ウサギ、耳、伸びた、私、

このブログはたしかにイタい・・だがどうだろうか。痛みを訴えるのは大事なことだと私は思う。戦争より餓死の方が酷虐なのだから

暇とはなにか

2012-05-23 03:54:00 | 哲学/世界観

地面を歩いている蟻をジーと眺める男がいたのなら、私は「暇なんだな~」と思うかもしれない


蟻を眺めている男が、昆虫好きな少年だったらどうだろうか


私は「楽しそうだな~」と思うかもしれない



じゃあその男が、生物学者だったら?



私は尊敬するかもしれない


___



暇の定義とはなんだろうか


暇だと思う場合とそうでない場合を形式化してみれば



A:時間が空く→なにもすることがない(したくない)→とりあえず流されるままに行動  

B:時間が空く→行動



両者の違いは『暇があるか、ないか』ではなく、『なにかすることがあるか、ないか』である



一番最初の例に戻ろう



それなのに私は、『することがないんだろうな~』と独断し、しかし「暇なんだな~」と思う


百歩譲って「暇なんだな~」と感じる″決め付け゛が仕方のないことだとしよう それでもそのおかしさは払拭できない


暇とは自由な時間のことを指す 

AもBも暇があるからこそなりたつ行動である

それなのに私はAだけを暇だ、と感じる




ここでいかに「暇」という価値観が曖昧であり、独断評価は滑稽であることがわかる


いや、哀れむべきだろう


暇は、行動の第一歩  それを軽視しするようなれば、いつまでたっても自分の本当にしたい行動へとはたどり着けない

欺瞞でしかない暇の穴埋めで、どうやって暇を作る活力が沸く? 大きな暇がなくしてどうやって大きな行動ができる??


___


私はこうとも思う

行動もまた暇への一歩だと  暇つぶしの天才がいるのならそれは、暇を作り出す天才でもあるのだと



・・・・


・・・


・・






さて、ここまで書きなぐってきたこの文章


最後に二つほど謂わなければならないことを書いて〆としよう




ひとつめは、読んでくれた皆さんへの感謝




ふたつめは、もちろん、







暇への感謝だ      


-終―