ボランティアグループきずな活動BLOG

東日本太平洋沖大震災復旧・復興ボランティアグループ「きずな」の活動ブログです。

年末を迎える仮設にて。

2011-12-28 08:38:10 | 現地滞在
2度目の宮城入りしてます、さゆっぺです。

前回は4月。発災から1ヶ月。まだまだ、いろんな人たちの手がいるときでした。

それから8ヶ月経ちました。
風景も変わっているだろうし、なによりもこちらの支援のあり方も変えていかなければならないです。

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仮設住宅をまわり、お話を聴かせていただいています。

仮設住宅団地が無数にある中で、住民さんたちが自分たちの力で自治会を立ち上げたり、うまく運営されていると感じられるところです。

自治会長さんがうまくリーダーシップを発揮されているところもあれば、ご自身も被災されていながらも仮設の集会所運営にアドバイスをなさっている住職さんがおられたり、いろいろです。

「いろんな地域から集まってきているから、みんなで同じ方向をむくのは無理だってことをわかっておくこと」

「2年、長くて5年しかないんだから、何もしなかったら何もしないで終わってしまう。」


お話を聞く中でも「慣れ」ってこわいものだなと思います。

「全部ながされるまえは、漬物つけてたけどさ、今は置く場所もないし、1から全部そろえなきゃならないし、スーパーで買ったやつで慣れてしまった」


もらい慣れと支援慣れ。

大きな仮設になると、5月くらいから入居されている方と、最近入居され始めた方とで意識の差があるようです。(仮設地区の中で順番に建てられていくので)

避難所を早く出られた方で、「もらってばっかり、支援してもらってばっかりじゃダメだ」と言う方がいらっしゃる一方で、「何かイベントするんだったらね、何かもらえるものがないと人こないよ」と言う方もいらっしゃる。

いろんなNPOや、支援団体が仮設の中に入り込んでいるところもあれば、全然なところもある。

支援物資も有り余っているところもあれば、何かが足りないところもある。

そんな状態の中で、いかに自立してまた生活していこうと思えるようになるか。

お一人お一人の第一歩への踏み出しをお手伝いできる支援が必要なのではないでしょうか。

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東松島市大浜で出会ったにゃんこたち


雄勝町の商店


雪が積もった日も。桃生にて。


あまり報道されない、東松島。


ここに来なければ見えないものがある

2011-12-14 21:06:20 | 現地滞在
石巻に滞在中のみどりです。
昨日は海沿いの気仙沼のほうへ行ってきました。

一週間目にして、はじめて、津波の傷跡の生々しいところを目の前にして、
やっと、「ああ、こういうことか」と腑に落ちた感じがしています。何がおきたのか実感できたというか。

ほかにもいろいろ行きました。

らいとぴあ21に置いてある塩害杉を活用したベンチとテーブルをつくった方を訪ねてきました。
高橋さん、気さくないい人でしたー。今度は杉のはがきの販売を考えているとのこと。楽しみです。



伊里前商店街(仮設)のオープン。
はたらいている方が本当に笑顔で、うれしそうだったのが印象的でした。
はたらける喜びがあふれている場所でした。初日から盛況^^



今日、石巻事務所のミーティングで、渡波のちょこらいという地域サロンに行っているスタッフから、
そこに来ている17歳の男の子が、高校をやめてがれき撤去の仕事をしている、という話を聞きました。
3.11以後、学校が遠くなったり、経済的に苦しくなったり、いろいろな事情で、高校中退者が増えているそうです。
がれき撤去をしていると、いまでも白骨化した遺体が出てきたりするし、くぎが手に刺さるなど危ないこともたくさんあるとのこと。

震災と津波で影響を受けているこどもや若者を、長期にわたってどう支えていけるのか、箕面でも、しっかり議論したいと思っています。

現場に来ないと見えないもの、聞こえない声が、まちがいなくあります。

オマケ「仮設住宅で干されて揺れるスルメイカ」

復興ってなんだろう。

2011-12-12 22:01:48 | 現地滞在
石巻事務所から、みどりです。
石巻事務所の朝が、掃除とラジオ体操から始まることは前回書きましたが、
実はそのあとに、もう一つ、毎朝していることがあります。
ご近所に一人で住んでらっしゃるおばあちゃんのお宅の訪問。見守りとおしゃべりです。

おばあちゃんのおうちは今回の地震で倒壊をまぬがれたのですが、かなり古いおうちで、お一人で住まれています。
家の様子からも、生活のしんどさが伝わってくるような感じ。
正直なところ、仮設よりも状況が悪いです。

昨日の朝訪問したときに、おどろいて、同時にショックだったのは、その方が怒りをあらわにしながら、「仮設の人たちは甘えとる。寒けりゃ火をたけばいい。」とおっしゃったことです。
仮設住宅では、いわゆる三点セット(電気ストーブ、こたつ、ホットカーペット)が、申請すればもらえるのですが、そのことをおばあちゃんは怒っていました。
さらに、今日はある地域について「高台移転で、金を国に出してもらおうなんて。天災なんだからしかたないっちゃ。自分たちの実力でやらんか。」とおっしゃいました。

石巻事務所のスタッフの長沼さんからは、雄勝のある地域の人が、「ここは震災・津波前から被災地のようなものだ」と言っていた、という話も聞きました。

今回、震災と津波があって、衣食住に困ること、ものがないこと、人的・経済的なリソースがないことや、「多くの人の困りごと」「みんなの問題」になり、いろいろ課題はあげられるものの多くの支援が入ったわけですが、それ以前から困っている人はいて、ずっと取り残されて来たのだということ。

一緒に行った、大牟田から来ている介護職の方が、「こういう状況がある中で、復興ってなに?絆ってなに?ってことを考えないといけないよね」とおっしゃったのが、昨日と今日、ずっとひっかかりとして残っています。


現在、石巻です。

2011-12-12 09:47:13 | 現地滞在
ISSANからバトンタッチで更新します。武田緑です。

6日から宮城県に入りました。
最初の2日は仙台「ひなたぼっこ」で、支え合い情報センターの業務として、新聞記事のピックアップ、スキャン作業などを。
3日目からは、石巻に移動。仮設住宅での情報収集などをしています。

石巻市桃生(ものう)にある共同支援ネットワークの事務所に滞在しているのですが、なんだか合宿所のよう。
お風呂は薪で炊き、お湯を湯船までホースで汲んで入ります。毎日の焚き火は楽しいです。

こんなところ。



朝はみんなで掃除をしてラジオ体操。健康的な生活です。



CLCは、石巻市から委託を受け、石巻専修大学の近くの、開成公園にある仮設グループホームの場所を使って、
既存の制度には乗らないけれど困っている人、サポートを必要とする人が、入居したり、居場所にできるような場を開くことになり、現在急ピッチでオープンの準備を進めています。

開成はすごく大きな仮設住宅で、14団地まであり、全部で1100戸(!)。もう、すでに一つのまちです。
ほとんどがすでに入居済みです。ボランティアも多く入っています。
ここ数日は、すでに活動しているボランティアさんたちからも情報をもらいつつ、共同支援独自のネットワークも使って、開成にある困りごとやニーズ、リソースを探しています。
同時に、まだ仮設グループホームの中もなーんにもないので、寸法をはかってカーペットを引いたり、石巻事務所にある物を運んだり。

石巻事務所のある桃生から、開成の仮設や、その近くのアパートなどへ引っ越した方もいて、9日、10日は、その方たちを訪ねてきました。

お子さんが4人いるお母さんからは、こどもたちが学校が変わるのがかわいそうだから、と仮設住宅の抽選に当たったけれど、平日はまた違う地域で生活していて、二重生活が大変だというお話や、こどもたちが安心してのびのび遊べる場所があれば・・・というお話を聞かせていただきました。
確かに、夕方仮設を歩いていると、仮設の駐車場で走り回ってるこどもたちがいて、
砕石がしいているので遊びにくく、しかも車の出入りがあって危ない。少しの間見てるだけでもヒヤリとする場面も・・・。

被災して、みなし仮設に住むおばあちゃんは、得意の料理をしようとしても、園芸をしようとしても、
「ああ、あの鍋もないんだった」「あの植木鉢も流された」と思ってしまって、「なーんにもやる気がしない」とおっしゃっていて、津波が奪ってしまったのは「家」や「物」だけではなく、もっと大きなものだなぁと改めて感じました。

応急仮設住宅レポート

2011-12-06 11:44:37 | 現地滞在
【現地レポート】
  冬は北から降りてきます。海も空も鉛色に滲みてきます。
山風でしょうか、海風でしょうか、仙台市内の銀杏並木の葉を容赦なく揺らし、
  飛ばしていきます。人は服を抱え込むように足早に歩いていきます。
応急仮設住宅にも夜の帳が下りるとき蛍火のように灯りがつけられていきます。
そこにも人の息遣いが確かにあります。
  その息遣いを触れるために、冬支度が急ピッチで進む東松島市・相馬市の応急仮設住宅
を中心に取材活動を11/15-11/25に行ないました (派遣職員 井原芳朗)

≪宮城県東松島市≫25箇所1753戸 ≪福島県相馬市≫14箇所1500戸
 
 <写真2 防寒>
防寒工事が急ピッチで進んでいます。(12月末までに応急仮設住宅全ての工事終了予定)壁部分の防寒のほかに、外回りは2重サッシ・玄関前の風除室などがあります。屋内は、石油ストーブ・電気カーペットなどの物資が順次配給されています。
(石油ストーブは、一部ボヤ事件がありファンヒーターなどに切り替える所もあります)

 仮設店舗集会所の前
<写真3 集会所・談話室> 
阪神淡路大震災の教訓を生かして、できるだけ旧居住区の住民を同じ仮設に入居させ、コミュニティづくりの場として集会所や談話室などを設定することがあったのでそこからの訪問が多かったです。
ほとんどの集会所や談話室はスロープ棟となっています。
団地案内地図や・集会所玄関に張ってあるビラやポスターの数でも使用状況がわかります。
平均して戸数規模の多少と利用の多少は関係しているみたいです。
集会所の使われ方は様々ですが、大別すると東松島市の場合
 ①外部団体の持ち込み企画があるときに利用されている(それ以外はしまっている)
 ②時間内で開放されていて住民であればだれでも利用できるようにしてある(ほとんど利用されない~放課後の低学年のあそび場)
 ③住民でのボランティアグループが立ち上がっていて救援物資の仕分け・配達・寄贈された書籍でのミニ図書館的運営・就学前の親の溜まり場など積極的な運営をしているなど中心になるかたの意識や行動力が大きいように感じられました。
 ④赤井地区の仮設には集会所施設がなく、空室での談話室利用を行政に申請したが認められなかったという話もききました。
 <写真4  リヤカーほか>
 
 相馬市の場合は、旧居住区を中心にした区長・組長・戸長制度を生かす形で応急仮設住宅への転居が進められていました。行政区に近い(役所・買い物・病院)所から4歳児前のこどもを含む家族および後期高齢者を含む家庭を優先して入居されています。漁業関係で朝市活動をしていた住民さんを対象にして リヤカーを使った地域販売活動も展開されていまました。
 
 <写真5 メニュー表> 
 全仮設に給食センターから配送された夕食(おかず2品程度)が集会所に配送され、居住している無職の方を対象にして有償ボランティアが活動されていました。独居の高齢者や障害をもたれている方や親の就労状況でなかなか家事がうまくまわらない家庭には助かり感があるみたいでした。一方で、自立して頑張っていくことを削いでしまっているのではないかという区長さんのご意見などもありました。

 
 区長さん・自治会長さんの悩み
 集会所での住民さん自身に活動を積極的にサポートしている区長さんや自治会長さんの悩みとして(どちらかといえば東松島市) 住民さんの個人情報につながる名簿作りに苦労されていました。これから先の応急仮設住宅での生活は仮住まいではなく生活であるわけで、ひとりひとりの住民さんの顔の見える関係作りのための名簿作成は不可欠です。行政の(福祉・生活・就労・教育・医療など)担当機関につなげるにしても、立ち上がってきているサポートセンターの職員につなげるにしても住民さんの生活をしっかりと把握をしておきたいといういうことでした。


<写真6 まだまだ普及されない被災地>
宮城県石巻市




 <写真7  まだまだ普及されない被災地>
宮城県山元町
 
12月6日から みどりちゃんこと武田緑が石巻を中心に派遣されます