紅白、始まりましたねぇ。
今日は実家に子供たちを置いてまた戻ってきました。ひとりぼっちの年越しです。
父ちゃんが心療内科にかかってて、ちょいと精神状態が心配なもので・・・。
こういう年越しなんかはひとりぽっちは厳しいのかと。
今年はドリー家もいろいろありました・・・・・・。
伯父さんの七回忌法事旅行
東日本大震災
上の子初めての宿泊学習
下の子突発性難聴で緊急入院
ドリー、ハチに刺される
TDLこども料金半額のためパークイン
熱海旅行
台風で停電、4時間電気、水のない時間を体験
ドリー、保育士資格受験を決意
父ちゃん、無呼吸睡眠の診察をようやく決意、そして治療
やっぱりなかでも震災でしょうね。この震災は本当にいろいろ考えさせられ、教訓にもなりました。
ファミレスで被災、店員の指示は一切なく、自力で避難してちゃんと会計を済ませ急いで家に。
おかげさまで物が落ちたくらいで済みました。実家のじじにも奇跡的に電話がすぐ通じ、無事を確認。
そして学校に。こどもたちはすでに校庭に避難していました。
しかし、ここまで30分あまり。学校も校庭に避難させるまでスムーズにはいかなかったそう。
ここが訓練とは違うところ。そうなんです、余震があまりにも頻繁で、どのタイミングで避難するかがかなり難しかったようです。この余震に関しても恐らくどの大地震も一緒というわけでもないので、その時々の地震で判断していくしかないでしょう。でも、あれだけ大きな地震だと、余震もかなりの回数で襲ってくることはよくわかりました。
そして家に帰り、テレビつけるとさらに恐ろしい光景が。津波がいまにも飲み込みそうなシーンを流してました。
あの時は
「あの映像をみているなら、きっとあの町の人は逃げている」
と単純に思ってたのを覚えてます。
が、被災地はライフラインは全滅、携帯もアウト、唯一ラジオを持っていた人は受信できていたそうですが、「津波が近づいてきます、避難してください」と聞こえてもなかなか動く人はいなかったそう。
あの映像が届いていたら・・・・・・。一番見て欲しい人々に届いていなかったんですね。
そんな映像を見ながら余震が続く夜・・・・。子供たちに不安を与えてはと、時にはおかしなことをしてみたりと必死でした。私が守らなくてはと。
14日は休校と思いきや、普通どおり登校。余震との戦いでした。
ガソリン不足、電池、水の買い占め問題、いけないこととわかっていても、その時は誰もが必死だったんですよね。あの時はこの余震も永遠に続くと感じたしなあ。
これも経験、買い物していなくても、なんとかなる。だから今、何でもない時の備蓄の大切さはよくわかりました。
計画停電もありました。我が家はまぬがれましたが、急に暗くなると子供たちが怖いと思い、あらかじめ電気を消して過ごしました。
電気に関しては、実際台風で4時間停電したので、このマンションは停電だと水もでないことがはっきりしました。我が家は浄水器の家でしたが、水も買うことにしました。
こういう振り返りかたは、この震災で亡くなられた家族の方々には不謹慎なことなのかもしれませんが、私はこの震災でいろいろ学びました。そして地震大国で生きることの覚悟もできました。
よく地震予知なんていうとなまずが思い出されますが、このなまず、ほとんど地震を感じないとか。
かつて大地震が起こった時に、なんとかこの不安を何かに当たろうと考えてでてきたのがどうやらなまずのようで、なまずのせいにすることで人々の不安をやわらげていた、そしてなまずさえおさまえればなんとかなると、希望を見出すことができた・・・・苦肉の策だったようなのです。
その昔の人々の想い、ものすごくよくわかりました。
今、保育士資格の勉強をしていると、日本の教育の歴史がよくでてきます。社会福祉、児童福祉が生まれたきっかけがこういった大地震、大飢饉といった自然災害がほとんどです。そういった危機に対し、その時の政府が編み出した政策が今日につながっていたのです。
みなさんはもうわかっていたと思いますが、私はこの勉強を通して知ることができました。
日本はこんな文明社会にならないうちから、何度も何度も大地震に遭い、家や家族を失ってきました。でも何度も何度も立ち直ってきたのです。
原発の初動対策の不備やこれからの復興対策にも不安は残りますが、私たちのできることを確実にやっていけば、また道は開けると信じられるようになりました。
今ソフトバンクのCMで
「壁を乗り越えるのが楽しい、どう壊してやろうか、どんな色でぬってやろうか、努力って楽しい」
といってました。
こういった考え方になるまではかなりの時間はかかりますが、私もこんな風に心を鍛えたい・・・。
今年は本当に勉強になった年。
これをどう生かすかで、今後の人生変わってくる気がします。
ドリーはいつどんなことがあっても後悔しないように、毎日を楽しく、懸命に生きたいと思います。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
では、良いお年を・・・・。そして
来年もよろしくお願いいたします


今日は実家に子供たちを置いてまた戻ってきました。ひとりぼっちの年越しです。
父ちゃんが心療内科にかかってて、ちょいと精神状態が心配なもので・・・。
こういう年越しなんかはひとりぽっちは厳しいのかと。
今年はドリー家もいろいろありました・・・・・・。
伯父さんの七回忌法事旅行
東日本大震災
上の子初めての宿泊学習
下の子突発性難聴で緊急入院
ドリー、ハチに刺される
TDLこども料金半額のためパークイン
熱海旅行
台風で停電、4時間電気、水のない時間を体験
ドリー、保育士資格受験を決意
父ちゃん、無呼吸睡眠の診察をようやく決意、そして治療
やっぱりなかでも震災でしょうね。この震災は本当にいろいろ考えさせられ、教訓にもなりました。
ファミレスで被災、店員の指示は一切なく、自力で避難してちゃんと会計を済ませ急いで家に。
おかげさまで物が落ちたくらいで済みました。実家のじじにも奇跡的に電話がすぐ通じ、無事を確認。
そして学校に。こどもたちはすでに校庭に避難していました。
しかし、ここまで30分あまり。学校も校庭に避難させるまでスムーズにはいかなかったそう。
ここが訓練とは違うところ。そうなんです、余震があまりにも頻繁で、どのタイミングで避難するかがかなり難しかったようです。この余震に関しても恐らくどの大地震も一緒というわけでもないので、その時々の地震で判断していくしかないでしょう。でも、あれだけ大きな地震だと、余震もかなりの回数で襲ってくることはよくわかりました。
そして家に帰り、テレビつけるとさらに恐ろしい光景が。津波がいまにも飲み込みそうなシーンを流してました。
あの時は
「あの映像をみているなら、きっとあの町の人は逃げている」
と単純に思ってたのを覚えてます。
が、被災地はライフラインは全滅、携帯もアウト、唯一ラジオを持っていた人は受信できていたそうですが、「津波が近づいてきます、避難してください」と聞こえてもなかなか動く人はいなかったそう。
あの映像が届いていたら・・・・・・。一番見て欲しい人々に届いていなかったんですね。
そんな映像を見ながら余震が続く夜・・・・。子供たちに不安を与えてはと、時にはおかしなことをしてみたりと必死でした。私が守らなくてはと。
14日は休校と思いきや、普通どおり登校。余震との戦いでした。
ガソリン不足、電池、水の買い占め問題、いけないこととわかっていても、その時は誰もが必死だったんですよね。あの時はこの余震も永遠に続くと感じたしなあ。
これも経験、買い物していなくても、なんとかなる。だから今、何でもない時の備蓄の大切さはよくわかりました。
計画停電もありました。我が家はまぬがれましたが、急に暗くなると子供たちが怖いと思い、あらかじめ電気を消して過ごしました。
電気に関しては、実際台風で4時間停電したので、このマンションは停電だと水もでないことがはっきりしました。我が家は浄水器の家でしたが、水も買うことにしました。
こういう振り返りかたは、この震災で亡くなられた家族の方々には不謹慎なことなのかもしれませんが、私はこの震災でいろいろ学びました。そして地震大国で生きることの覚悟もできました。
よく地震予知なんていうとなまずが思い出されますが、このなまず、ほとんど地震を感じないとか。
かつて大地震が起こった時に、なんとかこの不安を何かに当たろうと考えてでてきたのがどうやらなまずのようで、なまずのせいにすることで人々の不安をやわらげていた、そしてなまずさえおさまえればなんとかなると、希望を見出すことができた・・・・苦肉の策だったようなのです。
その昔の人々の想い、ものすごくよくわかりました。
今、保育士資格の勉強をしていると、日本の教育の歴史がよくでてきます。社会福祉、児童福祉が生まれたきっかけがこういった大地震、大飢饉といった自然災害がほとんどです。そういった危機に対し、その時の政府が編み出した政策が今日につながっていたのです。
みなさんはもうわかっていたと思いますが、私はこの勉強を通して知ることができました。
日本はこんな文明社会にならないうちから、何度も何度も大地震に遭い、家や家族を失ってきました。でも何度も何度も立ち直ってきたのです。
原発の初動対策の不備やこれからの復興対策にも不安は残りますが、私たちのできることを確実にやっていけば、また道は開けると信じられるようになりました。
今ソフトバンクのCMで
「壁を乗り越えるのが楽しい、どう壊してやろうか、どんな色でぬってやろうか、努力って楽しい」
といってました。
こういった考え方になるまではかなりの時間はかかりますが、私もこんな風に心を鍛えたい・・・。
今年は本当に勉強になった年。
これをどう生かすかで、今後の人生変わってくる気がします。
ドリーはいつどんなことがあっても後悔しないように、毎日を楽しく、懸命に生きたいと思います。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
では、良いお年を・・・・。そして
来年もよろしくお願いいたします


