風さんという方からコメントいただきました。
私のこのBlogを熱心に読んでくださっている方のようです。
そして読んでくださった結果から洞察された私という人間の感想をいただきました。
う〜ん、当たっているようでもありますが、違うような気もします。
風さんは、私がよく「死にたい」と書くから心配してくださっているようですが、そうですね「死にたい」なんてあまり言ってはいけない言葉なのでしょうね。
でも、やっぱり死にたいときがあるのです。
人からの評価からというよりも、やはり聞こえないことからくる孤独感からでしょうね。
私の歌友に進行性筋ジストロフィーで寝たきりの方がいらっしゃるんですが、その方もよく死にたいと言われます。
私は彼女の死にたい気持ちもよくわかります。
だって寝たきりで動けないから、下の世話までしてもらわないといけないのですから。
ご両親がご健在の間はどちらかと言えば恵まれた患者さんであられたかもしれません。
が、お父様は亡くなられ、お母様は認知症になられた現在、彼女の事を本当に心配してくれる人はいなくなりました。
施設に預けられると、心無い男性ヘルパーにセクハラの被害を受けることもあると言われます。
そんなことまでされて生きていなければならないかと私も思います。
それで、「自死しようと思っている」と相談された時に私が「お好きなように」と言ったところ、彼女はご立腹で、私を「キツい人」と決めつけられました。
それじゃ、私はどう言えばよかったのでしょうね。
私自身、難聴が進んで、日常的に深い孤独の中にいて死にたいと思っていますから、そう応えたまででした。
私は彼女に「そんなことを考えてはいけません」と言わなければならなかったのでしょうか?
私の難聴は、彼女の年々筋肉が衰えて握力もゼロだという苦しみより軽いでしょうか?
私は、苦しみに軽重はないと思います。
彼女は下の世話にならなければならない辛さに耐えられないかもしれませんが、私も聞こえない辛さに耐えられない時があります。
これは考え方を変えたからといって、簡単に解決する問題ではありません。
彼女は死ぬまで自分の病気に苦しまれるでしょうし、私は死ぬまで聞こえないことに苦しみます。
これは人の評価とかの以前の問題です。
とりとめない文章になりましたが、風さんからコメントいただいたことをきっかけに書いてみました。
★自己愛性障害パーソナリティは当てはまるのかはまらないのか
★人は皆自尊の心を持つゆゑに苦しみもして悦びもして
★複雑性PTSDなるものも元はと言へば自己愛ゆ来る
★双極性障害これも自己愛の突出陥没繰り返す病
ヘルパーをやっているときに、
「死にたい。」という言葉を聞きました
私が行くとことは身体状況が厳しい方が
多かったこともあります。
そんな時、私はいつも言いました。
「大丈夫ですよ。
時が来れば必ず死ねますから。
でも、神様から『お出で』と許可がなければ死ねないんです。
生かされているということは、まだそこにいなさい、ということです。
さて、今日、できることをやりましょうか。」
私はこれからラジオ体操に行って来ます。
寒いです。
そういうことなんでしょうね。
光江さんの明るさは眩しいです。
寒くなりましたから、光江さんも風邪引かないようにしてくださいね。
それにコメントまでも!!!
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