帆を張る

たまに出現します

映画(20080116)

2008年01月17日 03時07分44秒 | Weblog
『ホテル・ルワンダ』

民族の抹殺(エスノサイド)がなぜ悲劇的なのかといえば,もちろん数多の人間の命が奪われてしまうこともその理由であることは間違いないのだが,しかし,それがもっとも大きな理由なのではなく,前日まで隣人であった人間の命,つまり名もなき人間の命ではなく,名も顔もあり近接していた人間の命が奪われてしまうからである。

名も顔も知らない人間の命が剥奪されることにも,もちろん,人間は悲劇を読み取り,共感を寄せることができはするが,しかし,その悲劇や共感がよりいっそう痛切になるのは,ほんの少し前までコミュニケーションをかわし,生活圏を共にしていた隣人の命が剥奪されてしまうことである。

このエスノサイドの悲劇を十分に描けているかと言えば,本作は主人公であるホテル支配人の英雄的な行動に焦点があたってしまっており,エスノサイドのもつ,近接であるがゆえの悲劇性は十分には描かれてはいなかった。その意味で,第二次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を描いた数多の映画と,構造的な変化は何もない。

この種の虐殺/虐殺からの救出を主題化する映像では,個人の英雄的な行動ではなく,むしろ,異他的な複数の存在が近接するがゆえにいっそう残酷な行動に出てしまうという他者の共存がもたらすある種の矛盾をより鋭く描き出すものを期待したい。

他者の共存のもつ構造的矛盾を解消しうるのは,個人の英雄的な行動ではなく,むしろ,構造的矛盾そのものへの透徹した理解であると思われるからだ。