熊本の暗記王

熊本の暗記王が書いた黄金の暗記法は単語から長文まであらゆるジャンルの暗記を叶える日本唯一の暗記法です

「いちばん解りやすい応仁の乱」(双葉社)の気付いた点

2019-06-26 21:58:02 | 歴史
図書館で「陰謀の日本中世史」(呉座勇一)を見かけて面白そうと思い借りて読みました。中でも応仁の乱の部分は難しいと思いました。
そこで今度は「いちばん解りやすい応仁の乱」(双葉社)と「応仁の乱」(呉座勇一)を新たに借りて読んでみました。
この二つの本はとても良い本で応仁の乱のことはだいたい分かりました。
私は黄金の暗記・暗唱法で、元号とその西暦、また歴代将軍とその就任年も暗記していますのでこういう歴史本を読むときは大いに役立ちます。
「いちばん解りやすい応仁の乱」は内容は良かったですが、私は元号とその西暦の関係がきちんとできているかという点がどうしても気になるのでその観点からもチェックしてみました。その結果いくつか間違っている個所がありましたので列記しておきます。

11ページ
畠山義就の死去、延徳2年(1491)は正しくは延徳2年(1490)

18ページ
織田郷広が今参局に働きかけた宝徳3年(1454)は正しくは宝徳3年(1451)

21ページ
畠山元国の没、応永13年(1496)は正しくは応永13年(1406)

33ページ
応仁の乱前年の文政元年は正しくは文正元年。文政は江戸時代後期ですからとてもおかしい。

34ページ
山名宗全の生まれ、応永11年(1407)は正しくは応永11年(1404)。
享年67は84ページで69となっているので69の方が正しいと思われる。

52ページ
山名氏清の没、元中8年(1392)は正しくは元中8年(1391)

79ページ
勝元、死亡。ここは山名氏のことを言っているので、宗全、死亡にしないとおかしい。

83ページ
義視は土岐成頼とともに美濃に下る、文明9年(1478)は正しくは文明9年(1477)