私が初めて東京を訪れたのは今から50年以上も前の修学旅行でであった。
中高一貫校であったから、中学校の修学旅行はなく、その代わり、高校一年から二年になる前の春になんと九泊十日の長い修学旅行があった。
高知から大阪までは船であった。
大阪には早朝に着いてそこから後はずっとバスであった。
長い長いバス旅であった。
最初に向かったのが、富士五湖であったと記憶する。
田舎の高校生であった私は、富士山もそのときに初めて観た。
感動した。
富士山五合目をバスで巡ったと記憶するが、私は雲海を知らなかったから最初は海のそばを走っているように錯覚した。
まもなく、それが雲海であることを知り、これまた感動したものだった。
富士五湖のどこかで一泊したあとが東京だったと記憶する。
東京では日曜日に自由行動の日が設けられていて、東京に親戚がいれば、親戚の人と外出してもよかった。
が、女子校だったから、その親戚選別のチェックは厳しかった。
男の従兄は不可だったと記憶する。
私には幸い大学2回生になる父方の従姉がいたから、その従姉に旅館まで迎えに来てもらって東京を案内してもらった。
従姉は後楽園(だったと思う)に連れて行ってくれた。
そこで私は憧れの?観覧車に乗ることにした。
従姉は、多分、仕送りも十分でなかったからだったと思うが、乗らなかった。
または、大学生にもなっていたから、そんな幼稚なものには乗らないという矜持があったのかもしれなかった。
そして、正に乗ろうとするとき、若い男性が「一緒に乗りましょう」と声をかけてきた。
一瞬、「えっ?」と思ったが、別に怪しそうな人にも見えなかったし、断るのは悪いように思って一緒に乗った。(←世間知らず?😯)
私は高校の制服のままだったが、その人は、私のことを関東在住の高校生と勘違いをしていたようだった。
観覧車の中で話をして、私が四国の高知から来た高校生ということがわかったら急にがっかりしたような様子で、観覧車から降りてからは、どこかに消えてしまった。
従姉は観覧車の下で心配していたようだった。
東京では国会議事堂の中にも入れてもらって見学した。
引率の先生と知り合いだったのか、高知県出身の議員さんが案内してくれた。
その後、私達一行は日光東照宮を参拝して奥日光まで行った。
3月の奥日光はまだ寒くて南国育ちの私達は震え上がったが、道中生まれて初めて観る白樺林には感動したことを覚えている。
奥日光がその修学旅行の一番遠い旅先であった。
奥日光を後にして、私たち一行は再び関西に向かい、最後の旅先は京都であった。
もうこの頃になると皆ヘトヘトになっていた。
せっかくの京都観光であったが、疲れ果てていたためガイドさんの説明も上の空であった。
それなのに、歴史の勉強もさせようという、学校側の深謀遠慮もあったのか、結構沢山の寺社巡りをした。
以上が私の記憶に残る初めての東京であり、修学旅行であった。
今日gooブログさんが本日7月17日が「東京の日」であることに合わせてお題を出してくれたから、私は50年以上も前の修学旅行で初めて訪れた東京のことを思い出して書くことができた。
★制服のままで旅せし高校の修学旅行は五十余年前
★東京を初めて見たる高校の修学旅行は遠くなりたり
★富士山の雲海はじめて見しわれは海と錯覚してゐたりけり
お散歩しながら、興味深く拝見しました。
結構、ハードスケジュールでしたね。
高知の女子校と言えば、お城の近くなのかなと想像しています。
私の川西の友人の娘さんが高知の女子校の体育館の建築に携わられていました。
結局名前を聞きましたがわかりませんでしたが。
私も中高一貫の女子校育ちです。
ミッションスクールでした。
東京や鎌倉周辺に叔父や伯母達がいましたので、中学生の時でしたかに初めて東京に行きました。
東京タワーが印象に残っています。
しょうもないことをつらつら書きまして、お邪魔しましたー😅
そうです。母校はお城の側でした。ピエリナさんも女子校のご卒業でしたか?
私の従姉妹たちも皆あそこの卒業生です。😊
ピエリナさんの岡山県は何と言っても本州ですから私のような田舎者ではないですよね。今は四国も本州と橋でつながりましたから私達の頃のような辺鄙な地という感じはなくなりましたけれども…。
私の知り合いで、観覧車の順番がずれて他の人の彼氏と一緒に乗り込み、一回転する間に付き合うことになり、結婚した人がいました。本人の話です。
縁はどんなところに転がっているか分かりません。
大学は共学でしたが、専攻によって男女比がまちまち、女性の多い専攻の人はサークルで彼氏を作っていましたが、取ったり取られたり、めんどくさいことが多かったです。
話長くなるのでこのあたりで。
私達は山口広島と至って地味でした。高速のない時代はバス旅も苛酷でしたよね。お疲れさまでした。
私たちは女子ばかりでしたから私のように馬鹿みたいに初心な子もいたし、逆に異常に男子に興味を持つ人もいました。
修学旅行は、学校は生徒の勉強になるようにと盛りだくさんでしたが、当時の私は寺社などに全く感心ありませんでしたから猫に小判でした。
でも、初めて観る富士山には涙が出るほど感激したし、上野で東北の高校の修学旅行と鉢合わせしたときは初めて聞く東北弁に異国の言葉を聞くような驚きを覚えたものでした。奥日光の白樺並木を観たときは「はるばる来たなあ」という感慨を抱いたものでした。そういうふうに学校が意図したわけではない収穫は確かにありましたね。
でも不思議なくらい何も覚えていないのです。
夜バスの中で見た銀座のイオンが鮮やかだったことくらいしか記憶にないのが不思議です。
とにかく疲れてクタクタでしたね。
帰りの列車で級友が調子を崩し、救急車で運ばれたのはしっかり覚えています。
私も大方は忘れてしまったのですが、妙なことだけ覚えています。知らない男の人と観覧車に乗ったこととか。笑
あの頃は、東京と地方の差がはっきりしていて私などお登りさんそのものでした。今ほど簡単に旅行できる時代でもありませんでしたし。
そういえば、修学旅行で体調を崩した人もいました。私は不思議に大丈夫でしたが…。
真夜中の訪問その3でも書いたんですが
上野公園で、ピンクのドレスを羽織ったブロンド娘と出会ったんです。トイレ越しに目が合うとすぐに通じました。
慌ててトイレから飛び出し、その娘を探したんですが、何処にもいません。すぐ目の前にいた筈だから遠くへは行けない筈です。
修学旅行中は、ずっとその女が気になって頭から離れませんでした。
しかしその後、そのブロンド娘が霊となって私の前に現れたんです。多分、私と目が合った瞬間に乗り移ったんだと思います。事実、上野公園での私の写真を見ると女みたいな雰囲気で写ってます。
その後の展開は長くなるので、ここでは書きませんが。何だか嬉しい様な悲しい様な、青春の思い出でした。