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読書(20080117)

2008年01月18日 03時22分31秒 | Weblog
小島亮『ハンガリー事件と日本』(現代思潮新社)

本書によれば,1956年のハンガリー事件は,二つの重大な意味があった。

一つは,フルシチョフによるスターリン批判が,スターリン的な独裁的組織構造を温存したままでの,スターリン個人批判であったという思想的事実が,ハンガリー民衆に対するソヴィエト軍による弾圧を通じて,政治的に明らかになったことである。

そして,もう一つが,スターリニズムならびにスターリニズム批判に対する二重の幻滅によって大衆の側からの左翼思想に対する希望を根絶すると同時に,ハンガリーの民衆蜂起に対するソ連軍の軍事介入を正当化するという隘路に(一部の論者を除けば)陥ったために,左翼思想と民主主義とを接続する回路が閉ざされてしまったことである。

このように理解された左翼思想の転回,あるいは転回の失敗を背景にすれば,ニュー・レフトの展開も一種の徒花でしかなかったことが了解される。だとするならば,一部の論者のあいだでいまだに根強く唱えられている,いわゆる〈68年の思想〉なるものの神話化に対して,本書はある種の解毒剤としての役割も果たしうるのだろう。