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クラリネット雑学ノート

9月24日で、http://hornpipe.exblog.jp/に引っ越しました!

ベールマン=オッテンシュタイナーモデル

2005年09月06日 | クラリネット日記
セゲルケのコメントとスティーブン・フォックスの資料をまとめていて、ベールマン=オッテンシュタイナー・モデルのクラリネット史における意義が改めて浮き彫りになった。

まず、同モデルは基本的にそれまでの10キー、13キーのクラリネットと変わりなく(出来るだけ音孔の数を増やさないという意味)、23個ものキーは「クローズドの音孔を」左右両手で扱える(替え指)ようにした結果だということ。
つまり、それまでの楽器に慣れた「守旧派」たちが無理なく移行できるように開発された。

この点で、この楽器がすでに開発されたベーム式に対抗する意図を持つこと(パテントは1860年)。ベーム式は当時のクラ吹きに大幅な運指の変更を強いるものだったことは、クラリネット史を考える上でもう少し強調されてよい。

オスカル・エーラーのアイデアは、このモデルを基本として、右手Fの音程と響きを良くするためレゾナンス孔(オーボエからヒントを得た!)を加え、さらにフォークBbの音程を良くするためにベントホールを開けたこと。日本の「エーラー・フリーク」にもこの事実はあまり知られていない。
さらに、左手Fがエーラー式で右手サイドキーになったのは、ベールマン式から見れば改悪かも知れないこと。

単にミュールフェルトの楽器としてしか見て来なかった自分にも反省。


国際クラフェスト異聞

2005年08月03日 | クラリネット日記
国際クラフェストは、有名プレイヤーと楽器メーカーとの「癒着」ぶりが目立ったイベントでもあった。
ほとんどのゲスト奏者が、契約メーカーのスポンサーシップを得て来日しているのは良いとしても、日本以上にメーカー色を露骨に出すことを厭わない。

同じ学校、同じオーケストラなど組織に所属するメンバーが、同一メーカーに染まっている例があちこちで見られた。
例えばシカゴ響のラリー・コムズはデュポール大学で教えるが、共演した同僚のデロシェ女史とルブランで共闘を張る。
フィラデルフィア管のリカルド・モラレスは、かつていたメトの同僚フィリップスとデュオを演奏したが、セルマー・レシタルにバックンのベルと樽をお揃いで使用。しかもメト時代は二人ともルブランだった。フィラデルフィア管では、モラレスの下で常トラで吹くダマースも、モラレスと全く同じ組み合わせを使う。

パリ音楽院は昔からメーカーの出先機関的存在として有名で、教授が契約するメーカー以外の楽器を生徒が使うと、露骨に嫌な顔をするどころか、時にはレッスン拒否にも会うという。
アメリカはその点自由かというと、そうでもなく、某大学某教授のクラスは、生徒の8割が先生と同じ楽器、同じマウスピース、同じリードを使うそうだ。

合意の上で使っているのかも知れないが、これによって現実に潤うのはトップの人たちのはずである。それが悪いとは言わないけれど、末端までが打算を働かせて先生に迎合している(させられている?)姿を想像すると、彼らを見るこちらの目もよくよく磨いておかなければとは思う。

国際クラフェストで会った人たち

2005年07月31日 | クラリネット日記
クラリネット製作家が二人。ドイツのヨッヘン・セゲルケとカナダのスティーブン・フォックス。
セゲルケにはバロッククラリネットとミュールフェルトの楽器の話を聞く。伝世界最古のクラリネット(UCLAバークレー校)は、バロック後期のものだという。TheClarinetのリポートは誤り。ミュールフェルトのオッテンシュタイナーは、13キーのミューラー式があくまで基本で、右左に替え指キーを沢山追加したに過ぎないとのこと。
フォックスは物静かな好人物。かなり博学。19世紀のアルバートの楽器は15mmものラージボアだそうで、B&Hのラージボアはその辺から来ているとのこと。ミュールフェルトのスタイルは、当時のイギリスで想像以上に奇妙なものとして受け取られた、とも話した。レジナルド・ケルとミュールフェルトを関連づけたこちらの質問に、彼は苦笑。彼のバロッククラリネットはセゲルケよりも鳴った。長野のD氏も同意見。モダンのC管の音程がとても良く(パトリコーラよりも数段良い)欲しくなった。

バックンの親父も面白い。歴代の名手のマウスピースのコレクションが凄かった。マルセラスのキャスパー、ダニエル・ボナード愛用のもの、オールド・シェドゥヴィルの新品同様のオリジナルなど。
彼のベルは効果てきめん。特にレジスターの変わり目がスムーズに吹けるのと、上の左手の音がよくまとまる。ホワイト・グレナッディラやWelgeという希少な木で作ったベルも見せてくれた。

ロッシのブースを守っていた小太りのおばちゃんと暇つぶしに話していたら、なんとアメリカの某大学の博士だという。アメリカの初期のクラリネット史が専門で、分厚い論文を見せてくれた。ベンジャミン・フランクリンのエピソードについて聞くと、「彼の別の手紙にそれを否定する記述があるので、あれは間違い」。

ロスのCB氏とは初対面。「朝鮮戦争で日本にいた時、新宿のホテルで今回のような地震に会って仰天した」という。どうも、そのとき女性と一緒だったらしい(笑)。

ブラームスのクラリネットソナタ雑感

2005年07月17日 | クラリネット日記
ボストン在住のクラリネット奏者、ジョナサン・コーラーが公開レッスンでブラームスのソナタ2番を演奏した。
吹く前から音が揺れるような独特のヴィブラートが、すべての音にかかる。彼にとってヴィブラートは(曲のスタイルに関係なく?)彼のアインデンティティそのもののように聞こえる。

ところで、彼の同じ曲のCDが以前、日本のクラリネット協会誌で散々な評をもらった。ライスターに学んだ評者のS氏には、自分がドイツで学んだ曲と似て非なる曲に聞こえたらしい。コーラーの音は太いとはお世辞にも言えず、特にドイツ系の(日本の)クラ吹きには一笑に付される類のものかも知れない。

しかし、彼の解釈は僕は好きである。解釈だけでなく、スタイル的にも実はこの曲にふさわしいのでは、とも思う。

およそ、ブラームスの2曲のクラリネットソナタほど、彼の作品の中で正しく演奏(認識)されていない作品も無いのではないだろうか。

ブラームスはホルンを除けば、管楽器ではクラリネットだけに作品を残した。それも晩年、ミュールフェルトというクラ奏者の演奏に出会って。
ミュールフェルトは、当時のクラリネットのスタイルからは著しく外れたスタイルを持っていたという。柔らかで柔軟な音を持ち、絶えず振幅の大きなヴィブラートをかけ、その演奏はダイナミックだったといわれる。彼がウィーンでクラ5重奏を演奏したとき、当地の批評家に「ウィーンには彼より良い音を出すクラ吹きは沢山いる」と評され、イギリスでは好評を博したものの、作曲家ウォルトン(彼が小さかった頃)は「彼の音は奇妙だった」と証言している。

しかし、正にそんなミュールフェルトの演奏にブラームスは惚れたという事実は、もっと考えられてよい。ミュールフェルトが単に名手だったというだけでは済まされない何かが、そこにはあるはずだ。少なくとも、当時のスタンダードなクラ吹きたちの演奏は、ブラームスの心の琴線に触れなかったのだから。
ちなみに、ブラームスはミュールフェルトを「我がプリマドンナ」「私のナイチンゲール」とまで呼んだ。

二つのソナタはブラームスの4つのクラ作品の中で最後に書かれた。
私見では、前2作に比べてクラリネット的なイディオムの少ない作品に思える。端的に言って、弦楽器的なのである。
4曲ともに作曲者自身、ヴィオラの(代替)ソロパート譜を書いているが、前2作がヴィオラよりも断然クラリネットの方がふさわしく聞こえるのに対し、2曲のソナタはヴィオラで弾いてもサマになる、と言うより、ヴィオラで弾いた方がサマになるように僕には感じられる。
もちろん、ミュールフェルトの演奏はサマになったはずである。

彼以降、このソナタはクラ吹きの定番中の定番曲となった。そして、ある種のスタンダードのような(クラ吹きにだけ通じる)スタイルが出来上がってしまった。
でも、現代のこのスタンダードなスタイルに、果たしてブラームスは心を動かされるだろうか?

サンサーンスのクラリネット・ソナタって何?

2005年07月12日 | クラリネット日記
サンサーンス最晩年の作品。
冒頭のメロディの美しさにもかかわらず、不思議な曲でもある。
特に第2楽章以下に、第1楽章のような「感情移入」がしづらく感じる(第3楽章などその最たるもの)。

しかし、いろんな演奏を聴くうちに、メロディに耽溺してしまいがちな第1楽章にも、作曲者と作品にある種の距離感があるように感じられ、この「距離感」こそ、この曲の性格かも知れないと思う(サンサーンスの曲は概してそうだけど)。

言うならば、この曲は「寓話」、何かの物語(しかも童話)ではないのだろうか?

第1楽章のモチーフ(ファーミソーファ)は「十字架音型」で出来ているという。まさに、乙女の祈りのような開始部。
しかし中間部は一転して暗雲がかかり波乱含みになる。激情に駆られ、最大音量にまで達し、そこから再現部へ移行する中で冒頭モチーフが現われるが、心臓の鼓動(ピアノの左手)はなかなか鎮まらない。最後は落ち着くものの、疲れて眠り込んでしまうような終わり方だ。

第2楽章が最も寓話的モチーフに溢れている。特に各フレーズの終止形は、童話でいう「~だとさ」そのもの。
中間部のクラリネットの12度の跳躍、それに続くピアノの和音の連打。これは「時計の鐘」を連想させる。続いて、ピアノの左手に急かされるような楽句は、「さあさあ急いで!」と言わんばかり。中間部の最後の終止形は、典型的な「~だとさ」終止。

第3楽章は葬送(お葬式)の音楽? 
ダイナミクスは「f sempre」と「pp sempre」。これをセンプレf、センプレppと解釈し、とてつもなく大きく、またもの凄く小さく演奏する人がいるけれど、そんな演奏だと益々この楽章が分からなくなる。
それはともかく、この楽章もどこか寓話じみて聞こえないだろうか? 真面目に吹くと、ちょっと滑稽にすら思えるのだけど。
前半の低音域での強奏が終わると、突然ピアノがハープを掻き鳴らす。物語のお話とお話の間に、琵琶法師が合いの手を入れるような効果が感じられる。
後半、高音域での弱奏が終わると、今度はピアノの浮遊するようなアルペッジョ。この響きは、人によってはかなり気色悪く(幻覚作用のように)聞こえるみたい。
強いて言えば、主人公はあの世に行ったのだけれど、本当は死んでいない、ということを暗示するような感じ。白雪姫のまわりで小人たちが悲しんでいるような情景。

で、予定調和的に第4楽章に突入する。
が、ここから先はまだ考えがまとまらないので、いずれまた。

Lee Gibson "Clarinet Acoustics"メモ(3)

2005年07月12日 | クラリネット日記
クラリネットのボア(上管)は、一般的に以下の4つのタイプがある。

1:逆円錐ボアのバレル+完全な円筒管。
20世紀最初の頃まで最も一般的だったボア。ミューラーやアルバート、エーラークラリネットには上手く行く。ベームクラリネットには相応しくないボアであるにもかかわらず、1975年頃まで数社のベームクラに採用された(B&Hの1010モデルや初期のルブラン)。

2:バレルから上管の下まで、ほとんど直線的な逆円錐管。
リコーダーがこのボアなので、最も古いボア形状とも言える。20世紀前半で最も成功した楽器は、セルマー。フリッツ&ヘルベルト・ヴーリツァーも、戦後にボアサイズを小さくする前はこの形。他の多くのドイツのメーカーもこれにならった。

3:ポリシリンドリカルボア。
1938年からビュッフェの工場責任者をつとめたロベール・カレが、1949年に発見。逆円錐ボアのバレルに、上管の3箇所で、それぞれボアサイズを小さくしていった円筒管(しかもスモールボア)を採用すると、甘い音色が得られ、且つスモールボアが持つイントネーションの良さも得られる。この発見は1950年のR13モデルから採用され、今(1993年)に至るまで変更されていない。

4:デュアル逆円錐ボア。
スモールボア+逆円錐状のバレルが、上管トップのテーパーを強くした逆円錐ボアにつながる形。1954年にウィリアム・ハンス・メーニッヒが、彼が調整したR13に採用した。このアイデアは後にアンソニー・ジリオッティがセルマー10Gにも取り入れ(1968年)、セルマーの他のモデルにも適用されている。

カレのポリシリンドリカルボアは、第3倍音が低くなりがちで、それを改善したのがR13A管やRCプレスティージュモデル。

ハダッシュ(チャダッシュ)の記事

2005年07月12日 | クラリネット日記
「The Clarinet」2005年第2号に、クラリネットのバレルで有名なギー・ハダッシュ(チャダッシュ)のインタビュー記事が載っている。以下、面白いと思った要点。

ビュッフェR13は、左手の高音域が高めに、逆にスロート音域が低めになる傾向がある。それをバレルで改善しようとしたのがハンス・メーニッヒ。彼はボアサイズを少し小さくし(reduced volume)、逆円錐状のテーパーをつけることで改善した。
ハダッシュはしかし、メーニッヒはちょっとやり過ぎたと考え、テーパーを少し抑えたバレルを開発。ビュッフェもこれを認めて公認バレルとした。

「ビュッフェR13の音程、とくにスロートeでは8セント針が左に振れ、レジスターキーを抑えたハイbでは途端に12セント右に触れるような状況を何とかしたかった」
「もっとも、ビュッフェはこうした音程操作で楽器にフレキシビリティを与えている。R13は音に「響き(ring)」を持つ唯一の楽器。自分の音色がつくれる楽器だ」
「私の考えでは、ビュッフェのボアは昔の方が精度が良かった。何故なら、ツールの材料となる鋼の質が昔は非常に良かったから。ただ皮肉なことに、トーンホールは現代のものの方が良い。
昔のモデルではトーンホールはやや大きめに作られ、それが音色の美しさや自由度をもたらした反面、音程を高めにさせている。現在のビュッフェはトーンホールをやや小さくし、テーパーを持たせてこの問題を解決しようとしている」
「木のシーズニングでは、現代のメーカーは自然乾燥とは違ったやり方をとる。伐採された1年ぐらい後に、外形を作ってしまい、それをリンシド・オイルに浸ける。この時、木の中に含まれる空気をすべて吸い出すような特殊の部屋の中で行う。
こうした方法で作られた楽器は、使っているうちに木は膨らんで行って元には戻らない。突然、ひどくエアが混じったような雑音がし始め、ピッチも上がっていく。最初に楽器を選んだ時のボアではなくなってしまうのだ。これが、3~4年後に多くのプレイヤーたちが楽器を買い換える理由になっている」

レジスターキーと音程の実験

2005年07月10日 | クラリネット日記
レジスターキーは、基音の各音に対して正確な12度音程が得られる位置とサイズで1個ずつ付けられるのが理想だが、それは無理なので、1個のレジスターキーで出来るだけ平均に音程を整えることが出来る位置とサイズで妥協して決められる。

以下はWilliamStubbinsの「The Art of Clarinetistry」から。
最低音ミ、ファにとっての最適なレジスターキーの位置とサイズは、レジスターキーを押さえずにその音を吹き、右手サイドのBbトリルキー(上から二つ目)を開けてみることで分かる。現状の位置は高すぎ、サイズは小さすぎることが分かる。
このBbトリルキーを使ったスロートBbの鳴りの良さも、同じ理由から。
また、5線上のラ、シ、ドはデリケートな発音が要求され、ともすると下の基音が混じったりする嫌な音だが、これはレジスターキーのサイズがその音に対して大きすぎることによる。キーの開きをボール紙一枚程度に抑えてみると、とても鳴らしやすくなるのが分かる。これはドから上のアルティッシモ音域でも同じ。

なるほど、最低音の実験では12度音程がぴったりはまる(通常はいかに広いかが分かる)。
ラシドの実験はあまり上手くいかなかった。
が、ハロルド・ライトは「運命」第3楽章の「ララララ」のソロで、レジスターキーとパッドの間に紙を挟んで吹いたというのは、このことか。
特にラの音は音が開いて苦労する。自分の腕の悪さだけじゃなかったので少し安心。
オーボエはこの辺の音から第2オクターブキーを使う。クラリネットにもこうしたシステムは出来ないものか?

メサジェ「ソロ・ド・コンクール」のメロディ

2005年07月09日 | クラリネット日記
メサジェ「ソロ・ド・コンクール」の第2テーマ、ゆっくりした部分のメロディは非常に哀愁を帯びている。
特にピアノからアルペッジョをクラが引き継ぎ、高揚したところでクラが再度メロディを奏でる部分は、明らかに「泣き」が入る。

この感じ、グアスタヴィアーノ(アルゼンチン)のソナタにあまりにそっくりだ。特にフレーズの下降型終止が何度も繰り返されるあたり……これは、いつか聴いたショーロの形にも似ている。ひょっとしてメサジェは南米出身か? あるいはショーロなど南米音楽に影響を受けたのか?

リカルド・モラレスに何気なくこのことを聞いてみたら、彼曰く「あれはボロディンだよ。中央アジアの平原よりに似てるだろ?」との答え。
え~~っ、全然似てないと思うけどなあ!!

バンドレンV12はトラディショナルより何故柔らかいか?

2005年07月09日 | クラリネット日記
バンドレンのV12リードはトラディショナルの同じ番号よりも柔らかく感じる。
何故かと考えてみたら、肉厚が厚い分、リード先端がケーン内側の柔らかい部分に来るからだと思い付いた。
もちろん、これはトラディショナルと同程度の硬さのケーンを使った場合の話で、ケーンそのものが柔らかい可能性もある。