寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

宮崎駿の問題発言、、(体調不良の為、今回でまた更新が止めるかと思いますので。よろしく。。。)

 

 

今日の一曲【Le Grisbi】(グリスビーのブルース)Tokunaga Soundを駆使しながら71才のオールラウンドなハーモニカ吹きが吹いてみた。

 

 

今日は訪問看護師さんが来た。私はドアの鍵を開けてうたた寝をして居た。最近よくするんですよね。特に訪問看護師とかヘルパーさんが来る時に、何故なら起きて居られないから。まあ、危ないと言ったら危ないですが。だから来る30分前ぐらい前に鍵を開けて置きます。私は2度も空き巣に入られて居ますから。でもね、鍵変えてから一度もモノがなくなる事が無くなったのですよね。私が世話になって居る美容院の店長の美容師さんが私に前に言いましたよ「最近モノ無くなりませんか?」と。だから「いや、それがぴったり無くなったんですよ」と言ったら言われました「合鍵持って居たんですよ、きっと。」私もそう思いますよ。多分私の所に来て居る業者の誰かでしょうね。前に「さてと明後日出かけるかな?」と言ったら「何時から何時まで」と聞かれた事がよくあったんですよね。私は「此の人変なこと聞くよな?」と思いましたけどね。だって盗られるモノがさとうのご飯だったり。食パンだったり、、変でしょ?。明らかに女性ですよね。此間テレビでやって居たけど。ヘルパーに盗まれて居た事があった人が居て。カメラに映像が写って居ましたよ。

その人は全身麻痺の障害者で、見廻りに来て居る妹さんが、よく買い溜めて置く洗剤とか矢張りサトウのご飯が、無くなると思いカメラを設置して居たのですよね。40代のヘルパーが盗んで居ました。でもその人を訴えられないんだそうです。そこの事業所を辞めたらどこが見てくれるのか心配で・・・。テレビのコメンティターは、此れは氷山の一角ですねと言って居ましたよ。処で最近、私が訪問看護師とヘルパーの悪口を書かないでしょう?そうなんですよね。要約、人の事を面と向かって言ったり嫌な態度を見せるのを辞めたんですよ。まあ、猫被って居るのかも知れないけど。私はそれで満足ですから。ごく普通にしてくれたら。それで文句は何もありませんから。今日は、自立支援の更新書類を訪問看護師さんに書いて貰ったのですが。彼女もよく解らなくて。ケアマネージャーに連絡入れて聞いて、私も署名と住所書き込んで要約書き上げました。送り返す封筒に入れたのですが、なんと切手が必要で。普通はこう言った書類を送り返す時用の封筒は料金は役所持ちになって居るのですけどね。それでコンビニで切手を購入して外で貼り付けてポストに出して来ました。それで昼また外食を食べようかとも思ったんですけど。オリジン弁当のシャケおにぎり4つとアジフライ2尾買ってきて半分食べました。残りは今日の夜にします。金かけられませんからね。それだけで1千円ぐらいですから、安く上がりました。オリジンのおにぎりってボリュームあるの知って居ますか?食べでがありますよ。そんなことです......。皆さんコメント気軽に宜しくね。宜しくお願い致します。。。。

 

 

 

 

 

 

【サクラ大戦】歴代「檄!帝国華撃団」を繋いで1曲にしてみた 。アニソンだとバカにしないで聴いて見て下さいね。どの曲もいい曲ですから。

 

 

 

皆さんは宮崎駿監督はいい人だと思って居るでしょう???でも彼は問題発言を繰り返す人だったんですよ。まぁ、一番有名な話は、同じ映画監督の押井守と犬の餌の事で言い合いになって、宮崎さんが「うちの犬は味噌汁ぶっかけご飯だ!!」と言った処。犬オタクの愛犬家の押井さんから「それじゃあ、栄養が取れないよ。ちゃんとしたカロリーと、栄養のバランスのいいドック・フードぐらい食べさせなきゃ」と言ったら怒りまくって。「押井さんの飼い犬がさ、家の中でクソ垂れ流して後始末に追われる彼を見て居てざまみやがれと思うよ」だとか、、今から15年ぐらい前に、老人ホームで虫の息の老人を見て居て「ジジイがさぁ。くたばりそうで、くたばらなくて。口ふがふがして居るのを見て居ると、さっさと死ねばいいのにと思う」だとか。本当に問題発言をして居るんですよね。それから、前に言ったけど彼は小学生が好きで、「電車に乗って居たら。小学校6年生ぐらいの女の子が座って居て、カッコイイなぁと思い見つめて居たら。その子が自分の事を見始めたので、やばいと思って目を逸らした」とか言って居て。何せ彼には6人の小学生の女の子のガールフレンドが居るそうで、彼女らを連れて、山小屋に泊まりに行くとか言って居るんですよね。危ない爺様でしょ。だから何時も彼は奥さんから「あなたは女の子が大好きなんでしょ!!」と皮肉を言われて居ると本人がそう語って居ましたからね。

まあ、確かに押井さんは宮崎さんの事をマルキストだとか、スタジオジブリはクレムリンだとか言って居ましたから。お互い様なんだろうけど。世間で言う宮崎駿像は虚像ですからね。今は本当の最後の作品を創って居るとかで、その事は何も聞こえて来ないけど。息子の宮崎吾朗さんが3Dアニメ創ったでしょう、此間。彼ももう、一人前の監督として活動して居ますから。ただ宮崎さんも認めて居ない様だけども、あれ、最近はそうでも無いのかな、、私は宮崎吾朗が作るアニメはどれも面白いとは思わないですよ。大体が「ゲド戦記」も「コクリコ坂から」も親父の影響下にあるし、特に「コクリコ坂から」は宮崎駿がイメージ・ボード描いてやって、それ参考にして創って居ましたからね。彼は青少年向けの話はどうも駄目見たいですね。だから最近作の「アーヤと魔女」でしたっけ。あれが評判いい見たいですけどね。

彼の事を知らない人も居るかと思うので、彼に付いて書いて於きますね。彼は三鷹の森ジブリ美術館の建設に尽力し、開館後の01年10月から05年6月まで初代館長として運営にあたりました。05年の「愛・地球博」ではパビリオン「サツキとメイの家」の建設の指揮を執り、「となりのトトロ」で主人公が暮らした家を再現。06年、SF作家アーシュラ・K・ル=グウィンによるファンタジー文学「ゲド戦記」の映画化に際し、父の反対を押し切り監督デビューを果たす。同作は610万人を動員し、興行収入は76.5億円で同年の邦画興行第1位を記録しました。11年、講談社「なかよし」で80年に連載されて居た「コクリコ坂から」のアニメ映画化で5年ぶりに監督を務める。05年に第55回芸術選奨文部科学大臣新人賞の芸術親交部門を受賞。

然しながら、私はこう言ったジブリ路線よりも、哲学的な路線で突っ走る押井守の方が好きですね。彼の事を書いて於ますね。映画監督・アニメーション演出家・小説家・脚本家・漫画原作者・劇作家・ゲームクリエーター。東京大学大学院特任教授、東京経済大学客任教授などとしても活動して居る。2021年時点は静岡県熱海市在住。押井守氏はTV番組の製作会社、ラジオ番組のディレクターを経て、1977年タツノコプロへ。アニメの演出家となり、特に、TV『うる星やつら』(1981〜1986)で異才ぶりを発揮。同作の劇場版で監督デビュー、とくに「うる星やつら2/ビューティフル・ドリーマー」(1984)は高い評価を得た。1987年、「紅い眼鏡」で実写監督としてもデビュー。1995年の「GHOST IN THE SHELL・攻殻機動隊」はあの「マトリックス」に影響を与えた事も有名。以下、彼の作品群です。そんなに多産家では無いです、、

 

押井守

 

ただ言えるのは宮崎さんも押井さんも高学歴だと言う事です。宮崎さんは学習院大学出身だし。押井さんは東京藝大出身です。私は思うのですが映像作家は頭が無いと行けないですよね。勝手、ベテランのりんたろう監督(銀河鉄道999)が押井さんに、映画作りに参加して協力してくれと頼み込んだそうです。押井さんは丁重に断ったそうですが。あの時代、誰でもが破竹の勢いの押井守の跡を追おうと一生懸命でした。宮崎さんを除いて。宮崎駿作品と押井守作品とは相容れないものだったんですよね。それなのに2000年代は此の2人が2人揃って、ベネチア映画祭。カンヌ映画祭。ベルリン映画祭と引っ張りだこでした。だからお互いに嫌になって居た事でしょうね。でも世の中の人は難解な押井守監督作品より爽快で明朗な宮崎駿監督作品を好みました。

だから、押井守は宮崎駿の影に隠れてしまい。本当のアニメを好きな人達にしか彼の作品は見られて居ませんね。然し最近ではジブリの社長の鈴木敏夫がアニメーターを大量解雇したりして、ジブリも左前です。何しろ鈴木敏夫に言わせるとアニメを創ると赤字になると言うのですよね。勝手のスタジオ・ジブリの神通力はもう通用しません。それに時代が変わった。宮崎さんの創るアニメはもう古いのですよね。押井さんの立ち位置はまだ通用するとは思いますが、彼ももう70歳です。今は「聲の形」「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の京アニとか、他の新しいアニメーション・スタジオが威勢がいいですね。作品は今風だけども素晴らしい映画を撮って居ます。それと最近は昔のアニメのリバイバル上映。リメイクが目立ちますね。りんたろう監督作品「銀河鉄道999」や押井守監督作品「イノセンス」のリバイバル上映とか。リメイクは何と言っても「宇宙戦艦ヤマト」の新解釈のアニメでしょうね。今の20代の子たちは1990年代とか2000年代のアニメですら、知りませんから。ましてや、「銀河鉄道999」なんて1970年代の作品ですからね。知り様はずもありませんよね。。。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

 

下は押井守作品アニメの予告編です。。。

イノセンス 育児と人形遊び

Jin-Roh: Riot/Incident in the Sewers

Ghost in the Shell montage sequence HD 1080p

うる星やつら オンリー・ユー 予告編

機動警察パトレイバー the Movie 予告篇

『機動警察パトレイバー2 the Movie 4DX』予告編

押井守監督作品「立喰師列伝」 予告編

御先祖様万々歳予告編

 

押井守、実写映画、、

【高音質ステレオ音源】 紅い眼鏡 予告編 【川井憲次】

Stray Dog Kerberos Panzer Cops Trailer ケルベロス ~地獄の番犬 予告編

押井守×清野菜名!映画『東京無国籍少女』予告編

 

 

 

特別映像。。The Red Spectacles (Mamoru Oshii 1987 ENGLISH SUBS)

 

 

 

宮崎駿について一言、、

「着眼点はいいんです。目をひくビジュアルや深遠なテーマについて語られることが多い宮崎さんの「シネアスト」(訳すなら「映画演出家」)の側面、すなわち「編集・カメラワーク・フレーミング・構図・音声と画面の関係など」。「彼の芸術の本質」は「想像的なものと高畑のそばで練りあげられた映画的リアリズムとの思いがけない出会い」であり、「そこに特異で奇異なポエジー、ある種の『驚異における自然なもの』の表現が現出する」。

「リアリズムと驚異を混ぜあわせる個人的なポエジー」とも言えると思いますが、私流に砕いて言うと、「あり得ないことを本当らしく見せるマジック」、逆の言い方なら「現実味を帯びていたところに非現実をぶっ込む荒技」でしょうか。

「塔の頂に囚(とら)われているラナを救出しようとするコナン」(未来少年コナン)や「城の壁を苦労してよじのぼるルパン」(ルパン三世 カリオストロの城)、「人物がほんとうに落ちそうになる挿話を通して空間の実在感を捉えることから始め」「ついにはほんとうに度はずれな軽業にいたる」」(談)押井守、、

「なーんだ、『前略 宮崎駿様』か」と思った方は多いでしょう。1984年刊アニメージュ文庫「風の谷のナウシカ 絵コンテ2」巻末の、押井守さんによる有名な宮崎批判です。ラナを抱えて塔から飛び降りたコナンのシーンを引き、リアリズムで演出しておいて土壇場でデタラメな「漫画映画」に持ち込む宮崎さんのやり方は「劇(ドラマ)」を遠ざけ「映画映画としての訴求力」を失わせるものだ、と指摘します。幾ら本当らしく見せても度の過ぎたウソは興ざめだよ、ってことですね。

 

Nishida Kitaro

最近に成ってから、西田幾多郎の本を読み始めた。前から興味はあったのだけども.....

日本最初の哲学書と言われる「善の研究」の執筆者で近代日本を代表する哲学者、西田幾多郎。強靱な思索力で意識を深く掘りさげ、心の最深部にある真実の心は何かを探求し、独自の哲学大系を構築した。若い時は肉親の死 、学歴での差別( 東京大学における選科への待遇 )妻との一度の離縁など 、多くの苦難を味わった 。そのためか大学を出た後は故郷に戻って中学の教師となり 、同時に思索に耽った 。その頃の考えが温まって、最も著名な著書『 善の研究 ( 弘道館 、1911年1月 )に繋がったと言う。

最晩年に示された「 絶対矛盾的自己同一 」 は 哲学用語と言うより宗教用語のように崇められたり 、 逆に厳しく批判されたりした 。 その要旨は「 過去と未来とが現在において互いに否定しあいながらも結びついて 、現在から現在へと働いていく 」あるいは 、鈴木大拙 の「 即非の論理 」(「 A は非Aであり 、それによってまさにA である 」と言う 金剛経に通底する思想 )を 西洋哲学の中で捉え直した「 場所的論理 (「自己は自己を否定するところにおいて真の自己である 」)とも言われている 。そこには行動と思想とが言語道断で不可分だった西田哲学の真髄が現れて居る 。

論文 『 場所的論理と宗教的世界観 』で 西田は「 宗教は心霊上の事実である 。 哲学者が自己の体系の上から宗教を捏造すべきではない 。 哲学者はこの心霊上の事実を説明しなければならない 。」と記してい居る。

何だかセーレン・キルケゴールと似ている様な感じがする。

 

私が好きで応援して居る青木志貴ちゃん。彼女は声優でモデルでYouTuberです。皆さんも応援して下さいね。なんか酔ってるね、志貴ちゃん........。(๑>◡<๑)

【写真特集 9/12枚】青木志貴の魔王式随想:ボクは“タバスコジャンキー” - MANTANWEB(まんたんウェブ)

 
 
 

 

 昔、若松孝二監督が言って居たけど、、漫画家の赤塚不二夫さんは実にいい人だと言って居た、そうそうタモリも同じ様な事を言って居たっけ、二人とも言う事は赤塚さんは善人だったと言う事だ。例えば新宿に「思い出横丁」と言う処がある。此処は勝手「ションベン横丁」と呼ばれて居た。1960年代そこには芸術家やら映画監督や俳優、ミュージシャンと言った文化人たちが集まって居た。そこで映画監督の若松孝二は良く酒を飲んで居たそうだ。そこには赤塚不二夫も良く来て居たらしい。或る晩、若松監督は酔った勢いもあって赤塚さんに、「唐十郎がさあ、自分の芝居小屋であるテントが無いと言ってるんだけど、赤塚さん費用出して挙げたら」と言ったそうだ。すると赤塚不二夫はその時はちゃんとした事は言わなかった見たいだけど。それから1週間程して300万の金を持って唐十郎の居場所を探したらしい。そしてその日は大雨が降って居るのにも関わらずに、その飲み屋に居た唐十郎に300万円を挙げて帰って行ったそうだ。生前、若松監督は「赤塚さんの前ではちゃんとしなくては成らないと思いましたよ。彼に誘われたら、どんな事があっても付き合いますよ」と言って居た。またタモリは、自分がまだ全然売れて居なかった頃、クラブで「4カ国語麻雀」と言う話をして居たら赤塚さんが来て「タモリ!お前は面白い。今日から俺のマンションで暮らせ!!」と自分が住んで居たマンションを家具や衣類ごと私にくれたと言って居た。赤塚さんは太っ腹だったのだ。赤塚不二夫は言う「自分は最低なバカだと思って居ればいいんだよ。そうすれば色々学べるし利巧にもなるから」と言って居た。また俳優の高倉健は何時も撮影の時に携帯ポットの魔法瓶に美味しいコーヒーを入れて持って来ては、役者に留まらず、照明係や、メイク係にまで飲ませたらしいです。

大物になる人は、持ち合わせた能力を生かしながら、要領を得た行動パターンや習慣を日々実行して居ます。大物になる人に共通する特徴があります。それは生まれながらにして物怖じせず、どんな時にも堂々として居るのが、大物になる人の特徴のひとつです。相手の年齢や性別に関係なく、誰とでも自然と打ち解けられ、人からのサポートを受けやすい人徳も兼ね備えて居ます。自らの意思によって一度やると決めた事は、最後までやり抜く根気の良さと責任感があります。大物になる人は、絶対に軽はずみな返事をする事はなく、自信を持って責任が持てる範囲内で、最善を尽くすように心がけて居ます。まさに有言実行を体現できる人です、そしてちょっとした変化も見落とす事が無い程の優れた洞察力を持って居ます。自分の周囲の人々の動きや考えなどにも気を配り、自分自身がなすべき事を的確に見極めて行動を起こす事が出来ます。わずかな兆候や変化を読み取り、一を聞いて十を知る事が出来る能力にも長けて居ます。

大物になる人は、他の人と同じ事をして居ては、何事も成功する事は無いと考え、自分なりの直観や五感を生かして、日々新たな挑戦を繰り返して居ます。失敗は成功の元である事を信じ、あらゆる経験を糧として、将来に活かして行く事が出来る能力の持ち主です。また様々な方向から物事を捉える事が出来、ひとつの固定観念に囚われる事はありません。

状況を一瞬にして把握し、機転を利かせる事も得意として居ます。迅速に対応する事で、人生の中で一度きりしか無い様なチャンスを確実に掴んで行きます。自分にとって、直接的または間接的に縁がある人に対しては、何時も細やかな配慮を忘れないのが、大物になる人の共通の特徴です。ねぎらいの言葉や感謝の言葉を惜しみなく相手に伝え、良好な人間関係を着実に築いて行く事が出来ます。大物になる人は、一瞬たりとも時間を無駄にする事は無く、人の時間も同じように大切にして居ます。常に、予定より早めの行動を心がけ、関係するすべての人々に対して誠意を尽くして居ます。ただし、相手が予定時刻より遅れた場合には、寛容になる事も忘れません。もともと人を惹きつける魅力にあふれ、人望が厚い為、おのずと交友関係も広がって行きます。

「類は友を呼ぶ」とのことわざにある通り、将来にわたって財産だと感じられるような素晴らしい人のネットワークが形成されて行くのです。大物になる人は、子どもの頃からお世話になった人々や、一度でも助けて貰った人の事は決して忘れません。

相手によっては、節目での挨拶に訪れたり、家族ぐるみの付き合いをしたりと、人から頂いた恩に報いる行動を習慣として居ます。大物になる人は、いざと言う時の迅速な判断が出来、大きな決断をもあっさりとこなして仕舞う程の潔い部分を兼ね備えて居ます。決断を先に延ばす事が適切かどうかを迅速に見極める能力は、普段からの地道な努力と緻密な情報収集によって培われて居ます。大物になる人は、もともとの性格や特技を最大限に生かし、たゆまない努力を繰り返して居ます。さらに、人間的な魅力にもあふれており、沢山の人から支持される愛すべき存在でもあります。あなたも自分の長所を生かして、様々な事にチャレンジする事から始めて見ませんか。お互いに大物になりたいですね、、私は無理そうだけども......。

〜若松孝二〜

宮城県出身。農業高校二年時中退、家出し上京。職人見習いや新聞配達、ヤクザの下働きなどを経験。1957年、チンピラ同士のいざこざから逮捕され、半年間、留置場に拘束され執行猶予付の判決を受ける。その時の経験により後に監督デビュー作の『甘い罠』は“警官を殺すために映画監督になった”と豪語した通りに警官殺しの映画になって居る。

その後、職を転々としテレビ映画の助監督になる。ある現場でシナリオの改変に腹を立ててプロヂューサーを殴り、その場でクビになる。その後ピンク映画の企画が巡って来た事が転機となり、1963年にピンク映画『甘い罠』で映画監督としてデビュー。低予算ながらもピンク映画としては異例の集客力を見せた。若松は「ピンク映画の黒澤明」などと形容され、ヒット作を量産する。若松孝二の映画作りの原点は“怒り”であり反体制の視点から描く手法は当時の若者たちから圧倒的に支持される。1965年『壁の中の秘事』が日本映画制作者連盟推薦の大映作品などを差し置いてベルリン国際映画祭正式上映作品となり、評論家による「国辱」発言などもあってセンセーショナルな騒動となった事から、若松の名前はピンク映画業界を超えて一般に広く知れ渡った。

1965年「若松プロダクション」を創設、足立正生や大和屋笠などの人材が集まる。作品は学生運動を行って居た若者たちなどから支持を受けたが、若松自身は「学生運動を支持するために映画を作ったことはなかった」と語って居る。自分自身が面白いと思った映画を撮って居るとの事。のちに『実録連合赤軍。浅間山荘への道程』を撮影した時は、前売り券の購入を昔の学生運動家に頼んだものの全く買ってくれなかったと言う。

時に役者として出演する事もある。また、名古屋のミニシアター「シネマスコーレ」を自ら経営。

連合赤軍をテーマにした作品『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2007年)は、2007年8月の湯布院映画祭にて「特別試写作品」として上映。2007年10月には、第20回東京国際映画祭にて「日本映画・ある視点 作品賞」を受賞した。同年12月に、若松が設立した映画館シネマスコーレで公開され、2008年3月から全国で公開された。2008年2月に開催の第58回ベルリン国際映画祭において最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)と国際芸術映画評論連盟賞(CICAE賞)を受賞。第63回毎日映画コンクールで監督賞、第18回日本映画批評家大賞で作品賞を受賞した。ロングラン上映後、DVDが発売された。2007年度宮城県芸術選奨(メディア芸術部門)を受賞。

2010年は、寺島しのぶ主演『キャタピラー』(8月14日より全国各地の映画祭などで上映)を公開。撮影期間は12日間、スタッフ数は11人。日本での公開を前に、2010年2月20日、主演の寺島がベルリン国際映画祭の主演女優賞を受賞した。観客は「戦争がただの殺し合いでしかない現実」と、「生の根源であるセックス」に引き込まれて居たと言う。国内では11月に第2回TAMA映画賞特別賞を受賞。12月には新藤兼人賞・SARVH賞2010の最優秀プロデューサー賞である「SARVH賞」を受賞した。授賞式で「尊敬する新藤監督とこのような形でお会いする事が出来て、本当にうれしい。これからも自分の映画を撮れるように頑張ります」と述べた。

2012年には三島由紀夫(三島事件)をテーマとして、楯の会結成(1968年)から自決までを描く『11、25自決の日、三島由紀夫と若者たち』、続けて船戸与一原作の『海燕ホテルブルー』を制作。また同年には中上健次原作、寺島しのぶ主演で『千年の愉楽』を制作し、2013年春の公開を控えて居た。

2012年10月12日午後10時15分ごろ、東京都新宿区内藤町の横断歩道のない都道を横断中、左から来たタクシーにはねられて腰などを強く打った。当初の報道では命に別状はないとされて居たが、実際には病院搬送時から意識不明の状態が続いており17日午後11時5分、入院先の病院で死去した。76歳没。

 

 

 

『キャタピラー CATERPILLAR』若松孝二監督インタビュー3

激報!日本映画を撃ちぬいた猛毒、牙、才能。 若松孝二復刻シリーズ開始!

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」予告編

『キャタピラー CATERPILLAR』 予告編

「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」予告編 若松孝二監督作品

 

〜赤塚不二夫〜

小学6年生の時、手塚治虫の『ロストワールド』に大いなるショックを受け、漫画家を志す。上京後は東京で工員などをしながら漫画修業にはげみ、つげ義春の推薦で曙出版から上梓した貸本漫画『嵐を超えて』で1959年にデビュー。

その後、赤塚よりも3歳年下の石ノ森章太郎を慕い、トキワ荘に入居。以後作品発表の舞台を漫画雑誌に移し、1962年に『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』の大ヒットで一躍人気作家となる。1969に代表作である『天才バカボン』の爆発的ヒットと、その後の『もーれつア太郎』『レッツラゴン』『ギャグゲリラ』といった一連のヒット作や長期連載作品等により「ギャグ漫画の王様」 と謳われ、戦後ギャグ漫画史の礎を築いた。

 
 
赤塚不二夫とトンデモない仲間達!!
 
 
映画『マンガを はみだした男~赤塚不二夫~』予告編
 
 
 〜タモリ〜
 
説明は要らない人・・・・・・ 

タモリ、四国語麻雀、コミュニケーションの打破。

タモリ これは笑う!伝説のベッドシーン3連発&おまけ

弔辞 ( ノーカット版 )
 
 
 
新宿『ションベン横丁』と呼ばれた新宿西口商店街!!

新宿は西口にある新宿西口商店街、通称『思い出横丁』かつては『ションベン横丁』『焼き鳥横丁』と呼ばれ、酔っ払いばかりが集まる街として若い女性には敬遠されて居ましたが、今では若い女性のみならず外国人にも人気のスポットとなって居ます。

新宿西口商店街

思い出横丁入口

思い出横丁入口

 
新宿西口商店街は東京都新宿区西新宿1丁目にある商店街の事で、今では『思い出横丁』と看板もありますが、以前は『やきとり横丁』のほか、『ションベン横丁』と呼ばれて居ました。昔は、そこらじゅうで酔っ払いが立ち小便をする事から、そう呼ばれて居ました。私は今でも『ションベン横丁』と呼んで居ます。

 

歴史は古く

昭和46年当時の思い出横丁

昭和46年当時の思い出横丁

 
空襲の跡がまだ生々しい1946年(昭和21年)頃に出来た闇市にそのルーツを持ち。かつては小田急百貨店新宿店まで広がり、300軒ほどの店舗が立ち並んで居たと言われて居ます。やきとり屋やもつ焼き屋や定食屋が多く。中に入ると、昭和を思わせる小規模な飲食店が所狭しと並んで居ます。

 

 (1968293)

 

 
小さい箱(お店)が所狭しと軒を連ねて、祭り好きには縁日などの、
やっちゃ場(居酒屋)的な感じがして、たまらない場所です。
 
 
 
 
ギャング (1968571)

 

 

 

下は所有して居る書籍の一部です。。。 

 

 

 

 

 

今回も新しい文と過去記事からの抜粋でお送りしました。押井守の事は解ったと思います。私は宮崎駿は嫌いじゃないですよ。「風の谷のナウシカ」とか「もののけ姫ができるまで」のDVDを所有して居るぐらいですから。ただあの人は結構無茶な発言をするんですよね。押井さんと宮崎さんはでも友人なんですよ。だから相手が本当に困って居る時には助け舟を出します。まあ、喧嘩友達でしょうか。それでは、暫くまた更新が出来ません。また更新出来たらお逢いしましょうね。よろしく、、♪( ´▽`)

コメント一覧

kiyasume
まかろんさん、返信の書き込みをどうも有難う御座いました、、
私は今まで寝て居ました。今ベネッセの弁当を食べた処です。

宅配弁当です。私が今から3年前に極度の貧血になってしまい、
その時にヘルパーの女の子から勧められました・・・・・・。

一番栄養が偏って居ないそうです・・・・・・・・。

3年前は血が何でこんなに不足して居るんだと?、、
病院の、医師でさえ首捻って居たぐらいの貧血に陥りました。

まあ、食べて居たのはキムチに納豆そしてサトウのご飯だけで
したから、当時は、まだ炊飯器を購入して居ませんでした・・・・・・。
最近ですよ。炊飯器購入したのは、Amazonで7千幾らの物を購入
しました。ところで、話は変わりますが、、記事で宮崎駿の悪口
書いて居て何だとお思いになられるかとも思いますが、、

彼の日記を書籍にしたものが売っています、、

「出発点」と言う本です。1979〜1996年までの
彼の言わば下積み生活と言いましょうか。、高畑勲と関わった
「アルプスの少女ハイジ」での制作現場の裏側やら、、

彼の初期作品群の裏方を書いて居る本です。。。
はっきり言って、私は宮崎さんのアニメは余り好きではありませんが、、
制作現場で頑張って居るアニメーターたちの苦労話には泣けました。

もし、よかったら、図書館ででもいいので一度読んで見て下さいね。
女性のアニメーターがエアコンも無いスタジオで、頑張って居て。
宮崎さんが訪れると紅茶にクッキーを出してくれたそうです。

彼はその女性に好意を持って居ましたが、何と入院になってしまい、
宮崎さんは東映スタジオのお偉方と喧嘩をしてエアコンを入れて
あげたそうです。まあ、書いて居ると長くなりますので、、

アニメーターの苦労話が沢山聞けますよ。。。。

そんな事でまたまた本の押し売りでした、、
また来て下さいね。宜しく・・・・・・。(๑>◡<๑)
macaronteaparty
kiyasumeさん、
お忙しいところ、ありがとうございます🌸

教えてくださったサイトの、

>学者として以前に一人の「人間」としてどのように生きてきて、生きてゆく中でどのような問題にぶつかっていたのか、というところに立ち戻って、

>過去の哲学・思想を学ぶことは、現在「あたりまえ」とされている《ものの見方》とはちがった多くの《ものの見方》を学ぶことです。

にとても共感しました。
私は哲学そのもので追求をしたいとはあまり思わない者ですが、
哲学・宗教は本来、これを忘れてはならないのではと思ったりします。


>西洋哲学は、ある事象に付いて思考を巡らせて体系化したもので、
>日本哲学とは、人間関係の在り方に付いて思考を巡らせて、体系化したものと言えると思います。
>此のある事象と人間関係と言う点が異なると思いますよ、、

よく知らないと言いつつ、やっぱりお詳しいですね!!
やっぱり日本では人間関係、というのが大きいということなのでしょうか。

「自分」というものは、他所からの規定で造られるものですが
西洋は絶対的な「神」がある、
一方で日本は絶対神などないから、人の顔色が西洋より大切になる・・?
(人の顔色が大切でない人間社会など、ないとは思いますが😅)


ごめんなさい、戯言です。
お勧めされた本も、あとでAmazonを調べてみます。

よく知らないと言いつつ、
意見や本が、さらさらと出てくるのがすごいなと思いました👏
お手間をとらせたのではなければいいのですが。

ラジカセを買われたのですね。
楽しい週末をお過ごしください🤗🌸
kiyasume
今日は先ほど起きましたが、、、
頭がまだ痺れて居ます。先ほど購入した、、
ラジカセが届いたんですよね、それで起こされました。

今は、CoCo壱カレーを注文して食べた処です。

お尋ねの、日本哲学と日本宗教と言う事ですが、、
私もよくは知りません。ですが、、吉本隆明の「共同幻想論」
では、「古事記」と「東野物語」が引用されて居ますし、
西田哲学も禅と仏教の関わり合いがありますよね、、

西田幾多郎の事を書いた「西田哲学と歴史的世界」と言う
書籍に詳しいですよ。以下参照して下さいね。

https://www.ehime-u.ac.jp/data_study/data_study-6055/

そして、西洋哲学は、ある事象に付いて思考を巡らせて体系化したもので、
日本哲学とは、人間関係の在り方に付いて思考を巡らせて、体系化したものと言えると思います。

此のある事象と人間関係と言う点が異なると思いますよ、、

此のほか岸田秀の「ものぐさ人間論」加島祥蔵の「タオ・老子」などが
読んで見て面白いかと思います、、

あまりお役に立てなくて申し訳ない。
また来て下さいね。。。。。(๑>◡<๑)
macaronteaparty
今日は〜。
>中世までは哲学と神学は一緒でした

言われてみれば、なるほど〜。
全然気がつきませんでした。

YouTube、聴いてみました〜。

中世以降はやっぱり、信仰は分けようぜ、という流れとのことで、
でも、それ以降も影響は残りつづけた、ということなんでしょうかね。

(ごめんなさい、感想を書いてるだけで、質問ではないです。
質問するなら、自分で調べろよ、って話だよねと思うので・・
何かお考えをいただけるなら嬉しいですが、質問状だと思わないでくださ い)
  
ふと思ったのですが、

>西洋哲学を学ぶなら神や聖書について知る事は大切な事ですね。

とのことで、それなら、日本哲学はもしかして
神道とか仏教の影響はあるのかな?と思いました。

日本仏教は実はかなりジャパナイズドされているのだ、と
苫米地氏が書いてるのを読んだことがありまして・・・

西洋哲学と日本哲学の違い、とか何かお考えがありますか?

考えてみたら面白いかもしれないですね。
(私は今、月末までに取り組む作品を3つ抱えているので、
ちょっと暇がないのですが)

いただいた返信での、kiyasumeさんの博識ぶりに感心しました。
コメントを受け付けてくださり、ありがとうございました😊
でも、返信は期待していないので、ご安心ください。

せっかく何か紹介くださって、観ましたのお伝えがないのは
失礼かと思ったので。


楽しい週末をお過ごしください。😊🌸
kiyasume
まかろんさん、書き込み有難う御座いました、、
私の拙い書物を評価して下さって、有難う御座いました。

今、うたた寝から覚めました・・・・・・・・・・・。

どうも、すぐに寝て仕舞います。長くは眠れずに、、
すぐに目が覚めるのですが、引き続き、また寝て仕舞います。

哲学と神の関係ですが、、プラトンとかデカルトとか、、
色々言われて居ますが・・・・・・・・。

まあ、私が話すより、此の動画を見て下さいね。
1時間ありますが。近代哲学史を網羅して居ます。

確か此のYouTuberさんは大学の哲学科卒だそうでして、、
非常に解り易いです。これ聞いただけで殆ど哲学の歴史
は解りますよ。私は哲学書読んでは居ますが。
殆どがスノップですから(笑)、、

https://www.youtube.com/watch?v=xyiy6SvY1aA

まあ、現代でこそ神学は哲学と違う学問になりましたけど、
少なくとも中世までは哲学と神学は一緒でした。なので、
西洋哲学を学ぶなら神や聖書について知る事は大切な事ですね。

哲学(フィロソフィー)とは「知恵を愛する」要するに「知ろうとすること」
ですよね。何かを知ろうとする事が学問ですから、哲学とはもともと
「学問全般」を指して居ましたよね。

そこから、物体の運動について専門的に知ろうとした人が
「物理学者」になり、物質の変化を知ろうとした人が「化学者」になり、
人の心を知ろうとした人が「心理学者」になり……と、どんどん
諸学問が「哲学」から分離独立して行きました。

まあ、そんな事は、まかろんさんはご存知でしょうけど。
そう言う訳で、もしよかったら詳しくは動画をご覧下さいね。

また来て下さいね。宜しく。。。
さあ、もう夕食です・・・・・・。
コメント有難う、、(๑>◡<๑)
macaronteaparty
kiyasumeさん、
難しい本をいっぱい読んでますね!すごい!!
やっぱり知性高いですよね、kiyasumeさんって。

kiyasumeさんにとって哲学ってどんな意味があるのかな、と
思いました。

>「 宗教は心霊上の事実である 。 哲学者が自己の体系の上から宗教を捏造すべきではない 。 哲学者はこの心霊上の事実を説明しなければならない 。」

私は哲学者・哲学を愛する人たちに
なにか物申せる立場にありませんが、この視点をもって
世界を見たら、新しい哲学が生まれるのでは・・と
ちょっとワクワク思ったりします。

個人的には、哲学は、“神”という概念を一生懸命避けて
世界を説明する学問なのかな、と思っています(違うのかもしれません)。

でも・・人の心は、どこかでぎゅーっと大切な尊い一点のことを、
知っている、と思うんです。
それを“感動”と呼ぶ、んだと思うんです。


それはともかく、
記事を見てくださいね、とご招待いただきましたが、
私のコメントはお呼びじゃないだろう、と思って
書かないでおこう、と思いました。

でも、読みました、って、本いっぱい読んですごいですね、
って、やっぱり伝えておこうと思って、コメントします。


お体、お大事に。
kiyasume
マサさん、書き込み有難う御座います、、

西田幾多郎は最近になって読み始めました、、
マサさんの世代では、さぞかし愛読書になって
居たかと思います・・・・・・・・・・・・。

そうですか「しょんべん横丁」。今は「思い出横丁」
でしょうか?昔、此処で鯨の肉のカツを食べたのですね、、
美味しかったでしょうか・・・・・・・・・。

西新宿地下街でバイトして居たのですね、、
1960年代から1970年代あたりでしょうか、、

私もたまにですけど食事に行きましたよ。
私の時は1970年代後半でしたから、、
どの店も値段が安かったのを覚えて居ますよ。

ああ、中村雅俊と会いました、、

多分、テレビのドラマの撮影だったんじゃ無いかな???
店の外に出て石蹴り始めましたから・・・・・・・・。

思い出ですね・・・・・・・。

ただ、此間火事で焼けて仕舞いましたよね。
被害は結構大きかった見たいだけど、、
また、すぐに復活しましたけど。

懐かしいですね。。。。

また来て下さいね。宜しく。。。。。。(๑>◡<๑)
masamikeitas
kiyasumeさん、こんばんは。

西田幾多郎先生の「善の研究」は、読んだ事があります。
感銘を受けましたが、内容は忘れてしまいました。
哲学の先生というと西田幾多郎さんを筆頭にあげます。

>新宿は西口にある新宿西口商店街、通称『思い出横丁』かつては『ションベン横丁』

『ションベン横丁』は、懐かしい。
学生時代 西新宿地下街でバイトしていたので、よく休憩の時間に『ションベン横丁』にある鯨のトンカツを食べに行きました。
ご飯と鯨のトンカツ、味噌汁、お新香付きで、いくらだったのかな?
安かった事だけ覚えています。
当時は鯨が安かったです。
kiyasume
mobiliさん、書き込み有難う御座いました、、

そうですね、私もなんか、宮崎作品は性に合いませんでした、
よかったのは「風の谷のナウシカ」ぐらいでしょうか???
あと「紅の豚」ぐらいか。原則的に、余り宮崎作品は好きでは
無いですね・・・・・・・・・。

おしゃる通り、息子の宮崎吾朗はダメですね、、「ゲド戦記」
なんて大駄作だし。「ココリコ坂から」なんか、宮崎さんの
援助がなければ出来て居ませんよ。宮崎駿本人が息子を
認めて居ませんしね。前に病院の栄養指導の女の子の先生が、、

宮崎吾朗はどう思うと聞いて来たから、、「全然ダメですね」
と言ったら「随分と手厳しいわね」と言って居たけど、、

ダメなものはダメですから、少なくても私に取っては・・・・・・。

何だかあの2人は、全盛期の遺物の様な感じがして居ますよ。
感覚的に古いんですよね。だから押井守が宮崎吾朗に、
親殺しを敢行しろと言ったんですよね。「そうしないと、、
君は宮崎駿の呪縛から解き放されないよ」と・・・・・・・・。

宮崎吾朗は宮崎駿が命でしたから、、

今は、どうなんだろうか、まあ、子供向けのアニメなら
そこそこいいのは撮るんだろうけど、、
兎に角、私もあの2人は余り好きではありません。

また来て下さいね。それでは・・・・・。(๑>◡<๑)
mobilis-in-mobili
私は宮崎駿のアニメは基本的に嫌いです。
だいたい絵が嫌い。ハイジから進歩してない❗

だいたいアルプスの少女ハイジにしてからが、とんでもない水増しアニメで、これ以上はないってぐらい薄めた水割りのようなもので、原作の香気なんてまったく感じられないシロモノでした。

息子はもっと非道い。ゲド戦記では原作を読んで暖めていたハイタカのイメージを徹底的にブチ壊してくれました。
ワタシのハイタカを返せ‼️と言いたい。
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