地面を歩いている蟻をジーと眺める男がいたのなら、私は「暇なんだな~」と思うかもしれない
蟻を眺めている男が、昆虫好きな少年だったらどうだろうか
私は「楽しそうだな~」と思うかもしれない
じゃあその男が、生物学者だったら?
私は尊敬するかもしれない
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暇の定義とはなんだろうか
暇だと思う場合とそうでない場合を形式化してみれば
A:時間が空く→なにもすることがない(したくない)→とりあえず流されるままに行動
B:時間が空く→行動
両者の違いは『暇があるか、ないか』ではなく、『なにかすることがあるか、ないか』である
一番最初の例に戻ろう
それなのに私は、『することがないんだろうな~』と独断し、しかし「暇なんだな~」と思う
百歩譲って「暇なんだな~」と感じる″決め付け゛が仕方のないことだとしよう それでもそのおかしさは払拭できない
暇とは自由な時間のことを指す
AもBも暇があるからこそなりたつ行動である
それなのに私はAだけを暇だ、と感じる
ここでいかに「暇」という価値観が曖昧であり、独断評価は滑稽であることがわかる
いや、哀れむべきだろう
暇は、行動の第一歩 それを軽視しするようなれば、いつまでたっても自分の本当にしたい行動へとはたどり着けない
欺瞞でしかない暇の穴埋めで、どうやって暇を作る活力が沸く? 大きな暇がなくしてどうやって大きな行動ができる??
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私はこうとも思う
行動もまた暇への一歩だと 暇つぶしの天才がいるのならそれは、暇を作り出す天才でもあるのだと
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さて、ここまで書きなぐってきたこの文章
最後に二つほど謂わなければならないことを書いて〆としよう
ひとつめは、読んでくれた皆さんへの感謝
ふたつめは、もちろん、
暇への感謝だ
-終―