。
そして遂に完成へと到達します。運慶が活躍する時代へ
国宝「毘沙門天立像」運慶 1186年 静岡・願成就院
鎌倉幕府の執権北条時政に依頼されて造像された仏像。毘沙門天は四天王の一人多聞天のもう一つの名前で、仏法を守護する役目を持つ。これまでの怒りにデフォルメされた顔立ちではなく、玉眼の目を開いて見据えるそのお顔は生身の人間に近く、若々しく、重心を左に寄せてすこし体をSの字にしならせて立つ姿は颯爽とした武士の姿のようです。新しい武士の時代にふさわしく、この像の出来栄えに感嘆した鎌倉幕府から造像の依頼が始まったそうです。
この毘沙門天の姿は慶派の手本となり、その後も似た姿の毘沙門天像がつくられたそうです。
運慶の仏像は木造ですが、中はくりぬいてあって空洞になってその中に木札が入っているそうです。木札の上部は蓮の花に満月のような丸い形がのっている形になっていて、その形を「月輪(がちりん)」というそうです。月輪は密教修行において、本尊と行者が一体になる時に行者が心に思い描く満月のような丸い円なのだそうです。その木札には梵字で経文が書かれ、裏側に運慶の署名が書かれています。この経文の書かれた木札を入れることで仏像に魂を込めているそうです。
そして2014年に「高野山の名宝展」でお会いした少年たちと再会しました。
国宝 「八大童子立像」運慶 1197年頃 金剛峯寺
八大童子のうち6体が運慶作でその6体が展示されてました。やはり体内に月輪のついた木札が入っているそうです。
体は1メートルほどでそんなに大きい作品ではないのですが、童子たちの姿や表情はごく自然な佇まいで、健康そうな姿で、潤んだ玉眼がさらに生きているように見えます。以前書いた文章をもう一度書きます。
神様がピノキオに命を与えたように運慶は6人の少年に命を吹き込んだように見えて、目の前で一歩を踏み出しそうなんです。
向かって左から
恵光(えこう)童子は右手には三鈷杵を持ち、左手は柄の長い蓮の花を持ちその花の上には月輪が乗ってます。眉間にしわを寄せ険しい表情。
制多迦(せいたか)童子は右手に木の枝のような棒、左手に三鈷杵を持ってます。リーダーシップで八大童子をまとめ、正義感のある賢そうな少年の面持ちに見えました。
矜羯羅(こんがら)童子は合わせた手に独鈷杵を持ってます。優しくてちょっと戸惑った表情。
恵喜(えき)童子は右手に三叉戟、右手に摩尼宝珠を持ってます。以前にも書きましたが、浜田廣介氏の名作「泣いた赤鬼」のモデルとなった童子なのです。(「高野山の名宝展」参照)この像は眉間にしわを寄せて、口を少し開けて歯を見せてます。
清浄比丘(しょうじょうびく)童子は右手に三鈷杵、左手には経典を持ってます。修行僧の姿で、上の歯で下唇をかみしめてます。
烏倶婆誐(うぐばが)童子は右手は拳を握り腰にあてていて、左手は独鈷杵を持ってます。髪が逆立ちかなり怒ってます。
さらに次の展示に目を向けると、大きな四天王に囲まれて、やはり人より大きい僧侶の姿の菩薩立像が見えました。その空間が神々しくて壮観でした
先ず四天王から
国宝「四天王立像」13世紀 奈良・興福寺(南円堂安置)
向かって左から、広目天、増長天、持国天、多聞天
四天王立像のうち持国天
多聞天
大迫力です!。怒りを込め威嚇する表情。隆々とした筋肉。華麗な姿態。「北斗の拳」に出てきそうです。
この四天王立像は玉眼はされてなく、作者不明なのだそうですが、近年の研究で、制作方法が「無著菩薩、世親菩薩」と共通した部分があり、運慶作ではないかと言われているそうです。
確かに東大寺南大門の仁王様も玉眼ではないし、筋肉隆々で迫力のあるポーズをしています。仁王様は前からのみ見られることを想定して後ろ姿はシンプルだけど、この四天王像は360度見られることを想定していてどこから見ても隙のない見事な造形の美を誇ってます。特に多聞天の、お守りしている仏塔を高く掲げて見つめる表情は哀感もあり惹きつけられました。
均整の取れたたくましい体は中国宋時代の甲冑をまとっていて、その彫り出された細部は見事で精緻、中国武将にはまっていますので萌えます。四天王は今は後の時代で作り直された岩の上に立ってますが、最初は邪鬼を踏んづけていたそうです。邪鬼の造形はどうだったか興味はあるけど、いつも踏みつけられてるし、四天王があまりに無敵な姿なので余計かわいそうに思えるので岩のままでいいです(^^;)。
この四天王像は現在は南円堂に安置されていますが、どうも本来は北円堂に安置され「無著、世親」を囲っていたのではと言われているそうです。
それで展覧会では同じ空間に展示されてました。
その四天王に守られて中央で屹立しているお二人
国宝 右:「無著(むちゃく)菩薩立像」 左:「世親(せしん)菩薩立像」運慶 1212年頃 奈良・興福寺
運慶の最高傑作と言われる仏像。大きい像で存在感が際立ってました。静かな佇まいなのに四天王の迫力にまったく埋もれない。
無著と世親は5世紀にインドにいた実在の兄弟で法相宗を体形化した人物(「国宝 興福寺仏頭展」参照)。でも、この日本的なお姿に違和感がなく、お二人の個性の違いも表され、玉眼が施されたお顔は今も教義を思索している静かな生命感をもっています。当初は彩色されていて、一部だけ残っていますが、なんというか、時代を経て、彩色が取れて古びて亀裂も生じた今のお姿はさらに人間的で生きているように見えます。
美化されているわけではないけど、理想化されているお姿。お二人が人間の尺よりも大きく表現されているのは、それだけ法相宗ないし仏教において大きな存在であることを表していると思いました。今は菩薩様ですもんね。
世親菩薩の頭部にくっきりと切れ目が見えますが、多分形を彫ってから頭部を切り取り中をくり抜いて玉眼を裏側から設置したのだろうなと思いました。そして再び頭につけなおし、きっと彩色のとき切れ目をわからないようにしたのだろうけど、経年で切れ目が見えてしまっている。それがまた無著菩薩のお顔の亀裂と共に不思議な魅力にもなっています。
運慶の作品は更に展示されてましたが、その中で最晩年の小さな仏像に心惹かれました。
重要文化財「大威徳明王坐像」運慶作 1216年 神奈川・光明院(神奈川県立金沢文庫官吏)
鎌倉幕府の後宮の局が運慶に制作依頼した仏像で、憤怒の表情なのに優しい雰囲気を持ってます。そのお顔が少年のように瑞々しい。とても小さいのに玉眼も施されていて黒いお顔に目が光り、運慶の技の冴えを感じました。今は失った体の部分、乗っていたのであろう水牛の造形も見て見たかったです。
そして運慶作ではないかと言われる肖像彫刻。
国宝「重源上人坐像」13世紀 奈良・東大寺
そこにいて座っているのです。今にも念仏を唱えそうです。
重源(ちょうげん)上人は東大寺再建に尽力した高僧。快慶とのつながりも深いそうです。作者は運慶なのか、快慶なのか、どちらも素晴らしい仏師なので頷けます。
若いころから精力的に仏教を学び中国にも何度も渡り、幅広い人脈と抜群の行動力を持った重源の意志の強さと、仏道への深い想いを感じさせられます。
そして慶派や慶派に影響を受けた仏師の作品、運慶の息子たちの作品が展示されてました。運慶の三男の康弁の龍橙鬼立像のユーモラスな表情や筋肉表現も印象深かったです。
その中で作者不詳だけどおそらく運慶の長男の湛慶が制作したのではないかと言われるこの作品が何ともかわいらしかったです。
重要文化財「子犬」13世紀 京都・高山寺
キュ~ンと今にも鳴きそうな可愛いワンコちゃん。中型犬の子犬くらいの大きさです。ちゃんと眼に玉眼を施されてます。この仔を明恵(みょうえ)上人はいつも傍に置いて撫でてたそうです。
湛慶は快慶と仕事を共にすることが多く、作風はむしろ快慶に近いそうです。高山寺の明恵上人に依頼され多くの仏像や動物を制作したそうです。
他にも慶派による十二神将像など見ごたえのある作品が展示されてました。
運慶の造形は日本の仏教彫刻史の中でとびぬけていて、世界的に見ても12世紀にこれほどの傑作を作り上げたのはおそらく唯一。やっと400年後に現れたイタリアにミケランジェロが匹敵するのではないかと思ってます。技術と言い、美しさといい、精神の深さと言い、どうしてこんなに凄い人が日本に現れたのだろうと驚き誇らしく思えます。息子の湛慶が父運慶の肖像彫刻を残していますが、意外にも穏やかな顔立ちでした。それがまた、運慶という人の魅力を感じました。
今思うとこの春奈良の国立博物館で開催された「快慶展」を見なかったことが悔やまれます。二人の天才が時代を共にした奇跡をもっとしっかり感じるべきでした。
10月21日からは浄楽寺の阿弥陀如来像と両矜持立像も展示されました。もう一度参りたいと思いますが、これからの混雑の様子を見て何とか行ってみたいと思います。
会場の平成館から通路を渡って本館に行き、少し展示を鑑賞しました。本館で入り口近く仏像が展示される部屋の入口には運慶を重用した源頼朝の木像が展示されてました。運慶展に合わせての展示ですね!
実は先日、こっそりお休みを取ってものすごく久々に上野へ行ってきました。何となくの計画しか立てず結局、東京都立美術館と西洋美術館へ行ったのですが運慶展は博物館前まで行き「40分待ち」と聞いて断念してしまいました(><)朝一番だったら大丈夫だったかもしれないですが…。平日でも人出がすごいですね!日本人てこんなに仏像好きなの?と思いました(笑)
himariさんはメモを取りながら鑑賞するのですか?いつも詳しい感想が書かれていて一緒に見ているみたいでうれしいです。
返信遅れましてすみません今日(というよりもはや昨日ですが)まで用事で京都に行って帰ってきました。
お休みの日の美術館巡り素敵です
上野は美術館や博物館がそろっているので必ず展覧会がひらかれてますもんね
北斎とジャポニズム展とゴッホ展良さそうです
そして運慶展が40分待ちになってましたか・・・やはり待ち時間阿長くなってきたんですね
日本人てこんなに仏像好きなの?
確かに、仏像の展覧会があるとたくさんの人が鑑賞に来ていて長い行列になってしまうこともしばしばあり、驚きます。そして私も結構好きです
仏師が精魂込めて持てる技術を駆使して作り上げているので、ピンと張ったような緊張感があって見ごたえがあるし、祈りの対象としては、癒しというより、気持ちが改まる思いになるんです。他の方もそうなのかな?
そうそう!京都駅からはバスで1時間ほど揺られて目的地に行ったのですが、帰る途中のバス停「西大路四条」の停留所の真ん前が、あの「子犬」が住んでいる高山寺だったので驚きました。今子犬はここのお寺にはいなくて上野にいるところだなあ、なんて車窓から眺めて思いました。
展覧会は、時々会場でもらえる作品リストにメモしてます。でも走り書き過ぎて後から解読不能になってしまうことも
そして一緒に見ているみたいと言ってくださりありがとうです読んでくださる方にお喋りする気持ちで書いているのですごく嬉しいです