だから人にはアドバイスなどしないほうがよいと改めて思いました。
私は、自分が怖い思いをしたから、その体験を書いただけでしたが、その人は私が自慢げに書いてきたと書かれていました。
その体験とは精神薬の断薬についてです。
私は、もう少しで廃人になりそうでしたから、断薬してよかったと思っています。
断薬したお陰で元の自分に戻れました。
それを自慢げ?
自分が苦しんだことを人に自慢しますか?
私は、その人に私のような目に遭ってほしくないと思って書かせていただきました。
が、そういうふうに受け取られることもあるんですね。
その方は、まだお若いから、今の所、私のような激しい副作用、離脱症状が出ていないかもしれませんが、精神薬は頭に悪いだけでなく、身体も壊してしまうものです。
それ以上に怖いのは依存性があることです。
私は、依存性が出るほどは飲んでいなかったから止めることができましたが、麻薬の禁断症状様の精神薬の離脱症状は体験しました。
私は精神薬の離脱症状の怖さをお伝えしたかったのでした。
が、
まあご自分の人生ですから、ご自分があとで後悔なさっても、それはその人の人生です。
人に対しては見ざる、言わざる、聞かざるに徹したほうがいいと改めて思いました。
昨日ネットニュースに、マスク不使用を注意して、暴行されて半身不随になった男性の談話が載っていました。
その男性の今の気持ちは「言わなければよかった」だそうです。
「正義感から言ったつもりだったが、相手にはそう受け止めてもらえなかった」そうです。
コロナに対しても様々な考え方があります。
だから、自分の考え方を押し付けないほうがいいのかもしれません。
結婚に対する考え方も、最近では様々です。
私どもは若い頃、結婚はしなければならないもののように言われましたが、最近の若い人達は自ら結婚をしないという選択をする人もいます。
結婚しても子供を持たないという選択をする人もいます。
それをとやかく言ってはいけないということです。
確かに結婚は楽しいばかりではありません。
むしろ苦しいことのほうが多いかもしれません。
それでも結婚したのは、昔の女性は一人では生きにくいことが多かったから仕方なくしたということもあったかもしれません。
子供を持つことも、楽しいばかりではありません。
一生懸命育てても、逆恨みされることもあります。
最近の眞子さん騒動でも、私は紀子様は一生懸命子育てされたと思うんですね。が、女性にとって一番大事な結婚問題で長女の眞子さんから大きな裏切りにあわれました。
私は紀子様がお可哀想でなりません。
紀子様が一生懸命になさったことが全部裏目に出た結果になりましたから。
雅子様が公務がおできにならない間、必死にその代わりも努めておられたというのに…。
最近のユーチューブの罵詈雑言のひどさには吐き気を催すほどです。
話が脇道に逸れてしまいました。
ということで、他人には、いや他人ばかりではなく、我が子にさえも自分の考え方を押し付けてはいけないということなのでしょう。
私も、夫にもっと家庭的になってほしいなど思ってはいけないということです。
夫と妻はもともと他人なのですから。
が、私のように耳が聞えにくくなってくると、どうしてもまわりの人に助けを求めたくなります。
身体が健康であれば、またなんとかなるかもしれませんが、それも心もとないですし…。
それでも生きていかなければいけないのかと自問することは多いです。
生きていても、人のことなど考えずに、人にアドバイスなどしないで、死んだように生きなければならないと言うことなのでしょう。
今朝は、そんなことを思いました。
そうそう、インターネット歌会でも、古参の私は、若い慣れていない人の司会にアドバイスさせていただいたら、その人は猛然と怒り出して、私の言ってないことまで言ったように言われて震え上がりました。私は、親切心で言ったのでしたが、向こうはプライドを傷つけられたように感じたんでしょうね。
多少イキがっている人だから、「ババア黙っとれ」とでも思ったんでしょうか?苦笑
年取ってきた私は、これからは、そういう場面にも遭遇することが多くなってくるかもしれません。
これは年取ってきた人のほとんどが味わう悲哀なのでしょうね。
Blogでもありました。母校の後輩ブロガーさんに激しく罵られたことが…。
私は一度も上から目線で書いたつもりはありませんでしたが、高校の先輩と思って上から目線で書いたと…。
まあ、いろいろあります。ありました。
よく聞かれるのは、
夫は、妻に感謝。
妻は、夫に・・・・・・
世の中少しずつ変化しています。 K.M
そうですね。私どもの子供夫婦を見ても最近の男性の家庭的なことには驚かされます。共働きするには、そうでないと無理でしょうね。男が威張っていられるのは私達世代が最後かもしれません。
いやあ、気持ち分かります。
複雑な問題です。
私はびこさんのような文章の内容になるのが嫌で会社以外では近所付き合いや町内会のことは一切やらずに来ましたし、ブログでもあまり主張しないで写真等だけ載せて簡単なコメントだけです。そして相手の文章を読んでこの人なら同じ価値感だなと思える人のみ交流しています。そうしないと怖い。実は先日もブロ友のコメントに異議なしで文章を書いたら全く知らない人が横から入って来て猛烈に批判されました。嫌な気持ちになりました。私は全共闘世代で正義感が強くて社会派なのです。びこさんも高知県生まれで正義感が強い方です。私の両親も高知県生まれですから良く分かります。母は特に「ハチキン」でした(笑)嫌な気持ちにならないためには同じ価値感の方だけと交流されることが良いと思います。
後は気持ちを短歌にぶつけて短歌だけ掲載という日が合っても良いと思います。
あっそれから昨晩ご主人はどうでしたか?ケロッとして帰ってきましたか?気になっています。
気になっていると言われることからお応えします。
昨夜、夫が帰ってきたとき私は眠っていました。今朝玄関を見たら帰ってきていることがわかりました。我が家は、1階にも2階にもトイレ洗面所がありますから、まったく会わなくても生活できるのです。今日は夫はまた能勢町に行く予定ですが、果たして私のいる食堂に入ってくるかどうか。二階でも食事できますから。笑
正義感についてですが、たしかに土佐の人間は正義感が強いです。それから人のことが放っておけないというところもあります。それが裏目に出たら、今回のような結果になります。私ももういい加減懲りたらいいのに、すぐにおせっかいを焼きたがるのは土佐の血なのでしょうね。
ネットは顔が見えないだけに怖いことも多いです。
私も叔母たちとは全く意見が食い違い、話してて苦痛そのもの。
かと言って、年配者のタイムリーな意見がとても参考になる時がある。
コロナが流行りだす前、ある年配の人が”若いもんは言う事聞かんからな”と嘆いてましたが、全くその通りになった。
勿論、若者だけでなく私達中高年も都合の悪い事には耳を貸したがらない。
ただ一つ言えるのは、ネットや動画の時代になり、日本語がとても汚くなってるという事です。批評はそのまま誹謗中傷と誤解され、自分に都合の悪い事は全て排除されます。
言葉ってある意味、国家の基盤を支える文化でもあるんですかね。
言葉ってある意味、国家の基盤を支える文化でもあるんですかね。
そういうことなんだろうと思います。
だから国語教育は大事なのですが、最近は疎かにされていますね。
それから自分が年寄りなので言いにくいのですが、敬老の精神も必要ですね。お年を召した方を敬うことで、言葉も丁寧になるし、正しい文化も伝わっていくと思います。
まあ今でも本当に賢い人は目上の人を敬いますね。それができない人達は、それだけの人間ということなのでしょう。
転象さんの叔母上様たちがどういう方々かは、イマイチよくわからないのですが、甥の転象さんがそこまで嫌うのには、それだけの嫌われる理由があるのでしょう。