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一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

心身の健康と食べ物

1989年11月01日 | 過去のエッセイ
あじくりげ402号 1989年11月1日

 料理を作る時、あまり時間をかけるほうではないが、冷凍食品やレトルト食品は、あまり食べない。何となく、多くの添加物が加えられているような気がするのと、味がもの足りない。
 夕食に、手間をかけた料理を作る時間がなくて、総菜パックから皿に移すだけの時も、お味嗜汁だけは必ず作る。野菜サラダは手早く盛りつけられるし、チャーハンや野菜炒めなら短時間で調理できるので、よく作る。
 それでも時間がない時は、店屋物を取ることもある。
 インスタント食品やレトルト食品を、おやつ代わりにすると聞いたことがあるが、おやつというのも大切な栄養補給と思うと、おろそかにはできないから、カステラや果物やプリンを食べる。
 女性は誰もがそうだと思うが、スーパーで食材や食品を買う時は、わりと慎重に選ぶ。酸化防止剤や合成着色料などが添加されている物は、なるべく買わないようにしている。もちろん賞味期限も確認する。できるだけ自然の物、手作りの物を買い求めたいと思う。
 ただし、冷蔵庫に数日間入れておいただけで、腐ってしまう食品も出てくる。食べ損ねて、もったいないとも思うが、やはり新鮮な物を食べたい。
 そんなふうに、食品の鮮度や自然さ、量より質に神経質になってきたのは、最近のことである。
 というのは、人間は、食べ物を摂取して、肉体の健康が維持できるだけでなく、精神にも影響を及ぼすと、知人から聞いたからである。
 カルシウムが不足すると、苛々したり怒りっぽくなったりするらしい。
 過剰な肉食も、荒々しく攻撃的な精神を作る、ということらしい。
 化学添加物は、体内に蓄積されて、疲労や無気力さの原因になる。
 ──と、そんな話を聞いたのである。
 人間は、肉体があって、生きているのだ。その肉体の健康と同時に、精神も健康でなければ、幸せに生きて行けない。
 肉体と精神の健康のために、できるだけ新鮮で、良質の食品を摂取したい、と考えるようになったのである。
 現代の子供たちが、昔の子供たちと違う点で、マイナス面について言われる時、たとえば情報過多時代で犯罪が多いなど、社会のあり方が原因とされるが、その他に食べ物のせいではないかと言う人がいる。
 スナック食品や加工食品の摂り過ぎが、成長期の子供たちの精神を蝕んでいると言うのである。
 私も、そうかもしれないという気がする。
 私が子供のころは、チョコレートやカステラや果物のおやつ以外は、母の手作りだった。今思えば、ずいぶん安全な物を食べていたと思う。
 現代は何故、料理嫌いの女性が多いのだろう。子供がいても、そうらしい。毎週、日曜日の昼食に、家族四人分のインスタント・ラーメンを子供に作らせるお母さんがいると聞いて、驚いてしまった。それはそれで、その家庭のあり方だけれど。
 毎朝、子供のお弁当を、コンビニで買って来て、ご飯もおかずもそっくりお弁当箱に詰め替えるだけ、という母親の話も聞いたことがある。
 私も料理好きなほうではないから、キッチンに立つより、本を読んだりテレビを見たりしているほうが楽しい。
 けれども、好きな本を読めるのも、仕事を無事にこなして行けるのも、何とか穏やかな精神状態を保っていられるのも、きちんと食べ物を摂取して健康でいるから――と、そう思うと、一食一食おろそかにできないと思ってしまう。
 肉体と精神の健康のために、新鮮で自然なままの食品を買い求めようと、二日に一度は近所のスーパーと八百屋通いをしている。

※ミニコミ誌『あじくりげ』 1989年11月01日掲載

     

親友

1988年12月10日 | 過去のエッセイ
 先日、7年ぶりに親友と再会した。互いに顔を見たとたん、抱き合いたいくらい、なつかしかった。学生時代に知り合って以来の親友である。私と違って、もの静かで、頭が良くて、繊細で、ニヒリストの彼女。私には読めないような難解な本をたくさん読み、学生運動の経験もあって、時々、自殺願望を口にした。何かに悲観してとか絶望してではなく、自分の存在がとても小さく感じられる、この世界で自分が存在する意味が見出せない、でも親が悲しむと思うと死ねないと言うのだが、私には抽象的過ぎるというか哲学的過ぎるというか、あまりよく理解できなかった。
 そのころ私は恋愛小説ばかり読み、人生は素晴らしいものと考えていた。死は遠くにあったし、自殺など考えたこともなかった。この世に生まれたことの喜びを感じ、生きること、これから生きて行くことがワクワクするほど楽しくて、うれしくて、幸せに感じられた。
 対照的な考え方をする私たちは、とても気が合って、長い手紙を交わしたり、一緒に旅行したりした。
 彼女は現在、地方で夫と暮らしていて、会社勤めをしている。大阪へ行く用事があって、帰りに東京に寄ったのである。シティホテルのカクテル・ラウンジで飲みながら、お喋りしたのだが、
「離婚も考えたのよね」
 と、彼女は呟くように言った。夫のある事実を知って以降、彼女にも新たな心境の変化があり、夫婦の会話がないというのである。子供はいないし、別れたほうがいいのではと、私が言うと、
「修羅場をくぐり抜ける自信がない」
 彼女は、そう答えた。私は彼女が離婚したら、また東京に住んで、以前のように度々会えるという期待で、しきりに離婚をすすめてしまった。偽りの結婚生活は、人生の無駄であり、自分を欺くこと。夫婦であれ恋人同士であれ、男と女は互いに恋愛感情を持てなくなったら、もう終わりである。
「人生って、たった一度きりじゃないの。自分の心を欺いて生きることはないと思うわ」
 というような私の言葉に、女性にしては珍らしいほどニヒルな思考をする彼女は、
「☆子さんらしいわね」
 と、苦笑するばかりだった。
 確かに、離婚は男女の修羅場を経験することになる。20代の終わりのころ、私はそれを経験した。毎晩のように話し合って1年経った時、私と彼は、友達のような感じになった。離婚前夜、正確には別居前夜、リビングのテーブルにウィスキーやワインや食べ物をたくさん並べて、2人きりのお別れパーティを開いた。
 7年と9か月の結婚生活の思い出話。修羅場だった数か月のこと。現在の心境。今後のこと。それらを語り明かし、2人とも酔っていたので夫婦の行為もした。今では友人関係になり、時々、娘と3人で食事をする。
 私は良い妻ではなかったが、彼は最高の夫であったと、今でも思う。離婚の原因は、生き方の違いである。私たちは空気のような存在の夫婦には、なれなかった。いつまでも恋人同士のように、純粋に愛し合っていたかった。愛がなくて一緒に暮らせる夫婦が世間に多いが、私にはそんな人生は考えられなかった。
 とは言え、離婚は当人同士より周囲の人間の心を傷つける。電話で母に泣かれたのは初めてのことだった。幼い娘を悲しませてしまった。けれども、やはり、自分の人生を生きたいと思ったのである。
 考えてみれば──。親友の彼女と7年前に再会した時は、私の離婚話が出た。彼女は私に、離婚をすすめる言葉を口にした。
 安定した妻の座に居続けることができない要素を、私と彼女は共通して持っているような気がした。

 ※掲載誌『随筆手帖』1988年12月10日号 (加筆)
 

雰囲気によって

1988年11月01日 | 過去のエッセイ
 夏が終わると、いよいよ味覚の秋だが、秋になったら特に何が食べたいといったものはない。誰かと食事をする時、何が食べたいかと質問されて、「ステーキか、ウナギか、天ぷらか、中国料理か、フランス料理か、イタリア料理」
 そう答えるのが、一年中のことである。
 食材の買い物で、肉と卵と牛乳は欠かさないが、魚はほとんど苦手で、買わない。
 ところが、周囲にいる〈食通〉の人たちは、決って魚好きである。今はフグが美味しい、生ガキが美味しい、カツオが美味しいなどと言って馴染みの店へ連れて行って下さり、
「どう、美味しいだろう?」
 とか、
「ここのは東京一だよ。いや、銀座にも一軒、旨い店があったな。だけど、ここのほうが店の雰囲気もいいし」
 などと笑顔で言われると、もう、その好意だけで私は、ふだん食べ慣れない魚料理を最高のごちそうのように美味しく食べてしまう。
 魚アレルギーとか、魚そのものが全く嫌いというわけではないのである。刺し身はいいのだが、煮魚や焼魚が嫌いで、フライなら食べられる。
 家庭料理に、魚は付き物である。私は二十九歳の時まで、煮魚や焼魚の骨は、家人に取って貰った。結婚前の二十一歳までは祖母か母に取ってもらい、二十二歳からは夫に取って貰ったのである。魚の骨から身をはずすのが、できないまま大人になってしまい、結婚してからは、やさしい夫がいつも上手にそうしてくれた。
 シングル生活になってからは、誰も魚の骨をはずしてくれない。そのことが、煮魚や焼魚を敬遠する原因かもしれないし、焼き魚はまだしも、煮魚の甘辛煮の味付けが嫌い。魚に限らず、甘辛煮の味付けのすべての料理が嫌いである。デパ地下やスーパーの総菜は、保存のためか甘辛煮の味付けが濃過ぎて超不味いのが多いから買わない。素材の味を半減させるあんな不味い濃過ぎる甘辛煮の味付け総菜が本当に売れるのだろうかと不思議に思う。味覚には個人差があるけれど。
 秋から冬に向かって、寒い季節になると、鍋物がおいしい。スキヤキ、しゃぶしゃぶ、寄せ鍋、鳥鍋、ふぐちり、湯どうふなど、いろいろあるが、大勢でテーブルを囲んでワイワイ騒ぎながら、料理の匂いと湯気の立つ部屋でお酒を汲み交わす雰囲気は楽しいし、美味しく食べられるので、つい、たくさん食べてしまう。
 鍋物の時に一番美味しいのはビール。ふだん、ほとんど飲まない日本酒を、お付き合いで飲んだりすると、いつの間にか杯を重ねていて、
「日本酒って、けっこう美味しい」
 ということになったりするのも、その場の楽しい雰囲気のせいかもしれない。とにかく一緒に飲んだり食べたりする人と、和気あいあいと楽しい雰囲気にならなければ、お酒も料理も美味しくない。
 現在、娘と二人で暮らしているが、ほとんど毎日、肉料理である。カレー、ハンバーグ、焼肉、シチュー、野菜妙め、ステーキ、チャーハン、スパゲティ、グラタンなどを作ることが多い。
 娘はカレーやポテトサラダを作れる。ハンバーグは二人で作ったりする。食べ盛りの娘はお喋り盛りでもあって、よく食べながら、よく喋る。
 時々、娘の父親と三人で、レストランで食事をするが、ふだん店屋物や出来合いの総菜が嫌いな彼女は、自宅の食卓と違う雰囲気にはしゃいで、メニューを見ながら楽しそうに次々と何品も注文する。料理だけでなく、デザートを三種類も注文して、ほとんど食べてしまう。その場の雰囲気が彼女にとって楽しくて幸せなせいである。
 食欲は健康のバロメーターというが、もちろん精神状態も影響する。締切の遅れている原稿がある時や、昼型なのに夜まで書いたりした時は、食欲が落ちる。牛乳とコーヒーぐらいしか美味しく飲めない時も。けれど、空腹になると腹痛が起こるので、ふだんの半分ぐらい、味もわからずに食べたりする。
 先輩作家や編集者と一緒に、お酒や食事を楽しむ機会がある。先日も、ある編集者に食べ物の好みを聞かれて、例のごとく答えたところ、
「そんなに脂っこい物ばかり食べてると、あちらの欲望が旺盛になりますよ」
 ニヤリとして冗談口調で、そう言われてしまったが、本当だろうか。そうなったら、シングルの私はどうすればいいのか。でも、きっと個人差がある。
 などと迷いながら、結局その日は中国料理レストランへ行って、さまざまな話題のお喋りが弾んだため、こってりと脂っこい料理を堪能し過ぎてしまった。
 帰宅して――。暗示にかかったせいか、夫のない身が寂しくなった。

※ミニコミ誌『あじくりげ』390号 1988年11月01日掲載

     

ストレスは感じない

1988年06月07日 | 過去のエッセイ
 ストレスという言葉をよく人から聞くけれど、私の場合、ストレスをまるで感じない。といって、百パーセント満たされた生活をしているわけではない。ストレス、と意識しないだけで、いろいろ不満の要素はたくさんある。
 第一に、締切にいつも追われている、という気分がたえず頭の中にあるから、これで一段落、と解放感に浸ったり、のんびりした気分になれないので、意識してないだけでこれがストレスの状態なのかもしれない。締切というものがなければ小説を書くというのはどんなに楽しいことだろう、などと思ったりする。
 そんな私の執筆量は、流行作家の半分以下ぐらいのものである。カレンダーをめくって、月が変ると、うれしくなる。予定どおりに仕事をこなせば、月の半分は遊んでいられる、と張りきってしまう。遊ぶだけじゃなくて、ゆったりした気分で書き下ろしに取りかかれる、と健気にも考えたりして、向上心やファイトに満ちみちている。
 ところが、一日はたった二十四時間しかなくて、一週間はたった七日間しかなくて、一月はたった四週間しかない。
 あっという間に、一日が終り、一週間が過ぎ、月末になると予定どおりいかなかった絶望感と無力感に襲われる。
 そのくり返し。要するに、低血圧気味のせいか、根気と集中力に欠ける、と自己分析している。それと、雑念がすぐ湧いてしまうこと。原稿用紙に向って、雑念を振り払い振り払いマス目を埋めていくのは、まるで嫌々ながら仕事をしているみたいだけれど、小説というものに対する執念は、これでも人一倍あるつもりである。面白い小説を書きたい、いい作品を書きたい、という熱い想い。
 雑念を振り払いながら原稿用紙にペンを走らせるのだけれど、考えてみれば、いろんな雑念に心が振り回されないために、書いているとも言えるような気がする。書くという行為が、私の中の迷いや孤立感や焦燥感などを、救ってくれているような気もしてくる。
 本当に、書くことによって、どれだけ私は救われているかしれない。専業主婦であった時の、理由のわからない虚しさやさみしさや焦りを感じないですむ代わりに、夫を持たずに一人で生きてゆく女の迷いは、他人が想像するのと違った意味で深いものがある。
 もちろん生活のためにも書いている。締切がなければどんなに楽しいかといっても、締切がなければなかなか書けないに決っているし、注文に応じて売れる原稿を書かなくてはプロとして成り立たない。
 そこで、来る日も来る日も、つまり書ける日も書けない日も、気分の上でいつも締切に追われて悪戦苦闘している。
 たまに、打ち合わせをかねて編集者とお酒を飲んだり、気の合った人とお喋りしたりして、仕事のことを忘れられたり、忘れられなかったり。
 忘れられなくても、まだ明日があるし、明後日もあるし、何とかなると楽観的になる。仕事のことに限らない。何に対しても、根本的には楽天家である。いつも、何とかなる、と思ってしまう。
 ストレスを感じない、意識しない理由もそのへんにあるのかもしれない。それとも、私は人より欲望が淡泊なのだろうか。欲望が強いとストレスを感じるのではないだろうか。

※『小説city』1988年5月号掲載

男女のドラマ

1987年12月05日 | 過去のエッセイ


※『婦人公論』1987年12月号

男と女

1987年07月01日 | 過去のエッセイ
 夜、就寝前にベッドで本を読むのは、何て楽しいひとときだろう。週に二日か三日は、そんな夜がある。
 読みたい本は、たくさん積んである。現在、続けて読んでいるのは、カトリーヌ・アルレー。
 アルレーを読むよう編集者の知人からすすめられたのは、もうだいぶ前のこと。
 最初に読んだのは、『わらの女』。完全犯罪計画を企らむ主人公の心理や、そのプロセスや、皮肉な結末は面白かったが、読後感があまり良くなかった。
 二冊、三冊と読んで、初めてアルレーが本当に面白いと思ったのは、『呪われた女』を読んだ時である。主人公は最後まで悪女を演じきれず、自分でも思いがけなく一人の男を愛してしまい、女の弱い一面をさらけ出している。その人間らしさ、女らしさ、弱さに共感できた。
 悪女というのは頭が良くて、犯罪を犯す勇気があって、魅力的な女で、氷のように冷たい心を持つけれど、愛と孤独を秘めているほうが、小説で読む限り、好きだからである。
 最近読んだ本で面白かったのは『理想的な容疑者』。妻殺しの容疑者となった男が、最後に妻を殺してしまう前に、夫婦喧嘩する会話がある。そこに、男と女の違いがはっきり出ているような気がした。
 この世に、男と女がいて、どうしてこんなに違う生き物なのだろう――と、そしてその違いが面白いのかもしれないと、ふだん考えている私は、その夫婦の言い合いが普遍的であり、永遠に不変のもののような気がした。
 夫は、保守的で、傷つきやすくて、妻を理解できない。
 妻は、夫を愛していても、自分の人生を生きたいと願望する。
 男はどうして、女を閉じ込めたがるのだろうか。女はどうして、男から憎まれ、蔑まれるのだろう。
 男と女の違いというのは、本当にたくさんある。ものの見方も感じ方も行動も欲望も心理も、ずいぶん違うと痛感させられることばかりである。
 夫と妻、恋人同士、不倫の男女――。
 それは、永遠にわかり合えないものではないだろうか。男に生まれて来た人間と、女に生まれて来た人間と――。
 アルレーの小説に惹かれるようになったのは、一気に読める面白さだけではなく、女主人公が、女性でしか描けないような書き方で、しかもその女の心理に共感できるものが多くあるせいかもしれない。
 また、私が自分自身で気づかない女の部分を、発見させてくれることもある。
 そして、男には絶対理解してもらえない、女に生まれて来たことを、幸運に思ったりする。
 男から理解してもらえないように、私も、男という生き物が、まだよくわからないし、だからこそ、付き合う楽しさもあり、もっとよく、男という生き物を知ってみたい好奇心が湧く。
 ところで、『理想的な容疑者』の中の、最後に妻を殺してしまう主人公が、自分を捨てて出て行く妻に対して、
「女一人では、現実の世の中では身を守れないぞ。女はそれほど強くはない」
 というセリフがある。
 大半の男が口にしそうな言葉であり、そこに男たちの人生観、社会観、そして女性観が表れているような気がするが、それに対して、決して強くはない女たちは、どう答えたらいいのだろうか。

※日本推理作家協会会報『ずいひつ』 No.463 1987年7月1日掲載

     

ある一日

1986年11月10日 | 過去のエッセイ
 日曜日の昼下がり。あたりはとても静かだ。
 私は朝寝坊をして、午前十一時に起床した。
 洗面をすませた後、食事をし、洗濯機を回しながら朝刊を読む。
 洗濯物を干し終えると、コーヒーをいれて、机に向かう。書きかけの原稿用紙を広げ、今日は何枚書こうと決意する。
 ところが、朝寝坊をした時はいつもそうなのだが、原稿用紙に向っても、まだ頭の中がぼうっとしているようで、なかなか神経を集中できない。机のまわりに積み重なっている本や雑誌を、つい手に取ってしまう。読むつもりではなく、パラパラとめくる。
 先日、文庫本の解説を書くという初体験(志茂田景樹著『孔雀警視と銀座の恋の物語』光文社文庫)をして以来、手に取った本の解説のページを読むという癖がついてしまった。一度読んだ本も含めてである。
 そんなことをしていると、一、二時間があっという間に過ぎてしまう。時計を眺めて、気が焦り、原稿用紙に向かう。数枚書いて、ペンを置くと、また机の周囲を眺める。地図帳や家庭医学の本を広げる。
 方向オンチの私が、地図を見るのは、案外、好きなのである。健康保険組合から送られて来た家庭医学の本は、何度読み返しても飽きない。これだけたくさん病気があると、私もいつか、いろいろな病気に罹りそうな気がして来るし、人間の生命なんてはかない気もして来る。
 本を閉じ、時計を眺めて、ふたたび気が焦る。日曜だから、電話のベルは鳴らない。かかっても一本ぐらい。みんな家庭サービスしているかしらなんて考える。誰々さんは宿酔いで寝てるかナ、誰々さんは仕事かナ……なんて。
 夕方近くなると、眠気が襲って来る。机とベッドが同じ部屋にあるので、つい、ベッドにごろんと横になってしまう。ほんの少し、考え事をするつもりで。実際には考えるというより、あれこれ頭に浮かぶまま、昨日のことだの数日前のことだのをぼんやり追想にふけっている。ところがそのまま、うたた寝してしまう。
 九月になってから、夏の疲れが出たのか、やたらと眠い。夜八時間は睡眠をとるのに、時々、午睡をしてしまう。十五分とか三十分とか仮眠というのができないたちで、一、二時間眠ってしまうから、時間が惜しいし、なるべく午睡はしないようにしている。けれども朝寝坊をした日はかえって、いっそう眠りを貪りたくなるから不思議である。
 目が覚めると、もうあたりは薄暗い。時計を見て後悔し、机に向かう。原稿は、まだ書きかけのまま。
 机の前に掛けてあるカレンダーを見て、溜息をつく。締切のことを考えたり、いろいろなことを考えながら、一体一日のうちに何度カレンダーを見て溜息をつくだろう。
 多分、日に二十回ぐらい。三十回ぐらいかもしれない。時計は百回近く見ているのではないだろうか。
 夜は読書の時間。テレビは全然見ない。入浴をすませて、ほんの少しのブランデーをグラスに入れてベッドに運び、横になって好きな小説を読む時、一日中在宅の日は一番愉しいひととき、至福のひとときと、いつも思う。こんな素晴らしい時間があるから、生きているのが愉しいのだと思う。
 午後十一時になると、本を閉じ、灯りを消す。今日は何枚しか書けなかったと後悔が湧く。けれども、根は楽天家の私は、明日があると思ってしまう。明日は何枚書こう。きっと書ける、いつかだって書けたもの……。一時間に四枚書くとして午前中に何枚、午後は何枚、一時間に五枚書けば……と、そんな計算をしているうち眠くなって来る。
 悩み事考え事はいろいろある。けれども、友人は言った。たっぷり眠る人間は精神の病気には決して罹らないと──。

 ※ 掲載誌 『随筆手帖』 1986年11月10日号 (加筆)


電話のベルが好きな理由

1986年10月01日 | 過去のエッセイ
 毎日、10本ぐらいの電話がかかってくる。
 私は電話大好き人間だから、仕事中であれ食事中であれ、つい長々と電話でお喋りしてしまい、気がつくと1時間も2時間もということが、よくある。
 ほとんど一日中、机に向かって執筆という孤独な作業をしていると、電話は唯一の気晴らしになる楽しいひとときなのである。
 ところが、その10本の中の1、2本は、間違い電話である。
 間違いと言っても、かけ間違いではなく、番号を確認すると、合っている。
 かけてくる相手というのが、皆、セールスであることに気づいた。
 不動産、電気製品、料理器具、百科事典など、実にさまざまである。
 電話番号は合っているのに名前は違っていて、それらのセールスマンたちはすべて、
「Tさんですか?」
 と、同じ名前を言って、こちらを確かめる。
 住所も私の家とは違い、すべて同じ。
 この電話番号をどのように知ったのかと聞くと、セールスマンたちはちょっと慌て、
「先日、ハガキで商品案内の申し込みをいただきました」
 とか、
「アンケートのハガキで」
 とか、
「モニターに選ばせてもらいました」
 などと答える。
 その時、私はピンときた。
 以前、知人との話で、名簿屋という職業があると聞いたことがある。
 電話でセールスする企業に渡すリストの中に、1件ぐらい紛れ込ませてデタラメな名前と住所と電話番号を入れてしまったのではないか。
 その電話番号が、たまたま、私の家の電話番号だった。
 その名簿リストを、それぞれの企業に売りつけたのだと思われる。
 その後、私は、「Tさんですか?」と、セールスマンたちが一様に口にするその名前と住所を聞き出し、電話帳で調べてみた。
 私の家の電話番号と、番号が似ているのかと思ったのである。
 ところが、まるで違う番号だったし、その名前と住所は一致しなかった。
 電話局にも問い合わせてみた。3月に私は引っ越し、その電話が連続してかかり始めたのが5月だったから、この番号が以前はTさんの所有であったかどうか調べてもらったが、その事実はなかった。
 もう2か月間も、その間違い電話が毎日のようにかかってくる。
 中には同じ企業からかかる電話もあるので、
「名簿リストから削除しておいて下さい」
 と言うと、ていねいに謝って切るので、彼らも仕事なのにと、気の毒に思ったりする。
 ところで――。
 これが、もし、故意の嫌がらせの手段であるとしたら――と考える。
 私を恨んでいる人間が、この世にいるのかもしれない。
 不愉快な連日の間違い電話に、私がノイローゼになればいいと願っている誰かの、名簿リストを利用しての企みであったら――。
 確かに連日、間違い電話がかかってくるのは、一方的で暴力的とさえ言える。私のように気の弱い人間ならノイローゼになりかねないことだって、あるのではないだろうか。
 私もいたって気の弱い人間。ところが私は、電話がかかってくることが好きだし、お喋りできる友人知人でなく、単なる用件であっても、あの呼び出し音が好きなのである。
 私の家の電話はプッシュフォン式で、音量を調節できるが、小音に設定しておくと可憐な音色で、目覚まし時計の残酷なベル音より、ずっと耳に快い。
 番号のかけ間違いであれ、原稿の催促であれ、受話器をはずすまでは、あの快いベルを耳にした瞬間、誰かしらと期待し軽い昂奮を覚える緊迫感が好きである。
 たとえ期待外れの電話であっても、そう不愉快にならないのは、電話の本数が多いからそんな時は事務的に応対してすぐ忘れてしまうせいかもしれない。
 と言っても、私の電話の応対の仕方が、いつも機嫌の良い嬉しそうな声とは限らず、
「午前中は、いつも無愛想な声を出すから懲りた」
 などと言われたりする。
 低血圧気味の私は午前に弱い。自分では普通の声を出しているつもりでも、電話の相手には寝起きとか睡眠不足とかが伝わってしまって、私の無愛想な声に怒る人もいる。
 先日も、編集者から電話がかかって、生きているのか死んでいるのかわからない私の声に、呆れられてしまった。やはり午前中だった。
 その後、いったん机に向かってから、どうしても睡魔に勝てなくてベッドに横になったら、たちまち眠り込んでしまった。
 それでも隣室にある電話のベルで目が覚め、
「こんな朝早くから、どうしたんですか」
 と言ったら、
「朝早くって、今、何時だと思ってるんですか? 正午前ですよ」
 と、呆れられ、慌てて時計を見ながら謝った。何と2時間半も眠ってしまったのである。昨夜、寝たのが遅かったせいもある。
 15分とか20分とかの仮眠ができないたちで、午後のお昼寝でも2、3時間ぐっすり眠り込んでしまう。
 そうして時間をソンしたと悔やんでいる。
 特に眠くなる昼下がりなど、間違い電話でも何でもいいから、眠り込んでしまわないように電話がジャンジャンかかればいいと思っている。
 
※『小説クラブ』(掲載年月日不明)

ビデオの映画

1986年06月11日 | 過去のエッセイ
 自宅の2軒隣のビルの1階に、レンタルビデオショップができたのは初夏のころだった。
 映画のビデオを借りたいと思いながら、店舗を眺めるだけでいつも通り過ぎていたのは、夏から秋にかけて書き下ろしを2本書くので自制していたためだった。いったん借り出すと夢中になってしまいそうな気がしたのである。
 9月中旬に、ようやく店に入り、入会手続きをして、ワクワクしながら3本借りて来た。
 最初のころは〈1泊〉で借りたが、自宅のマンションを出て徒歩1分の距離なので、当日に返却するようになった。1泊500円、当日返却300円で、途中から3千円か5千円のカードを買うことにした。
 9月から11月中旬までの2か月間に、53本借りたが、中断して観るのをやめたのもある。
 映画館で観た映画は、やはりビデオでは迫力に欠ける。それでも『ドクトル・ジバゴ』は、やはり感動した。映画館で初めて観て、数年後にテレビで観たから、3度目である。
 何と言ってもオマー・シャリフが素敵である。他のどの映画に出演したオマー・シャリフより、ジバゴ役が最高に素晴らしい。詩人であり医師であり、妻を愛しているが、情熱的なララに惹かれずにいられないジバゴ。
 しかも何年もの間、ララを想い続けて、男女の関係になるのはずっと後、ララが娘と2人暮らしの生活になった時である。2人が結ばれても、ララよりジバゴのほうが積極的で情熱的で、男の純真な気持ち、妻以外の女を愛した苦悩が、とても良く伝わってくる。テーマ音楽の『ララのテーマ』も素晴らしい。この曲には、私にとって忘れ難い思い出があるので、胸に熱いものがこみあげてくる。私が高校生のころ、初めてこの曲を聞いた。
 この映画をビデオで観た夜は、昂奮して眠れなくなってしまったほどだった。レンタルではなく、このビデオをどこかで売ってないだろうかと思った。
 最近、借りて来たビデオで観たのは『ハスラー』と『ハスラーⅡ』である。『ハスラーⅡ』はちょっと期待はずれ。ただし、最後の「カム バック」というセリフは素敵である。『ハスラー』はやはり3度目に観た。
 好きな俳優は、アラン・ドロン、ゲーリー・クーパー、ジェームス・ディーン、ロバート・テーラー、グレゴリー・ペックなどだが、皆若いころのほうが美男子で、中年のドロンがいいという人もいるが、やはり若いころのほうが素敵である。ポール・ニューマンも『評決』など渋い味わいもあるが、若いころのほうがずっと好き。
『ハスラー』のポール・ニューマンは、何と言ってもギャンブラーの男らしさがにじみ出ている。決して荒々しいとか強い男ではない。むしろ、とてもナイーヴである。女性を愛している自分の心に気づかない。ギャンブルに取り憑かれている、男の情熱、非情な勝負師の世界。ポール・ニューマンの憂いを含んだ瞳が、すさんだ生活に落ちてもハスラーとして生き続けるといった男の役を、素晴らしく演じている。この映画にピッタリのキャストなのである。
 53本すべて洋画である。アメリカ映画が多いが、フランス映画もとても好き。イタリア映画も好き。
 最近観て面白かったのは、『殺意の夏』『哀しみのトリスターナ』『ジェームス・ディーン物語』『美しさと哀しみと』『レディ・ホーク』『誰がために鐘は鳴る』など。
 1日に5、6本観てしまう日もあるので、借りたいビデオが少なくなってきた。
 けれど、やはり映像より活字が好きな私は、就寝前にベッドで小説を読まないと眠れない。
 レンタルショップでビデオを続けて借りて、映画はそろそろ飽きてきたが、小説は一向に飽きないのは、活字中毒なのかもしれないと思ったりする。

※掲載誌・掲載年月不明