先月、青梅へ出かけた。転院した肉親に、会いに行くためである。
2度の手術後、落ち着いたら転院と言われていたが、病室に空きがなかったらしく、ようやくという感じだった。看護師さんとの話でも、「○○さんは入院が長いから」という言葉が出たことがあるが、救急搬送された病院での生活は4か月。
転院した日は2人の姪から連絡が来て、ようやく近くに来てくれたとホッとしている様子だった。
地元の病院に変わって、肉親もどんなに安心したことだろうと想像された。たとえ言葉を交わさなくても、顔を見なくても、慣れない土地の病院より地元の病院のベッドに横たわり、深い安らぎと安堵感に包まれているその気持ちが、その日1日中、私の胸に伝わってきた。
姪の話では、ひととおり検査した後、主治医から、いつ急変してもおかしくない、急変する可能性があると言われたらしい。
(そんな言葉は主治医の決まり文句でしょ!)
と、私は強く反発したくなった。どんな病気の入院患者も急変する可能性はあるのだし、主治医は患者の最悪の状況を家族に伝えておかないと、医師の能力不足のせいでこうなったとかヤブ医者と非難されるし、完治したり寿命が延びれば名医ということになる――と、以前、テレビで医療評論家がコメントしていた。
肉親が2度目の手術で、経鼻経管栄養食を嘔吐しなくなったことが改善された生命力と意識回復に、私はずっと希望を持っている。
前の病院で、看護師さんが、入浴させるため上体を起こすと、目をパチパチさせると言っていた。それは間違いなく意識が回復しかけているということだと私は信じた。
その確信は、その日、いっそう強くなった。病室に入って声をかけながら肉親の顔を見た時、以前は閉じたままの目を、半分開けていたのだ。その病気の特徴で〈開眼〉できないことを記事で読んでいたが、半分でも瞼を開けていることが、とてもうれしかった。
病室にいた担当の男性看護師さんに、そのことを話した。その病院に入院した時から、ずっと開けているということだった。やはり地元の病院にいる安心感に包まれたための改善のような気がした。
男性看護師さんと会って言葉を交わすのは初めてだった。イメージとしては男性看護師は女性看護師より、必要なさまざまな場面で、男性特有の体力があるため助かるのではないかと想像していた。
想像どおり長身で中肉の体型で、たくましいというより頼もしいという感じの、30歳前後の男性看護師さんだった。話し方は、やさしく穏やかで知的な雰囲気があり落ち着いた声と口調。どんな場面でも冷静に対処できると想像されるような、感じの良い男性看護師さんである。私の質問に、医師ではないから詳しい説明はできなかったが、それは無理もないこと。
出かけて来る当日も転院予定日の病院名を知らされた時も、病院のホームページを何度も見たが、面会時間は定められた時刻の2時間内の、15分でという記載が、不満だった。何故、15分の制限があるのか質問すると、「今、インフルエンザが流行っているからです」と男性看護師さんが答えた。
注意事項のマスクもして、入り口で手指の消毒もしたが、姪がされたという検温はされなかった。
いくら何でも15分は短か過ぎると不満に思いながらも、守らなくてはいけないとも思い直し、男性看護師さんの話を10分聞き、脳に良いと言われている肉親への話しかけを20分余りしていたら、女性スタッフさんが道具を持って来て掃除を始めたので、心残りだったが病室を後にした。今度来る時は15分の面会制限はないはずと思いながら。話すことはいっぱいある。思い出話や、一緒に行きたい所やカラオケとか料理のこと、私の新居に遊びに来ると約束したこと。すぐ完治しなくても後遺症が残ってリハビリが続いても、楽しみはたくさんある。話している途中で、顔を私のほうに少し傾けた肉親の左の目尻から、涙が滴り落ちたのを見て胸が熱くなった。バッグからハンカチを取り出し、そっと拭いてあげた。
(私の話、ちゃんと理解してる)
この日もそう信じられた。八王子の病院でも、そう信じられたことだった。私の話に、うなずくような声を頻繁に発するからだった。
青梅市へ出かけたのは4回目。3回は青梅駅の2つ手前の駅で降り、車で迎えに来てくれた。
青梅駅で降りたのは初めてだった。駅前のタクシー乗り場で待っても待ってもタクシーは来ず、タクシーがよく通る道路を教えて貰おうと交番に入ったら、〈現在、パトロール中〉の札。電話して下さいとメッセージと電話番号の紙と黒い固定電話機。徒歩15分なのでMapのナビを使って歩いて行くことに決め、念のためタクシー乗り場へ再度行ってみたら、ようやく1台のタクシーが来た。
帰りは歩いて帰って来た。曇り日だったが、私の胸は明るんでいた。
(良かった! 目を開けていた! 私の言葉にうなずく声を出したし、意識回復までもう少しだわ、ううん、たとえ、もっと時間がかかっても、意識が戻って言葉を交わせるだけでもうれしい!)
(長年暮らしている地元の病院に来て安心したからだわ!)
(担当が感じの良い長身のイケメン看護師さんだからかも!)
(こういう地域でずっと、家族と暮らしているのね)
都会の雑踏は嫌いと、いつか新宿駅構内を一緒に歩きながら呟いた肉親の言葉を思い出した。青梅は空気も澄んでいて静かで、田舎のように長閑(のどか)な感じがし、その想いが感慨深い日となった。
2度の手術後、落ち着いたら転院と言われていたが、病室に空きがなかったらしく、ようやくという感じだった。看護師さんとの話でも、「○○さんは入院が長いから」という言葉が出たことがあるが、救急搬送された病院での生活は4か月。
転院した日は2人の姪から連絡が来て、ようやく近くに来てくれたとホッとしている様子だった。
地元の病院に変わって、肉親もどんなに安心したことだろうと想像された。たとえ言葉を交わさなくても、顔を見なくても、慣れない土地の病院より地元の病院のベッドに横たわり、深い安らぎと安堵感に包まれているその気持ちが、その日1日中、私の胸に伝わってきた。
姪の話では、ひととおり検査した後、主治医から、いつ急変してもおかしくない、急変する可能性があると言われたらしい。
(そんな言葉は主治医の決まり文句でしょ!)
と、私は強く反発したくなった。どんな病気の入院患者も急変する可能性はあるのだし、主治医は患者の最悪の状況を家族に伝えておかないと、医師の能力不足のせいでこうなったとかヤブ医者と非難されるし、完治したり寿命が延びれば名医ということになる――と、以前、テレビで医療評論家がコメントしていた。
肉親が2度目の手術で、経鼻経管栄養食を嘔吐しなくなったことが改善された生命力と意識回復に、私はずっと希望を持っている。
前の病院で、看護師さんが、入浴させるため上体を起こすと、目をパチパチさせると言っていた。それは間違いなく意識が回復しかけているということだと私は信じた。
その確信は、その日、いっそう強くなった。病室に入って声をかけながら肉親の顔を見た時、以前は閉じたままの目を、半分開けていたのだ。その病気の特徴で〈開眼〉できないことを記事で読んでいたが、半分でも瞼を開けていることが、とてもうれしかった。
病室にいた担当の男性看護師さんに、そのことを話した。その病院に入院した時から、ずっと開けているということだった。やはり地元の病院にいる安心感に包まれたための改善のような気がした。
男性看護師さんと会って言葉を交わすのは初めてだった。イメージとしては男性看護師は女性看護師より、必要なさまざまな場面で、男性特有の体力があるため助かるのではないかと想像していた。
想像どおり長身で中肉の体型で、たくましいというより頼もしいという感じの、30歳前後の男性看護師さんだった。話し方は、やさしく穏やかで知的な雰囲気があり落ち着いた声と口調。どんな場面でも冷静に対処できると想像されるような、感じの良い男性看護師さんである。私の質問に、医師ではないから詳しい説明はできなかったが、それは無理もないこと。
出かけて来る当日も転院予定日の病院名を知らされた時も、病院のホームページを何度も見たが、面会時間は定められた時刻の2時間内の、15分でという記載が、不満だった。何故、15分の制限があるのか質問すると、「今、インフルエンザが流行っているからです」と男性看護師さんが答えた。
注意事項のマスクもして、入り口で手指の消毒もしたが、姪がされたという検温はされなかった。
いくら何でも15分は短か過ぎると不満に思いながらも、守らなくてはいけないとも思い直し、男性看護師さんの話を10分聞き、脳に良いと言われている肉親への話しかけを20分余りしていたら、女性スタッフさんが道具を持って来て掃除を始めたので、心残りだったが病室を後にした。今度来る時は15分の面会制限はないはずと思いながら。話すことはいっぱいある。思い出話や、一緒に行きたい所やカラオケとか料理のこと、私の新居に遊びに来ると約束したこと。すぐ完治しなくても後遺症が残ってリハビリが続いても、楽しみはたくさんある。話している途中で、顔を私のほうに少し傾けた肉親の左の目尻から、涙が滴り落ちたのを見て胸が熱くなった。バッグからハンカチを取り出し、そっと拭いてあげた。
(私の話、ちゃんと理解してる)
この日もそう信じられた。八王子の病院でも、そう信じられたことだった。私の話に、うなずくような声を頻繁に発するからだった。
青梅市へ出かけたのは4回目。3回は青梅駅の2つ手前の駅で降り、車で迎えに来てくれた。
青梅駅で降りたのは初めてだった。駅前のタクシー乗り場で待っても待ってもタクシーは来ず、タクシーがよく通る道路を教えて貰おうと交番に入ったら、〈現在、パトロール中〉の札。電話して下さいとメッセージと電話番号の紙と黒い固定電話機。徒歩15分なのでMapのナビを使って歩いて行くことに決め、念のためタクシー乗り場へ再度行ってみたら、ようやく1台のタクシーが来た。
帰りは歩いて帰って来た。曇り日だったが、私の胸は明るんでいた。
(良かった! 目を開けていた! 私の言葉にうなずく声を出したし、意識回復までもう少しだわ、ううん、たとえ、もっと時間がかかっても、意識が戻って言葉を交わせるだけでもうれしい!)
(長年暮らしている地元の病院に来て安心したからだわ!)
(担当が感じの良い長身のイケメン看護師さんだからかも!)
(こういう地域でずっと、家族と暮らしているのね)
都会の雑踏は嫌いと、いつか新宿駅構内を一緒に歩きながら呟いた肉親の言葉を思い出した。青梅は空気も澄んでいて静かで、田舎のように長閑(のどか)な感じがし、その想いが感慨深い日となった。
