本日のお題はミスター・スチュワートです。と言ってもロッドさんではありません。アルさんです。アルさんといってもミスター・クーパーではありません。なんのこっちゃ。
まずはこの方のファンならご存知のバイオ。
1945年英国スコットランド生まれ。現在68歳。私の8個上。66年デビューだそうですから、芸能生活47年、いまだに現役。すごいよね。1973年米国進出、いやゴジラ風に言うならば上陸ですか。1975年アラン・パーソンズさんのプロデュースが2枚目(1枚目は‘モダン・タイムス’)の名盤「イヤー・オブ・ザ・キャット」が全米5位の大ヒット。しかもシングル・カットした表題曲が全米8位のこれまたトップ10入り。それが・・・?

うまくアップできたかな。ぐーさんブログはこれの確認が大変。いつか直してね。我が持参の「イヤー・オブ・ザ・キャット」の米国シングル盤。JANUSレコードよりリリース。ちなみにこのレコード会社はGRTの子会社だったみたいです。レコード番号はJ―266。なぜゆえ邦盤を持っていなかったのでしょうか。これも銀座ハンターにて購入した中古盤でした。ハンター・マークのホチキスで止めた後があります。この1973年って私が社会人1年生のころで、この楽曲を聞くとあの頃の個別訪問型セールスという名の研修期間で、結構苦労したことを思い出します。このサウンドと同じで、哀愁が漂います。この年はまさに‘猫の年’でした。でもこの歌詞のごとく子猫ちゃんは現れず、ただただ、いやだ・いやだ、やめてぇ・やめてぇの連続でした。その後・・・

同じアランさんのプロデュースで「タイム・パッセージズ」(レーベルはアリスタ)を発表。全米10位。そしてこのシングル・カットも全米7位を。英国ではヒットしなかったとアルさんファンの方のブログにありました。そうかねぇ、なにか英国的なんだけどねぇ。歌詞のアー、時の通路(タイム・パッセージズ)よ、僕を故郷へ連れ戻しておくれ。今夜出る最終列車の切符を買っておくれ。なんて女々しいことを歌っています。故郷スコットランドに帰りたかったのでしょうか?その後・・・・

このころは多分我が国での人気も落ち目の三度笠だったのでしょうか。このシングルおそらく全米チャート最後の楽曲だと思われますが?それでも全米24位まで行きましたねぇ。1980年リリースの「24キャロット」(レーベルはアリスタ)からです。このころはアランさんとの関係も終わってました。それにしても、このアランさんの存在ってすごかったのてすねぇ。ちなみにそのアルバムは(下記表題)それでも全米アルバム・チャートの24位まで行きました。

その後こんなアルバムもリリースしました。レーベルはアリスタ。2枚組の大作、A面スタジオ、B面・C面・D面ライブという・・・。とうとう全米アルバム・チャートはトップ100ではなく、ちょっと惜しかった全米110位でした。

その後、「ロシア人とアメリカ人」(レーベルは?なんと不親切な)?と「ラスト・ディズ・オブ・ザ・センチュリー」(レーベルはエニグマ)なんぞをほぼメジャー・レーベルよりりりすしましたが。ここまでが私の知る余地でした。その後も前述の如くいまだに現役という素晴らしことです。そして私はこの方はこのCDで楽しみました。昨日全曲聞いてみて、この寒い冬の日に聞くのにもってこいでした。

ライノ・レーベルより2004年リリース。これ一枚でアルさんを知りましょう的内容です。最初の3~4曲もさることながら、あの頃(1960年末から1970年初)のジャパニーズ・ポップスに影響していました。サウンドがもろあの頃クリソツでした。このあたりのアーティストだとそのサウンドをパックて、いや失言、参考にしてもわからなかったのでしょうね。このCDが私にとっての一番新しいアルさんの音源です。今でも現役ですが、最近リリースの音源は聞いたことがありません。まあ私にとってのアルさんはあの苦しかった1977年なんでしょうね。オチマイ。
まずはこの方のファンならご存知のバイオ。
1945年英国スコットランド生まれ。現在68歳。私の8個上。66年デビューだそうですから、芸能生活47年、いまだに現役。すごいよね。1973年米国進出、いやゴジラ風に言うならば上陸ですか。1975年アラン・パーソンズさんのプロデュースが2枚目(1枚目は‘モダン・タイムス’)の名盤「イヤー・オブ・ザ・キャット」が全米5位の大ヒット。しかもシングル・カットした表題曲が全米8位のこれまたトップ10入り。それが・・・?

うまくアップできたかな。ぐーさんブログはこれの確認が大変。いつか直してね。我が持参の「イヤー・オブ・ザ・キャット」の米国シングル盤。JANUSレコードよりリリース。ちなみにこのレコード会社はGRTの子会社だったみたいです。レコード番号はJ―266。なぜゆえ邦盤を持っていなかったのでしょうか。これも銀座ハンターにて購入した中古盤でした。ハンター・マークのホチキスで止めた後があります。この1973年って私が社会人1年生のころで、この楽曲を聞くとあの頃の個別訪問型セールスという名の研修期間で、結構苦労したことを思い出します。このサウンドと同じで、哀愁が漂います。この年はまさに‘猫の年’でした。でもこの歌詞のごとく子猫ちゃんは現れず、ただただ、いやだ・いやだ、やめてぇ・やめてぇの連続でした。その後・・・

同じアランさんのプロデュースで「タイム・パッセージズ」(レーベルはアリスタ)を発表。全米10位。そしてこのシングル・カットも全米7位を。英国ではヒットしなかったとアルさんファンの方のブログにありました。そうかねぇ、なにか英国的なんだけどねぇ。歌詞のアー、時の通路(タイム・パッセージズ)よ、僕を故郷へ連れ戻しておくれ。今夜出る最終列車の切符を買っておくれ。なんて女々しいことを歌っています。故郷スコットランドに帰りたかったのでしょうか?その後・・・・

このころは多分我が国での人気も落ち目の三度笠だったのでしょうか。このシングルおそらく全米チャート最後の楽曲だと思われますが?それでも全米24位まで行きましたねぇ。1980年リリースの「24キャロット」(レーベルはアリスタ)からです。このころはアランさんとの関係も終わってました。それにしても、このアランさんの存在ってすごかったのてすねぇ。ちなみにそのアルバムは(下記表題)それでも全米アルバム・チャートの24位まで行きました。

その後こんなアルバムもリリースしました。レーベルはアリスタ。2枚組の大作、A面スタジオ、B面・C面・D面ライブという・・・。とうとう全米アルバム・チャートはトップ100ではなく、ちょっと惜しかった全米110位でした。

その後、「ロシア人とアメリカ人」(レーベルは?なんと不親切な)?と「ラスト・ディズ・オブ・ザ・センチュリー」(レーベルはエニグマ)なんぞをほぼメジャー・レーベルよりりりすしましたが。ここまでが私の知る余地でした。その後も前述の如くいまだに現役という素晴らしことです。そして私はこの方はこのCDで楽しみました。昨日全曲聞いてみて、この寒い冬の日に聞くのにもってこいでした。

ライノ・レーベルより2004年リリース。これ一枚でアルさんを知りましょう的内容です。最初の3~4曲もさることながら、あの頃(1960年末から1970年初)のジャパニーズ・ポップスに影響していました。サウンドがもろあの頃クリソツでした。このあたりのアーティストだとそのサウンドをパックて、いや失言、参考にしてもわからなかったのでしょうね。このCDが私にとっての一番新しいアルさんの音源です。今でも現役ですが、最近リリースの音源は聞いたことがありません。まあ私にとってのアルさんはあの苦しかった1977年なんでしょうね。オチマイ。
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