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一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

筋力強化ストレッチ

2025年08月03日 | 最近のできごと
 最近の私にとっての〈マイ・ブーム〉は筋力強化ストレッチ。正確には、ストレッチ&エクササイズ&筋トレである。
 YouTubeの登録チャンネルを見ながらストレッチしていた時のこと。立って、ふくらはぎのストレッチをアキレス腱伸ばしから始め、次にふくらはぎの上部のストレッチをして、
「ここまでがストレッチで、ここからは筋トレです」
 と専門家の男性が言った時はワクワクした。筋トレと言うとジムやフィットネスクラブでマシンを使って行う運動、というイメージがあったからだ。マシンを使わなくても筋トレできるなんてと、うれしくなった。
 ふくらはぎのストレッチは、固くなっている筋肉を柔らかくして伸ばすのが目的ということで、その後に筋トレを行うと効果的という説明だった。ふくらはぎは第二の心臓とも言われ、脚に溜まった血液を心臓に戻すという説明もあった。
 ストレッチを終えた後のふくらはぎの筋トレは、〈片足立ち踵(かかと)上げ〉を行うことだった。バランスが取りにくかったら壁や椅子に片手を添えていいらしいが、私は片足立ちには慣れているから片手を何かに添えなくてもできる。今まで踵上げストレッチは両足でしていたが、片足で行うことを初めて知った。
 その〈片足立ち踵上げ〉を、週に4~5日、テレビでYouTube動画を見ながら続けて数か月経ったころ。入浴の時、浴槽の中で〈指輪っかテスト〉を久しぶりにしてみようと思い、両手の親指と人差し指で輪を作り、ふくらはぎの一番太い部分を囲んでみたら、筋肉量が落ちていない証拠に4~5センチ囲みきれなかったので安心したが、あれっと思った。ふくらはぎが、以前より固くなっていることに気づいたのである。少しどころではない。柔らかな脂肪ではなく、間違いなく筋肉で、初めての感触である。
(こんなに固くなってる! ふくらはぎの筋トレで、筋肉が増えた!)
 うれしくてうれしくて何度も、ふくらはぎを撫で回したほどだった。と言っても男性のふくらはぎほどカチカチの固さではない。女性はふくらはぎに筋肉より脂肪がつきやすいせいだと思う。ふくらはぎは脂肪がつかないほうが細くて、きれいに見えるが、筋肉量もあるほうがいいに決まっている。今までは筋肉より脂肪のほうが多かったが、ストレッチと筋トレを続けたから、脂肪より筋肉のほうが増えたのだと思った。
 心臓の血流との関係は、わかるようでよくわからないけれど。血流は良いほうが健康に良いという知識はある。
(ふくらはぎのストレッチと筋トレの効果だわ!)
 半年も1年も経たず、数か月でこんなに効果が現れるとは思わなかった。
 それだけではなかった。
 ふくらはぎストレッチと筋トレの習慣の他に、腕のストレッチも始めた。胸を張って両手を背中のほうへ斜め下に伸ばし、手をクルクル回すだけ。家事の合い間やパソコンを終えた時やテレビを見ている時など、隙間時間にいつでもできる簡単ストレッチ。毎日続けていたら、2か月も経たないうちに効果が現れて、上腕筋(じょうわんきん)が引き締まってきた。
 筋肉は何歳からでも増えるという知識はあったし、食材も筋肉を作るたんぱく質が多い鶏むね肉や卵やチーズや納豆などを毎日食べている。
 タンパク質は1日に体重と同じ数字のグラム量が必要と言われているが、測定できないから足りているのか不足しているのかわからない。きっと、少し不足していそうな気がする。
 そこで、最近、〈SAVAS(ザバス) MILK PROTEIN〉を飲むことにした。SAVAS(ザバス)という商品名は以前から知っていたが、粉末で溶かして飲むというのは面倒そうで買う気がしなかった。けれどドリンク剤なら飲みやすいと思い、いろいろな種類の味の中から、ミルク味とバニラ味とアーモンド味を2個ずつ、通販で買って飲んでみた。バニラ味が一番美味しかったが、甘味料の入っていないミルク味も美味しいので、ケース入りを買って、毎日ではなく1日置きに飲んでいる。
 さらに〈オイコス(OIKOS)プロテインヨーグルト〉のイチゴ味を、スーパーかコンビニへ行った時にまとめて買って、ミルクプロテインを飲まない日に1個食べている。
 どちらも1日置きなのは理由がある。小林製薬の紅麹の健康被害が話題になった時、
(健康補助食品とか機能性表示食品とかサプリって、薬ではないけれど薬と紙一重なのだわ)
(薬に副作用があるように、サプリにも副作用があるってことだわ)
(よく、サプリは食品で、薬ではないから、食前とか食後とか関係なく、いつ飲んでもいいって言われるけれど)
(徹底的に検査されてない成分も入っているかもしれないし) 
 そんなふうに私は考えたのだった。
(そうよ、サプリは薬と紙一重) 
 サプリも身体にとっては異物なのだからと、そう考え、毎日より1日置きのほうがいいかもと思いついたのだった。
 サプリは薬と紙一重という考えに至っても、それでも〈サプリ嫌い〉にならないのは、今までさまざまなサプリを飲んできたが、副作用もなく問題もなかった。今までと同じように今後も問題ないとは限らないが、最初に飲み始めて、何もなかったら大丈夫かもと楽観する一方で、毎日飲むのはリスキーかも、1日置きならと、それも楽観だけれど、効果があるなら飲みたいと思うからだった。
 最近、チャンネル登録した整骨院院長のユーチューバーの、ある回で、自分が飲んでいるサプリのクレアチンの情報を解説していた。クレアチンという名称は初めて知ったが、専門家が飲むサプリに興味を持ち、さっそく検索してみた。私も飲んでみたいという気持ちだった。
 けれど、副作用の情報を読んだら、
(怖~い!)
 と感じて、私には無理とわかった。副作用は、体重増加や吐き気や消化器系の不調や肝臓と腎臓に負担と、どのサイトにも書かれている。体重増加や吐き気も嫌だし、大事な肝臓と腎臓のダメージなんて怖ろし過ぎる。
(やっぱりサプリって薬と紙一重!)
 その思いを強くした。解説の中で、商品名は言わないので、副作用の少ないクレアチンかもしれないが、薬もサプリも体質に個人差がある。私の身体は人一倍デリケートだから、摂取しないほうがいいと思った。
 それに、男性向けのサプリのような気もした。筋肉モリモリ体型に憧れる男性用なのだ。
 また、ある回の解説で、プロテインは食事で取れる、たんぱく質が充分の食事をしていたら、プロテインを飲む必要はなく、余分なたんぱく質は排出されてしまうので、もったいないというようなことも解説していた。補助食品として摂取することはいいとも言っていた。
(たんぱく質が充分の食事かどうかわからないから補助食品として飲んでいる私は正解ということだわ)
 そう思った。食事のメニューも提案していたが、その中の魚が嫌いで私は食べない。鯖缶と鮭缶は複数個ストックしてあるが、時々、スライスした玉ネギと混ぜてマヨネーズをたっぷりかけて食べる程度。不味(まず)かったら食べないけれど、少しは美味しい。鯖缶より鮭缶のほうが好き。塩鮭やスモークサーモンは、わりと好きで、たまに買って来る。
 けれど専門家がすすめるように毎日魚を食べる習慣はなく、毎日鶏肉や豚肉料理ばかりだから、たんぱく質不足を自覚している。
 そのチャンネルは他の専門家ユーチューバーと違って、ストレッチや筋トレの紹介は少なく、新知識と新情報を解説するだけの日が多い。私にとっては教えられることがたくさんあって、毎日のように、5~6本視聴している。どの回も、とても有意義な解説ばかりで、いろいろなことを知ることができたり教えられたりするので、タイトルを見るとワクワクさせられる。  
 ただし、タイトルの一部の、年齢の数字は無視というか気にしない。他のユーチューバーもタイトルに何故か年齢数字を入れるが、私には意味がなくナンセンスに感じられる。何歳の人向け、何十代の人向けと言っても、個人差がある。見かけも体力も筋力も。だからナンセンス中のナンセンス。高齢という文字も嫌い。若い時は若さという言葉が好きでも、高齢になったら高齢という言葉が嫌いになるのは自然なこと。シニアならいいと思う。幅広く、本人の自覚次第。 50代でも60代でも70代でも80代でも90代でも自分がシニアと感じればシニアなのだから。
 ともあれ、ストレッチと筋トレも楽しんで行っているし、プロテインのドリンクとヨーグルトはどちらも美味しいし、たんぱく質が足りているようにと思いながら飲んだり食べたりするから、きっと効果があると信じている。もっとも、飲み物や食べ物は飽きっぽい性格の私だから、プロテインのドリンクとヨーグルトは、いつまで続くかわからないけれど。
 ふだん私は自分の年齢を忘れているが、テレビやネット記事の健康情報で、加齢という言葉が眼に触れる。筋肉量を増やして筋力がつけば加齢なんて意識しないで生活できるような気がしている。

未知の女性との出会い

2025年07月27日 | 最近のできごと
 先日、初めて仙川(せんがわ)へ出かけた。仙川は町名で駅名。住所は都下の調布市である。
 行ってみようと思ったきっかけは、仙川に『クィーンズ伊勢丹』があることを知ったからだった。
『クィーンズ伊勢丹』は以前、スーパーのハシゴをする買い物の日、必ず寄った店。
 転居以降、笹塚へ出かけた時は、いつも最後に寄って少し買い物をして来る。
 笹塚より仙川のほうが近いので、行ってみようと思ったのである。電車に乗って行くから生鮮食品は駄目で、少ししか買えないが、『クィーンズ伊勢丹』にしか売っていない食品がいくつかあるからだった。
 マップを見ると、仙川駅を挟んで南側に『クイーンズ伊勢丹』と『無印良品』、北側に『いなげや』『しまむら』『セリア』があった。『クイーンズ伊勢丹』のビルの2階にある『無印良品』で、キッチングッズをいくつか買うつもりだった。
 駅の改札口は1つしかない。いつものように、最後に『クイーンズ伊勢丹』に寄るつもりで、最初は北側のほうへと歩いて行った。店名だけ知っている、スーパー『いなげや』と衣料品店『しまむら』を、見てみたかったのである。
 しばらく歩いて交差点の信号待ちの所で、
「この先にスーパーありますよね?」
 と、高齢の女性に声をかけられた。
(ほうらね、まただわ)
 内心、呟く。薄々、気づいていた。中年以降からだろうか。メガネをかけて外出すると、未知の女性から声をかけられやすいことを。道を聞かれたり、スーパーの中で商品のことを聞かれたりする時が多い。そう、しょっちゅうではなく、時々だけれど。
 コンタクトレンズをしている時は、バッチリ・メイク。メガネの時は簡単メイク。その化粧の違いで、顔の雰囲気が変わるのである。
 数年前、思いきって私はコンタクトレンズの使用をやめた。レンズの装着の時は問題ないが、夜遅い時刻だと、レンズを外(はず)しにくくなったのである。いつもは1度で外せるのだが、2度か3度になった。コンタクトレンズは基本的に、瞳にかぶせるのではなく涙に浮かべるという知識があった。その涙が夜遅くなると減少するためと気づいた。
 そこで、コンタクトレンズ用の目薬を買い、それを数滴垂らすと、外れやすくなる。涙の量は検査の時に充分なはずだったが、目は夜になると無自覚的に疲れてくるというので、同時に涙の量も減少するのは当然のことである。
 知人のブログでコンタクトレンズは目にとって負担というような記事も読んでいたし、加齢で涙の量が減少しているのかもと気づいた。それに目薬を垂らすのが下手というか苦手というか1度でちゃんと垂らせない。目の周りや頬へと滴ってしまう目薬を拭きながら、ようやく目の中に入ったという感じで、夜遅くで眠いのに時間がかかって面倒でたまらない。目薬をさすなんて慣れてないどころか初めてなのだから無理もないこと。最初のころは、外せる外せると喜んで、誰に教わったことでもなく、
(私って賢い~)
 毎回、呟いていたが、半年経ったころには次第に嫌気がさしてきた。
 それで、思いきって、コンタクトレンズ使用をやめたのである。毎日ではなく、週に1回か2回か時々3回程度の使用だったが、長年の間にコンタクトレンズ使用による目のトラブルが1度もなかったことは、本当に幸運だと思った。
 最後の10年ぐらいは、1回で使い捨てのレンズにしていたが、それまでは、どんなに遅い深夜で疲れていても、〈きれい好き〉の性格のため、洗顔の後に、さらに石鹸で手を洗い、左の掌の中央に専用クリーナーを垂らし、その上にレンズを乗せて右手の指先の腹で、両面をていねいに撫で洗い。次にそのレンズを精製水でていねいにすすぎ、新たな保存液を入れたケースに入れる――という面倒な習慣を続けたためだと思う。
 デパートのメガネ専門店で外出用の新しいメガネを買い、最近は近視の度数の低い自宅用の新しいメガネを買ったので、コンタクトレンズよりメガネのほうが出費が多くなってしまったが仕方がない。
 それ以降、どこへ出かける時も誰と会う時も新しいメガネをかけているが、「メガネ似合うね」とか「可愛い」とか友人も肉親も誰も褒めてくれないのである。もっともメガネをかけて会っていた時もあるから、初めてというわけでもない。
 ともあれ、メガネをかけて外出している時に、何故か未知の女性から声をかけられることが多いのである。
(私ってメガネをかけると、真面目で善人で親切に見えるのかも)
 コンタクトレンズをしている時はバッチリ・メイクで厚化粧というのではないが、同性から1度も声をかけられたことはなく、何となく冷ややかな眼で一瞥(いちべつ)されるような視線が少なくなかった。
 その日、交差点で会った女性から、この先にスーパーがあるかと聞かれ、
「ええ、あります。『いなげや』と『しまむら』と『セリア』が同じ所に」
 そう答えた。 
「ああ、『いなげや』ね。駐車場はあるかしら」
「さあ、どうかしら? 私、今日初めて仙川に来たんです」
 ホームページは見たが、車は運転しないから駐車場のことは気に留めなくて、知らなかった。
 えっ、車、運転するんですか? などとは聞かなかった。私より6つか7つか、またはもっと年上に見えるし、その年齢で運転? というようなニュアンスの質問をしたら失礼だからである。
 身なりは良く、髪も整えられていて、中肉中背。小柄な私より少し背が高い女性だった。
「私、引っ越して来たばかりで、家が駅から少し離れてるから」
 駅の反対側のどこどこに駐車して来たとか、信号が変わって並んで歩き出してからも雑談を続け、『いなげや』が見えて来ると、「ああ、あるわね」と駐車場を眼にして呟き、
「あなた、コーヒー好き?」
 と、急に聞かれた。
「あ、はい、好きです」
「あそこでコーヒー飲まない? 急いでなければ」
「あ、はい」
 スーパーの横にある『コメダ珈琲』という看板を見て、内心、一瞬ためらった。『コメダ珈琲』というチェーン店があるのは何となく知っていたが、見かけたことはなく、『スターバックス』とか『ドトール』とかと同じようなチェーン店と思ったからだった。
 カウンターで注文して、コーヒーを乗せたトレイを自分で運んで席につく、という形式が嫌いだし、食器の触れ合う音や大声での話し声や笑い声など店内の雰囲気が嫌い。
 コーヒーも軽食も、ウェイターやウェイトレスが運んで来てテーブルに置いてくれるのでなければ。
(セルフ・サービスの店ね)
 そう思っていたら――。
 初めて入った『コメダ珈琲』は、『スターバックス』や『ドトール』のようなセルフ・サービスの店ではなく、一般的な喫茶店だった。
 メガネをかけていて未知の女性から、時々、声をかけられても、コーヒーを一緒にと誘われたのは初めてである。
(こんな経験も1度ぐらい、いいかも)
 そう思うと同時に、向かい合いに座ったのが男性だったら良かったのに、という思いもかすめてしまった。
 肉親と友人を除く、他人の女性は苦手な性格である。
 その夜、就寝前に、
(同性の他人と2人でコーヒーを一緒に飲む経験は1度でいいわ)
(あ~あ、女性じゃなく男性から、声をかけられたりコーヒー誘われたりしたいナ)
(私って、やっぱり男性が好きなのよね)
 などと思ったりした。
 そう言えば数か月前、編集者のKさんとの電話で、用事の後の雑談の時、
「駅前にフィットネスクラブはあるけど、女性専用って看板に書いてあるの。女性専用のフィットネスクラブがこの世にあるなんて思ってもみなかったわ。男性会員がいなくちゃ行く気しないわ」
 と言ったら、Kさんがクスクス笑ったのである。その夜、電話のやり取りを思い出した時、
(何故、クスクス笑ったのかしら)
(だって本当だもの。女性ばかりのフィットネスクラブなんて楽しくないわ。インストラクターだって女性インストラクターより男性インストラクターのほうが、胸がときめくし)
 そう思った後、
(やっぱり、この世に男性がいるから楽しいのよ、〈女は灰になるまで〉っていう言葉もあるしね、うふ)
 と、納得したような気分に包まれて眠りに落ちた。
 向かい合いのその女性も『コメダ珈琲』に入ったのは初めてだと言い、コーヒーが運ばれると、「美味しいかしら」と呟き、カップに口をつけて、「あまり美味しくないわね」と言った。不味(まず)いというほどではないが、特に美味しいとも思わなかったので、「そうですね」と相槌(あいづち)を打った。
 その女性はよく喋る人で、転居前に家の中で転倒した経験を話した。家に1人で、スマホが手に届かないから、救急車を呼べなくて、坐骨神経痛があるから痛くて痛くて、と。
「それで、どうしたんですか?」
 興味津々に私は聞いた。
「セコムが来てくれて、玄関の内側のガードロックは開けられなくて、警察呼んでくれたの」
「ええっ、警察!」
「そう。警察はガードロック外せるんだって」
「セコムは、たまたま来たんですか?」
「違うの。家の中で私に何か異常があったら、セコムにわかるようになってるの、コンピューターで」
 まさか監視カメラが付いているわけではなく、家の中での通常の動きが停止すると、異変が起きたとわかり駆けつけてくれるらしい。
 セコムと契約するのは、お金がかかりそうと思いながらも聞かなかったが、救急車や警察を呼んでくれて、救急病院に入院して、整形外科病院に転院し、圧迫骨折を治療して治ったらしい。
「セコムと契約しておいて良かったですね。私は転倒したことないけど、1人でいて動けなくてスマホに手が届かないって、転倒って怖いですね」
「あなたはまだ若いから」
「いえいえ」
 その女性と一緒にスーパーと衣料品店を見て回ったが、2人とも商品は何も買わず、駅の近くで別れた。駐車場に置いてある車で、また『いなげや』へ行き、食料品を買い込むと言っていた。私は『クィーンズ伊勢丹』で買い物中も、電車に乗っている時も、最寄り駅前カフェで軽い夕食をしている時も、2人の会話のやり取りが時々、頭に浮かんだりした。

『カフェ ラ ヴォア(Cafe la Voie)』

2025年06月29日 | 最近のできごと
 喫茶店『カフェ ラ ヴォア(Cafe la Voie)』は新宿西口の『かどやホテル』1Fにある。ちょっとクラシックな雰囲気の店で、落ち着いて話ができる。そんな喫茶店が、最近は少なくなった。昔は街を歩けば、あちらにも喫茶店、こちらにも喫茶店というくらい店の看板が多かった。
 新宿の喫茶店で時々利用していたのは『ルノワール』。店が満席の時に探して入ったのが、『カフェ ラ ヴォア(Cafe la Voie)』だった。時々、ランチの後に友人と一緒に入って、お喋りする。
 よく注文するのは、モカコーヒーかオリジナルブレンド・ハーブティとイチゴ・タルトケーキ。その日はオリジナルブレンド・ハーブティの中から、『ゆずジンジャーハニーハーブティー』を選んだ。柚子(ゆず)、ジンジャー、ハチミツ、ハーブのすべてが好きだが、そんなにいろいろ入っていて、どんな味なのかしらと思った。
 柚子の味が、やや薄味に感じられたのは、柚子味が好きだからかもしれない。調味料のポン酢は、長年、柚子味。最近は『ミツカン かおりの蔵 丸搾りゆず』を冷蔵庫に常備していて、毎日のように何かにかけて食べている。 
 昔、柚子の木が実家にあって、毎年、冬至の日は浴槽に柚子をたくさん入れて、『柚子湯』(ゆずゆ)に入ったことを思い出す。柚子の皮をすり下ろして薬味にした料理も、よく食べた。包丁でむいてもらった柚子の果肉も食べてみたりしたが、とても酸っぱくて少ししか食べられなかった。
 イチゴ・タルトケーキは、ちょうど良い甘さで美味しかった。イチゴを眼にすると、
(お父さんが作ってくれたイチゴ)
 そう呟く時が、よくある。私が小学生のころ、庭の隅の花壇の一画に、父がイチゴを栽培したのだ。イチゴの実が生(な)るまで知らなくて、どんな花が咲くのかと思っていた。ある日、見たら、赤いイチゴの実がたくさん生っていて、
「わあっ、イチゴ!」
 眼を輝かせた私に、 
「食べてごらん」
 と、父が数個、摘んでくれた。
「うん!」
 サイズは、やや小さめだったが、とても甘くて、酸味もあって、最高に美味しかった。わーい、わーい、イチゴ、イチゴ、イチゴちゃんだー、などと、はしゃぎながら、洗ってないイチゴを食べたのは、その時が最初で最後。
「お父さん、イチゴ作った、イチゴ作れるんだね、すごいねー、すごいねー」
 兄より姉より私が一番、花壇のイチゴを美味しいと何度も言って食べることを、父はとても喜んだ。私は父を喜ばせることが好きだった。
 父は植物がすべて好きで、多くの樹木の他に、門の傍の花壇にも、ずいぶんいろいろな花を咲かせたり水やりなどの手入れや草むしりなど、よくしていた。イチゴを種からか苗からか育てた栽培の様子は、最初から見ていないから知らなかった。母の日記には、父がナントカ種苗店へ出かけたとか、何々の種や苗を買って来たとか、よく書いてある。男性が花を好きというのは珍しいかもしれないが、菖蒲祭りとかツツジ祭りとかも父は親しい人たちを誘って、よく出かけていた。
 実家には柿の木も何本かあって、父がよく、もいでくれた。梅の木も何本かあった。梅の実を取るのは父だが、祖母や母が毎年、梅酒を作ったり、梅干しを作ったりしていた。
 祖父はお酒が強かったが、父は晩酌に日本酒1合の徳利1本だけ。たまに2本目。胃が弱いらしく、父は飲食物にやや神経質だった。毎朝、食事前に緑茶を飲みながら、梅干しを1個食べる習慣があった。
 もうすぐ父の命日。
     

終了間近

2025年06月15日 | 最近のできごと
 ようやくマンション大規模修繕工事の終了日が近づいた。あと2週間。長い長い5か月だった。
 最近は大きな工事音はしない。毎朝チェックするWeb掲示板に、騒音欄はいつも〈無〉、匂いは〈有〉か〈無〉。現在は、廊下・階段・駐車場の屋根や天井の塗装や防水工事や長尺シート張り。外出のため玄関から内廊下へと歩き出した時、作業員の姿を見かけるくらい。
 最後の騒音〈有〉の日は、足場解体工事の日々だった。足場組立工事の時も騒音があったが、解体工事も騒音が多かった。
 解体が終わって大きな騒音がなくなったことと、何より、半減していた陽光が窓から射し込み部屋が明るくなったので、快適な気分に戻った。
 Web掲示板には、
〈――バルコニー作業完了――
ご協力ありがとうございました。〉
  というメッセージが表示されているが、3か月近く続いた。バルコニーの修繕作業がそんなに続くとは思わなかったので、
(いつになったら窓が明るくなるの)
(バルコニーってそんなに大変なの)
 と小さな不満があった。Web掲示板に当日の作業内容が詳細に記載されていて、〈窓の施錠をお願いします〉とか〈意図せず作業員と視線が合うこともあるのでレースのカーテンを引いておいて下さい。〉などの要請が時々あった。
 バルコニーの外の組立足場に立って外壁の高圧洗浄や塗装もあった。組立足場とは、建設現場で使用される足場の一種で、鋼管や木材を組み立てて作られるとネットで調べて読んだが、 作業員や資材の落下を防ぐために、手すりやメッシュシートの設置が義務付けられているということで、それが陽光を遮っていたのだ。
  外壁やバルコニーの高圧洗浄やエアコン室外機置場のウレタン防水工事、床・壁・天井の塗装、防水工事、スロップシンクの配管清掃など日にちがかかるのも無理ないことかもしれなかった。
 南面バルコニーが終わったら、北面の小さなサブ・バルコニーの修繕で、吹き抜けのライトコートに組立足場があり、清掃やウレタン防水工事。それから玄関ポーチの清掃・塗装。一般的に玄関ポーチは角部屋にあるが、中住戸にもあり、いつか外出の日にドアを開けたら、門扉内の床の作業をしている作業員が立ち上がると、「こんにちは~」「こんにちは~。通って大丈夫ですか?」「半分ずつしてるから、こちら側は大丈夫です、通れますよ。」などの会話。
 玄関枠塗装・PS(パイプスペース)扉塗装・玄関横側巾木ウレタン防水などの工事があったが、玄関ドア枠の塗装は、網戸取り外し・取り付けと同じように希望日を記入してエントランスの隅に置いてある仮設ポストに入れておく。1日目が半日で午前か午後、2日目は1日だが、カレンダーを見ながら半月近く悩んでしまった。予定の外出を変更したり、
(そんな先のこと、その日にならなくちゃ出かける気分かどうかわからないわ)と言いたい気持ちだった。
 1日目の半日の作業の日は、午後を選択、2日間の日にちを、ようやく記入してポストへ入れに行った。
 ドア枠の塗装は以前のマンションでも行われたが1日で終了した。
 けれど、よく見てもドア枠に汚れや塗りが落ちている個所はどこにもないが、防水加工もするようだった。
 1日目の午後2時に作業員が来て、20分作業し、私を呼んで説明。内側からロックできるドアガードの先を端の部分にかけて5センチほど開けたままにしながら、「4時間はこのまま開けておいて下さい。それからドアを閉めて下さい」「わかりました」「明日は1日なので午前9時でいいですか、予約できますけど」「10時にして下さい」「わかりました。午前10時に来ます」
 翌日の午前10時に来た作業員が、また少し作業し、ドアを5センチほど開けたままにして説明してから、午後2時にまた来て作業して、4時間後にドアを閉めるように言われた。
 しばらく廊下や玄関回りの作業が続き、Web掲示板で、〈作業場付近通行の際は誘導に従って頂きますようお願いします〉とか、〈シーリング打ち立てにつき お手を触れないで下さい〉や他にもメッセージの紙が頻繁に貼られたりした。
 現在は、廊下・階段床シート貼り工事・防水工事・シーリング工事、駐車場の屋根・天井・ラック塗装工事などで、工事音はするが、大きな騒音はなくなってホッとしている。
 5月中旬から最近までの建物外周部の工事が終わってから、騒音はもちろん工事音もほとんどなく、テレビも見られるようになったし、工事終了を感じさせられる日々である。
 外出日に道路からマンション前の道路を歩きながら、マンション上層階の組立足場の上に立って作業中の、紺色の作業服にヘルメットを被り、落下防止のためか身体にベルトのような物を巻き付けた作業員の姿を見上げると、
(あんな高い所、怖くないのかしら)
 とか、
(恰好いい~、素敵~)
 なんて呟き、見惚れてしまったりした。建物内で会えば爽やかな挨拶や会釈も感じがいいし、たまにエレベーターに同乗すると、会釈と挨拶の後、まるで恐縮するかのようにケージの端に身を寄せるのである。
 中庭に設置された大きな仮設事務所の半分が撤去され、植え込みが一部、戻されている。DUSTROOMへゴミを捨てに行く時、廊下を歩きながら植え込みの花々を見るのが好きなので、すべて戻される日ももうすぐとうれしくなる。
 まだ工事終了日まで半月ほどあるが、
(終わり良ければすべて良し、っていう諺(ことわざ)があるわ。終わってみればつくづくホッとするし、作業員も全員感じが良かったし、ていねいな工事をしてくれたのだわ)
 そんな気がする。

男性看護師

2025年05月18日 | 最近のできごと
 先日、青梅へ出かけた。転院した肉親に、会いに行くためである。
 2度の手術後、落ち着いたら転院と言われていたが、病室に空きがなかったらしく、ようやくという感じだった。看護師さんとの話でも、「○○さんは入院が長いから」という言葉が出たことがあるが、救急搬送された病院での生活は4か月。
 転院した日は2人の姪から連絡が来て、ようやく近くに来てくれたとホッとしている様子だった。
 地元の病院に変わって、肉親もどんなに安心したことだろうと想像された。たとえ言葉を交わさなくても、顔を見なくても、慣れない土地の病院より地元の病院のベッドに横たわり、深い安らぎと安堵感に包まれているような気持ちが、その日1日中、私の胸に伝わってきた。
 姪の話では、ひととおり検査した後、主治医から、いつ急変してもおかしくない、急変する可能性があると言われたらしい。
(そんな言葉は主治医の決まり文句でしょ!)
 と、私は強く反発したくなった。どんな病気の入院患者も急変する可能性はあるのだし、主治医は患者の最悪の状況を家族に伝えておかないと、医師の能力不足のせいでこうなったとかヤブ医者と非難されるし、完治したり寿命が延びれば名医ということになる――と、以前、テレビで医療ジャーナリストがコメントしていた。
 肉親が2度目の手術後、経鼻経管栄養食を嘔吐しなくなり、栄養もちゃんと取れているということだった。改善されたその生命力と意識回復に、私はずっと希望を持っている。
 前の病院で看護師さんが、入浴させるため上体を起こすと、目をパチパチさせると言っていた。それは間違いなく意識が回復しかけているということだと私は信じた。
 その確信は、その日、いっそう強くなった。病室に入って声をかけながら肉親の顔を見た時、以前は閉じたままの目を、半分開けていたのだ。その病気の特徴で〈開眼〉できないことを記事で読んでいたが、半分でも瞼を開けていることが、とてもうれしかった。
 病室にいた担当の男性看護師さんに、そのことを話した。その病院に入院した時から、ずっと開けているということだった。やはり地元の病院にいる安心感に包まれたための改善のような気がした。
 男性看護師さんと会って言葉を交わすのは初めてだった。イメージとしては男性看護師は女性看護師より、必要なさまざまな場面で、男性特有の体力があるため助かるのではないかと想像していた。
 長身で中肉の体型で、たくましいというより頼もしいという感じの、30歳前後の男性看護師さんだった。話し方は、やさしく穏やかで知的な雰囲気があり落ち着いた声と口調。どんな場面でも冷静に対処できると想像されるような、感じの良い男性看護師さんである。私の質問に、医師ではないから詳しい説明はできなかったが、それは無理もないこと。
 出かけて来る当日も転院予定日の病院名を知らされた時も、病院のホームページを何度も見たが、面会時間は定められた時刻の2時間内の、15分でという記載が、不満だった。何故、15分の制限があるのか質問すると、「今、インフルエンザが流行っているからです」と男性看護師さんが答えた。
 注意事項のマスクもして、入り口で手指の消毒もしたが、姪がされたという検温はされなかった。
いくら何でも15分は短か過ぎると不満を感じながらも、守らなくてはいけないとも思い直し、男性看護師さんの話を10分聞き、脳に良いと言われている肉親への話しかけを20分余りしていたら、女性スタッフさんが道具を持って来て掃除を始めたので、心残りだったが病室を後にした。今度来る時は15分の面会制限はないはずと思いながら。話すことはいっぱいある。思い出話や、一緒に行きたい所やカラオケとか料理のこと、私の新居に遊びに来ると約束したこと。すぐ完治しなくても後遺症が残ってリハビリが続いても、楽しみはたくさんある。話している途中で、顔を私のほうに少し傾けた肉親の左の目尻から、涙が滴り落ちたのを見て胸が熱くなった。バッグからハンカチを取り出し、そっと拭いてあげた。
(私の話、ちゃんと理解してくれている)
 この日もそう信じられた。八王子の病院でも、そう信じられたことだった。私の話に、うなずくような声を頻繁に発するからだった。
 青梅市へ出かけたのは4回目。3回は青梅駅の2つ手前の駅で降り、車で迎えに来てくれた。
 青梅駅で降りたのは初めてだった。駅前のタクシー乗り場で待っても待ってもタクシーは来ず、タクシーがよく通る道路を教えて貰おうと交番に入ったら、〈現在、パトロール中〉の札。電話して下さいというメッセージと電話番号の紙と黒い固定電話機。徒歩15分なのでMapのナビを使って歩いて行くことに決め、念のためタクシー乗り場へ再度行ってみたら、ようやく1台のタクシーが来た。
 帰りは歩いて帰って来た。曇り日だったが、私の胸は明るんでいた。
(良かった! 目を開けていた! 私の言葉にうなずく声を出したし、意識回復までもう少しだわ、ううん、たとえ、もっと時間がかかっても、意識が戻って言葉を交わせるだけでもうれしい!)
(長年暮らしている地元の病院に来て安心したからだわ!)
(担当が感じの良い長身のイケメン看護師さんだからかも!)
(こういう地域でずっと、家族と暮らしているのね) 
 都会の雑踏は嫌いと、いつか新宿駅構内を一緒に歩きながら呟いた肉親の言葉を思い出した。青梅は空気も澄んでいて静かで、田舎のように長閑(のどか)な感じがし、その想いが感慨深い日となった。