当たり前すぎて何の特別なものでもなく空気みたいに自然にただ在り24時間営業のコンビニみたいにいつでも来客OKっていうのも違うけど何ていうか今この場所からから一歩動かずとも永遠に利用可能なものが俺やねんな。そういえばこの存在の感覚が在ることに気づいたのって壺を見たら人の顔が見えず人の顔を見たら壺が見えないあの中学校の美術の教科書に載ってた騙し絵の図柄を把握したときの感じが近いかもしれん。これまでは見ようとしてるのに見えないし見えてるのに見えてなかったけどじっと見てたらおぉ見えるやんこんなんあったんかうえぇ誰や見えんなんて言った奴責任者呼んで来い!みたいな。ここであきらめんとじっと見るって行為が大事やったんかもな。すぐ見えんっていってあきらめて放り出してそっぽ向いて他の事に従事して心を奪われたら確実に目的のものをもう既に見てるのにその見てるってことに気づく可能性自体を放棄することになるもんな。それにしても田中嫺玉さん訳のバガヴァッド・ギーターはめっちゃ読みやすいな。これが翻訳って言えるレベルなんやろな。素晴らしいわ。特にクリシュナが自身のこととか賢者について語ってるとこ読んでると山から湧き出る清水のようなクリシュナの至高の言葉が心身に染み渡るわ。田中さんリブ・ギーター訳してくれんかな。
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