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一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

『養老孟司×太刀川英輔 EP1』(スイッチインタビュー・NHK)

2022年11月13日 | テレビ番組
 鎌倉にある飲食店で行われた、養老先生と工業デザイナーさんとの対談。
 2人の話は少し難しい箇所もあったが、興味深く聞いた。
 椅子に座っている間中、養老先生がずっと脚を組んでいて、気になった。脚を組むのは骨盤に良くないということだが、きっと、そんなことは気にしないのかもしれないと思った。YouTubeでもよく脚を組む姿を見ているが、癖のように見える。
 私も時々、つい、脚を組んでしまうが、
(骨盤がズレちゃう!)
 と気づき、すぐ、やめる。
 骨盤がズレると何故いけないのか具体的な理由は知らないが、ズレるのは良くないに決まっている。養老先生と違って私は筋肉も骨も弱いに違いないから、できるだけ脚は組まないようにしようと思っている。特に今後は加齢で筋肉も骨も弱くなったり減ったりしていくのだから気をつけなくては。
 現在は幸運なことに肩も腰も膝も足も、筋肉痛は全然ない。肩凝り、腰痛、膝痛、脚痛のどれかがある人を周囲で何人か見ているが、辛そうである。けれど慣れてしまっているふうにも見える。
 身体のどこにも痛みのない生活が、私にとっては平穏な日々を過ごせることになる。
 さらに数年前から、食間が長時間の時の空腹感が強くなっても腹痛が起こらないのは、いいことだけれど、脳から司令が出なくなったのだろうか。それとも、自然治癒したのかもしれない。
 最近、中村仁一医師の著書を2冊読んだ。著書の中に、
 ――自分の身体の不調や病気は自分の身体が自然に治す。自分の身体が治せない身体を他人の医者が治せるわけがない。自分の身体が治せない不調は病気ではなく老化である。――
 というようなことが書かれていて、衝撃を受けたというか、発見したというか、驚愕させられた。もちろん自然治癒という言葉は知っている。
 けれど――。 
 昨年、首の寝違いで生まれて初めて頭痛を経験した。あの頭痛だけは二度と経験したくない。肉体的にも精神的にも辛かったので病院へ行き、薬を処方されて飲んだら、首の筋肉の寝違いと共に頭痛も薄れ、数日間で完治した。
 もし、徹底的に薬嫌い、病院嫌いだったら、病院へ行かず薬も飲まず、〈日にち薬〉で自然治癒したと思う。
〈日にち薬〉という言葉は、薬嫌いだった母がよく言っていたが、私もその言葉を信じている。〈日にち薬〉とは、日にちが経つことが薬、日にちがたてば治るという意味で、〈日柄〉という言葉も母はよく口にした。日柄とは大安・友引などその日の吉・凶のことの他、月日の意味もある。誰かが愚痴る腰痛とか風邪とか腹痛とか聞くと、いつも母は、「日柄よ、日にち薬よ」と言うのだった。本当に信じていて、自分の身体が不調の時も、日記にはそう書いてあった。風邪など不調だった日も、治った日にも書いてあるので、母らしいと思わずクスッと笑ってしまう。
 けれど、昨年の初夏、母の言葉を何度も声と口調と共に思い出し、胸の中で呟いたが、日にちが経つその間中の精神的肉体的な辛さに耐えられなかった。だから、周囲から何と言われようと笑われようと、寝違いを治しに、初めて整形外科へ行って診察・レントゲン・薬の処方をして貰ったことは、私にとって正しい選択だったと今でも信じている。
 ――医療は利用するもの、医師の指示に唯々諾々(いいだくだく)と従う患者が多いが、医療の主役は医師ではなく患者で、医師は利用する存在である――
 というようなことも、中村仁一医師の著書に書かれていて、印象に残った。
 ともあれ、私の弱点は寝違い。寝違いだけは気をつけなければと、日々、自分に言い聞かせている。


『キューブリックが語るキューブリック』(世界のドキュメンタリー・NHK BS)

2021年02月14日 | テレビ番組
 アメリカの映画監督で脚本家でもあるスタンリー・キューブリックのドキュメンタリー番組を興味深く見た。
 スタンリー・キューブリック監督作品は、『シャイニング』『時計じかけのオレンジ』『博士の異常な愛情』『現金に体を張れ』『スパルタカス』『アイズ ワイド シャット』『ロリータ』『フルメタル・ジャケット』『バリー・リンドン』『2001年宇宙の旅』などを、面白く観た。
 初めて観たのが『2001年宇宙の旅』(アメリカ・1968年)。最初に観た時、そう面白いとは思わなかったが、2度目に観たら、わりと面白くて楽しめた。
 好きな映画監督は10人以上いるが、その中にスタンリー・キューブリック監督の名前はなかった。けれど、映画の感想ブログを読み返してみたら、キューブリック監督の映画を結構観ていることに気づいた。特にキューブリック監督作品だから観たという時は、あまりなく、観たら面白かったという映画ばかりだった。キューブリック監督の創造した世界が繰り広げられていくような映画ばかりで、キューブリック監督の独特の個性や才能を感じさせられた。
 この番組のドキュメンタリーを見て、キューブリック監督が1本の映画制作にかなり時間をかけ、さまざまな拘(こだわ)りもあり、熟考もし、独特の世界を創り出そうとしたということが、よく伝わってきた。
 概して、古い映画を含めた2000年以前の映画は面白く、感動的、芸術的な映画が多く、2000年以降は才能ある映画監督も脚本家もあまりいなくて、単なる〈映画屋さん〉と言いたくなるような人たちが制作した映画が多いような気がする。エンターテインメント、娯楽映画としての面白さはあるから、観る価値はあるし、すべての映画というわけではない。
 あるネット記事で、「2000年以降の映画はクズばかり」という映画ファンらしい人のコメントを読み、2000年以前の映画は良作が多いと言いたげな、同じような見解の人がいると思った。
 どんなに高額な制作費をかけても、大宣伝した話題作も、CGを派手に巧みに取り入れた映画も、3D立体映画も、およそ2000年以降の映画には印象深い映画を観たという感動を得られないことが多く、面白くない映画も少なくないような気がする。すべての映画というのではなくても、才能のある名監督も名脚本家もいないのは何故なのかと不思議に思う。
 字幕翻訳も、最新の流行語を取り入れているのを見ると興醒めになる時がよくある。映画の字幕翻訳は、意味が通じればいいという直訳ではなく、センスのいい意訳が理想的である。字数制限という技術以前に字幕翻訳家の言語のセンス、実力、才能が発揮されるのが字幕翻訳という仕事だと思う。オペラも映画も、字幕翻訳に拘(こだわ)るというより、私にとっては楽しさや感動の一要素だからである。
 ともあれ、洋画の映画を観るのは楽しい。同じ映画を何度観ても感動する映画も、初めて観る映画も、オープニング・クレジットが流れると、たまらなくワクワクした心地にさせられる。感動的な映画、面白く楽しめた映画、印象深い映画を観た後は、つくづく映画を観る醍醐味に触れた喜びに包まれてくる。



『薬のギモン解決スペシャル!』 (L4YOU・テレビ東京)

2014年06月23日 | テレビ番組
 タイトルに惹かれて、録画して見た。連想癖のある私。薬のギモンという文字から、先日、とんでもない大失態を演じてしまったことを、思い出したのである。
 その日の午後3時ごろ、珍しく鈍い腹痛が起きて、
(どうしたのかしら。何か古い物食べちゃったかしら)
 と、昼食の時の食品を、あれこれ思い浮かべた。生鮮食品は賞味期限を守るが、発酵食品や乳製品は時々、賞味期限切れでも飲食してしまう。ヨーグルトやプリンやコーヒーゼリーなど、セールの時にまとめ買いすると、何個か賞味期限切れになってしまうが、数日前や1週間前や10日前の賞味期限でも、いつもは平気である。けれど、賞味期限切れは、やはり胃に良くないに違いない。自覚はなくても免疫が落ちていたためかもしれない。
(あのコーヒーゼリー、やっぱり古かったかしら)
 食べる前に賞味期限切れの数字をチラッと眼にしたので、思い当たったのは、それしかない。コーヒーゼリーは毎日食べるわけではないから、3個詰めパックを数個まとめ買いすると、たいてい何個か賞味期限切れになってしまう。
 今年、初めての腹痛である。私の腹痛は、シクシクシクという感じか、シク、シク、シクという感じで、以前は締切日によく、シクッシクッシクッという感じの痛みが起きた。そう言えば義姉は昔、私の母に家事のことで注意されると胃がキリキリ痛くなったと言っていた。私の胃は、キリキリではなく、シクシクである。一番強い、シクッシクッシクッという感じの痛みと、シクシクシクの時は、ソファに横になって右手でお腹をソフトに撫でていると、5分くらいでおさまる。先日の時は、一番弱い、シク、シク、シクの感じ。横になることもなく掌のマッサージも不要で、出かける用意をしているうちに、おさまった。
 人間誰でも身体のどこかに弱いところがあると何かで読んだが、私の場合は、お腹。ただし、胃腸ではなく、胃だけである。お腹が痛いと言うと、即座に、「トイレに行っといで」と言う友人がいるが、朝のトイレは理想的にスムーズな体質。私の腸は、きれい好きの私に素直な性格である。女性に多いという体質になったことはないし、その逆の頻繁トイレ体質になったこともない。
 けれど、胃は、反抗的になる時がある。それは、空腹感が強くなると、腹痛が起こること。朝食と昼食の間や、昼食と夕食の間が7時間以上になると、腹痛が起こる。規則正しい胃なんだねと友人から言われたり、胃酸過多が原因とドラッグストアの薬剤師さんから言われたことがある。
 ただし、健康診断や人間ドックの日、食事抜きで病院に出かけ、正午過ぎまで食べられなくても腹痛は起こらない。人間ドック2回と、特定健診や血液検査4回の合計6回、朝食抜きで出かけて検査し、昼食まで食べられなくても、空腹感による腹痛が起きたことは1度もない。慣れない健康診断が、心身共に緊張させてしまい、脳から痛みの指令を出す余裕がないからかもしれない。
 空腹感が強くならないよう食間が7時間以上空けない生活なので、腹痛は年に1回あるかないかという感じである。また、食べ過ぎによる胃もたれとか胸焼けというのも経験したことがない。
 それで、先日の時、空腹感はない時刻だし、原因は賞味期限切れのコーヒーゼリーかもと思い、こんな時は、救いの神様からの魔法の薬を持っている。その魔法の薬『大正漢方胃腸薬』が、私の体質に合っていて、バッチリ効くのである。
 食器棚の引き出しから、その『大正漢方胃腸薬』の微粒タイプを1袋、取り出して飲んだ。連想癖のある私。賞味期限切れのコーヒーゼリーのことが頭にあったため、
(この薬って漢方薬だから、賞味期限……じゃなく、使用期限は書いてないはず)
 そう思いながらも何となく、薬の小袋を見てみたら――。
「ええええええっ!!」
 と、思わず、声をあげた。小袋の下方にプリントされた使用期限の文字と数字を眼にして、もう息も止まりそうなほど驚愕し、愕然となり、呆然となった。プリントされた数字は、『2008.2』。何度見ても、2008年2月である。何と6年前の使用期限の薬だった。
(ど、どうしよう、副作用が出るとか、お腹痛くなったら、どうしよう! 漢方薬だから副作用は弱いかも……ううん使用期限切れは強く出るかも……いつもは平気な賞味期限切れのコーヒーゼリー、免疫落ちてて腹痛……ああ、どうしようどうしようどうしよう!!)
 飲んじゃった、後である。もう泣きべそかきたいような気持ちで、病院へ行くことになるかもとパニック状態に陥りスマホ撮影した。「これ飲みました」と医師に言う薬の名前だけでなく、裏側の使用期限の数字も撮った。医師から呆れられるに違いないが仕方ない。
 その薬の小袋は、32包箱の中から出して飲んだのではなく、20センチほどの長方形の海苔の空き缶に入れてあり、食器棚の引き出しを開けたらサッと取り出せるように、缶のフタはしていない。パニック状態で私は、飲んだ薬の袋だけプリント・ミスかもしれないと、缶の中から1つ1つ取り出して残りの薬の小袋の裏側を、「これも……これも……これも……」と呟きながら見てみた。すべて『2008.2』のプリント。その薬の小袋が18残っている。
 さらに、その海苔の缶の奥にある未開封の32包箱を出して見てみたら――。またしても驚愕し、愕然となり、呆然となった。何と、未開封の32包箱にプリントされているのは、使用期限『2010.11』。小さな長方形の海苔の缶の中の薬がなくなったら、未開封の32包箱から出して、そこに入れておくのが習慣だった。
 頻繁に飲むのではないから、使用期限切れになるのは無理もないこと。一体、何年間、使用期限切れの薬を飲んでいたのかと暗算して、その期間の長さに、またしても愕然となった。
(そう言えば、去年、飲んだ時、何だか効き目がなかったみたいな時があったわ)
 この薬は即効性があって、1袋飲めば、すぐ効くので、半日後にもう1袋飲むことは、ほとんどなかった。飲み会などで長時間お酒を飲んで、深夜に帰宅して就寝前に1袋、その翌朝、もう1袋飲むことはあったが、最近は二日酔いするほど飲まないので、2袋飲むことはない。去年のその時は、ついパソコンの前を離れられない作業中で食間が空き過ぎ、空腹感が強くなって痛みが起きた。いつものように即効性がないみたいと不思議がっているうちに効いたので、やはり1袋だけだった。
 けれど――。少し冷静になって考えてみたら、漢方薬は使用期限がないはずである。以前、ドラッグストアで、常備薬の風邪の漢方薬を買おうとした時、使用期限は書いてないけど、どのくらい保(も)つのかと薬剤師に聞いたことがある。その時、初老男性薬剤師さんは、即答ではなく、「う~ん」と小さく呟き数秒後に、「10年です」と断定的に答えたのである。そんなに保つものと驚いたが、だから化学薬品のように使用期限が書いてないのだと納得した。
 だから、漢方薬である『大正漢方胃腸薬』に使用期限があるなんて全く知らなかったのは無理もないこと。
 その日の鈍い腹痛は、薬を飲んだ後に使用期限『2008.2』と未開封の32包箱の使用期限『2010.11』を見て、心身共に驚愕し、愕然となり、呆然となったために、脳が痛みの指令をストップしてしまったのか、使用期限切れでも少しは効いたのか、いつもの即効と同じで、間もなく治った。
 この番組を見て、市販薬は、第1類、第2類、第3類医薬品と分けられていることや、病院で処方される医療用医薬品が、ドラッグストアで薬剤師のチェックを受けて買えるようになったことを知った。薬を買う時の参考意見だけでなく、今後はその責任が生じてくるから、ドラッグストアにいる薬剤師の仕事は大変だと思った。薬の使用期限については、きちんと守ること、というアドバイスだった。私が知りたかった漢方薬の使用期限のことには触れられなかったのが残念だった。
 もちろん使用期限切れの『大正漢方胃腸薬』はすべて捨てて、新しい32包箱を買って来た。その箱の隅に、『2018.6』とプリントされている。4年間しか保たない。以前、ドラッグストアの薬剤師が言った、10年保つのは風邪薬の漢方薬だけということになる。すべての漢方薬が10年保つわけではないということを初めて知った。それならそうと早く誰か教えてよと言いたい気持ちだったが、そそっかしい私の自業自得。結果的には特に被害があったわけではないけれど、アホと言われても仕方のない私。つくづく反省している。






〈今回初めて見た、常備薬の小袋の使用期限〉




『The GAME 羽生善治VS谷川浩司「史上初の七冠制覇」』 (BSフジ) 

2014年01月15日 | テレビ番組
 羽生善治三冠が、かつて七冠になった時の棋譜を再現していたが、第三者ではなく対局した本人たちによってというのが興味深かった。棋士の記憶力が超人的に優れていると知っていたけれど、18年前の対局の棋譜を、2人が将棋盤にスッスッと並べて行く様子に、あらためて感心した。終盤近く、「ここで私がミスした」と、谷川浩司九段が淡々と語っていた。その後、どんなに口惜しかっただろうと想像された。チェスも他の多くのゲームもそうだが、将棋はスリリングな面白さのあるゲームのような気がする。長考したり秒読みで焦ったりしながら、次にどの駒を指すのか、ほんの一手が敗因になったり、勝因になったりすることもあるようだ。
 私は将棋を指す趣味はないが、プロ棋士の対局を見ているのは面白い。特にタイトル戦の様子をテレビや『ニコ生』中継で見て楽しんだり、スマホで見ることも。プロ棋士による、対局の解説も面白い。初心者にもわかるような解説をしてくれる棋士がいい。対局の解説だけでは飽きてしまうが、対局者たちについてや解説者自身のエピソードを聞くのも楽しいのである。
 棋士は頭が良くて記憶力が良くて、羽生善治三冠も谷川浩司九段も森内俊之竜王・名人も渡辺明二冠も木村一基八段も山崎隆之八段も郷田真隆九段も三浦弘行九段も行方尚史八段も他の棋士たちも皆、好きだが、一番好きな棋士は阿久津主税七段。わかりやすい解説、声、口調、ユーモア、笑顔、容姿と雰囲気、駒の差し方、対局中の表情など、すべてが一番好き。解説などでテレビに映ると、
(あ、主税ちゃん、素敵……!)
 とか、
(今日のヘア・スタイル、もう少し変えたほうがいいのに)
 とか、
 ネクタイが似合うとか、ちょっと地味とか、もうミーハー気分で呟いてしまう。今年こそA級になって欲しい、昇段して欲しい、タイトルも取って欲しいと応援している。
 解説の話の面白さでは、藤井猛九段が一番おかしくて、一番笑える。ボキャブラリーが豊かで、ユーモアのセンスがいい。テレビより『ニコ生』中継のほうがリラックスできるのか、聞き手とのお喋りふう解説で、クスクスクスクス笑ってしまう。
 一番、天才的と感じるのは、羽生善治三冠。メガネがよく似合うし、将棋以外のトーク番組での話は興味深く、いつも感心させられる。
 一番、強いと思うのは、やはり森内俊之竜王・名人。以前、『YouTube』で、幼い息子さんを肩車している姿を見たが、とても微笑ましい映像だった。
 将棋を指す趣味はないけれど、スマホに将棋アプリを入れた。オンラインゲームではないから、相手はコンピューター。不利な時に差し直しができる『待った』機能が付いている。5段階のレベルのうち、一番やさしいレベルの『覚えたて』に設定して、『待った』ボタンも数回使って、やっと勝てる。2番目にやさしいレベルにすると、なかなか勝てない。勝てないと楽しくないので、いつも『覚えたて』の設定だから上達しないが、他のゲームに飽きた時に遊ぶ程度だし、将棋は定跡を覚えないと駄目らしい。詰め将棋のアプリも入れたが、あまりやらない。将棋盤上に駒がたくさんあるほうが楽しい。テレビの将棋講座は、退屈だから見ない。けれど、阿久津主税七段が2010年に半年間、NHK将棋講座の講師をしたと知った時は、見たかったのにと残念。再放送してくれないだろうか。『YouTube』で検索したら、その講座番組の宣伝映像があるだけだったが、解説や対局の一部の映像はたくさんあるので、時々、見て楽しんでいる。
 日曜のNHK杯戦は録画予約しておき、食事しながら見て楽しんだりする。感想戦は全然、理解できない。やり取りで何を言っているのか、全くわからないまま、棋士の表情やしぐさを見ているだけ。先日、その感想戦中、ミスして負けた40歳のA級八段棋士が、「こんなポカをするトシになっちゃったのか」と、絶望的な口調で頭をかかえ込み、うなだれる姿を見て、今度はきっと勝てるから落ち込まないでねと励ましてあげたくなった。
 現実にはあり得ないが、もし将棋を教わるなら誰がいいか空想してみた。羽生善治三冠は、やさしくて厳しそう。谷川浩司九段は、緊張してしまいそう。森内俊之竜王・名人は、思いやりがあり過ぎて上達しなさそう。藤井猛九段は、笑いっ放しで楽しそう。阿久津主税七段は、胸がときめきそう。──なんて。





『とどかぬ白衣 外国人看護師候補者の現実』 (FNSドキュメンタリー大賞・BSフジ)

2013年03月04日 | テレビ番組
 地方の総合病院で働く看護師助手のインドネシア青年に取材した、興味深いドキュメンタリーだった。番組を見た後、外国人看護師を検索してネット記事を読んだり、YouTubeで報道番組の特集『外国人看護師の現状』を見たりした。
 日本での看護師志望の外国人は滞在期間3年以内に国家試験に合格して正看護師にならないと、帰国しなければいけないらしい。番組で取材していたインドネシア青年看護師助手は、患者との会話は日本語で交わせて問題ない様子だが、試験に出題される漢字を覚えるのがむずかしく、仕事を終えた後の勉強は大変そうだった。給料の半額を母国の実家に仕送りし、仕事は片付けや配膳や患者の身体を洗うことなどのようだった。
 日本は看護師不足が続いているらしいから、そのインドネシア青年の志望どおり国家試験に合格して正看護師として働ける人が多くなればいいと思ったが、合格者は年に3人程度で、滞在期間中に諦めて帰国する看護師助手もいるということだった。正看護師の資格を取得した外国人看護師は、どのような病院や施設で働くのだろうかと、ふと思った。
 5年前、内科医院で血液検査をした時、採血する女性看護師さんが東南アジア人に似た顔立ちだったが、そうではなかった。日本で働く東南アジア人の看護師のことをテレビ番組の特集で見ていたから、一瞬、そうかしらと思った。比較的若く、やさしそうな雰囲気の看護師さんだったが、採血は、その時が初めてだったのか慣れていなかったのか、とても時間がかかった。もちろん血液検査を受けるのが初めてではなく、人間ドックや健康診断など4回の経験があった。
 私を含め、注射嫌いの人は少なくないと思うが、いつか友人と血液検査の話をしたことがある。
「でも、血液検査って、あの注射が痛くて」
 あまり気乗りしない私は言った。
「血液検査は注射じゃなく、採血」
「注射針を刺されるじゃないの。あの恐怖の注射器を、腕に突き刺される想像するだけで怖いわ」
 単なる痛みだけではない。指示に従って素肌の腕を出し、あの恐怖の注射針が眼に触れた瞬間、
(その注射針、新しくて清潔よね)
 内心、そう呟いてしまう癖がある。注射針は使い捨てと聞いたか読んだかしたことがあるけれど、人間にはミスが付きものである。故意ではなくても、うっかりミスで、1度使用した注射針を刺されて感染性の病気に感染したらどうしよう──という恐怖感が、一瞬、よぎるのである。その恐怖感が、注射針を突き刺される痛みを何倍にもさせるのだ。そんなアホらしい理由で注射嫌いだなんてと笑われてしまったが、その一瞬の想像、恐怖、不安感は本能的なものだから仕方がない。
 5年前のその時、やさしそうな雰囲気の看護師さんの採血は、私の腕に注射針を突き刺してから、予想以上に時間がかかって、時計を見ていたわけではないから正確ではないけれど実際は10分か15分かかったと思うが、私には30分以上に感じられた。もちろん、私の腕のあちこちにではなく、注射針は1箇所に突き刺さったままである。まるで輸血用の血液まで採られているのではと推測したくなるほど長く感じられた。
(仕方ないわ。きっと初めての仕事なんだわ。看護師さんの役に立っていることになるんだから、きっと神様が私にご褒美をくれるわ)
 そう呟きながら耐えた。もちろん、その看護師さんが国家試験に合格して実習もしていることをみじんも疑わないし、信用していた。
 けれど、ついに私は、質問しないではいられなくなった。
「あのう、血液、何CC取るんですか? 500CCぐらい?」
 500CCは冗談のつもりだったが、血液を採るというより、取るという感じを意識した口調で言った。
 すると、やさしそうな雰囲気のその看護師さんは、
「そ~んなに採りませんよう」
 と、驚いたような呆れたような口調で答えた。
「じゃ、何CCぐらい?」
 何CCかなんて興味はなかったが、さらに聞くと、
「○○CCです」
 看護師さんが答えた。
「ええッ、本当に○○CC? そ~んなに少し?」
 5年前のことなので何CCと看護師さんが答えたか忘れたが、予想よりはるかに少量なので、
(そんな少しなら、さっさと取ってよ)
 そう叫びたくなった。
 すると、まるで、その叫びが聞こえたみたいに、
「痛いですか?」
 と、看護師さんが、やさしく聞いた。
「痛いです」
 私は答えた。大人げないと言われようが思われようが、その15分間、故意ではなくても、うっかりミスで、1度使用した注射針で感染性の病気に感染したらどうしようという恐怖感が、何度も、よぎるのである。
 ところが、そのやさしそうな看護師さんは、「痛いです」と答えた私に、
「痛いですよねえ」
 と、同情するような口調で言ったのである! 聞かなきゃ良かった! その「痛いですよねえ」という言葉を聞いたために、それまでの痛みが、さらに倍増して、中止して下さいと言いそうになった。
 10数年前、子宮ガン検診を受けたことがある。大学病院だから検査する人が研修生かどうかわからなかったが、検査器具使用直前に、
「ちょっとチクリとしますけど、そんなに痛くないですよ」
 やさしくそう言われて、暗示にかかったように、チクリとした痛みはあったが、耐え難いほどではなかった。
 その時、カーテンを隔てた隣で、女性医師の声が、
「痛いですけど、我慢して下さい」
 素っ気ない口調で、受診者にそう言うのが聞こえた。私と同じ検査か別の検査か不明だったが、そこは検査室だから、多分、同じ検査だと思った。
(こちらの男性担当医師で運が良かった)
 安堵した。別にイケメン医師だからなどという意味ではない。医療従事者から、「ちょっとチクリとしますけど、そんなに痛くないですよ」と言われるのと、「痛いですけど、我慢して下さい」と言われるのと、どちらが痛みを感じないですむかは、患者や受診者の性格によって違うと思うが、私は前者。「ちょっとチクリとしますけど、そんなに痛くないですよ」そう言われたからこそ、それほどの痛みでもないと感じられたのである。
 そのことを、5年前の血液検査の採血の時、ふと思い出した。注射針を腕に刺されて5分経ち、10分経ち、もしかしたら1時間も突き刺されるのではと思うほどの注射針の痛みに耐えながら、やさしそうな雰囲気のその看護師さんから「痛いですか?」と聞かれて、「痛いです」と答え、「痛いですよねえ」と言われたら、それまで感じていた痛みが、さらに倍増するのは無理もないことである。看護師さんは、同情し慰めるつもりで口にした言葉なのだと理解できるから、責められないし、仕方のないこと。とは言え、その言葉以降、心身共に強まった痛みにストレス・ホルモン全開にあふれほとばしり続けている自覚があった。今思えば、大半の病気はストレスが原因ということだから、よく言われる〈病院へ行くと病気になる〉とは、まさに、このことである。
 ようやく、拷問にも似た恐怖の採血が終了した時、解放感に包まれながら、
「500CCじゃなくても300CCぐらい取られたみたいな気分」
 さすがの私も、冗談に受け取られるような言葉を呟いたら、その看護師さんは苦笑していた。
 検査の結果は異常なしだったから、全く無駄だったのに、その翌年、またしても同じ内科医院へ行き、健康診断で血液検査をした。採血するのは、ベテランの中高年看護師さん。いつものように注射針から顔をそむけて覚悟していたら、驚くべきことに、あまり痛みもなく、数秒間に感じられるほど、すぐ終わった。実際は数分だと思うが、本当に早く採血が終了し、
「えっ、終わったの?」
 驚きながら、看護師さんの顔を見て聞いた。
「終わりました」
 無表情に近い顔つきで看護師さんが答えた。覚悟していたほどの痛みもなく、注射針を刺して抜くまでのその速さと言ったら、まさに神業(かみわざ)と言いたくなるほどだった。採血という同じ行為なのに、極端から極端。謎である。人生は本当に謎だらけ。
(看護師さんがベテランだから?)
(注射針が最新式の極細に変わったから、あまり痛くなかったのかも)
(採血が苦手な受診者ってカルテに書かれていて、規定の量より少しの血液しか採らなかったのかも)
(採血の技能が、特別優れている看護師さんなのかも)
(医療の進歩で、最速採血が可能になったのかもしれない)
 もう私の頭の中はクェスチョン・マークでいっぱいだった。
 ともあれ、看護師志望の外国人の滞在期間が特例で延長になるらしいし、やさしくて有能な看護師が増えて、看護師不足が早く解決すればいいと思う。





『緊急特別追悼番組さようなら勘三郎さん 独占密着…最期の日々』 (金曜プレステージ・フジテレビ)

2012年12月09日 | テレビ番組
 食道ガンの手術前の中村勘三郎への最後のインタビューの他、生い立ちや中村勘九郎時代、平成中村座、中村勘三郎襲名披露、コクーン歌舞伎、ニューヨーク公演の様子などのドキュメンタリー。
 歌舞伎俳優の中村勘三郎死去のニュースを読んだ時は、この上なく驚愕し、その日は一日中、頭から離れなかった。初期の食道ガンで療養中とニュース・サイトで読んだりして知っていたが、初期なのだから完治して復帰できると思っていた。中村勘三郎の熱烈なファンというわけではなく、公演もそう観ていないけれど、57歳の死はあまりにも早過ぎて信じ難い気がした。この番組のインタビューでも語られているように、これから、やりたいことがたくさんあって歌舞伎に情熱を持っていたのに、どれほど口惜しく心残りだったことかと思うと、涙があふれそうになった。
 どうして初期なのに治らなかったのか、不思議な気がした。けれど、12時間に及ぶ手術と知って、痛ましいというより、何故そのような手術を受けることになったのか、わからなかった。頭に浮かんだのは、『ガンは切れば治るのか』という近藤誠医師の著書だった。もし、手術をしていなかったら、まだ生きていて、ほかの治療法が見つかるということはなかったのだろうか。最後のインタビューの中で、「10時間かかる手術と聞いて迷った」というようなことを中村勘三郎は語っている。病気や手術について語る中村勘三郎の表情は、他のどの映像にも見られないほど不安げであり神様に救いを求めているとでも想像されるような表情で、見ていてたまらない気持ちにさせられる。長時間の手術がすべて悪いということはないのかもしれないが、よく聞く『手術は成功した。だが、患者は死んだ』という言葉を思い出させられずにいられなくて可哀相でたまらなくなる。
 NHK大河ドラマに主演の『元禄繚乱』は本当に面白かったし、中村勘九郎時代の中村勘三郎を歌舞伎座の公演で観た時は、立役も女形も、息を呑むような美しさとりりしさに陶然となってしまい深く魅了されたことを思い出す。








『身近な薬の落とし穴 警告! “市販薬”の意外な副作用』 (クローズアップ現代・NHK)

2012年12月07日 | テレビ番組
 病院の処方薬を飲んでいないから安心、と思っていたら、市販薬に怖い副作用があるなんて驚きだった。もっとも、化学薬品の風邪薬に眠くなる副作用があるのは、経験して知っている。
 深刻な副作用が出ることを、『スティーブンス・ジョンソン症候群』と言うらしい。致死率は3%で、回復しても失明や肺機能の低下など重い後遺症が残るということだった。
 番組で取り上げていた市販薬の解熱剤は、自然に身体から熱が引くのを、自然に反して無理に下げるから副作用が強いのかもしれないと思った。
 人間にとって薬は必要だけれど、化学薬品の処方薬も市販薬もすべて、ある意味で、薬は毒。薬は諸刃の剣。薬は当たりとはずれのある賭け。そんな気がする。
 ところで、私の母は降圧剤の服用を中止したら、認知症が改善されてきた。このことを知った時は、本当にうれしかった。もちろん本人が勝手にやめたわけではなく、主治医の判断である。その代わり、食事は塩分制限されている。高齢の身体に、薬はやはり、よくないということであり、長年の降圧剤が認知症になりやすくするというデータもあるらしい。
 薄味の料理でも、母はちゃんと食べる。美味しくないとは言わない。薬を飲むより、薄味料理のほうがいいと、ちゃんと認識しているし、スプーンではなく、お箸で食べられる。記憶のことなどは、まだ完全にではないが、以前と同じように母といろいろな会話ができ、喜怒哀楽の表情が戻ったことも、この上なくうれしい。体力的には、車椅子の操作もできるし、その車椅子からベッドに、介助なしで一人で移動できることも、本当にうれしいこと。現在の母は、薬は何も飲んでいない。
 やはり、〈医食同源〉がいい。薬ではなく、食べ物で身体の健康を保つのが一番だと、あらためて思った。


※医食同源=食べ物をとることで病気を予防したり治療したりすること。






舞台『ボンベイ・ベリーウッド』『プエンテ・デ・トリアナ』 (NHK BS)

2012年05月29日 | テレビ番組
 出演=ラファエル・カンパージョ、イサベル・バジョン、アデラ・カンパージョ
 第1部は2011年来日公演のベリーダンス『ボンベイ・ベリーウッド』。第2部はフランスのフラメンコ・フェスティバルの2009年上演『プエンテ・デ・トリアナ』。インドの太鼓の一種である独特な楽器タブラ演奏による、神秘的で官能的リズムのベリーダンスと、セビリアのフラメンコ・ダンサーのラファエル・カンパージョの情熱的で野性的なフラメンコの舞台である。ラファエル・カンパージョによる作品解説とインタビューの映像も見られた。どちらも新作、オリジナル。ベリーダンスはインド舞踊の要素が濃厚な踊りだった。約3時間半、世界のトップ・ダンサーによるベリーダンスとフラメンコの舞台映像は、見応えがあって楽しめたし、感動もした。
 5年前、ベリーダンス教室に通っていたことを思い出す。きっかけは、『ベリーダンスでダイエット』というテレビ番組を見たことだった。ダイエットという言葉に弱い私。最初はベリーダンスの楽しさより、ダイエットが目的だった。当時は標準体重より3キロぐらい多かったので、何とか減らしたいと思っていた。テレビで見ると、新鮮で、楽しそうな踊りに感じられた。さっそくネットで調べて、『踊る有酸素運動でウェイト・ダウン』『ベリーダンス・レッスン』『ベリーダンスでダイエット』『ベリーダンスで愛されるカラダになる』など、DVDやムック本を購入。それらを見ながら、自宅でしばらく練習した後、ベリーダンス教室へ通うことにした。
 最初に通った教室は生徒がかなり多くて、スタジオは小さく、踊りながら互いの手や腕が頻繁にぶつかるほどだった。ビギナー・クラスなので、思ったより気楽に踊れるものの、生徒数が多いため、講師が動きを見て教えてくれるのは5人ぐらいの1列ずつで、たいてい10列ぐらいある。平日は空(す)いているクラスもあるようだったが、毎週土曜日に行っていたからだった。
 半年後、もう少し、のびのびと踊れる教室はないかと探したら、カルチャーセンターの中にあって、そこへ通うことにした。極端から極端で、そこは生徒が私を含めて、たった3人。しかもフィットネス・クラブのスタジオのように広々としていて、3箇所の壁が鏡張り。さらに1時間15分と時間も少し長めで、レッスン料も高め。レッスン時間は、講師によっては、いつも10~15分延長してくれて1時間半になることもあった。
 レッスン中はかなり汗をかき、ウェイト・ダウンも実現して目標の標準体重に。鏡を見ながらなので、通ううちにダイエットというよりベリーダンスという踊りに魅力を感じてきた。レッスン着は、お腹をあらわにするチョリというTシャツに、スパッツ(レギンス)をはく。さらに、腰の動きを意識するよう、布にコインやビーズがついたヒップスカーフを腰に巻く。腰が前後左右に動くたび、揺れるヒップスカーフについたコインで軽やかな音を鳴らすのが楽しいのである。また、ジルという指につけて叩くフィンガー・シンバルを鳴らしながら踊ることもあった。オリエンタル音楽のCDは講師の先生が選んで毎回、違うのを持って来る。
 ベリーダンスの『ベリー』は、お腹の意味。お腹をうねらせる動きが多いが、腰、肩、腕、脚と全身運動なので、ビギナー・クラスの段階でウェストは細くなるし、ウェイト・ダウンが確実に可能になる。
 そのころ、ベリーダンスのことを周囲に話すと、たいてい淫らな感じの踊り、みたいなイメージを持たれたが、それは無知と偏見である。映画に出てくるアメリカの古いキャバレーなどでは男性客向けにアレンジされたセクシーな踊り方だが、ベリーダンスはさまざまな踊り方がある。その講習で教えるベリーダンスはアラブの踊り。腹部・腰・腕をくねらせて自由に踊る即興のソロ・ダンス。
 また、周囲の人たちから、
「気が若いわね」
 と、冷やかされたりし、
「見かけも若いと言って欲しいわ」
 そう答えたりした。趣味で楽しむ、あらゆる踊りに年齢は関係ない。もともと、踊りは見るのも踊るのも好き。
 その講習で他の生徒の1人は、私より年下世代、1人は年上世代。年上世代の生徒は私同様、ダイエット目的とわかるが、年下世代の生徒は最初からスリムというより痩せ気味の体型で、
「そんなにスリムなのに、どうしてベリーダンス始めたの?」
 ウェイト・ダウンが目的の私たちが聞いたことがある。すると、
「女らしい肉付きの曲線になりたくて」
 という答えで、納得した。以前、フィットネス・クラブに通っていた時も、同じことを言っていた痩せ気味体型の女性会員がいたのを思い出した。踊りも有酸素運動も、ダイエット効果だけでなく、シェイプ・アップ効果があるからだった。
 講師は、1年の半分をエジプトで、半分を日本で暮らすという生活を長年続けている、色っぽくチャーミングな熟女という感じの女性や、ベリーダンスの他にフラメンコも教えているという長身でスリムな女性。生徒がたった3人では、張り合いがないのではという気もしたが、講師と生徒というより友達のような口調で気軽に話せることが楽しかった。
 3人だとグループ・レッスンというより半分個人レッスンみたいなものである。私は毎週、出席したが、時々、生徒が2人という時もあるし、私1人の時もあった。その広々としたスタジオに、色っぽくチャーミングな熟女講師の先生と2人の時など、
「今日は個人レッスンみたい!」
 と新鮮な気分に包まれた。
「じゃ、今日はバッチリと、○○さん(私の名前)の好きな踊りのレッスンしましょう」
 と、講師の先生。前半では、ヒップシミーとかヒップドロップとかヒップサークルなど基本の動きを一通りレッスン。
「次は何を習いたい?」
 そう聞かれて、
「スネークアームがいいわ」
 私は答えた。スネークアームというのは、左右に広げた右腕と左腕を交互に上へ下へと、くねらせながら蛇の動きをする。教室に通う前に見ていたムック本で、
 ──愛らしい蛇のような動きは、古代から続くダンスの深遠な源に出会う機会を手助けしてくれることでしょう。──
 というような一文があって、特に惹かれていた動きだった。
「こういうスローなやり方と、こういう感じのやり方もあるけど、どっちが好き?」
 他の2人が休みの日の個人レッスンなので、希望をかなえてくれるのが、うれしかった。
「スローなほうが好き」
「じゃ、こっちね」
 スネークアームのレッスンをひとしきり。休憩時間に、汗を拭いたり水分補給しながら、お喋りが弾んだ。
「ずっと前、私、蛇ダンサーだったのよ」
 と、色っぽい熟女講師の先生。
「ええっ!」
 と私は驚き、その話は本当に興味深かった。
「蛇ダンサーって初めて聞いたわ。どんな踊り?」
「蛇の動きに合わせて踊ったり、身体に蛇をまといつかせたり、蛇に変身したみたいな踊りよ」
「ええっ、そんなことできるの? 本物の蛇? オモチャじゃないの?」
「もちろん本物よ」
 そう答える色っぽい熟女講師の先生を、心から尊敬した。比較的、大きな蛇らしい。その蛇を、飼っていたのではなく、一緒に暮らしていた、という言い方が、印象に残った。東京からエジプトの家へ行く日に、その蛇を知人に預けて別れる時は、いつも泣いたと言う。その後、ある事情から、他人に譲ることになった時は、別れるのが本当に辛かったらしい。
「号泣したでしょう!」
 そう言うと、
「もう、涙が止まらなかったわ」
 と、色っぽい熟女講師の先生。その踊りを見られないのが残念だと思った。テレビに出演して、踊りを披露したこともあったらしい。
「名前、つけてた?」
「マイケル」
「蛇って触(さわ)れないけど、映像で見るのは好きだわ」
「私も好き。仕事する前からよ」
 気が合って、どんなところに惹かれるかの蛇談義、というほどでもないけれど。
 休憩後、後半は即興のソロ・ダンス。
「ステップの時、爪先立ちになると、フワンとなるでしょ」とか、「ターンして、ターンして、ダメ、それデッチリ」とか、「その動きは、ちょっとキャバティックになっちゃうわね」とか指導してくれた後、「基本動作の他は決まりがなくて、自分で楽しいと思うような踊り方でいいの。即興のダンスなのだから」ということで、壁の鏡を見ながら講師の先生の真似したり、自分流にアレンジしたり。
 その講習のあったカルチャーセンターの新宿校は、数年後になくなってしまった。ベリーダンス講習もわずか3人の生徒だったが、他の講習も生徒が集まらないためらしかった。
 ベリーダンスを習う人たちと、お喋りしていて共通していることは、フラダンスやソシアルダンスには魅力を感じないということ。フラメンコはちょっと習ってみたいけど、あれは難しそう、というのも同じだった。
 その後、色っぽい熟女講師の先生から都内の飲食店で踊るからと案内のハガキが来たので、見に行った。メイクも衣装も美しく、講習では見られなかった艶(あで)やかで華麗で官能美に満ちた踊りに、さすがと感心した。
 習いに通ったのは約2年半で、その後はDVDを見ながらレッスンを思い出しながら、時々、自宅で踊っていた。今、思い出しても、本当に楽しくて新鮮で有意義なベリーダンス・レッスンだった。


                               


テレビ・ドラマ 『重婚 二人の夫を持つ女』 (テレビ朝日・1985年)

2012年03月24日 | テレビ番組
 監督=野村孝
 脚本=小森名津
 主演=山本陽子、名高達郎、河原崎長一郎
 東京と奈良で夫を持つ女性の実録ドラマ。主人公は東京と奈良に教室を持ち、フラワー・デザイナーとして活躍する女性。東京では、年下のカメラマンと同棲し、結婚。奈良では、夫と2人の子供と暮らしている。奈良では本名、東京でカメラマンの夫とは、行方不明になった妹の戸籍を使って結婚。教室のある東京と奈良を毎週、新幹線で往復し、2人の夫からも子供たちからも愛されていたが、二重生活の苦悩と疲労から自殺してしまう、というストーリー。
 今年、初めて、テレビ・ドラマを見た。最近、再放送された番組ではない。CD&DVDラックに積み重ねてあるVHSビデオ・テープを捨てる決心をし、まだ見ていない録画テープがあるかもしれないと、未練がましく、1本ずつ再生してみたのである。現在、使用しているブルーレイ・DVDレコーダーの下の段に、VHSビデオ一体型DVDレコーダーを置いてあり、まだ使用可能である。そのレコーダーでビデオ再生したのを、DVDにダビングした映画もかなりあるが、同じ映画をブルーレイ・DVDレコーダーで録画して、DVDに落としたり、市販のDVDを買ったりしたのも少なくないので、結局、無駄になってしまった。
 VHSビデオ・テープはあまり画質も音質も良くないから、再生して確認しないまま捨てようかと思ったが、やはり未練があり、一抹の期待がある。テレビで放送しそうにない映画があるかもしれないし、販売されていないDVDの映画があるかもしれない。1本のテープに2本も3本も録画してあり、どれもラベルには1本の映画タイトルと、『他・数本』と書いてあるだけだから、観てない映画が出てきそうな気がした。
 けれど、VHSビデオテープを1本ずつ再生してみると、そんな映画はなさそうだった。
 代わりに、6本目に再生したVHSビデオ・テープに録画してあったのが、このドラマである。テレビ・ドラマはほとんど見ないし、録画しないので、珍しいと思った。まず、タイトルに惹かれた。キャストもいい。とは言っても、1度見たドラマなら、このテープは捨てようと思いながら再生を続けてファーストシーンを見たら──。
(あ、見てない! 面白そう!)
 得した気分になった。ブルーレイほど画質と音質が良くなくても、テープはそう劣化していないのか、
(結構、きれいに映るじゃない!)
 予想以上に鮮明な画質で、うれしくなった。
 若々しく純真で情熱的な青年役の名高達郎が、とても素敵である。東京ではハイ・センスなキャリア・レディ、奈良の旧家では気品ある夫人を演じ分ける山本陽子の演技の見事さ。背景が、都会と、古都の違いの面白さ。ストーリーも面白くて、すぐ引き込まれた。2人の夫を欺く主人公。名前を変え、東京弁と関西弁を使い分け、化粧も髪型も衣装も、別人のような変身ぶりが、見事と言いたくなるくらい。東京で年下の夫と愛の生活を送っている時には、恋に燃える女。奈良では、良き妻、良き母になる女。
(何て理想的な生活。夫が2人いて、毎週、東京と奈良を新幹線で往復して、どちらも愛で満たされて……!)
 と、単純な想いが湧く。
(何て、〈女性〉を完全に描いているドラマかしら……!)
 女性には、恋に燃えてしまう女である自分と、妻・母としての歓びと安らぎに包まれたい自分が、常に共存している、葛藤している──そんな一面を描ききっているこのドラマに感動させられた。
 原作はなく、実録ドラマということだが、才能ある脚本家による脚本と感心もした。
 欲を言えば、ラストシーンは少し、もの足りなかった。2人の夫から疑惑を持たれ始めた主人公が、妊娠した時、
(どちらの夫の子かしら……)
 という呟きは、リアリティはあるものの、やや興醒めな感じがしなくもないが、実録ドラマである以上、無理ないことかもしれない。そのことも苦悩の1つ、さらに2人の夫からの疑惑や、欺(あざむ)き続ける二重生活に疲れ果てたことが原因で主人公は自殺してしまうというラストシーンも、もの足りない気がしなくもなかった。
(実録ドラマの結末だから、こういうラストシーンになったのかも)
 そう思い直した。
 約2時間、思いがけなく楽しめたテレビ・ドラマ。残りのVHSビデオ・テープを捨てる前の、再生確認の作業が楽しみになった。


                              


坂東玉三郎、新作舞踊に挑む (芸能百花繚乱特集・NHK)

2012年03月17日 | テレビ番組
 2011年11月、熊本県山鹿市の国指定重要文化財の芝居小屋『八千代座』の舞踊公演
 出演=坂東玉三郎、花柳寿太一郎、花柳昌克、他
 構成・振付=花柳壽輔
 演目=『春夏秋冬』「梅林」「花見のそぞろ歩き」「春の川面」「蛍」「蝉時雨」「夏の境内・縁日」「耳無し芳一」「鎮魂」「よへほ節」「雪姿」「フィナーレ」  
 坂東玉三郎の舞踊を、テレビで初めて観た。セリフのない舞踊は、すぐ飽きるかもと予想したが、最初から舞台の美しさに眼を奪われ、深く引き込まれてしまった。春夏秋冬の季節ごと、光り輝くような美しさや、はかなげな美しさが表現された踊りに魅了された。坂東玉三郎のこの上なく美しい姿と舞、素晴らしくよく似合う華麗な彩りの衣装、繊細で情感のこもる踊りを観ながら陶酔させられるような心地だった。他の舞踊家との共演では、男女の熱い想いが濃密に伝わってきた。舞踊という芸術に、これほど感動したのは初めてで、坂東玉三郎の天賦の才能をつくづく感じ、生の公演をいつか観たいと思った。 
 ところで、数年前から舞台芸術に興味を持つようになった私と違って、子供のころに映画や舞台の公演を観ていた友人がいる。映画の他に、歌舞伎、宝塚、N響コンサート、新国劇やその他の芝居など、小学1年生の時から両親や親戚に連れられて行ったという○○さんに、
「子供の時から映画や舞台芸術を観ていたなんて、うらやましい」
 そう言うと、
「娯楽だ。あのころは、それくらいしか楽しみがなかったんだ」
 と、○○さんは答えたのである。
「それくらいしかって、それだけ楽しみがあったら恵まれてるわ。でも、歌舞伎や宝塚って、子供が入場できるの?」
「昔は入(はい)れたんだ。子供はすぐ飽きて騒ぐけど、最後までおとなしく観てるから、よく連れてってくれたんだ」
 おとなしい子供時代の○○さんを見てみたかったと思ったが、映画や歌舞伎や芝居は両親が好きだったこと、宝塚は親戚に宝塚女優がいたこと、N響コンサートは習っていたヴァイオリンの教師がN響の団員でチケットをもらうことなど、ずいぶん幸運な家庭環境である。
 以前、遊びに来た○○さんに、歌舞伎や能や狂言の舞台のテレビ録画を見せた時、古典芸能の精通ぶりに感心したことがあった。
 そんな○○さんが興味を持たないのが、オペラである。
「西洋のオペラは、日本の歌舞伎」
 と、○○さんは言うが、歌舞伎は音楽がないと思えば、笛や太鼓の囃子や長唄や三味線がある。けれど歌はない。
「日本人は、オペラはまだ未熟。西洋人と同じような鑑賞は無理。アリアの原語を正確に理解して聴けない。字幕はあっても。海外のオペラ歌手は、日本人に対して偏見があるんじゃないかな。オペラはまだ未熟な国という認識だと思う」
 というような見解らしい。確かに、イタリアのソプラノ歌手のDVDの特典映像で、日本の音楽評論家のインタビューに答えて、「日本人の皆さんも、もっと、こういう音楽を聴くようになれば」というようなコメントがある。そのインタビューは素晴らしくて、私はそのソプラノ歌手をいっそう好きになったのだが、海外のオペラ歌手がイタリアやオーストリアやアメリカで公演するのと、日本公演では、意識の違いがあるのは無理もないことかもしれない。
 ともあれ、感動できて、楽しめれば、何だっていい。私にとっての、映画や舞台芸術の魅力は、胸を熱く揺さぶられたり、陶酔させられたり、現実離れした夢の世界に酔わされることだから──。