ボランティアグループきずな活動BLOG

東日本太平洋沖大震災復旧・復興ボランティアグループ「きずな」の活動ブログです。

岩手県大槌町での活動報告

2011-04-25 10:51:37 | 報告
先々週に岩手県大槌町へボランティア活動に行ってきたYさんの報告です。

---------------

ボランティア募集をいろいろ探してみると、
体制も徐々に整ってきているようで、団体や事前登録式の
ボランティア募集がすぐに見つかります。

が、いかんせん自分は関西の一会社員。
それだけで参加できるところが限られてしまうのですが、
「個人・県外から・1日でもOK!」という条件があったので、
休みをもらって、木・金・土と岩手県大槌町へ。
(実質、木・土は終日移動日でした。)

さて、地元社協がとりまとめるボランティア。
盛岡集合6:30。出発7:00。
ボランティアバスに乗り合わせて、片道3時間ちょっとかけて
大槌町入りです。買い忘れがあったら、盛岡市街で。
現在は食べ物もガソリンも一通り揃います。

参加されていたのは、地元岩手県民が大半で、トビ職~高齢夫婦。
それに、関東から来た学生等、合計80名。
もちろんスコップと長靴持参。

往路は盛岡~遠野~釜石~大槌。
復路は大槌~陸中山田~宮古~区界~盛岡。

近々現地入りする場合、
飲料とトイレのある道の駅(遠野、区界等)は要チェックです。
海まで出ると、“何も”ありません。
あったとしても、避難されている方のための支援物資や簡易トイレです。

宮古まで来ると、のどかな山並みは終わり、
被災地の様相になります。





まず、海から遠いところは建物の地震被害。
中心部に行くにつれ、建物の残骸。
そして、荒野。

内陸からの進入路は限られているため、宮古市街は時間により
渋滞するようで、車利用も気をつけねばなりません。
GWはボランティアや見学者の車渋滞が問題を起こしそうです(--;)

三陸海岸沿いを通って、大槌に着いたのはなんだかんだで、11:00少し前。



大槌北小学校周辺より海側の景色 

その地図。


県立大槌病院(数少ない原形をとどめている建物) 




家も車も流されたけれど、高台のお墓は無事だった。



1階が丸ごとなくなった住宅。



---------------

ボランティアのお仕事は日によって・グループによって
違うようですが、この日は皆で民家の庭先の掃除。

掃除と言っても、
泥土、建物の壁や屋根、家財の欠片、腐った魚の山・・・
これらを通り沿いに移動させつつ、写真などの“思い出”を拾い上げていきます。
技術はいりません。やる気があれば、じゅうぶん働けます。

とは言え、重労働だし、惨状を見ると寡黙になってしまうつらさもあります。
泥土の中の魚にスコップを刺す度、ザクロ色した身から強烈な腐敗臭が漂い、
胃から喉のあたりを締め付けてきます。

休憩の合間。
地元のオッチャンは言っていました。
「知っての通りここはみんな流された。町の人もたくさん…町長も流された。
もう年だけどもよ、残されたんだから頑張らないと。」

ひとしきり話した後、
「これからもボランティアで頑張ってもらいたいから。
と、支援物資で送られてきたであろう鳩サブレ、
それにバナナと飴を配ってくれて。。。



作業は15:00になる頃に撤収。
明るい内に内陸側に帰還します。
三陸海岸をさらに北に上がり、山田を通り、宮古から内陸側へ。

“けっぱれ!岩手”の合い言葉を眺めながら。



陸中山田  





宮古 







-----------

盛岡へ帰り着いたのは19:00ちょうど。
今回は残念ながら1日だけのお手伝いでしたが、
県内からの参加者は、こんな1日を何度となく繰り返されているとのことです。

最後に、全社協のボランティア募集ページを載せておきます。

http://www.saigaivc.com/vc設置状況-pdfファイル/




特派員さゆっぺの仙台滞在報告(6)児童館でのボランティア

2011-04-24 09:15:10 | 報告
おつかれさまです。
さゆっぺです。

23日朝に無事京都に帰ってきました。
その後ばたばたとしていたので、報告が今日になってしまいましたが、
最終日の報告をします。

4/22の活動報告

8:10 災害ボラセン到着
   諸々準備
9:00 ボランティア受付開始
   雨模様だったので、屋内作業を中心に受け付け
   顔見知りになった女子高校生二人と一緒に、作業
12:30 ボランティア要請が来ていた、近くの児童館へ行き遊び相手になる
    ボランティアに参加させてもらう
15:30 児童館から帰ってきて、ボランティア対応
16:30 全体ミーティング
17:30 支援班マニュアルといろんな作業の作業工程、備品リストを作り上げる

19:30のバスで京都へ

最終日ということもあり、できればボランティア要請が来ている現場へ
行きたいと願っていたところ、毎日要請が来ていた児童館へのボランティアに
行かせてもらうことができました。

仙台市の児童館は、学童保育が併設されていて、どうやら、小学校の中か、
そばに作ってある形が多いようで(何カ所かの小学校を見ましたが、
すべて児童館がそばにありました)、1年生のお迎えから一緒に行かせてもらいました。

子どもたちは、毎日違った大人が来ることに慣れていて、人見知りすることもなく、
屈託なく遊んでオーラ全開でした。
おそらく、この子どもたちの中には家が被災したりしている子もいるのだろうな、
と思いながらも、「いま」という時間で、自分の要求や欲求が満たされる時間を
過ごすことが、必要だろうと思い、関わった子どもたちに遊ばれながら2時間ほどの
時間を過ごしました。

子どもたちと遊ぶことがメインだったので、職員さんとお話することは
叶いませんでしたが、NPO法人みやぎ・せんだい子どもの丘が指定管理を受けて
運営しているようなので、一度コンタクトをとってみて、何かつながりを
作れないかなぁと思いました。
日々刻々と変わるニーズを一番把握できるのは、現地に生活する現地の方々だと
思うので。。

今回の滞在では、災害ボランティアセンターにいたこともあり、
避難所での生活や、実際にいま避難されている方の直接の声をきくことは
叶いませんでした。

ですが、ボランティアに来られる方の中には、被災者の方や、
被災はしていなけどもいてもたってもいられなくなった方が相当数含まれ、
その方たちとやりとりをしていると、「何かしなくちゃいけない」という想いで
動かれている方が多いな、と感じました。
「いま」はその想いを受け取り、活動を支援することが良いと思ったのですが、
先を見据えると、燃え尽きてしまうのではないか?と思えるような動き方を
されてる方も多く感じます。
そういった時に、寄り添えるような仕組みがつくれている必要性を感じています。

現地の方々が「もう大丈夫です!」と心から言えるようになるまで、
「そばにいますよ」とアピールし続けることが、必要だと思います。

私が感じたことや、その時々で得たニーズはもうすでに古いものになると
思ってもらってもかまわないかもしれません。
いかに、現地にいる人から生の声、情報を受け取る体制を作れるか。

また、いまの現状から先を見据えてそれに対応した支援体制をつくっていけるか、
が遠く離れた場所からできることなんだと思います。

本当に、思いやりとお節介は紙一重、だと思いました。

これからは、今回の仙台行きで感じたこと、見て聞いたことを、
わたしの周りの人たちに伝えることが使命だと思っていますので、
そのような場をセッティングできればと思います。

以上、最終日を含め、滞在期間で感じたことの報告でした。

http://blog.canpan.info/tsunapro/

↑は関西内外のNPOがネットワークを作って活動している「つなプロ」で
三週間、避難所の主に災害弱者へのニーズ調査をされたもののアセスメントです。

これを見ると、何をしていけるのかが見えてくるな、と感じています。
(現地との連携が必要になってくることだとは思いますが)


それでは。


松村幸裕子

特派員さゆっぺの仙台滞在報告(5)感じたことを中心に

2011-04-22 13:31:16 | 報告

今日は、夕方に結構揺れた地震がありました。

でも、周りのスタッフの方も、
避難所の方もそこまで動揺されていない姿に、
この1カ月の余震の多さを感じました。

今日は、感じたこと多めの報告です。

自分がやってること自体は目新しいことはそんなにないので。。

4/21の動き

8:20  災害ボラセン到着
    備品貸出準備
9:00  ボランティア受付開始
    ひと段落ついたあとは、しくみづくりに精を出す
11:30 ボランティアを送るバスに便乗し、津波被害の大きい住宅地区へ
13:00 休憩
13:30 ボランティア対応
    対応としくみづくり
17:30 終了

今日、とても印象に残っている出来事は、
「この地区には、家の前に2軒の家が流されてきたりしてるところだから、(作業が)大変なんですよ。」と、現地の方が言われた言葉に、
同じように「作業が大変だ」と思った自分がいたことです。

家の前に、2軒の家が流されていまもあるという状況自体、
大変異常なことであるのに、それを異常ではないと受け取っている自分がいます。

たった3日間でこうなっているのですから、
被災された方の、「まぁ、仕方ないよね」という類の言葉は、
本当にもう、そう言うしかないな、と思いました。

そう言うことにより、自身の心を落ち着けておられるというのもあるでしょうし、
むしろ今後、どのようにその思いと付き合っていかれるのか、心がおだやかになられるための支援は、いまではなく、衣食住が保障されたあとに必要なのではないかと思いました。

FMせんだいから流れてくるDJさんの言葉の中に「安心して生活できるようになるために」という言葉が多く使われています。

ボラセンが避難所と併設されていることで、感じることは、避難所にいる限り、
心から安心して生活することはできないのではないか、ということです。

避難所は、消毒液のにおいにあふれています。

津波による泥やヘドロが乾き、粉じんとなって、避難所の中に入り込んでいること。
また、各種感染症対策のために、消毒を随時行うことは、理解できるのですが、自分の家だと、そこまで消毒液のにおいが充満することもないでしょう。

だれしもが、自分の家のにおいというものに、安心感を覚えるのではないか。
そう感じました。

また、昨日から、写真やランドセルなど、所持者がわからないものが、
きれいに洗われて、避難所の外に並べられています。

それを被災者の方が食い入るように見つめておられること。
その中で、ご自身の流されたものを探しにいかれた方が、
ほかの家から流れてきた写真などをていねいに集めて、ボラセンに持ってこられた姿を見て、写真などの思い出に残された安心感も大きいのだろうなぁ、と感じました。


今日は、途中に、泥かきの作業を依頼されている地区に行く機会をいただきました。
道の泥やがれきはだいぶ片付いているので、一見きれいに見えるのですが、
各住宅の土や壁には白いものが浮いていて、それが塩分であることは一目でわかりました。
今後、そういった塩分を多く含んだ土を入れ替えたりもしていかなくてはならないでしょうし、塩分によって、劣化がすすみやすくなっているものも多くあるでしょうから、そういったニーズも出てくるのではないかと思いました。


今日のところの報告と雑感は以上です。

明日で、仙台滞在が終了します。

明日一日、自分ができることをして帰りたいと思います!

それでは。

松村幸裕子

写真

2011-04-22 11:55:27 | 報告

現地の写真をまとめてアップしたいと思います。



多賀城市にて。大きな幹線道路を超えて津波が押し寄せた。3本のラインがくっきりと残っている。




津波被災地域で唯一のお店。



海側とは反対側も、このように手つかずの状態のままの地域もある。



人が住んでいる住んでいない、によって優先度が変わってくる。



がれきが山積みになったガソリンスタンド。海側にあったので、おそらく道路にあったものがここにいったん集められている。



老人ホーム。建物はしっかりと残っているが、中は見える限り、いろんなものが散乱。



右手奥の建物の窓を見ると、津波がきた線がくっきり残っている。



松林がひろがっていたところ。



市街地から津波被害の大きな地域に入っていく途中に、すでに撤去された車がスクラップとなって、山積みにされている。



沿岸部を走っている仙石線の車両と思われる。一両だけなので、ほかの車両もどこかにあるのかな。。



車が通っていた道路は、沿岸部に一番近い道路で、海側はほとんど手つかずの状態。真ん中にある白い車は、救急車。



住居が残り、多くの避難者がおられる地域。その中で、桜が咲いている。塩害で枯れないか心配。




災害ボラセン近くの道路。見ての通りデコボコ。



川を津波がさかのぼり、それによって押し流されそのままになっている家。



特派員さゆっぺの仙台滞在報告(4)災害ボランティアセンター

2011-04-21 12:54:30 | 報告
おつかれさまです。
さゆっぺです。

今日は、昨日に比べて寒くなく、でも厚着しないといけないくらいの中、
雨も降らずの仙台でした。
ちなみに、暴風警報が出るくらい風が強かったので、朝方はその名残がありました。

また、毎日余震が何度かあります。
宮城県沖で起こっているものが少ないため、そろそろ大きな地震が
来るのではないか、と地元の人たちは話しているようです。

では、報告です。


4/20
本日の活動

8:20  宮城野区災害ボランティアセンター到着
    朝のミーティングまで、セッティング等の準備
9:00  ボランティア受付開始
    ボランティアの方々に、必要な道具を貸出
    手が空いた時間に、効率がよくなったり、誰が支援班の担当になっても
    大丈夫なような仕組み作り
12:00 休憩
12:30 ボランティア対応
16:30 班ミーティング
16:40 全体ミーティング
17:30 終了

今日は、雨が降らなかったこともあり、屋外での泥かきや泥だしの
作業が中心でした。
支援班としての仕事自体は単純で、いかにボランティアさんのニーズ
(必要な用具の貸し出し)に迅速にこたえられるか、というところなので、
ボランティアさんへの対応をしながら、仕組み作りも考えながらの一日でした。

今日は、災害ボランティアセンター(以下、災害ボラセン)の
仕組みについて説明します。

宮城野区の災害ボラセンは、現在仙台市社会福祉協議会の方が中心となり、
企業やNPO、仙台YMCAなど5つの団体が運営スタッフとして機能しています。
現地の団体と、県外からの応援でまわしている団体とが共存しています。
現在の宮城野区災害ボラセンは京都や大阪など、関西圏の応援がとても多いです。



主な機能は、被災者、被災地域のニーズと、ボランティアとしてやってきた
人々のできることのマッチングをすることです。

なので、それぞれの役割で班が分かれています。

ボランティア受付班、ボランティア調整班、ボランティア支援班、
ボランティア要請班、総務班です。

ボランティア受付班は、各地からやってきたボランティアの方々の
最初の窓口です。
マッチングされるまでの、基本情報の収集などをおこないます。



ボランティア調整班は、ボランティアの方々ができること、
したいことを聞き、被災者のニーズとマッチングをおこないます。

ボランティア支援班は、ボランティア先に行くために必要な備品、
用具等を貸し出します。(私は現在この班にいます。)



ボランティア要請班は、被災者の方からの電話対応や来訪対応によって、
ニーズを聞き出します。



総務班は、それぞれの班や災害ボラセンの機能がうまくまわるよう、
事務局的な存在です。



それぞれの班が、それぞれの班で最善の方法を見つけ出しながら、
ほかの班と連携してボラセンがうまくまわるように動いている状態です。


今日は、自分がやることの見通しもたち、支援班としての仕事をこなしながら、
ボランティアとしてやってきた方々とやりとりができるように、心がけました。

今日も多くの高校生が参加していたのですが、県内の高校は、
明日から学校が始まる、だとか、大学も5月から始まるといったことを
話してくれる高校生、大学生と話したりしました。

2人の高校生が、関西弁を話す私たちに興味があったようで、
長い間話をしていたのですが、地震のことや、津波のことを訊くことは、
私にはできませんでした。
その子たちは、ボラセンまで徒歩で来れる範囲に住んでいるとの
ことだったので、その子たちも被災者であることは確かです。

ボランティアの中には、被災者の方もおられ、長靴についたどろを落とす
作業をしていたときに、地震のときのこと、津波のこと、ご家族のことなどを
話される方もいらっしゃいました。
ほかのスタッフもその方の話を聞いているので、そのようにして
ご自分の気持ちを落ち着けておられるんだろうなぁ、と推測して、
ただうなづくことしかできませんでした。


宮城野区の災害ボラセンは、避難所と併設になっていますが、
どう共存していくか、お互いが気を遣いあうこともあり、
避難所におられる方に声をかけるのがためらわれます。

グローブをもちながら、外で野球をしている男の子たちを
見つめる子がいたので、気になったのですが声をかけれず、もどかしかったです。

そういった「事情」から気を遣うというのは、大人の事情であって、
こどもは関係ないよなぁ・・・と、ひっかかったままもやもやしています。

ただ、短い期間しかいないわたしが、「こう思う!」と思って行動したことが、
被災者の人たち、現地の社協の人たちとの関係性に響くことがあることで、
及び腰になってしまっているなぁ、、という状態です。

よそ者であるわたしたちが現地でできることとはなんなのか。
また、遠く離れた場所からできることとはなんなのか。
それを考えながら、明日も活動したいと思います。

明日は、京都YMCAからの派遣メンバーのうち若手3人で、
ボランティアとして現地にいくことになるかもしれません。

それでは、また明日に。


松村幸裕子