気づきの瞑想

「イライラ、ムカムカ」「もっと欲しい!」「ぼんやり…」など心のツラ~イ症状に効きます

自分と他人の安楽のためになる価値=真の価値

2013年03月12日 00時19分24秒 | 修行ノートから

真の価値とは…

「ポー・オー・パユットー/仏法の思考と実践―テーラワーダ仏教と社会:価値の真偽を知る」より抜粋および引用、変更・加工部分あり。 

<真の価値>
実際の生活に有益であり、また善き道に進むことにもなり、物質の奴隷になることのない価値。
適切な範囲があり、適度・適切さ(中道)がある価値。

直接生きることの求めに応じる、または人間が生きることを善く維持するために自分の問題の解決に用いる、自分と他人の安楽のためになる一切のものの価値、あるいは効用を意味する。
この価値は智慧に依存して価値・価格を測る。智慧に応える価値と呼んでもいい。

例えば、食べ物は身体を養い維持し、幸せにし、仕事・義務を果たすことを助ける力であるという点で有益で価値がある。
自動車は速く走って仕事をすること、生存することを助け、安楽に役立ち、便利で安全で、頑丈で耐久力あることなどである。


自分もみんなも幸せになる価値が、真の価値、ってことですね

一方、にせ者の価値もあります…。

<にせ物の価値>
生きることをあまり助けないばかりか、ときには危険でもある価値。
貪欲や傲慢さなどで自分を高めて他の人を抑えるような不善の道を進むことになり、際限のない競争・圧迫をするために働くことになる価値。 

人が感覚を満足させるために、あるいは自己の価値を大きくするために、、かさ上げした一切のものの価値を意味する。
この価値は渇愛(欲しい、欲しい)に依存した価値、あるいは価格を測る。渇愛(欲しい、欲しい)に応える価値と呼んでもいい。

例えば、食べ物は美味しさ、楽しさを増し、豪華な身分を示すものである。


自動車は身分を測る道具であり、豪華・富裕さを示し、美しさと目立つことを目指すものであるなど。 


自分も他者も苦しめてしまうような価値は、にせ物の価値、ってことですね

 

 


<参考資料>

仏法の思考と実践―テーラワーダ仏教と社会
ポー・オー・パユットー、野中 耕一
サンガ

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タイの森林寺瞑想ルポ~中川吉晴氏寄稿@サンガジャパン「無常」

2013年03月09日 20時26分44秒 | 修行ノートから

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プラユキ師のワット・パー・スカトーと同じ「ルアンポー・ティエン師が伝えた動きの瞑想」を実践するワット・ソンパナス。
そこで瞑想体験をされた中川吉晴氏の寄稿文が、「サンガジャパン Vol.12(2013Winter) 特集「無常」」に掲載されています。
タイの森林寺の日常のようすや、中川氏の瞑想体験が記されています。

タイの森林寺にご興味のある方、ぜひご一読ください

以下、ほんの一部、抜粋してご紹介します。

「ルアンポー・ティエン師が伝えた動きの瞑想」は簡単で効果があるとの、ワット・ソンパナスの住職のコメント部分。
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住職は「とにかく朝起きてから夜寝るまで、起きているあいだは、自分の動きに気づいているようにしなさい」と言った。初日は、思っていた瞑想とちがったので拍子抜けした感じがし、同じことのくり返しで退屈していた。それを察してか二日目の途中、住職は私に「退屈ではないですか」と問いかけ、「つまらなく思うでしょうが、私はいろんな瞑想を試してみて、これがいちばん簡単で、効果があることがわかったのです」と話した。

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「思っていた瞑想とちがったので拍子抜けした感じがし」た瞑想者は、プラユキ・ナラテボー師の本「苦しまなくて、いいんだよ。 」 にもでてきます。

さて、瞑想を実践される皆さまからよく質問のある、「瞑想中の眠気」については、中川氏は次のように指導され、対応されました。
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そして住職は「まずは眠気を見るようにしなさい」と言った。
 それから一週間、たしかに眠気は大きな問題となった。ときどき眠気が襲ってくるが、眠るわけにはいかず、少しの休息もとれない。柱に寄りかかって目をつむるときもあったが、どうも落ち着かず、すぐに目を開けて、歩くことにもどった。眠いときは、早足で歩きつづけることで、それを切り抜けようとした。眠気に襲われながら早足で二時間くらい歩きつづけると、眠気は抜けていった。やがて眠気を見ることもできるようになった。

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さらに瞑想による深い気づきの体験レポートと考察に続きます…。

サンガジャパン Vol.12(2013Winter)
アルボムッレ・スマナサーラ,福岡伸一,中川吉晴,北川貴英,デニヤーイェ・パーンニャーローカ・ブッダラッキタ,片山秀光,村上光照,藤本晃,佐藤哲朗,しりあがり寿,石井光太,田口ランディ 村上光照,末木文美士,蛭川立,ぐっどうぃる博士,田中貴子,石飛道子
サンガ

中川氏も体験された「眠気」。とってもよくわかります~ 
わたしも強烈な眠気に襲われつづけたことがありました。
座って手動瞑想している時はソッコー熟睡、歩きの瞑想中でも歩きながら倒れんばかりの強大な眠気…。
ただただガシガシガシガシガシガシと歩き続けたものです… 

 

こちらの過去記事も「眠気」とその対応方法についてです。ご参照ください↓

瞑想中、その時どうする!?その2~とにかく眠い!!時


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「ボケない生き方」~脳神経外科篠浦氏による気づきの瞑想の意義

2012年11月28日 23時56分43秒 | 修行ノートから

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プラユキ・ナラテボー師と 「サンガジャパン Vol.11(2012Autumn)で対談された、脳外科医篠浦伸禎氏の近著「脳神経外科医が実践する ボケない生き方」にて、ナラテボー師および気づきの瞑想が紹介されています

脳神経外科医が実践する ボケない生き方
篠浦 伸禎
ディスカヴァー・トゥエンティワン


サンガジャパン
の対談では、篠原氏ご自身が瞑想実践により、三十年くらい依存気味だったお酒と程よい距離感を保てるようになった、というご経験を、“脳”の観点から紹介されています。

ボケない生き方」でも、対談のときにナラテボー師の指導によりご体験された「気づきの瞑想」に言及され、脳機能との関係について論考されています。以下、抜粋してご紹介します。 

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(気づきの瞑想は)動物脳が関係して出来上がった苦しみや怒りを伴う回路から離れるため、人間脳のみを意図的に使う方法かもしれない、と私は推測しています。

怒りや恐れも含めた、あらゆる脳に起こる現象を客観的に冷静に確認することが、脳をできるだけ使うための第一歩です。そのような現象を、嫌悪の感情で認めなかったり、自分のはまったワンパターンの思考回路で拒絶したりすることが、脳の様々な問題を引き起こします。

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気づきの瞑想の「どんなことであれ、なんであれ、ありのまま~に受け止める」というのは、脳機能活用にもプラス


 


<参考>

以下、リンク@出版社サンガさんウェブサイト記念~サンガジャパン記事まとめ~より

サンガジャパン Vol.11(2012Autumn)
アルボムッレ・スマナサーラ,田口ランディ 吉福伸逸,内田樹,為末大,名越康文,プラユキ・ナラテボー 篠浦伸禎,ネルケ無方,加藤俊朗,鈴木秀子
サンガ

プラユキ・ナラテボー師と脳外科医篠浦伸禎氏の対談より、抜粋してご紹介します。

<対談>「悩み苦しみなく生きるための、仏教と脳外科の出会い」
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(プラユキ)
悩み苦しみとは、よるべを失い、恣(ほしいまま)にさまよう心のつくりだす空想物語の数々です。こうした理解を経て、思考やイメージの主(あるじ)になりえたとき、…思いやりと希望を持って、相手のよき縁とならせてもらうために、今ここで自分が何をさせてもらったらいいかなど、冷静に対応を吟味していくことができるようになるのです。

もっとも、瞑想を始めてすぐに今述べたような理解は起こってこないかもしれませんが、それはそれでオッケー。
何はともあれ、手に戻る、足に戻るといった作業を繰り返しているうちに、心にリラックス感や安心感が生まれてきます。それはおそらく、「大丈夫。いつでもやり直せるんだ」という感覚がそういった気づきの繰り返し作業から生まれてくるからだと思います。

それから、チャルーンサティ法は、集中力やラベル選択力などの何らかの技術を高めるとかではなくて、手や足に戻ってこれたら何はともあれ「オッケー。◯(マル)!」って感じですから、「集中が続かない、ダメだ」「上手にラベルが貼れない、ダメだ……」と「ダメ出し」する必要もなく、マルを増やしていく感じですので、誰でもが気楽にやっていける方法だと思います。

 


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ナラテボー師始動ご報告と、スカトー寺住職パイサン師のお話し

2012年11月12日 23時57分19秒 | 修行ノートから

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雨安居があけ、プラユキ・ナラテボー師が一時帰国、活動を開始されています。
さっそく、昨日(11月11日)は瞑想会が開催されました

東京 2012年11月11日(日) プラユキ・ナラテボー師 講話・瞑想会  

ご参加された方によると、、雨安居明けのためか(?)いつも以上にクリアな印象だったとのこと。
ぜひ、みなさまも雨安居明けナラテボー師の一層クリアな仏法レクチャーと瞑想指導をご体験ください。
次の瞑想会は、今週土曜日に鎌倉で開催です
個人面談もご予約可能です。(のこり1枠)

鎌倉 「気づきの瞑想」会
鎌倉 プラユキ・ナラテボー師との個人面談

どうぞふるってご参加ください

ナラテボー師が副住職をされているスカトー寺の住職、パイサン師も来日されました。
11月10日(土)には、「縁起の智慧と幸せの教え」をテーマとしたシンポジウムのパネリストとして参加されていました。

「縁起の智慧と幸せの教え」(主催 Japan Network of Engaged Buddhism (JNEB))


↑ 壇上は、スラック・シヴァラク氏 (Sulak Sivaraksa)
スラック氏は、仏教僧侶や学生活動家たちと共に農村の自立発展のための多数のプロジェクトに参画し、多くのNGO・社会的起業を創設してきた活動家です。
著書も多く、しあわせの開発学ーーエンゲージド・ブディズム入門が辻信一氏の翻訳で出版されています。

しあわせの開発学ーーエンゲージド・ブディズム入門
スラック・シヴァラク
翻訳 辻信一,宇野真介
ゆっくり堂

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↑ パイサン・ヴィサロー師(Phra Paisan Visalo)
タイ国チャイヤプーム県にある、スカトー森林僧院の住職を務める。タマサート大学を卒業した後、1983 年に出家。主に、環境問題、オルタナティブな開発、紛争解決、タイ仏教会改革などの活動を展開している。最近は、ターミナルケアを精神面と身体面の両面から行うために、宗教者と医療従事者をつなぐネットワーク作りに力を入れてる。タイ語による著作は多数。(http://jneb.jp/archives/651より引用)


↑ 立ち姿。

パイサン師のお話し、一部。
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"Power of mine"、「“私の”の力」は、とても強力。
「私の**」と思ったとたん、自分が**に支配されてしまう。

「私の車」、と思ったとたん、車をどこに駐車しようか、駐車したはいいけど盗まれやしないか、傷をつけてしまうことはないか、、、などなど、「私の車」に私が支配されてしまう。
「私のお金」と思ったとたん、お金が盗まれてしまわないか、お金が減ってしまった、お金をもっと稼がなければ、、、などなど、「私のお金」に私が支配されてしまう。

「私の家族」、「私の恋人」、「私の子ども」、、「私の大切な人」に私が支配されてしまう。

「私の考え」も同じこと。

自分のものと思えば思うほど、相手(物であれ、人であれ、考えであれ)の力に支配されてしまう。
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気づきの瞑想は、「“私の”の力」をパッ、パッ、 とゆるめるトレーニングにピッタリです



 

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「業」は今ここで開発するもの~カルマ論はその人の描いた物語

2012年10月31日 11時43分36秒 | 修行ノートから

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「苦を減らして楽に生きる」には、「業=行為」開発がポイント


仏法[新装版]
野中耕一
サンガ

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[過去の]先業は過ぎ去ったことで、私たちは何も行えないが、新しい業をより良く改良改善するために、それを知るべきである。

[現在の]新しい業は行える業であり、最もよく行う決心をするべきである。(この点が重要である。)

[未来の]前方の業は、まだ私たちが行えない業である。しかし、私たちを開発してより善にする現在の業を行って、最も良い業を行うために、準備し計画をたてることができる。そして、そのときがくれば、次第に善き業を高めていき、最高の善業の段階にまで上げることができる。

(「仏法」ポー・オー・パユットー、2008年版P211)

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サンガジャパン Vol.6(2011Summer)
特集:震災と祈り
プラユキ・ナラテボー(インタビュー)
サンガ

プラユキ・ナラテボー師の言葉にすれば…
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(編集部)
「この震災は我欲にまみれた日本への天罰である」といったことを言った政治家がいました。仏教ではカルマ(業)論を説きます。どのように思われますか?

(プラユキ)
我欲が強いがゆえに白然災害が引き起こされるという考えは、その人の描いた物語と言えましょう。それを頭ごなしに否定してももちろん相手は納得しないでしょう。私でしたら、そう考えることによって、その方ご自身が苦しみを感じていないかどうかということを一緒に確認していくことから始めます。

「私は、東日本大震災は天罰だと思います」

「そうですか。そういう考え方もありますね」

「でも、それを他の人に言うと喧嘩になってしまうのです」

「そうですか。そういう言い方をすると、そう思わない人と喧嘩になっちゃうわけだね。自分の見解、物語に囚われると苦しみが生まれてくるよね…」といった具合に対話していきます。

『天災カルマ論』も一つの物語といえます。その物語を信じることによって、その人ご自身、心が楽になっているのか、それとも苦悩に陥っているのかということに注目します。それで何らかの困難をきたしていると気づき、それを解消したいということであれば、ブツダの教えに基づいてアドバイスをするといった感じです。

(編集部)
正しい答えがあるというより、一人一人にとってそれが安心や心の安らぎにつながっているかどうか、が問題だということですね。

(プラユキ)
そうですね。それが私のスタンスと言えますね。常に「今」というのは過去の集大成ですから、今が幸せに感じられるようになれたら、幸せをもたらしてくれた過去にも感謝できるようになる。またそういった幸せな心持ちで今を感謝とともに過ごせれば、自ずと未来も幸せ色に染まっていく。これが私のカルマ論です。

ブッダは、当時インドに流布していた三つの言説を否定したといわれています。

一つ目は「神意論」。私たちのすべての運命は、神の意思によって決まっているというもの。

二つ目は「偶然論」。すべての物事はたまたま偶然に生じているだけだという考え。

三つ目は「宿命論」。あらゆる現象はすべて前世の業で決まっていて、変えることはできないという説です。

ブッダはこれらの考えを退け、今この瞬間に気づき、自覚的に努力することにより、誰でもが今ここから、いくらでも運命を切り開いていける、と説いたわけです。だから私は、「『今まで』にこだわる必要はないよ。大事なのは『今から』だよ」と皆さんにお伝えしています。「今から」は過去の制約を受けてはいないし、未来の犠牲になる必要もないからです。

サンガジャパン Vol.6(2011Summer)より引用)

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サンガジャパン Vol.6(2011Summer)
プラユキ・ナラテボー(寄稿) (著),玄侑宗久(寄稿)(著),島田裕己(寄稿)(著),鎌仲ひとみ(寄稿)(著),大澤真幸(寄稿)(著),名越康文(寄稿)(著),中嶌哲演(寄稿)(著),アルボムッレ・スマナサーラ(寄稿)(著)
サンガ

 

仏法[新装版]
野中耕一
サンガ

 


 

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