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空気が読めない?なんじゃそりゃ
『モーツァルトとクジラ』(2004年/アメリカ)
自閉症の1類型として知られるようになった「アスペルガー症候群」。
この映画は「アスペルガー症候群」を生きる青年ドナルドの物語である。
ドナルドは同じ境遇の仲間を組織し、ともに笑い、ともに泣き、そして恋をする。
「アスペルガー症候群」では、他人とのコミュニケーションがなかなか円滑に進まないことが多くの症例として挙げられている。
他人との交流が円滑に進まないので、世間に対して馴染めない。
社会から孤立しがちなのだ。
そして人間にとって、他人とのコミュニケーションはとても厄介な問題である。
社会生活において、人間は、自分以外の他者との共生を余儀なくされており、コミュニケーションを通じて、人はよく知らない他者を分かろうと努める。
分かり合えない他者とのコミュニケーションには強いストレスがかかるから、人は、比較的に分かり合える気がする自分と同じタイプの人間とグループをつくる。
それはとても本能的なことで、当たり前のことなんだけど、私は現代の日本をおおっている、社会的な雰囲気、社会的な空気に強い違和感を感じている。
私の垣根(=ATフィールド)を超えられない(他者=使徒 が怖い)現代の若者の心を描き、大いに流行したのが『新世紀エヴァンゲリオン』であるが、それと同じ。
他者が怖い、ゆえに、同じ質のタイプの(あるいは、同じ質であるのだと自分をだまし)人間でグループをつくり、そのグループで垣根をこしらえて防御するありかた。
防御は時に、他者に対する攻撃となって現れる。いじめ、がそう。
いま、空気(K)が読めない(Y)人を「KY」と呼ぶと聞く。
「KY」が囁かれ、流行るこの空気ってなんだろう。
そこには異質な他者に対する、興味、畏れ、好奇心が見当たらない。
そこには同化、もしくは排除。防御、もしくは攻撃の臭いしか嗅ぎ取れない。
ところで『モーツァルトとクジラ』のドナルド。
彼はその特質から、いとも無防備にこの「KY」を突破する。
彼の人生において、「KY」ほど無意味で、価値の無いものはない。
空気が読めない?なんじゃそりゃ、なのである。
私は彼のすがすがしさに憧れる。