花も嵐も寅次郎

ラインブログから、また戻ってきました。

赤坂、原宿、新宿二丁目…どこもド❗田舎だなぁ😀

2019-10-10 09:28:33 | 日記

ここは、東京メトロ千代田線の赤坂駅…ではありません❗😜


群馬県前橋市の上毛電鉄「赤坂駅」です。


無人駅だし、外国人の方でも間違えることはないと思いますが…😋
そして、こちらは…


太田市の「原宿」❗😙
通りがかりに見つけました。


とてもノドカなところです。


東京の原宿だって、昔はこんな感じだったンでしょうけど😁
そして極め付けはコチラ❗


新宿二丁目❗館林市内で発見❗😝


周りにはビル🏙️も無ければ、飲み屋🍺🏮も無し❗
わざわざ車を停めて、バス停の写真を撮っていたら、通る人にジロジロ見られて…恥ずかしかった…😂
こういう地名集めは面白いけれど、自分でも物好きだなぁと、つくづく思ってしまう…🤣





美しい乙女達に囲まれて…🥰小泉稲荷コスモス畑

2019-10-09 09:53:17 | 日記

真っ赤に塗られた小泉稲荷神社の大鳥居の足もとで、今年もコスモス畑が満開となりました❗🤩




広大なコスモス畑には、展望台も設置されています😄






コスモスの花言葉は…「乙女の純真」❗だそうです😉
花畑のなかを歩いてゆくと、まるで美しい乙女達に囲まれているよう…
まるで…キャバクラに行った気分❗😍
チョッと違うか😜


ここには露店もなく、地元の方々が真心で世話をして、毎年見事に咲かせているとのことです。


いつもご苦労様です。そして…有り難うございます😉👍🎶





今年の一番人気は…意外なアノ人‼️😋藪塚かかし祭り

2019-10-08 09:50:08 | 日記

稲刈りの季節になると…今年も藪塚かかし祭りの開幕❇️です😁


日本一の巨大カカシの足元で…


今年は、どんなカカシが登場するやら。
私の予想では、あの二組のビッグカップルとラグビー日本代表ではないかと…😙




やはり、朝ドラは人気ですね🤗



草刈正雄のジイチャン。雰囲気出てるなぁ😀


こちらも、いまや大人にも大人気のチコちゃん。迫力あります😉

この人も大ブレイクしました。


スマイルシンデレラは、もっと大ブレイク🤩

「いだてん」は…もうひとつでした。カカシも、目立たない場所に一体だけ🙄


ヤッパリありました❗将来の総理候補とファーストレディ❗でも意外と隅っこにあって…山ちゃんの方は見当たらず❓
どうやらラグビーは間に合わなかったらしいです。
ならば、今年の一番人気は…



この方です❗私が世の中で二番目にキライな…😝


一番は…この方と、いつもセットのアノ人❗名前は言いませんが😝




こんな思いがけない方もいました。


とてもリアルなカカシも。恐る恐る触って通る人も…😅




カカシロードのトリは…嵐❗でした。
この手作りで素朴なお祭り、いつまでも続けてほしいものです🥰

















いまならラグビー日本代表に…ぜひ‼️😁篠塚伊賀守墓所

2019-10-06 18:55:03 | 日記

通りがかりに「郷土の豪勇 篠塚伊賀守墓所」という看板を見つけました。


そういえば、ここは邑楽町大字篠塚というところ。
新田義貞の四天王のひとりとあるけど、そんな武将いたっけ❓




墓所には大中黒の新田の家紋。



説明板によれば…
篠塚重広は名門畠山氏の子孫で、父の後を継いで篠塚城主となり、新田義貞の側近となったとのこと。


身長が六尺五寸(195cm)あり、八尺(240cm)の金棒をブンブン振り回して戦った❗とあるので、まるで張飛か関羽のような豪傑だったンですね😁


四国今治の世田山城の合戦では、敗北すると単身で敵陣に向かい、こう言ったといいます。
「我こそは篠塚伊賀守である。討ち取って手柄にせい❗」
ところが、天下に鳴り響いていた重広の豪勇に恐れをなして、誰も近寄る者が無く、重広は悠々と敵陣を突っ切って浜辺に至り、敵の舟を乗っ取って沖ノ島に渡った…ということです。
舟に乗り込んだ重広は、すぐに大イビキをかいて眠り込んでしまったので、船頭たちは呆れるやら、感心するやら😅
この豪傑は江戸時代、芝居などで大人気だったとか🤗
この墓所は大信寺というお寺のものです。
お寺の山門は、館林藩の初代藩主となった榊原康正が寄進したもので「出世門」と呼ばれているそうです。
この門を潜った人は必ず出世する❗という…私もひとつ。もう遅いとは思うけど😙






この豪傑にゆかりの地では、いまでも交流があるそうです。
沖ノ島に上陸した重広は、そこから海路から波崎(茨城県神栖市)に向かい、舟の碇を担ぎ上げて、浜辺に安置しました。



その碇と同じ物が墓所にありました。




いまなら、ラグビーワールドカップ日本代表に、ぜひ欲しい❗力持ちですネ😝





























屁玉❗ナントカ玉‼️とは言うけれど😁人助けのカヤ

2019-10-04 11:30:25 | 日記

こちらは「人助けのカヤ」と呼ばれる木です。
天明3年(1783年)浅間山が大噴火し、火砕流は麓の村々へ襲いかかり、旧鎌原村(いまの嬬恋村)では、村ごと押し流されて壊滅的な被害を受けました。
さらに溶岩流が吾妻川を塞き止めた為、溢れた濁流は津波となって沿岸の村々を襲い、家屋も人馬もアッと言う間に押し流してしまいました。
このとき、この木のある旧三国街道の北牧宿にも津波は押し寄せました。
そのとき逃げ遅れた人々が、このカヤの木によじ登り、辛くも助かることができました。

数十人の人々の命を救ったカヤの木は、それ以来「人助けのカヤ」と呼ばれて大切にされたといいます。


ところが…この木はもともと異様な匂いを発するので屁玉(へだま)の木と呼ばれていました😋
昔から、役に立たない物として「屁だまナントカ玉」と言われ、この木もバカにされていたンでしょう。
でも立派に役に立ちました。
オナラだって、もうひとつのナントカ玉だって、実はとても大切なもの😅
人でも物でも、うっかりバカにしてはいけない❗ということでしょうか。

カヤの木の裏の田んぼには、刈り取った稲穂が干されていました。
地方によって稲架(はさ、はざ)稲木(いなぎ)または牛(うし)とも呼ぶそうですね。
そういえば、牛の姿にも似ています😁


ところで、大きな被害を受けた北牧宿は、すぐに人々の努力によって再建され、現在も美しい姿の一部を残しています😍






国道には、激しく車が行き交っていますが、ここには昔ながらの静けさがあります…🤗