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クラリネット雑学ノート

9月24日で、http://hornpipe.exblog.jp/に引っ越しました!

ブログを引越します!

2005年09月24日 | クラシック音楽
突然ですが、当ブログを9月24日付けで下記住所に引越します。
お近くにおいでの方は是非お立ち寄りください。


http://hornpipe.exblog.jp/

ヤフー・ブログから始まり、住み心地の良い長屋を探しながら、ブログ引越しはこれで3度目になります。

最近の記事を重複して掲載してあります。

音楽家への誉め言葉

2005年09月15日 | クラシック音楽
音楽家は誉めて誉めて誉めるに限る。ただし誉め言葉にはくれぐれもご注意を!

以下は、演奏終了後の楽屋で知り合いのアマチュアが発した冷や汗ものの言葉。
「いやあ、ほんとうにお上手で!」
「おみそれしました!」

以下は、誉められて当然のことなので、あまり勧められない誉め言葉。
「すごかったですね。高い音ビシバシ決まってましたね」
「あんな難しい曲を、よくお弾きになれるものだと」
「こんな大曲をお弾きになるなんて、すごいバイタリティですね!」

また誉め言葉があまりに具体的だと、必ず裏を勘ぐられる(ただし音を誉められることには悪い気はしない)。
「良かったですよ。何と言ってもあのテンポ感が」
「ピアニシモがとってもきれいでした!」
「今日のブラームスは聞かせましたねぇ」
「ピアノとの息、ぴったりでしたね」

同業者が使う誉め言葉は参考になる。
「いやあ、良かったよ!どうやったらあんな演奏出来るの?」
「凄いっ!天才!〇〇(その業界では有名なガイジン奏者)を超えたね!」
「俺、明日からもっと練習しなくちゃな」

誉めたりけなしたり、音楽家は人間関係においても切磋琢磨しているのである。



音楽家への禁句(その2)

2005年09月15日 | クラシック音楽
音楽家を前にして他の音楽家を誉めてはいけない。特に、同じ楽器の日本人どうしの場合はご法度である。

「先日の先生の演奏、素晴らしかったです」
「やあ、ありがとう。あの曲他の人があまりやらないものだから」
「そうですね、僕も2年前にBさんの演奏聴いて以来です。あの時も素晴らしかったですけど」
「あっ、そう……」

「最近Bさん、とんとお見かけしませんけど」
「僕も知らないけど、具合悪いんじゃない?気の毒だね」
「惜しいですよね、あんなに活躍されてたのに」
「そう?……でもあんなことやってちゃツブレますよ」

「よっ!どう?面白かった、今日の演奏会?」
「あ、先生も聴きにいらしてたんですか!いやぁ、良かったですねぇ」
「そうかい?俺、全然つまらなかった!」

「A?Aはダメだよ、ありゃ」
「そうですかねぇ。Bさんはいろんな所に出てるみたいですね」
「君、Bの知り合い?」
「あ、ええ、まあ」
「なら、何も言わない」

「先日Cさんのリサイタル聴きました」
「へえ、どうだった?」
「まあ、結構楽しめましたけど」
「彼もねぇ、フランスものだけやってりゃいいんだけどね」

見方を変えれば音楽家は分かりやすい人種とは言えると思う。

音楽家への禁句

2005年09月14日 | クラシック音楽
音楽家に会ったときは、奥さんの話はしない方がよい。
その奥さんを知っている場合はなおさらである。その時はもう奥さんでないかも知れないのだから。

「ところで奥様にはいつぞや随分お世話になりまして」
「えっ? あっ、そう……」
「たしか郷里が私と同じで……」
「あ、あぁ~……それ、前の奥さんね」

「今回は〇×市でコンサートをやられるんですか?」
「〇×市?どうして?」
「いつも日本に帰られた時は奥様のご実家で演奏会をおやりに……」
「そうね、彼女とはもう別れました」

音楽界のオシドリ夫婦とされているカップルも危ない。
「もしもし、凸凹先生のお宅ですか?」
「いえ、△■です」
「あ、あの、すみません奥様でしたか!」

ナーバスになり過ぎてもいけない。
「家内がピアノを弾くもんだからね。彼女に伴奏を」
「あ、あの、奥様はたしか声楽家の……ひょっとして今は?」
「ワハハハ、まだ一緒ですよ。@×君とは違うよ」

海外奏者も例外ではないのでご注意を!

高橋悠治の本から

2005年09月03日 | クラシック音楽
高橋悠治の「音の静寂、静寂の音」(平凡社)から。

伝統楽器は固有の共振モードをもっていて、
音色にもとづくやりかたに適応しやすい。
近代楽器はピッチを明確に伝達するために改良されているので、
音色は副次的な指標にすぎない。その意味では抽象化した楽器だが、
コンピュータから見ればまだ抽象度がたりない機材であり、
中途半端な存在と言ってもいい。
これらの楽器はいずれ再改良、あるいは逆開発によって、
いったん元の状態にもどしてから、
改良の過程で失った音色やノイズを含んだ新しい形を考えなければ
飽きられてしまうだろう。
(「音楽の反方法論序説」(抄))

コンピュータ音楽に取り組むなかで、生楽器と組み合わせるとしたら……という部分からの抜粋。
「ピッチを明確に伝達するために改良されている」というのは、モダンの管楽器では当たり前過ぎて、意外に忘れられている。
「逆開発」という発想も、演奏家の視点からは出て来ない。でも、いずれメーカーによってはその可能性もあると思う。
「飽きられてしまうだろう」という警句は、まずは現在の演奏スタイルから現実味を帯びてくるのかも知れない。

アメリカ以外の演奏家たち

2005年08月10日 | クラシック音楽
仕事で会った各国の演奏家たちの寸評。もちろん、独断と偏見、無知、拙速に満ちた印象記です。

●ドイツ人
地味で一見、暗く見える人が多い(言葉も暗いなぁ)。服装もビックリするくらい質素だったりする。が、初対面での握手はしっかりと握ってくる。話も、琴線に触れる話題となると、いつまでも話してくれる。いろんな意味でのライバル意識が強く、人の批判も好んでする。
英語が通じる人と通じない人がはっきり分かれ、通じる人は見るからに教育を受けた都会的な人が多い。ウィーンフィルには英語が通じる人が多い。

●フランス人
2タイプある。一見してラテンタイプの人は、初対面の挨拶では鼻をツンと上に上げた気取ったポーズをとる。ジョークをしょっちゅうかまし、我々にはそれが皮肉に聞こえたりして、ちょっと引いてしまう。身振りや顔の表情が非常に豊かだが、やはりこっちは引き気味になる。
もう一つのタイプは、寡黙で挨拶も静か、一見非常にクール。初対面の握手は手を差し出すだけの人が多い。こちらから積極的に話さないと話が引き出せず、非常に苦労したりする。どこか政治的な印象を受けたりもする。

●英国人
初対面では非常に好意的に見える。話は面白いし話しやすいのだが、クールさも漂う。ジョーク好きで皮肉屋が多い。活動的に見える人が多い。

●ロシア人
先入観もあるからか、やはり一見して暗め。初対面の握手は一番熱い(!)。話し好きな人が多い。ペレストロイカ以前のオケの楽屋(日本公演)は雰囲気が超暗く、タバコの煙が充満していた。

●スウェーデン人
服装が一番今風で、オケ奏者にはロックミュージシャンのような若い男の子が目立った(オカマもいた)。英語はよく通じる。

●中国人
人見知りする感じ。構えて見える人が多い。自分たちの話をするとよく喋る。

●外国人からみた日本人
挨拶は快調だが、すぐに話題が途切れる。ジョークや皮肉があまり通じない。バカ正直な一面があり、感激屋が多い。人の噂話を聞きたがる。とにかく奢ってくれる。みんなビックリするほど良い服装をしている。

アメリカ人音楽家の心象風景

2005年08月09日 | クラシック音楽
オーボエでもクラリネットでも、アメリカの演奏家が目指すところは「リラックスした表現」、言葉を変えれば「大人の余裕」とでもいうかのかな。

サウンドのキャパシティを最大限に拡げ、機械的なテクニックの錬磨にも怠りなく、さらにヨガや禅、マインドコントロール法にもトライし、そして我が音楽人生を悔いのないものにするべく、日常も出来るだけハッピーに生きようとする……
というように、彼の地のミュージシャンの話を聞いていると、どこか宗教家じみて見えることがしばしばあったりするのです(俳優やスポーツ選手などにも感じませんか?)。

ところで、アメリカの音楽自体にも、こうしたアメリカ特有の大人の(宗教家じみた)人生観を色濃く感じます。
最も分かりやすいのはフランク・シナトラあたり。「善き父親」「ロマンスグレー?」「大人の寛容」を歌う例は数多いですよね。
一時代前のハリウッド音楽(南太平洋etc)やディズニー音楽(星に願いをetc)の、広い音程跳躍を伴ったロマンチックなメロディなどにも……上手く言えないけれど……「等身大」を超えたい、というアメリカ人の願望が反映されているようにも感じます(サウンドオブミュージックの「Climb Every Mountain」などその最高例かも)。

そして、そんな願望はアメリカ人の「ヒロイック」好きに通じる。猪突猛進型のヒーローは失格。鷹揚なフツーの大人が、内に秘めたようなヒロイックさが理想です。西部劇や開拓史を描いた映画音楽などはその典型で(アメリカの太ベルのホルンが大活躍!)、最近ではジョン・ウィリアムズが現代のアメリカ人の心象(ヒーローの孤独感まで含めて)を実によく表現していないでしょうか。

「アメリカ人の演奏家の心象風景は宗教的である」と言ったら暴論に決まっているけれど、でもこの話、前から一度整理してみたかったテーマなんですね。アメリカは先進国で唯一、封建社会を体験していない国である、という視点も含めて……。

アメリカの音・クラリネット編

2005年08月08日 | クラシック音楽
アメリカのクラリネットの音は一つには括れない。
が、他の国にはないある独特のスタイルがこの国には存在する。

勝手に名付けると、それは「ユダヤ・スタイル」。ストルツマンに代表される、ヴィブラートのかかった独特の「歌謡的」なスタイルである。名手ハロルド・ライト然り、現代ではジュリアード音楽院のチャールズ・ナイディックがその代表だ。

全くの想像だが、ヨーロッパのユダヤ系音楽家たちは、その国のスタイルに同化していったのに対し、アメリカのユダヤ系移民は自由に自分たちの「歌」を歌えたのではないだろうか? アメリカの弦楽器、特にジュリアード・スクールにも同じものを感じる。

クラリネットの場合、彼らの音色は透明である。さらに前述のオーボエと同じく、極めてリラックスしたムードを伴う。ブラームスではエキサイトしないが、シューマンやウェーバーなどはしっくりはまる。

もちろん、上記以外のスタイルもしっかり存在するが、「リラックスした表現」という点では共通したものを感じる。

アメリカの音・オーボエ編

2005年08月07日 | クラシック音楽
前述「アメリカの音」の違いが一番よく分かるのがオーボエだろう。
「ミュー」というような、独特の柔らかく「細い」サウンドで、昔のドイツオーボエの張りと艶のある音とは対極的に聞こえる音。
ソロで聴くと、一本の線がしなやかに繰り出されてくるようで、名手の演奏には聞き惚れてしまうのだが、音自体がどこかリラックスし過ぎて聞こえ、クライマックスでもエキサイトできないことが多い。

だからか「国際コンクールなどでは不利」として、米国内でも賛否両論あったりする。ドイツに留学したある米国のオーボエ奏者曰く、「この国のオーボエの音にはうんざりだ!」。
もちろん、アメリカの大方のオーボイスト達は、海の向こうと比較する理由もなく、そんな議論などどこ吹く風といったところか。

ドイツで活躍するフランスや英国のオーボエ奏者が数多くいる現在、アメリカのオーボエ界は世界で一番ローカル色の強いものになった。パリ音楽院のオーボエ教授が「アメリカだけは奇妙だ」と首を横に振ったのを覚えている。

ドイツの音、アメリカの音

2005年08月07日 | クラシック音楽
ベルリンのフィルハーモニーでアメリカのオケを聴いた友人がこう言った。
「ベルリンフィルをここで聞くと、天井から音が降ってくるように聞こえるんだけど、アメリカのオケの音はホールの底に沈んで聞こえるんだよね」
これを聞いて、シカゴ響とカラヤン=ベルリンフィルの録音の違いそのままだと思った。

ドイツ(と言っても地域によって様々だが)の音は一般に言われるように「重厚」などではなく、ある意味「軽い」。最大公約数的に形容すれば、輪郭がはっきりした明快さにあるように思われる。音の出だし(アタック、アインザッツ)はどの国よりも明快で、リズム(特に付点やアウフタクト)も強調される。

反対に、アメリカの演奏家たち(特に管楽器)が最も嫌がる音のイメージは「ブライト」である。きつく、キンキンした高次倍音を多く含むような成分は忌み嫌われる。彼らにとって最高の誉め言葉は、「とってもダークなサウンドですね」というもの。

いわば、ドイツの「張り」「緊張感」に対してアメリカの「リラックス」。
両者の国民性の違いを見るようでもあり、面白い。