ボランティアグループきずな活動BLOG

東日本太平洋沖大震災復旧・復興ボランティアグループ「きずな」の活動ブログです。

復興ってなんだろう。

2011-12-12 22:01:48 | 現地滞在
石巻事務所から、みどりです。
石巻事務所の朝が、掃除とラジオ体操から始まることは前回書きましたが、
実はそのあとに、もう一つ、毎朝していることがあります。
ご近所に一人で住んでらっしゃるおばあちゃんのお宅の訪問。見守りとおしゃべりです。

おばあちゃんのおうちは今回の地震で倒壊をまぬがれたのですが、かなり古いおうちで、お一人で住まれています。
家の様子からも、生活のしんどさが伝わってくるような感じ。
正直なところ、仮設よりも状況が悪いです。

昨日の朝訪問したときに、おどろいて、同時にショックだったのは、その方が怒りをあらわにしながら、「仮設の人たちは甘えとる。寒けりゃ火をたけばいい。」とおっしゃったことです。
仮設住宅では、いわゆる三点セット(電気ストーブ、こたつ、ホットカーペット)が、申請すればもらえるのですが、そのことをおばあちゃんは怒っていました。
さらに、今日はある地域について「高台移転で、金を国に出してもらおうなんて。天災なんだからしかたないっちゃ。自分たちの実力でやらんか。」とおっしゃいました。

石巻事務所のスタッフの長沼さんからは、雄勝のある地域の人が、「ここは震災・津波前から被災地のようなものだ」と言っていた、という話も聞きました。

今回、震災と津波があって、衣食住に困ること、ものがないこと、人的・経済的なリソースがないことや、「多くの人の困りごと」「みんなの問題」になり、いろいろ課題はあげられるものの多くの支援が入ったわけですが、それ以前から困っている人はいて、ずっと取り残されて来たのだということ。

一緒に行った、大牟田から来ている介護職の方が、「こういう状況がある中で、復興ってなに?絆ってなに?ってことを考えないといけないよね」とおっしゃったのが、昨日と今日、ずっとひっかかりとして残っています。


現在、石巻です。

2011-12-12 09:47:13 | 現地滞在
ISSANからバトンタッチで更新します。武田緑です。

6日から宮城県に入りました。
最初の2日は仙台「ひなたぼっこ」で、支え合い情報センターの業務として、新聞記事のピックアップ、スキャン作業などを。
3日目からは、石巻に移動。仮設住宅での情報収集などをしています。

石巻市桃生(ものう)にある共同支援ネットワークの事務所に滞在しているのですが、なんだか合宿所のよう。
お風呂は薪で炊き、お湯を湯船までホースで汲んで入ります。毎日の焚き火は楽しいです。

こんなところ。



朝はみんなで掃除をしてラジオ体操。健康的な生活です。



CLCは、石巻市から委託を受け、石巻専修大学の近くの、開成公園にある仮設グループホームの場所を使って、
既存の制度には乗らないけれど困っている人、サポートを必要とする人が、入居したり、居場所にできるような場を開くことになり、現在急ピッチでオープンの準備を進めています。

開成はすごく大きな仮設住宅で、14団地まであり、全部で1100戸(!)。もう、すでに一つのまちです。
ほとんどがすでに入居済みです。ボランティアも多く入っています。
ここ数日は、すでに活動しているボランティアさんたちからも情報をもらいつつ、共同支援独自のネットワークも使って、開成にある困りごとやニーズ、リソースを探しています。
同時に、まだ仮設グループホームの中もなーんにもないので、寸法をはかってカーペットを引いたり、石巻事務所にある物を運んだり。

石巻事務所のある桃生から、開成の仮設や、その近くのアパートなどへ引っ越した方もいて、9日、10日は、その方たちを訪ねてきました。

お子さんが4人いるお母さんからは、こどもたちが学校が変わるのがかわいそうだから、と仮設住宅の抽選に当たったけれど、平日はまた違う地域で生活していて、二重生活が大変だというお話や、こどもたちが安心してのびのび遊べる場所があれば・・・というお話を聞かせていただきました。
確かに、夕方仮設を歩いていると、仮設の駐車場で走り回ってるこどもたちがいて、
砕石がしいているので遊びにくく、しかも車の出入りがあって危ない。少しの間見てるだけでもヒヤリとする場面も・・・。

被災して、みなし仮設に住むおばあちゃんは、得意の料理をしようとしても、園芸をしようとしても、
「ああ、あの鍋もないんだった」「あの植木鉢も流された」と思ってしまって、「なーんにもやる気がしない」とおっしゃっていて、津波が奪ってしまったのは「家」や「物」だけではなく、もっと大きなものだなぁと改めて感じました。