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一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

テレビで観る宝塚歌劇

2011年12月22日 | テレビ番組
 テレビで宝塚歌劇の公演が、よく放送されている。私は宝塚ファンではないが、テレビ番組表で、知らない演目と知らない主演トップスターの名前を見ても、時々、録画しておく。最初だけ見て消去することが多いが、3本に1本ぐらいは最後まで観る。最近、観たのは、『星組公演 ハプスブルクの宝剣 -魂に宿る光-』(2010年1月29日 宝塚大劇場)(NHK BS)。主演は柚希礼音と夢咲ねね。原作は藤本ひとみ。脚本と演出は植田景子。主題歌はシルヴェスター・リーヴァイ。
 18世紀のヨーロッパが舞台で、野心に燃えるユダヤ人美青年の、波乱に満ちた生涯が描かれる。男役トップスターの柚希礼音が、わりと素敵だった。叙情的でロマンティックな音楽も美しかった。衣装も髪型(カツラだが)も良かった。ユダヤ人美青年と王妃テレーゼのせつない感情が、よく伝わってきた。
 私にとって、宝塚歌劇の魅力は、男役である。宝塚女優が男を演じて歌うのを観ることに、ワクワクするような期待と、ときめきを感じる。もしかしたら、少女マンガの世界が原点かもしれないと思ったりする。少女時代に夢中になって読んだマンガに描かれた、美しい貴公子、甘い顔立ちのりりしいプリンス、現実離れした夢の世界の王子様──が登場する世界に浸った時の楽しさや胸のときめきや感動に、通じるものがあるような気がする。王子様というのは、私にとっての抽象的な意味である。その少女マンガ世界と違って、歌と踊りの舞台が華麗に繰り広げられる宝塚歌劇は、紙に描かれた夢の世界の王子様より、当然、はるかにリアルでインパクトも迫力もある。
 数年前、テレビで、宝塚女優たちのトーク番組を見た時、男役の歩き方の訓練についての話が興味深かった。男性と女性は歩き方が違う。肉体の違いによる、歩き方の相違、というような話をしていて、その訓練法に感心させられた。舞台上を歩く男役トップスターを見ると、そのことが頭をかすめたりする。男性独特の歩き方、しかも男性ではなく女性が歩く男性の歩き方、しかも美しくて魅力的でセクシーな歩き方と、りりしくも美しい立ち姿を見ると、もう、うっとりさせられるような気分になる。初めてテレビで宝塚公演を観た『ベルサイユのばら アンドレとオスカル編』(1989年・雪組公演)』のアンドレ役の杜けあきは、私が観た中で最も魅力的な、男性の歩き方と舞台上の立ち姿と、歌と演技で酔わせてくれた男役トップスターだった。
 もちろん歩き方ばかり見ているわけではない。歌も、表情を含めた演技も、魅せられるのは、やはり男役である。テレビで宝塚歌劇を、多く観ているわけではないが、同じようなメイク、同じような声や歌い方になりがちな中で、魅力的な男役トップスターは、独特の美しい個性がにじみ出ているように感じられる。声量があればいいというものではなく、艶やかさと気品と豊かな感情表現が伝わってくる男役は素敵である。
 今年は、テレビで、もう1本観た。演目は『炎にくちづけを -「イル・トロヴァトーレ」より-』で、2005年の宙組公演。(『宝塚ドリーミング・シアター』・TwellV)。原作はヴェルディのオペラ『イル・トロヴァトーレ』。脚本と演出は木村信司。作曲は甲斐正人。主演は和央ようか、花總まり。
 原作がオペラの『イル・トロヴァトーレ』だったので、観たのだが、
(う~ん、何か、私のイメージと違うみたい)
 という感じで、最後まで、のめり込めなかった。イメージが違うというのは、私が抱く『イル・トロヴァトーレ』という作品に対してであり、歌とオーケストラの演奏に対してで、出演者たちの演技については、よく、わからないけれど。当然、オペラと宝塚歌劇は違う。同じ演目でも、オペラとミュージカルの違いということだと思うが、やはりオペラの『イル・トロヴァトーレ』のほうが私の感性には合うと、あらためて思った。
『イル・トロヴァトーレ』は、ヴェルディの美しい旋律にも酔わされるが、三角関係の男女の愛と嫉妬、母と息子の愛、長年の憎しみと復讐心──それらが描かれるドラマティックなストーリー。タイトルのトロヴァトーレは吟遊詩人の意味だが、騎士の姿の登場で、名前はマンリーコ。15世紀、スペインのある地方の城が舞台。ジプシー(ロマ)が出てくる話を私は好きなのだが、母を火あぶり処刑されたアズチェーナというロマ女性は、死を前にした母に復讐を誓って、伯爵の弟である赤子をさらい、火に投げ入れたが、実は自分の赤子だった、という怖くなるような話。復讐心を秘めながら、その赤子を育てて、母と息子の愛の生活が続く。成長したマンリーコは公爵夫人の女官レオノーラと愛し合うように。レオノーラはルーナ伯爵から想いを寄せられていて、ラブ・ロマンスと男2人の嫉妬が描かれる三角関係。というようなストーリーで、最後は嫉妬と怒りからの伯爵の命令で、マンリーコは火刑に処せられ、それを見たアズチェーナが「あれこそ、お前の探していた弟だ! 母さん、復讐を果たしました!」と、両手を広げ天に向かって叫ぶドラマティックな幕切れ。
『イル・トロヴァトーレ』を初めて観たのは、新国立劇場の5階にあるビデオ・ブースでだった。午前10時発売の当日券を、早起きして2時間前から並んだのに買えなくて、ショックと落ち込んだ気分の中、オペラシティで早めの昼食のスパゲティを食べながら、
(そうだわ、ビデオ見て帰ろうっと)
 と思いつき、5階の情報センターのビデオ・ブースで、午前11時ごろから『チェネレントラ』と『トスカ』と『イル・トロヴァトーレ』をたて続けに観て、午後6時の情報センター閉館時刻に帰りながら、
(オペラって、何て素晴らしいのかしら)
 と、胸が熱く満たされた思いだった。テレビ画面の半分ぐらいのビデオ画面で、ヘッドホンで聴いたのに、予想外に楽しめて、当日券を買えなかったショックと落ち込んだ気分は、すっかり消えてしまった。
 その後、『イル・トロヴァトーレ』をテレビで観て、DVDで観て、ようやく今年の10月に、新国立劇場の公演を生で観た。100%の満足とは言えなかったし、主要人物のマンリーコとレオノーラとルーナ伯爵とアズチェーナの4人共に素晴らしかったら、もっと感動的で酔わされたかもしれなかったけれど、好きなアリアがあるヴェルディの美しい旋律を、生で聴いた感動の余韻はあった。
 また、昨年、テレビで観た宝塚歌劇で一番印象的なのは、『再会』(1999年・雪組公演)(宝塚ドリーミング・シアター)。主演に轟悠の名前があって観たのだが、モナコが舞台のラブ・ロマンスで、予想以上に楽しめた。
 最近はトップスターの退団の時期が早くて、映画やテレビでの活躍を目指すスターが多いと聞いたことがある。轟悠は、そうではないと知った。轟悠の名前は、私が初めてテレビで観た宝塚歌劇『ベルサイユのばら』(雪組公演・1989年)で、衛兵アラン役で記憶があった。『wikipedia』によると、元雪組トップスター、専科に所属する男役スター、と書いてある。専科とは特定の組に所属しない団員のことらしい。昨年観た『再会』の轟悠は、モナコの一流ホテルの御曹司で、売れない小説家役だったが、とても魅力的だった。
『YouTube』でオペラのアリアをいろいろ聴いていると、あっという間に時間が経ってしまうが、宝塚歌劇は、歌を知っている『ベルサイユのばら』を時々。
                              

『唐人お吉』 (帝国劇場100年 名作 あの舞台・NHK)

2011年11月22日 | テレビ番組
 珍しく、テレビで日本の舞台の公演を観た。
 演目は『唐人お吉』。帝国劇場で、1994年の公演。主演は佐久間良子と、林与一。演出は石井ふく子。脚本は服部佳。
 番組表を見て録画した時は、最初の少しだけ見て消去かもという気分で、あまり期待していなかった。たまに、日本の舞台公演を録画するが、最後まで見ることは、ほとんどないからである。
 演目の『唐人お吉』は、『蝶々夫人』みたいな話と思い、あまり惹かれなかったが、主演の佐久間良子と林与一は好きな俳優なので、ちょっと見てみたいという気持ちだった。
 見始めたのは、そろそろ寝ようと思った時刻である。最近の私はわりと早寝早起きなのだが、寝室へ行く前に、マルチ・リモコンを手にして<予約リスト>と<録画リスト>を表示させて確認するという習慣がある。つくづく、テレビ依存症気味を自覚し、我れながら未練がましいと感じながら、1日の終わりにマルチ・リモコンをなかなか手放せないのである。
 録画リストで、この舞台のタイトルを眼にした時、
(ハードディスクの容量が不足しそうだから、これは、ちょっと見て消去しようっと)
 と、他の番組の録画もよくあることだが、そんな気持ちだった。 
 ところが、思いがけなく夢中になって観始めてしまい、眠気が遠のいてしまった。『唐人お吉』のストーリーは漠然としか知らなかったが、『蝶々夫人』のヒロインとは全く違う。外国人と肉体関係を持つことに偏見があった時代というのは共通しているが、その恋も生き方も人生も、まるで違う。佐久間良子が演じる少女時代のお吉に惹かれて観始め、時間の経つのを忘れてしまうほど夢中になり、もう、この上なく深く感動させられた。
 お吉のキャラクターも興味深かったし、娘時代から晩年までの波乱に富んだ人生、愛し抜いた男性との恋、結婚時代の苦悩、酒に溺れ自殺するまでが描かれているのも、とても興味深かった。娘時代から中年、晩年までのお吉を演じる佐久間良子の素晴らしい演技に魅せられどおしだったし、感情移入のあまり、涙があふれそうになるほど胸が熱くなった。お吉を死ぬまで愛した、船大工の鶴松役の林与一も、とても素晴らしくて印象に残った。他のキャストも皆、個性的な演技で、良かった。もちろん、演出と脚本の素晴らしさも感じられた。
 一幕ごとにスタジオで、容姿も声も美しい佐久間良子が、作品の解説と、公演のエピソードを語ったのも興味深かった。
 翌日、ネットで調べたら、この公演は何度も再演されている。初演は1983年。道理でと思った。まさに適役であり、素晴らしい熱演であり、〈佐久間良子のお吉〉が鮮烈に濃厚に描かれている舞台で、最高の名演、最高の名作だと思った。
 約2時間半、胸を熱く揺さぶられ、感動の余韻とともに、急いでベッドに入った。時計を見ると、午前1時を回っている。いつもより夜更かししてしまったが、
(何て素晴らしい舞台、生で観たら、感動と陶酔のあまり、終演後に身動きできなかったかも……!)
 と、ベッドに入って目を閉じてからも、昂奮がなかなか醒めなかった。生で観たら素晴らしいのは、その舞台に限らないけれど。
 期待しないで録画したら、思いがけなく楽しめたり感動したりする番組に、たまに出会えるので、テレビ依存症人間でもいいかしらなどと思っている。
                              

『黙秘』 (サスペンス特別企画・TBS)

2011年11月18日 | テレビ番組
 たまに、気が向くと、テレビ・ドラマを録画する。番組情報を見て選ぶのは、タイトル、ストーリー、キャスト、90分以上の単発ドラマが条件。年に3本ぐらい録画するが、ファーストシーンを見て、消去することが多い。最後まで見るのは、年に1本あるかないかという感じ。昨年は1本もなかった。今年は、このドラマ『黙秘』だけ、最後まで面白く見た。2時間足らずのサスペンス・ドラマだが、5年前の再放送である。
 演出は長谷川康。脚本は安井国穂。キャストは、渡部篤郎、佐久間良子、他。
 主人公は、横浜地裁の矢沢判事。東京高裁判事の娘との見合い話が進み、肉体関係のある書記官の美里に手切れ金を渡して別れる。
 3年前に矢沢判事が、強制わいせつ罪の判決を言い渡した男から、美里との関係をネタに強請られる。
 越後湯沢の旅館で働く美しい仲居の広恵が、深夜、ブルーシートに包んだ死体を川へ投げ込む。その後、広恵は同棲していた中嶋の殺害容疑者となり、警察で完全黙秘を続ける。
 新潟地裁へ異動になった矢沢判事は、広恵の事件を担当する。裁判の日、黙秘を続けていた広恵が、中嶋の殺害を証言。矢沢判事は冷静な口調で、審理の中止と裁判の無効を宣言。被告人の広恵は、昔、父の教え子と駆け落ちした、自分の母親だった。職務上、肉親を審理担当することはできないと法律で定められている。
 矢沢判事を強請っていた男が、書記官の美里に近づき、共に矢沢を苦しめようという話をする。美里は、別れても愛している矢沢判事のために、男を殺害しようとして未遂に。やがて矢沢判事は、美里の愛の一途さ、母が夢中で男を愛した心情をようやく理解し、判事の職を捨てて美里の弁護と彼女との結婚を決意する。
 ──というようなストーリーで、テレビ・ドラマの脚本と演出の素晴らしさに、これほど感動したのは久しぶりだった。判事役の渡部篤郎も良かったし、夫の教え子である男との不倫に走り、愛を貫き通した広恵役の佐久間良子が、とても素晴らしかった。見終わった後、再び番組情報を表示させて、脚本、演出などスタッフの名前をもう一度見たほどだった。
 そのテレビ・ドラマを見ながら、何度か、瞬間的にかすめたのが、友人の息子さんの○○ちゃん。ドラマの主人公と同じ判事、と言っても、まだ若いから判事補である。民事裁判の見学のため、傍聴に行った日のことを思い出した。裁判はすでに始められていて、法廷に入ると、○○ちゃんの姿が、すぐ眼に入った。中央の裁判長席の右陪席にベテラン判事補、左陪席に新人判事補と知っていた。黒い法服に身を包んだ○○ちゃん。何て素敵な美青年に成長したのだろうと、感激のあまり、私は一瞬、胸が詰まった。電話で初めて声を聞いたのが、○○ちゃん5歳の幼稚園児の時。2度目が小学6年生の時。30年近くの友人との付き合いで、私のほうから急用で連絡したのは、その2度だけ。電話に出た○○ちゃんの「はいっ、◇◇です!」と名乗った元気いっぱいの可愛い可愛い声が、今でも耳に焼きついている。○○ちゃんが司法試験を受けると聞いた時から、毎晩、就寝前に、
(どうか○○ちゃんが司法試験に受かりますように)
 と、心の中で呟き、手を合わせてお祈りした。3年目に合格した時、本当にうれしくてたまらなかった。もう、ずっと以前から、友人と○○ちゃんの話をし、ふとした時に○○ちゃんのことを考えると、まるで友人の息子さんではなく、自分の息子みたいな錯覚に陥ってしまうことがあった。その後、○○ちゃんがアメリカへ国費留学したころも、友人から○○ちゃんの様子を聞くのが楽しかった。そんな話を聞いた後は、また、○○ちゃんが息子みたいに感じられ、ふと我に返る。
(私の息子じゃなかった。☆☆さんの息子さんだった)
 友人の息子さんを、自分の息子みたいに錯覚するなんて、私って、どうかしてると思った。
 見学に行った民事裁判傍聴の日、しばらくして、○○ちゃんが名前を告げてから、被告に意見聴取を始めた。判事補に任官されてまだ1年ぐらいなのに、その声も話し方もベテランのように落ち着いていて、見ている私をさらに感激させた。けれど、喜びと同時に、
(あの可愛い可愛い○○ちゃんは、もう、大人の男性……)
 歳月の流れを感じて、一瞬、胸が熱くなってしまった。

『染五郎 気迫のスタジオ歌舞伎』 (芸能百花繚乱・NHK)

2011年11月01日 | テレビ番組
 歌舞伎は舞台を観るものと思っていたら、スタジオ歌舞伎というのがあることを初めて知った。演目は『細川の血達磨』。2006年10月に大阪松竹座で上演の『染模様恩愛御書(そめもようちゅうぎのごしゅいん)』を、テレビ用に再構成したということである。
 私は歌舞伎ファンではないが、一時期、歌舞伎を観に行った思い出があるためか、テレビ番組表で歌舞伎の文字や歌舞伎俳優の名前を眼にすると、ほとんど録画しておく。と言っても、歌舞伎俳優のトーク番組やゲスト出演の番組は最後まで見るけれど、舞台の歌舞伎は、最初の30分ぐらい見て消去してしまう。そうとわかっていて、次の時もまた録画するのは、最後まで観て楽しめる演目があるかもしれないという期待を捨てきれないためである。
 歌舞伎は、やはり舞台を観に行かなくちゃと人から言われたことがあり、歌舞伎に限らず、舞台芸術はすべて、生で観なくちゃと言うが、私にとってはテレビで楽しめることもあるから、そんなことにこだわらない。舞台を観に行くほうがいいに決まっているけれど、テレビでそれなりに楽しめれば、私は満足。
 この番組も録画してから見たのだが、テレビ用にスタジオで再構成されたのなら、楽しめるかもという期待があったものの、興味の持てない演目なら、やはり30分ぐらいで消去かもと思いながら見てみると──。
『細川の血達磨』という演目を、知らなかったが、始まる前に番組司会者による簡単な解説があった。めぐり逢って惹かれ合い、兄弟の契りを交わす男色などが描かれるというような話だった。出演は市川染五郎、市川猿弥、旭堂南左衛門、他。
 市川染五郎が、同性愛の絆で結ばれる兄弟を演じる1人2役。この上なく、りりしくて、美形で、とても魅力的だった。
 解説を聞いていたため、ストーリー展開が、わかりやすかった。
 同性愛というのはドキリとさせられるが、美しく描かれ、美しく演じられていた。契りを交わす2人が抱き合うシーンは、障子の影で表現されているのも美しかった。
 背景の映像に工夫が凝らされていて、ドラマを盛り上げている感じだった。
 舞台で観る歌舞伎の醍醐味には及ばなくても、どのシーンの映像も美しく、予想以上に楽しめた。
 講談師の旭堂南左衛門の、独特の語りが、ところどころに入る。
(講談て、こういう感じなのね……)
 聴きながら、そう呟いた。ずっと以前、故・菊村到先生から、知人のお父さんが講談師で、招待券を貰ったから、講談を聴きに行こうと誘われたことを思い出した。その時、私は、
「えっ、講談、ですか?」
 と、思わず聞き返した。講談という言葉が意外でもあり、講談に誘われたことも意外でもあり、その意外な講談を菊村先生に誘われたことも意外だったからである。私にとって、講談とは、耳慣れない言葉だった。けれど、多少の知識はあった。
「講談て、講談師が、何か、延々と語って聴かせる芸でしょう? 私、そういうのって、すぐ飽きちゃうから」
 と、断ってしまったのだが、今になって、そのことが悔やまれる。興味を持てるか持てないか、聴いてみなければ、わからない。1度ぐらい、聴いてみればよかったと。多分、そのころの私は、講談に対するイメージが、地味というか、暗いというか、そんな感じがあったのだと思う。かといって、派手なことが好きだったわけではないけれど。
 本当に、今、思えば、何事も経験、一度ぐらい講談を聴いておけばよかったと、後悔しきりである。
 とは言え、この番組での講談はスタジオで断片的に短く語られるから、少しも飽きなかったが、本格的に講談を聴きに行ったら、どうかわからないけれど。
『染五郎 気迫のスタジオ歌舞伎』は、本当に素晴らしくて、楽しめたし、他の演目も見てみたいと思った。

『志の輔らくご in 下北沢 牡丹灯籠 2010』 (WOWOW)

2011年10月29日 | テレビ番組
 今日の午後はテレビで4時間余り、オペラ『ドン・カルロ』を観て過ごした。1月初旬に新宿ピカデリーで観たMETライブビューイングである。新宿ピカデリーは巨大スクリーンで迫力があったが、音響は、やはり映画向けの感じ。クラシック・モードにしたテレビでも、ほぼ満足できるため、スペイン王子ドン・カルロを歌ったテノール歌手ロベルト・アラーニャに、あらためて魅了されたし、楽しめた。
 夕食の用意をしながら、最近はテレビを見る時間が増えたと、つくづく思った。もっと外出したいのだけれど、今日のように日中、テレビに向かってしまう日もある。以前は、テレビをじっくり見るのは夜の習慣だったが、昼に見る日が増えると、テレビ依存症になってしまいそうな気がして不安になる。
 先日はテレビで、落語の番組を、初めて見た。2010年下北沢の本多劇場で上演された、立川志の輔の落語『牡丹灯籠』。
 テレビで、寄席の番組を断片的に見たことがある。落語は、公演を聴きに行ったこともないし、テレビで見たこともない。
 この番組を見る気になったのは、立川志の輔ファンの友人がいて、公演を聴きに行ったとかチケットが取れないとか聞いたことがあり、立川志の輔がどんな落語家で、どんな面白さと魅力があるのかということに興味があったからである。
 友人が『志の輔』という名前を口にした時、聞いたことがあると思ったら、テレビの情報バラエティ番組の司会者だと気づいた。特に好きでも嫌いでもなく、印象の薄い司会者という感じだった。
『志の輔らくご in 下北沢 牡丹灯籠 2010』は録画しておいたが、約2時間半のうち、30分ぐらい見て消去するかもと、あまり期待していなかった。
 演目のタイトル『牡丹灯籠』には惹かれた。幽霊の話は面白くて好き。上演が『本多劇場』も、なつかしい名前。以前、住んでいた最寄り駅近くにあり、通りかかると、いつか来ようと思ったりした。
 録画の数日後に見てみると──。 
 前半の、『牡丹灯籠』についての立川志の輔の解説が、予想以上に面白かった。ボードに登場人物の名札を貼っていきながらなので、わかりやすくもあり、ユーモラスで、興味をそそられる話し方に感心したし、面白かった。
 後半の落語も、夢中になって聴き、少しも飽きさせられなかった。落語に出てくる訪問者が家の表戸を叩く時に、立川志の輔が扇子を床にトントン打ちつけたり、登場人物が走って行くのをタッタッタとリアルに表現するのが、珍しくて面白くて楽しめた。
 後日、友人に、その番組を見た話をした。友人も、以前、テレビで見たと言うから、再放送らしいが、立川志の輔についてのプロフィールとか魅力とか『牡丹灯籠』についての解説などを話してくれた後、
「そんなに面白かったなら、志の輔のCD貸してあげる」
 と言うので、
「えっ、落語のCDって、あるの? ああ、あるわね」
 と、私。CDというと、最近はオペラのCDばかり、家事をしながら聴く習慣があるけれど、一語も聞き逃(のが)せない落語のCDを聴きながら何をすればいいか、わからないので、借りないことにしたものの、風邪をひいて寝込んだ時にいいかもしれない。
 あ、思い出した。落語を聴いたことは今までなかったと書いたが、公演でもテレビでもなく生の落語を聴いたことが、1度だけある。10数年前、隔週刊誌連載の打ち上げの夜、担当編集者と社長とイラストレーターと私の4人が、新橋のクラブでだった。社長の行きつけらしいその店で、落語を聴くイベントが行われていた。客席を一方に寄せ、比較的広い店内の半分ぐらいのスペースに落語家の座る台を設けて、演目は忘れたが、中堅の落語家による落語を聴いた。正直言って、あまり面白くなかったし、内容がよく理解できなかった。落語を聴くという初体験の新鮮さ、楽しさはあったが、あまり興味は持てないという感想だった。
 そんな私が、『志の輔らくご in 下北沢 牡丹灯籠 2010』のライブをテレビで見て聴いたら、本当に面白くて楽しめたので、いつか公演を聴きに行きたいと思った。
          

森山良子 デビュー45周年記念コンサート (WOWOW)

2011年10月26日 | テレビ番組
 テレビで、『森山良子 デビュー45周年記念コンサート』(オーチャードホール・2011年4月30日)のライブを見た。オーチャードホールへ聴きに行きたかったと思うような素晴らしいコンサートである。伴奏がギター、ピアノ、ベース、ドラム。
 デビュー当時の歌も、なつかしく聴いたし、『30年を2時間半で』『あなたが好きで』なども良かったし、特に印象的だったのはアカペラの歌。マイクの前でオルゴールを回しながら歌った『エターナリー』(『ライム・ ライト』のカバー曲)。これが一番、素晴らしかった。
 ところで、その番組、右上にWOWOWのロゴが、ずっと表示されている。10月1日以前は常時ではなかったロゴ表示だが、小さなサイズだし、映画を観ている時は、あまり気にならなかった。先日、親しい編集者の○○さんとのメールのやり取りで、WOWOWはロゴが出るようになったので解約しようかと思うと書いてあるのを読んだ時、
(さすが、マニアね。そこまで、こだわるのね)
 と、感心したものだった。その後、WOWOWで映画を観て、右上のロゴを眼にした時、
(映画に夢中になれば、それほど気にならないわ)
 と、○○さんのメールを思い出した。他局のセンスの良くないロゴよりマシな気がした。
 ところが、『森山良子 デビュー45周年記念コンサート』のライブを見たら、右上にWOWOWのロゴが、ずっと表示されたまま、時々、左上にもWOWOWロゴが出るのである。しかも、そのロゴのサイズは、右上のロゴの3倍か4倍ぐらいのサイズの大きさ。右上に常時のWOWOWロゴ、左上にも時々、WOWOWロゴ。
(しつこい……!)
 表示されるたび、呟くことに。邪魔、うっとうしい、感動が中断する──。
 ところで、半年前、知人女性が、私の観たかった映画をコピーしてDVDを郵送してくれたのだが、何故か、最初の15分ぐらいで再生が停止してしまうのである。面白くてワクワクしながら観始めたのに、突然、再生停止。
「残酷ううう~!」
 思わず、声に出して呟いた。面白い映画が、始まったばかりで、突然、観られなくなる。これほど残酷なことはないと思った。
 そこで、壊れていない古いDVDレコーダーに入れたら、再生不能のメッセージ。
 そこで、パソコンにセットしてみたら、やはり15分ぐらいで再生停止。再生量を表すイメージ・ラインは最後まであるので、知人女性の操作ミスではないらしい。
 ネット検索して調べたら、そんなケースがあるらしく、原因は何かヤヤコシイことが書いてある。初めての経験で、他のダビングDVDも市販DVDも正常に再生可能なレコーダーである。
 送ってくれた知人女性との電話のやり取りでは、念のため再生を確認済みということで、原因はわからないということだった。
 そのDVDに、数秒間、〈NHK BS〉のロゴが表示されたのである。現在のではなく、かなり古い時期のロゴで、目障(ざわ)りなデザインである。
 字幕付きの音声が英語なので、フランス版ではなくアメリカ版なのが、ちょっぴり残念な気もするフランス映画。通販サイトでDVDを探すと、売っていない。その知人女性は会社をやめてしまったので、焼き直してもらうこともできないし、通販にもないと思うと、よけい観たくもなり……。古い映画なので、テレビで放送されそうな気配もないし……。
 その映画なら、目障りなロゴが表示されても観たいと思っているのだけれど──。
                            

『あなたの健康は誰が守る』 -セルフメディケーション最前線- (BS朝日)

2011年04月28日 | テレビ番組
 テレビの健康番組は、興味のあるテーマの時に録画予約して、見ることにしている。『番組説明』を表示させると、〈薬の正しい飲み方〉と書いてあり、新鮮な感じがして、見てみた。
 すると、薬を飲む正確な時間を、長年、間違えていたことに初めて気づいた。
(今まで飲んだ、あの薬もこの薬も、100%の効き目ではなかったんだわ……!)
(正しい飲み方をしていたら、よく効いて、半分の日数だけ飲めば治ったのかもしれない……!)
(薬が効いたのじゃなく、自然治癒力とプラシボ効果で治ったのかも……!)
(化学薬品の風邪薬を飲むと眠くなるのは、副作用はいつ飲んでも出るほど強いのかも……!)
(薬代、ソンしたわ……!)
 などと呟き、私はショックを受けてしまった。
 この番組に出演した専門家の医師の説明によると、漢方薬品の箱に書いてある〈食前〉は、食事の30分前が正しく、化学薬品の箱に書いてある〈食後〉は、食後30分が正しくて、効き目があるということである。
 私は、漢方薬品を飲む時は食事の直前に飲み、化学薬品は食事の直後に飲んでいた。食事直前は、〈服用方法〉に書いてある〈食前〉だし、食事直後は、〈服用方法〉に書いてある〈食後30分以内〉だからである。
 それが習慣だったし、正しい飲み方と思っていた。私だけでなく、周囲の人たちも、その飲み方をしているのを見ている。
 けれど、この番組で専門の医師が、漢方薬品は食事の直前ではなく30分前、化学薬品は食後すぐ飲むのではなく、30分経ってからのほうが効くと、わかりやすく説明していて、よく理解できた。
 そのことを、何故、薬の〈服用方法〉に書いてないのだろう。漢方薬品の〈服用方法〉には、食前、または、食間、と書いてあるし、化学薬品の〈服用方法〉には、〈食後30分以内〉と書いてある。食後にすぐ飲んでも、30分以内である。
 何故、正確な書き方をしていないのか。美味しくもない薬を飲むのだから、誰だって、効き目のある飲み方をしたいのにと思う。薬を多く買わせる陰謀ではないかと邪推したくなったくらいである。
 医学と医療の進歩とか進化とか、よく聞くけれど、一体いつから、薬の正しい飲み方の有効性がわかって、進歩した情報を教えてくれることになったのか知りようもないが、この番組を見なかったら、効き目のある薬の飲み方を、ずっと知らなかったことになる。
 薬の正しい飲み方の他には、番組が取材した、アメリカの医療費削減のためのプロジェクトを取り上げていて、それを見たら、つくづく感心した。
 セルフ・メディケーションの一環として市販薬があり、薬局の薬剤師に、体調が良い時も良くない時も、定期的に話しておく。病院のカルテのようにパソコンで記録されていて、自分の健康は自分で管理していくという発想が、欧米の潮流だということである。
 その様子の映像では、ショッピング・センターの中の薬局コーナーが映っていた。買い物帰りか、買い物前に、月に1度とか半年ごととか年に1度、定期的にそのコーナーに寄るというのは合理的だと思った。検査や治療が必要なら、もちろん病院へ行く。そのプロジェクト実現の結果、医療費が激減したということである。
 ところで、数日前、居住区の保健所から、昨年と同じように『がん一次健診無料クーポン券』が郵送されてきた。有効期限は9月末日。あまり行きたくないけれど、有効期限までの5か月間に、体調が悪くなるとか、気が変わって受けるかもしれないので、『がん一次健診無料クーポン券』は捨てないで取っておいてある。
 アメリカのようにセルフ・メディケーションが実現されていたら、手間と時間をかけて、ガン検診をしなくてもすむのではないかと思った。
                                   

『住まい自分流』 NHK教育

2011年02月05日 | テレビ番組
 日常生活に役に立つ情報を知ることができる番組で、興味のあるテーマの時は、録画予約しておく。
 今週のテーマは、<花粉対策これで万全>だったので、見てみた。
 予防が大切で、家の中に花粉を持ち込まないようにすることが大事らしい。外出時と家の中の花粉対策と、花粉の掃除法などを説明していた。
 それらのすべてを実行するのは、大変な手間とエネルギーとお金と時間がかかりそうという感想だったが、参考にはなった。<明日は我が身>で、花粉症になった時に思い出して実行してみようとも思った。
 冒頭で、今年は花粉の飛散量が多いと言っていたが、毎年、同じことを聞くような気もする。
 花粉症は病気というわけではないから、花粉症の人は、そうではない人を、まるで仲間を増やしたいみたいに、誰でも花粉症になる可能性があるのだから、あなたもなるわよと脅すような口調になることが、ちょっぴり、おかしい。みんなで花粉症になれば怖くない、という心理だろうか。
 けれど、経験談を聞くと、いろいろ大変そうで、やはり、なりたくないと思う。
 姉は、
「花粉症はアレルギー体質の人がなるのよ。うちの家系はアレルギー体質ではないから大丈夫」
 と、楽観している。確かに親きょうだいに花粉症はいない。私の知人や友人にも、あまり、いない。花粉症の人は珍しいという感じで、なっていない人のほうが多いため、つらそうにしている人を直接、見ていない。
 けれど、ある日、突然、発症するらしいから、油断はできない。外出時に気をつけなければならないだけでなく、家の中にも花粉が入り込んでくるのを防いだり、花粉を拭き取る掃除を頻繁にしたり、洗濯物も外に乾してはいけないらしいので、早く花粉症シーズンが終わって、
(ああ、良かった。今年も花粉症にならなくて)
 と、安堵したい。
 そんなことを思っていたところ、親しい編集者Iさんが、新刊の女性週刊誌やファッション雑誌を箱詰めにして送ってくれたので、お礼のメールを書いた。
 そのメールに、
 ──今年は花粉の飛散量が多いそうですから、花粉症にならないように気をつけて下さいネ。私も気をつけます。──
 そう書き加えて送信したら、Iさんから返信メールが来た。
 ──今年は花粉が多い、と言われてますね。──
 と、私が今週、テレビ番組で得た新情報を、Iさんはすでに知っていて、さらに、
 ──実は、私は筋金入りの花粉症でして──
 そう書いてあるのを読み、
「えええっ!!」
 と、思わず声をあげ、ショックを受けてしまった。
 花粉症の人に、花粉症にならないように気をつけてネ、なんてメールしてしまったアホな私。
 つくづく反省している。
 Iさん、ゴメンナサイ。

『私のうたの道 森山良子』 NHK BS2

2011年01月30日 | テレビ番組
 テレビで、『森山良子』の歌を久しぶりに聴き、数々のエピソードやコンサートの密着取材の様子などを興味深く見た。
 最近はオペラのCDばかり聴いているが、かつて、『森山良子』の歌を好きだった。
 レコードもカセットテープもCDも持っているのは『森山良子』だけ。数枚ずつだから、全曲は聴いていない。好きな歌だけ、連日のように聴いたり、長年、聴かなかったり、久しぶりに聴きたくなったり、という感じだった。
 というのは、『森山良子』という歌手に夢中になったのではなく、好きになった歌の、その歌詞と曲、もちろん森山良子の歌もだが、好きだったので、コンサートへ行くとか全アルバムをそろえるという熱心なファンではなかった。
 反戦のメッセージの歌より、恋と愛を歌った森山良子が好きだった。
 若いころに聴いて好きだったのは、『この広い野原いっぱい』『禁じられた恋』『掌』『ふたつの手の想い出』『ある日の午後』など。プレゼントで貰ったレコードや、自分で買ったカセットテープで、よく聴いた。
 森山良子の歌で、私が一番好きなのは、『行かないで -IF YOU GO AWAY-』(『Ne me quitte pas』のカバー曲)。この歌は、もう、好きで好きで、一時期、何度聴いたか、わからない。聴くたびに胸が熱くなってしまうような、最高に素晴らしい歌で、最高に好きな歌。恋のドラマが感じられる歌で、森山良子の魅力が一番伝わってくる歌だと思った。『You Tube』にアップされていないのが残念。 
 5年ぐらい前に買ったCDの『あなたが好きで』も、一時期、よく聴いた。シンプルな歌詞だけれど、胸がきゅーんと熱くなるような素晴らしい詩であり歌詞であり歌である。                           

『宝塚歌劇 花組公演 外伝ベルサイユのばら -アンドレ編-』

2010年10月21日 | テレビ番組
 時々、テレビで宝塚歌劇を観て楽しんでいる。宝塚ファンというほどではないから、ビデオ録画しておき、気が向いた時に観る程度である。
 先日、NHKのBS-hiで観た『宝塚歌劇 花組公演 外伝ベルサイユのばら -アンドレ編-』は2009年10月の公演で、原作・外伝原案が池田理代子、脚本・演出が上田紳爾、出演が真飛聖、桜乃彩音、壮一帆、愛音羽麗、他。真飛聖のアンドレと、桜乃彩音のオスカルの主演カップルは素晴らしかった。特に真飛聖が、美しくて男らしくて凛々(りり)しくて素敵だった。
 宝塚歌劇は生(なま)で観たことがなくて、テレビだけである。宝塚女優の男役の歌と演技を楽しむのが好きだけれど、以前のように最後まで観ることは、あまりなくなった。
 初めてテレビで宝塚歌劇を観たのが、『ベルサイユのばら アンドレとオスカル編』(1989年・雪組公演)で、ストーリーも面白いし、心ときめく歌にも酔わされ、アンドレもオスカルもマリー・アントワネット王妃も本当に魅力的だった。
 特にアンドレ役の杜けあきが言葉で言い尽くせないほど素晴らしかった。その男役ぶりに、テレビ画面を見つめながらポーッとなってしまったくらい。ビデオに録画したのだが、もう、何回観たかわからない。20回以上かもしれない。
 何回観ても飽きることなく、杜けあきのアンドレに魅了され、陶酔させられる心地になった。その顔、声、表情、スタイル、セリフ、男性的な脚線、男性的な歩き方、男性的なしぐさ──。
 当時、あるパーティで知り合った女性が宝塚ファンだった。テレビで観た『ベルサイユのばら アンドレとオスカル編』の、杜けあきのアンドレが最高に素敵だったと話すと、今度、一緒に宝塚を観に行きましょうと誘ってくれた。
(劇場で宝塚歌劇が観られるなんて……!)
 私は浮きうきワクワクしながら、その日を待っていた。
 その後、彼女から電話がかかってきて、都合が良ければチケットを一緒に買っておくと誘われたが、あれほど楽しみにしていたのに、全く残念なことに、その日は延期できない予定が入っていた。誘ってくれた彼女より、都合が悪くて行けない私のほうがショックで落ち込んでしまいそうになったため、
「また、今度があるから。また、誘いますから」
 と、慰めるように、そう言ってくれた。
 彼女は私よりかなり年上の女性で、詩人だった。パーティで宝塚歌劇の話をして以来、時々、電話でお喋りするようになったし、数回だが、食事を共にした。私の住居の隣の区に住んでいたが、彼女の自宅は関西にあった。ご主人と別居していたのだ。結婚して、かなり経ってから、夫に長年の愛人がいることを知り、激しいショックを受けて、突然、1人でパリへ行き、数年間、暮らしてから帰国した。自宅には戻らず、ホテル住まいし、都内のマンションを借りて……という話を聞かされた時は、まるで小説みたいな話と、宝塚歌劇への興味と同時に、彼女の生き方への興味が湧いてしまったほどだった。
 おっとりした話し方をするが、芯の強さの感じられる女性だった。収入の多い仕事をしているご主人は、離婚を拒否する彼女に毎月、充分な生活費を振り込んでくれるらしかった。彼女は詩人といっても、プロのようなアマのような感じだった。
 月に1度、関西に帰宅していた彼女は、その後、体調を崩し、電話のやり取りだけの付き合いになってしまった。
 電話の最後には、いつも、宝塚歌劇公演を一緒に観に行く約束をした。
 けれど、次第に、電話で話すのも困難そうな様子になり、その後、年賀状のやり取りも途絶えて、いつか疎遠になってしまった。
 人と人との出会いは、楽しくもあり、喜びでもあり、そして、はかないもの。
 あの時、他の予定を無理して都合をつけてでも、彼女が誘ってくれた時の宝塚公演に行けば良かったと、後日になって、悔やまれた。けれど、あの時は、彼女が体調を崩すとは思わなかったし、
「また、今度があるから。また、誘いますから」
 という言葉を信じていたのである。1人で公演を観に行く気にもなれず、時々、テレビ放映された宝塚歌劇を楽しむようになった。
 ビデオに録画した『ベルサイユのばら アンドレとオスカル編』(1989年・雪組公演)のビデオは劣化してしまったが、何となく捨てる気になれない。オスカル役が一路真輝、マリー・アントワネット役が仁科有理、フェルゼン役が紫苑ゆう──。皆、素晴らしい歌と演技とルックスで、味わい深い『ベルサイユのばら』を夢の世界のように楽しませてくれるが、やはり何度観ても、私が一番魅了されるのはアンドレ役の杜けあきだった。
 先日のテレビで観た『外伝ベルサイユのばら -アンドレ編-』の真飛聖も、来年4月で退団というニュースを読んだ。映画やテレビで活躍している元宝塚女優は少なくないが、宝塚歌劇は別世界、私にはそう感じられる。退団して、別世界ではなく現実世界の女優になるということだろうか。
 現在の私はオペラが大好きになってしまったけれど、もし、あの時の親しかった知人女性と宝塚歌劇の公演を観に行っていたら、宝塚ファンになっていたかもしれない──。