12月26日(金)に三菱一号館美術館にて鑑賞しました。
会場は始めの展示室は人が多かったですが見づらくはなくスムーズに鑑賞できました。
ジャン=フランソワ・ミレーまずは青年時代の肖像画
「自画像」1840~41年頃
大柄そうでハンサム。ちょっと戸惑った表情が魅力的です。
ミレーはノルマンディの豊かな農家の長男で、父親が絵の才能を認めて農業を継がないで画家になるのを許すほどの愛情深い恵まれた家庭で生まれ育ったそうです。シェルブールで絵を習いそしてパリで絵の修業に。シェルブール時代に出会って恋仲だったポーリーヌと1841年に結婚。ポーリーヌさんは絵で見ると可愛い小柄なお嬢さんです。
「J.-F。ミレー夫人(ポーリーヌ=ヴィルジニー=・オノ)」1841年
チッチとサリーみたいな可愛いカップルだなと思いました。貧しい暮らしで、ポーリーヌは3年後の1844年に肺結核で亡くなったそうです。
その2年後には同棲しているカトリーヌ・ルメートルという女性との間に第1子が産まれます。奥様を亡くした悲しみも癒えない間に・・・と思うけど、ミレー氏はモテたようですね。
1849年パリはコレラが流行りパリ南方60キロ離れたバルビゾンへ移住。そこでは共和国政府からの注文も入り、生活が安定し、以後住み続けたそうです。
バルビゾン村には近くにフォンテンブローの森もあり、すでにコローを中心とした風景画家が集まり「バルビゾン派」と呼ばれ、ミレーも定住したことでミレー含む7人の中心的な画家を「バルビゾンの七つ星(プレイヤード)」と呼ばれるようになったそうです。
展覧会の前半はバルビゾン派の画家の風景画が多く展示されてました。
田舎のなんてことのない風景ですが、電線や看板もない、ましてやゴミなどない風景を見ると癒されました。
木々や生い茂る葉、ひっそりと存在する池や舗装されてない道を情感をもって表現してます。
展覧会のホームページの写真に風景画の画像が殆どないのが残念です。ミレー自身が風景画より人物画を主体に描いているせいでしょうか。せめてミレーの大親友のルソーの作品ぐらいは載せてほしかったです。
風景画も画家によって味わいが違ってました。細部まできちんと丁寧に描き切っている作品。曖昧な部分をもつゆるさを感じる作品。
私は、ゆるさを感じる作品に惹かれました。
余りにもきっちり描かれていると自分の気持ちが入りこむ余地がなく画面表面ではじき返されるような気分になりました。でもある程度曖昧さを残した絵には気持ちを絵の中に入り込んで飽きずに見続けれるんです。
これは私自身の感じ方なので人によって違うのだろうけど。
曖昧さを残しても未熟じゃなく、成熟した雰囲気を湛えている絵に惹かれるのだから、実は相当難しい絵かも。
そんなゆるさと成熟した技術のバランスの美しさを持っていいなあと思ったのはバルビゾン派の先駆者コローの風景画でした。
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー「ブリュノワ牧草地の思い出」1855~65年頃
小さい図ですがやっと見つけました。
グレー調の色合いが心地いい。木の葉をきっちり一枚一枚描いてはいないのですが、森の湿った空気感があり自分もそこにいて佇んでいる気分になります。もう一枚展示してあった「森の空き地で水浴する人々」は未完成作品で、画面に鉛筆のようなもので書いた線がありましたが、絵を描く手順がみれるのが面白かったし、十分雰囲気がありました。
そして農家の人物を描いた絵
これもコローの素晴らしい絵がありました。
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー「草刈り」1838年
健康的で魅力的な娘さんはこちらをまっすぐ見て、絵という枠を超えて私達に直に何かを語り掛けそうな表情。存在感が際立ってました。
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー「花輪を編む若い娘」1866~1870年
まだ幼さを感じる娘さんのかわいらしさ、すぐそばに草や木があり、花輪は咲いている花を摘んで作られているようです。どんな高価な宝石よりも可憐な花こそが少女にふさわしい。背景はしっとりした風情で懐かしさを感じる。
ミレーの次世代の画家の作品も多く展示されてました。
ジュリアン・デュプレ「牛に水を飲ませる娘」1880年頃
他にも農家の女性の悲嘆にくれる様子を描いた作品など、ドラマを感じさせる作品もありました。見るとやはり気になります。我が子の前でこんなに打ちひしがれている女性は一体何の悲劇が身にふりかかったのでしょう。男尊女卑の世界で厳しい現実に直面する女性も少なくなかったのかもしれません。
この展覧会は「ミレー展」となっているけどミレー以外のバルビゾン派作品が多くまたいい作品もたくさんあって、実際のところ「ミレーとバルビゾン派展」と言っても良いような内容でした。
そしてミレーの人物画・・・
ミレーの筆致は柔らかくときに曖昧で暖かさを感じました。
ご自分もフランス北部のノルマンディの農家の出身なので絵の中の道具にバルビゾンではなくノルマンディ地方で使われるものが描かれていることもあるそうです。親しみと郷愁と深い共感をこめているのが感じられました。そして、信仰心も込めているのだそうです。
「馬鈴薯植え」1861年
貧しい農家の主食の馬鈴薯。彼らを描くこと、つまり貧しさそのままを描く事を批判され、ミレーが憤慨したと壁の説明に書いてありました。汗して命を繋ぐ食料を作る作業に優劣はないという。彼らが美しく尊く描かれています。
「洗濯女」1855年
お金持ちの人がかえりみない貧しい暮らしの人の労働の厳しさ美しさがしみじみと伝わる。
「編み物のお稽古」1860年頃
微笑ましくて家庭の穏やかで落ち着いた様子が伺えられる。
そしてこの展覧会のメインとなるボストン美術館の3大ミレーと言われる3作品
「種をまく人」1850年
田舎の農家の人の逞しく働く姿は新約聖書よりキリストが自分を信仰という「種」をまく人に喩えた話を絵画化したものでもあるそうです。やはり信仰心熱いゴッホがこの作品を彼なりの筆致で模写した作品も有名。
アメリカ人画家ウイリアム・モリス・ハントがこの絵をアメリカに持ち帰り、一時期はアメリカ人の日本美術の収集家の手元にあり1917年にボストン美術館に収蔵されたそうです。信仰を心の支えに未開の地を開拓し農業を起こした記憶も新しいアメリカ人にミレーの種まく人の絵は共感を呼びフランス以上に人気を博したそうです。また「種まく人」はもう1作あり、それは1977年に山梨県立美術館に収蔵されていて、どちらもミレーの真筆作品だそうです。日本でもとても共感を呼び、岩波新書のマークにもなった作品。
「刈り入れ人たちの休息(ルツとボアズ)」1850~1853年
こちらも旧約聖書のエピソードで、未亡人のルツは夫亡きあともお姑さんを大切に守り、貧しい中落穂ひろいで生活していたのを地主のボアズが見初めて妻に迎えた話を農民の休息の様子の中に取り入れてます。
「羊飼いの娘」1870~1873年
背中にお日様の光を受け、帽子をかぶったお顔は曖昧に見える。最初の方に載せた自画像や肖像画ではきっちりはっきり顔立ちを描いていたのだけど、ここではあえて曖昧に描くことでアトリエやスタジオでなく平原で働く少女の臨場感と空気感があります。色合いも美しい。
そして次の世代の絵画を予感させる作品
「木陰に座る羊飼いの娘」1872年
日差しを受けて微妙に変化する色合いに印象派の始まりを感じます。
ミレーの作品はドラマチックではなく淡々といつもの日常を描写していて、むしろ気持ちを絵にめぐらして見ることができる。
バルビゾン派の中でも、ミレーとコローはやはりいいなあと思いました。
私も今の年齢になったからこそバルビゾン派.の味わい深さをしみじみ感じることができたのかも。
ミレーに影響を受けた日本の画家として浅井忠と黒田清輝の作品も展示されてました。
2015年1月12日まで開催されてます。
今年は21の展覧会を鑑賞しました。
どの展覧会も感じることが多くこのblogに記すことで心に刻む事ができました。
来年の出会いも楽しみです♪
読んでいただきありがとうございました。
2人とも、学校の課題だったみたいで←そーじゃなきゃ、行かなかったと思われw←そーゆうアタシも行ってないw
でじこが「落穂ひろいがいっぱいあった」と言ってました(笑)←そんな感想w
blueashさんの展覧会詣での詳しい説明に、いつも、感心ばかりしてました。
そっち方面、ワケワカメなので、コメも入れられず、ゴメンちゃいです(;^ω^)
今年もお世話になりました、来年もお互い健康で、ぎゃんばろうね!(^^)v
あけましておめでとうございます。
ミレー展は三菱一号館に来る前にP子さんのお住まいの近くにも開催されていたのは知りませんでした。
考えてみれば、P子さんいる地方こそミレーの作品はふさわしいですね!
そして、学校の授業の中で鑑賞できるのはいい経験。どこか思い出の片隅に残っている作品があれば、次にテレビや雑誌や本などで見たときに親しみを感じれるような気がします。
我が家の三人の息子たちは長男がちょっと興味を持ってくれますが、他の子はあんまりなくておんなじ感じですよ
でも自分の好きなことがあればそれでいいです。
私は数年前に美術検定を受けるために勉強したのですが、一通り検定受検も終了してナビゲーターの資格ももらったのに諸所の事情でできなくて、せめて勉強したことを忘れないためにも、まだまだ知らないことが多い美術の世界をもっと知るためにも、そして誰かに感じたことを聞いてもらいたくてここに書かせてもらってます。
読んでくださってるといわれるとすごくうれしい(^o^)丿
そしてお互い健康に気を付けましょう。いろいろガタがくる年齢ですが、無理しない程度に楽しみましょう。
今年もよろしくお願いします☆