アドヴァイタの小部屋

ニートです。

502

2012-12-31 03:24:37 | 日記
そうやな。このままいくとまた今日も寝んの9時ごろなって起きたら夜の5時ごろってパターンちゃうかこれ。いやまぁ9時5時と言われれば9時5時ですけども。これはもう現代人の真逆を何の躊躇いもなしに勇猛果敢に邁進していくそんな漢の背中に女の子はコアラのようにひっそりと寄り添って付いて来てくれんねんと思うしかないやろ。さて壁を越えるためにはほんまにそろそろ前やるゆうてて結局延ばしに延ばしまくって全く手付かずの英語のお勉強をしなあかんかもしれんな。いや机上の勉強ほんま苦手やねん。どないしよかな。長年勉強から遠ざかってることやしまずは昔一回読んだことあって一番簡単でめっちゃ役に立った奴から潰していこか。ってことでめっちゃ久しぶりやけど待ってろよ英語ベーシック教本。俺は強制されんかったらやらんでも支障なくてやりたくないことはできるだけやりたくない性格やからな。ここは一発ガイ先生考案の自分ルールを課してみるか。今日中に回せなかったら1月1日にリーディング教本回すってことにしよう。あれ何かやり方間違ってる気がしないでもないけどまぁいいや。

501

2012-12-31 01:46:42 | 日記
『O:それは自己催眠なのだ…あなたは自分はこの様だあの様だ、自分は不適格や無資格だと繰り返し言い続ける。あなたはこれを復唱し、それはマントラになる…自分のハートに沈み、真実となる。
 まるで自分には何も問題が無いかのように働いてみようとしなさい…そうすれば不意に”あなた”は自分が全く異なる性質を有していることに気がつくだろう…あなたは何も問題を持っていないのだ!そうして、問題を再び手に取るのか永久に落とすのかはあなた次第となる。問題があなたを抱えているのではなく、あなたが問題を抱えているのだと理解すれば、問題は非常に容易く落ちるだろう。しかし我々は問題なしには生きられない…そそれ故あなたはそれらを生み出し続けるのだ。すべきことが何もないために、人は問題がなければ非常に孤独を感じる。問題があれば、何かをする必要があり、それについて考えなければならないので、あなたはたいへん幸せを感じる…それはあなたに仕事を与えるのだ。
 自分は不適格だ、自分は無資格だ、自分はああだこうだといった途切れなく続く観念…これは実のところたいへん自己中心的なものだ。あなたは極めて有能になりたい…しかし何故だろうか?真に凄まじく優秀でありたい…しかし何故?どうしてそこに存在している不適格や限界に満足することができないのだろう?それらを受け入れれば、自分がもっとなめらかに流れ出すことに気づくだろう。』

500

2012-12-31 01:38:03 | 日記
さっきやよい軒行ってきてん。そんで590円のしょうが焼定食食べてきてん。しょうが焼きっていったらご飯やから大盛り2杯食べてん。ご飯多かったから猫飯にもしてん。めっちゃ旨かってん。てん。やっぱやよい軒は美味いわ。実は今朝の5時頃にも眠気を押し切って350円の納豆定食食べに行ってきたくらいやからな…ってここまで書いてきて何やけど何か書くことないな。28日に夕刊終わって念願のニートに舞い戻ってからというものほとんど家の中にいるからか何も特徴的なイベントが起こらんねん。いやいやそれは仕事辞めたからじゃなくて自宅警備員になってしまったからであってたとえニートでも1日2回くらいは水浴びて健全に外の空気吸って祝詞やお経唱えながら河川敷を練り歩いたりしたほうが肉体的にも精神的にもよろしいんじゃないでしょうか。実際問題このまま家にいたら新聞配達で培った筋力だだ下がりやからな。経験上ほんまニートで何の運動もせず家の中いたら目も当てられん位悲惨なことになる可能性高いしな。まぁ踏み台昇降でどれだけ食い止められるかって実験してもいいねんけど…ってどんだけNの反応鈍いねん!ちゃんと認識してください。そんなこんなで今年も明日で…ってもう今日やん!2013年はどんな年になるんやろな。俺はまた何処かでマイ天職の新聞配達でも始めるんやろか。でもお金ちょっと貯まったからしばらくはこのままでいいか。今日の夜は一人寂しく年越しうどん食お。

499

2012-12-30 22:07:00 | 日記
『O:エジソンはある実験にほぼ3年間取り組み、700回失敗していた。彼の同僚と彼の学生は完全に挫折していた。毎朝彼は楽しそうに実験室に現れ、喜びに胸を躍らせながら再度取り掛かる準備をした。とてもかなわない…700回と3年が費やされたのだ!誰もがその実験からは何も得られないとほぼ確信していた。全ては無駄に、ただの酔狂に思えた。
 彼らは集まってエジソンに「我々は700回も失敗した。何も成し遂げていない。止めないと。」と言った。
 エジソンはげらげら笑った。彼は言った…「君達は何を言ってるんだ?失敗した?700の方法が上手くいかないことを知るのに成功したじゃないか。僕達は毎日段々と真理に近づいている!700のドアをノックしなかったら、僕達は知る術を持たなかっただろう。でも今はあの700のドアが誤りだということに疑いを挟む余地は無い。これは偉大な業績だ!」
 これが基本的な科学的姿勢だ…何かが誤りだと決定することができれば、あなたは真理に近づいているのだ。真理とは、あなたが直接行って注文することができるような、市場で手に入るものではない。それは既製品でも、入手可能なものでもない。あなたは体験しなければならないのだ。それ故、常に実験的でいなさい。そして、決して独りよがりになってはいけない。決して自分のしていることが完璧であるなどと思ってはいけない。それは決して完璧ではない。常に改善の余地がある…常により完璧にする余地はあるのだ。』

498

2012-12-30 20:29:34 | 日記
『O:瞑想とは単にマインドの中身を空っぽにすることだ…記憶、想像、欲望、期待、計画、気分を。自分からこれらの内容物を空っぽにし続けなければならない。人生で一番素晴らしい日とは、自分の中から捨てるものを見つけられないときだ…もう全て捨てられてしまい、純粋な空だけがある。その空の中に、あなたは自分自身を見つける…その空の中に、あなたは自分の純粋意識を見つける。
 その空が空っぽなのは、ただマインドに関する限りにおいてだけだ。
 そうでなければ、それは溢れており、存在で満たされている…マインドは空っぽだが、意識で満ち溢れているのだ。故に”空っぽ”という言葉を怖れてはいけない…それはネガティブなものではない。それが否定するのは、ただ古い習慣によって運んでいる、役に立たず邪魔なだけの、ただの重荷、山のような重荷である不必要な手荷物だけだ。この重荷が取り除かれると、あなたはあらゆる限界から解放され、天のように無限になる。これが、神、仏陀、何でも好きな言葉でいい…の体験だ。人はそれをダンマ、タオ、真理、ニルヴァーナと呼ぶ…それらは皆同じものを指しているのだ。』

497

2012-12-30 01:54:07 | 日記
1979年7月22日


『Q:意識と目撃者は同じものですか?

 M:目に見えるものにとっては意識が目撃者だ。意識を目撃する別の原理が存在し、そしてこの原理はこの世のものではない。

 Q:あなたはどうやって意識を目撃するのですか?

 M:自分が座っているという事実をあなたはどうやって目撃するのだろう?努力せずに、それとも努力してだろうか?

 Q:努力しないでです。

 M:同じやり方だ。あなたが努力をするならそれは肉体的見地からのものだ。知識「I Am」が世界全体の魂なのだ。知識「I Am」の目撃者は知識「I Am」よりも前にある。あるがままに自分自身を理解しようとしなさい…どんな修正も加えずに。色んな材料からなる色んな食器を用意するように、あなたは何かを作りたいと思う。目撃することや気づきとは、あなたが自分の深い眠りを観察するのと同じことだ。それと等しいのだ。

 Q:理解できません。

 M:理解できるのではない。自分自身をじっと見つめてみなさい。鑑賞というスクリーン上に現れるものは皆、必ず消える。鑑賞する者が残るのだ。
 
 Q:鑑賞者というのもマインドの一概念ではないでしょうか?

 M:概念とマインドは鑑賞者から生じる光の輝きだ。

 Q:「I Am」が、あなたが万物の骨子であるとみなすものですか?

 M:そうだ。「I Amness」は自然に現れ自然に消える…それは家を持たない。それは夢の世界のようなものだ。何かになろうとしてはいけない…霊的人間にさえ。あなたは顕現されたものだ。木は種子の中に既に存在する。そのようにこの「I Am」はある。それをあるがままに見てみなさい。あなたが目にするものに干渉しようとしてはいけない。これを理解したなら、あなたの必要性とは一体何だろうか?

 Q:何もありません。

 M:あなたはこの確信の中に落ち着かなければならない。ジュニャーナ(知識)が全宇宙の魂だ。シッディ(霊力)に夢中になってはいけない。故意にシッディを求ないにもかかわらず、あなたの周りには奇跡が起きるだろう。それらの所有者であると主張してはいけない。
 あなたから1000km離れた場所にいるあなたの帰依者は、形を取ったあなたのダルシャンを受けることができる。あなたの帰依者があなたの知識を讃えるときはいつでも、その知識は具体的な形を取るのだ。自分が何かをしていると思ってはいけない。音は空間全てを満たしている…同様に、知識「I Am」は全ての場所を満たすだろう。これを理解すれば、あなたにとって死はなくなる。自分を一個人だとみなすなら、あなたは必ず死を受ける。
 霊的探求者は何かになりたいと思っている…ただあるがままのあなたでありなさい。人々があなたの元へやって来たら、あなたから自動的に言葉が出てくる。ヴェーダを学んだことはなくても、あなたから生じるものはヴェーダやウパニシャッドにあるものと同じものだろう。喋るときには、自分がジュニャーニであるとか知識人であるという観念をこれっぽちも持たないだろう。

 Q:私は「I Amness」という重荷を感じています。それを取り除く方法とは?

 M:あなたはそれを植えたことはないというのに、取り除くという問題が何処にあろうか?
 
 Q:わかっています…しかし私のマインドはそれを取り除くべきだと感じているのです。

 M:マインドは至高の原理を認識することはできるだろうか?マインドに従ってはいけない…マインドは独自の自然な成り行きに従っているのだ。あなたはマインドと同一化して、それを代弁しているのだ。
 どんな無理をして、マインドは空や空間を変えることができるのだろう?
 空間とは、それを通して世界を観察する「I Am」の眼鏡なのだ。五感はあなたを知ることができないが、あなたは五感を知っている。
 
 Q:「あなた」とは、何を意味しているのですか?どちらの「あなた」ですか?

 M:あなたは二元性を感じているので、私はあなたの中で聴いている人を指して言う。

 Q:私は外側の意識ではありません。

 M:実は、あなたはそれから離れて、それを認識するのだ。もしあなたが自分は意識だと言うなら、その時あなたは世界全体だ。あなたは「I Am」から分離している。「I Am」それ自体が幻なのだ。知識「I Am」と世界はマーヤの悪戯なのだ。それらには何の実体もない。実際は何の言葉も存在しないが、あなたは自己満足のために言葉を話す。
 あなたは飢え、渇き、目覚め、眠りの状態を知っている。これらがなければ、あなたは何か?あなたはこれらが自分の恒久的なニーズだと思っている…これがムーラ・マーヤ(根本的な幻)の悪戯だ。「I Amness」には特定の期間がある。あなたはどれくらいこれらに付き合うつもりだろう?

 Q:記憶は世界を真実のように見せます。記憶が緑色を登記しなければ、緑という色は存在しません。

 M:記憶は「I Am」の内にある。相対的な反復はマーヤの芝居だ。8日間眠ることができなければあなたは生きていられるだろうか?

 Q:いいえ。

 M:すなわち、あなたは目覚めと眠りの状態を越えるということだ…要するに、幻は消える。

 Q:朝目を覚ますとき、「I Am」意識は何処から現れるのでしょう?

 M:あなたにそれを理解することはできない。フィルムのように、それは既に存在し、再生されているのだ。この化学物質はヴェーダでは大原理と呼ばれるものだ…それがヒラニャガルバ(黄金の子宮)だ。「I Amness」は深い眠りの中で忘れられ、目覚めと夢見の状態に現れる。
 
 Q:どうやって先ほどのものを覚えておくのですか?

 M:それが「I Amness」の技なのだ。自分自身にどんなアイデンティティーを抱いているのかね?

 Q:私は目撃者です。

 M:何の?

 Q:肉体ー精神の全活動の、です。

 M:これは肉体ー精神の特性に過ぎず、”自己”知識ではない。腐りかけた食物に虫は湧く。同様に、肉体とは腐りかけの食物なのだ…”自己”はその中でのたうつ。肉体が腐りかけれると、虫「I Amness」が働く。その味が「I Amness」だ…そしてそれは舌なしで楽しむ。私達はこの腐りかけの食物の味に満足感を得過ぎているのだ。あなたはどんな知識が欲しいのかね?

 Q:私の真の”自己”についてです。

 M:肉体が自分だと思っている限り、真の知識を手にすることはないだろう。マラティには「借りものの妻」という言い回しがある…彼女は返さなければならない。同様に、この肉体は借り物なのだ…あなたはそれを返さなければならない。この肉体とのアイデンティティーは消えなければならない。

 Q:どうしたらこの自己同一化を取り除くのに成功するのでしょう?
 
 M:深い眠りと目覚めの状態を調べようとしてみなさい。これらは時間に縛られている。目覚めと眠りの状態の体験なしに、あなたとは何なのかを明らかにしようとしなさい。

 Q:その時私は言葉がありません。

 M:本当に?ヴェーダも「これではない…あれではない」と言い、終いには静かになった…それが言葉を越えたものであるかのように。深い眠りと目覚めの状態がなければ、あなたは自分が在ることがわかるだろうか、あるいは「I Am」を体験するのだろうか?

 Q:いいえ。

 M:生まれたものは…あなた自身、それとも2つの状態だろうか?ここに来れば、あなたはすぐに一掃されるだろう。あなたこれらの状態から何を自分自身として選び取るのだろうか?

 Q:何も。』

496

2012-12-29 22:30:34 | 日記
『O:誰もが愛に溢れあなたを欺く人がいなければ、信頼することは極めて容易い。しかしたとえ全世界が欺瞞で満ちており、皆があなたを欺こうとしていても…彼らはあなたが信頼する時にだけあなたを欺くことができる…、それでも信じ続けなさい。何を犠牲にしようと、決して信頼への信を失ってはいけない…そうすればあなたは決して敗者にはならない…なぜならそれ自身への信頼が本懐なのだ。それは他のものの手段であるべきではない…なぜならそれには独自の固有価値があるからだ。
 信頼することができれば、あなたは開かれたままだ。人々は守りに入ると閉じてしまう…何人も自分達を欺いたり利用したりすることができぬように。彼らに自分を利用させるがいい!もしあなたがひたすら信じ続ければ、美しい開花が起こる…なぜならその時には恐れがないからだ。その恐れとは、人々が自分を欺くだろうというものだが、あなたがそれを受け入れると、恐れはなくなる…それ故あなたの開花を阻むものは何もない。誰かがあなたに与えうる害よりも、恐れは危険なものだ。この恐れはあなたの全生涯を毒しうる。それ故開いたままでいなさい…そしてただ無邪気に無条件で信頼しなさい。
 あなたは咲く…そして、彼らがあなたをこれっぽっちも欺いたことはなく彼ら自身を欺いていたのだということに気づくようになると、あなたは他者の開花の手助けをするだろう。もしある人があなたを信頼し続けるとしたら、あなたにはその人を欺き続けることなど不可能だ。まさにその信頼が、あなたを自分自身へと繰り返し繰り返し立ち返らせるだろう。』
 

495

2012-12-29 19:04:42 | 日記
1979年7月7日


『M:”ニサルガ(自然)”の中では全てが時間に縛られている(季節、種蒔、刈取etc)が、自然それ自体は時間い縛られてはいない。自然は男でも女でもない。多くの”アヴァター”が去来するが、自然は影響されない。自然の物語は、誕生以来あなたのマインドの中に受け取られた印象から出ている。これらの記憶にしがみついている限り、”自己”知識は存在しないだろう。あなたが歴史や偉人etcのような、自然の中で起こってきたことをただ学ぶなら、あなたの”自己”を悟ることはできない。内側へ向かわなければならないのだ。
 自然の中でどんな重要な出来事が起こったとしても、どれほど影響力があったとしてもやはり、それらはここで消える。これらの状況は現れては消える。これは実際抽象的なものであり、ここで堅実なものとは知識「I am」なのだ。見られるものと見ることは消える。
 私は聴く準備ができている者にだけこれを話す。現れるものは必ず消える。最も重要な現れが知識「I am」だ。それは生前と死後には姿を見せない…そして姿を見せている間は頑丈だ。力強い種子「I am」のために、多くの偉大な聖者達が現れては消えていった。プラーナが肉体から離れると、知識には何の支えもなくなって消える…すなわち見えなくなる。
 私が詳しく説明していることはひどく難しい。あなたは”ブラフマン”さえ体験するかもしれないが、その体験は残りはしない。全ての体験は細胞「I am」によるものだ。細胞と体験は共に消える。あなたの一番大切な記憶さえ、いつか消える。知識「I am」は時間に縛られており、あなたの知識は皆「私は在る」という概念から芽生える。
 無数の聖者達が去来した。彼らは現在「I am」という状態を体験しているだろうか?彼らには自分たちのビーイングネスを不滅にする権限を持っていなかった…彼らの「I Amness」は見えなくなった。聖者たちは世界に僅かな変化も引き起こすことはできない。起こることは皆、起こるのだ。
 
 Q:しかしマハラジは、ジュニャーニの実在によって世界は恩恵を受けると仰いましたね。

 M:それは無知な者に、肉体ー精神にくっついている者に言ったのだ。「I Amness」がなければ、あなたに必要なものとは何か?
 
 Q:なくなってしまった。

 M:誰が話しているのだ?誰に?
 
 Q:私自身にです。

 M:もしあなた(知識「I am」)が本当になくなれば、どうして「なくなった」という感覚がわかるのだろう?あなたは概念に流されているのだ。この非常に小さい種子は宇宙を包含する。あなたは要点をはずしている…私を正確には理解していない。この原理「I Am」について、私はあなたに何度も何度も話しているのだ。
 自分のアイデンティティーを見いだしなさい。現れるものは皆、消えてしまう。ルーズベルトやガンディーが今何をすることができる?まさにその彼らが率いていた場所で、変化は起きた。何故彼らは話をしない?プラーナが肉体を離れれば、偉大な聖者さえ話すことはできないのだ。
 
 Q:ギータでは「不幸が存在し、ダルマが存在しないところに、私は現れ、治めるだろう。」とシュリ・クリシュナは言っています。
 
 M:これは季節と同じことだ…周期が存在するのだ。この周期では”自己”のより深い意味が理解される。あなたが「I Am」の謎を解けば、全ての疑問は尽きるだろう。

 Q:私は気分が良くなったり、悪くなったり、この上なく楽しくなったり、憂鬱になったりします。これがマインドというものだということはわかっています…ヴェーダには「マインドは月から生まれるものであり、それゆえに変化するのだ。」とあります。

 M:ここに来たら、自分のマインドを脇にのけて私の要求に応えなさい。良い悪いはただマインドの領域だけにある。あなたがマインドから得るものは、自分のものだと認めてはいけない。
 
 Q:誰が、私をここに来させ、あなたの足元にいるよう命じるのでしょう?

 M:言葉で言うことは不可能だ…それをあなたの好きなように呼ぶがいい。月はマインドを意味し、マインドとは絶えず流れる液体のようなものだ。無邪気に、感情に動かされずにマインドの流れを観察してみなさい…マインドの流れを分のものだと認めてはいけない。言葉を越えた「I Amness」の状態の中にいなさい。あなたは言葉に意味を与えるが、終いには言葉は消える…最終的に知覚できるものと観察できるものは知覚不可能で観察不可能な状態へと納まる。
 それを見いだしなさい。あなたはこれを次第に理解し、平安と休息を手にするだろう。何もしてはいけない。それは起こるのだ。あなたは知識について語るが、その知識ろはあなたが他者から目にしたり耳にしたりしたものだ。自分自身の”自己”への確信がなければ、あなたは他者の権威の傘を借りなければならない…しかし私はあなたに自分の真の状態から話している…私が体験し、見るように、私は話す…ギータやマハーバーラタの権威を引き合いに出さずに。
 ギータについて話すなら、それはあなたに関することであり、その全ての言葉はあなた自身の”自己”に関することであるということを知らなければならない。』

494

2012-12-29 17:33:40 | 日記
『O:愛が深まれば、夫婦は兄妹になる。愛が深まれば、太陽エネルギーは月エネルギーになる…熱は消え、たいへん冷たい。そして愛が深まると、誤解が生じうる…なぜなら我々は熱さに、熱情に、興奮に慣れきっていたのに、今それは愚かなものに見えるからだ。馬鹿馬鹿しいのだ!愛し合うときには、あなたにはそれが馬鹿げた行為に見える…愛し合わなければ、古い習慣によってまるで何かが欠けているように感じる。
 夫婦がこのように感じ始めると、ある恐れが生じる…「私は相手を居て当然のものとみなし始めたのだろうか?最早私の選択やエゴの妄想は存在せず、相手は兄や妹になってしまっただろうか?」。これらの恐れが生じる。時に人は自分は何かをし損なっていると感じ始める…一種の空虚感を。しかし過去を通して見てはいけない。未来から見なさい。この空の中では、親交の中では多くのことが起こるだろう…あなた達は共に消えるのだ。あなた達の愛は完全にノンセクシュアルのものとなり、熱は去る…そうして、全く異なる性質の愛を知るだろう。』

493

2012-12-29 00:53:27 | 日記
『O:気分「A」が去って、今ここには気分「B」がある…あなたは単なる見張りだ。不意にあなたは、幸せを「A」と呼ぶ時、それはそんなに幸せではなく、不幸せを「B」と呼ぶ時、それはそう不幸せではないことに気づく。ただ気分を「A」や「B」と呼ぶことで隔たりが生まれるのだ。
 あなたが”幸せ”と言う時、その言葉には多くの意味が含まれている。あなたはそれにしがみつきたい、それを失いたくないと言っているのだ。”不幸せ”と言う時、あなたはただ1つの言葉を用いているのではない…それには多くのものが含まれている。それが欲しくはない、それは存在すべきではないと言っているのだ。これらのことは無意識に言われるものだ。
 故に7日間、自分の気分にこれらの新しい用語を用いなさい。ただ見張りになるのだ…あたかも自分が丘のてっぺんに座っているかのように…谷間には雲や暁、黄昏が訪れ、日も照れば夜の帳にも包まれる。ただ丘の上の見張りでありなさい…遥か彼方の。』

492

2012-12-28 20:26:19 | 日記
『O:人が役割を演じているとき、それには何らかの理由がある。その者にとってその役割には重要性があるのだ。そのゲームが完璧にプレイされれば、無意識から生じる何かが霧散霧消し、そうしてあなたは重荷から解放される。
 例えばもしあなたが子供のように遊びたいなら、それはあなたが子供の頃に何かやり残したことがあるということだ。自分の望むような子供でいることができなかったのだ…何者かがあなたを制した。人々はあるがままのあなたである以上に真面目にさせ、もっと大人らしく成熟したように見えるよう強いたのだ。何かが果たされずに残ってしまった。その不完全さは自身が果たされるよう要求し、あなたに付き纏い続ける。それ故終わらせなさい。それには何も間違いはない。あなたは当時、昔に子供でいることができなかったのだ…今や可能だ。その中に完全にいることができれば、それは消えてしまい二度と再び姿を見せることがないとわかるだろう。』

491

2012-12-27 22:51:58 | 日記
1979年1月1日


『M:自身をクリシュナ、ブッダ、キリストとして体験した知識が退いてしまった…”全体”と一つになったのだ。それ故、もしあなたがキリストを、モハメッドを、誰かを罵っても、その者が現れて「どうして私を罵っているのか?」と問い詰めはしない…なぜならその知識、その体験は全体性と混ざり合ってしまったからだ。同様に、今あなたは超有名人かもしれないし、ひょっとすると世界の統治者なのかもしれないが、眠りに就く時には自分が何者であったのか忘れる…自分の名前、身体、年齢、性別、国籍、全てを。この分離したアイデンティティーの感覚はたいへん限定的なものであって、真理ではない…事実、完全な誤りなのだ。それ故、それがキリストの場合であれば、あなたはどうだろうか?
 あるいは、あなたは謙虚で徳の高い人物かもしれない。眠りに就くとき、あなたは罪も徳も忘れる…自分自身を忘れる。その基本的な事実とは何か?あなたは個人としての自分を忘れ、そのことが深い休息をもたらしたということだ。
 眠りに就く際、あなたは100人の女や100人の男とセックスしていたかもしれない。その時あなたはその行為を楽しんでいた。しかし眠れば、休めば、その感覚体験は存在しない。故にその時あなたはアイデンティティーを持たず、その場所は無重力なのだ。
 自分は何々だ、自分は個人だ、自分は男だ女だ等と言ってはいけない。もとの場所にとどまりなさい…そこから前に進めるところに。それが真理、それが現実だ…そこからあなたは実在へと進むことができるのだ。そして、顕現されたものは浮かび上がっては沈む。それは日の出日の入りと同じ、月の満ち欠けと同じことだ。あなたはその取り留めない顕現では有り得ない…本当の”あなた”では有り得ない。
 もし自分に個人、人格、分離という感覚があれば、あなたはこれほどにも多くの欲望をもっているのだ。映画を見たい、音楽を聴きたい、遊びたい、セックスしたい、高級料理を食べたい、酒を飲みたい…しかし分離の感覚が存在しない時、あなたが全体性と一つである時には、これらは望まれはしない。そして、霊性やあなたが「宗教」と呼ぶものは主にこのことを理解するためのものだ…あなたが何も望まなければ、あなたは全体性、あるいは実在の一部であるということを。そのことを理解すれば、あなたはこれらの必要性をどれも持たない。しかし、あなたが事物から分離している間は全てが必要だ。分離した個人として生きることが全ての問題となるのだ。そして、これらのことや、様々な感覚的迎合、あらゆる読書、知識探索、満足追求、全てがそれに関連している。それが皆退けばもはや問題は存在しない。その時あなたが体験する至福が本当の至福なのだ。けれども、前述のもの達も活動における禁止事項ではない。自分のやりたいことをしなさい…しかし絶対に真実を、本当は自分が何なのかを忘れてはいけない。あなたは肉体でも、食物でも、この生の息吹(プラーナ)でもない。現れたものとは一つの状態であり、故に消えなければならないのだ。
 あなた方のほとんどはここで言われていることを理解しないだろう…なぜなら自分が肉体であると自分自身に言い聞かせているからだ。私が伝えている知識は、肉体に、肉体的存在や異なる人々としてのあなた方に向けられたものではない。 
 自分が肉体だと確信している限り、私があなたに伝えていることは何の役にも立たないだろう。なぜなら、私達は知識を受け取る時にそれを肉体ー精神のものとして受け取り、それは私達の既存の情報倉庫に加えられるからだ。そうして私達は自分がより賢くなったと感じる。例えば、明日、占星術師や手相見が来訪を望み、私に「あなたの未来をお伝えしましょう。」と言うかもしれない。私など存在しないのに、どうしてその者に私の未来を言うことができよう?あなたは「わかりました、あなたは米国大統領になるお方です。」と告げられて幸せかもしれない。しかし私は違う。
 様々な本の中で、神について書かれている。誰か神がどのように見えるのか、本当はどのようなものなのかを記したことがあるだろうか?その者は姿形を、特定の性質を捉えたのだろうか?属性付きの神は未だ時間に縛られている。時間が終焉すれば、彼の「神である」という知識さえ消える。王を装っている乞食と同様、王の衣装を着ている間は自分を王のように感じるだろう。衣装を脱げば自分が乞食だと気づく。
 神について話すとき、私達は属性に触れているのだ…愛に満ちた、偏在の、全知の等々…しかしやはりそれは時間に縛られている。その体験が消えれば、残っているものは何か?属性を持つものは永続できない。このことを私ははっきり知っている。それ故、私自身に何を求めることができよう?
 この世にどんな行動が存在しようと、それは属性と傾向によるものだ。例えば、ある者は一ヶ月のうちに4回結婚と離婚を経験する。その行動は傾向、性質から生じる。しかし、この行動を目撃するものは属性を持たない。その目撃者そのものが…そしてそれが「I am」であるが…退けば何が残る?目撃者がいなくなれば他の全てのものも消える。同様に「I am」の生起によって顕現全体は生じる…これら2つは分離しているのではなく1つだ。「I am」が目撃者なのだ…顕現された世界全体は、これによって存在する。
 これをしているのは傾向、属性、マーヤだ。太陽とその光線に同じものだ…太陽がなければ光線は存在しない。同様に、目撃者がいなければ顕現やマーヤは存在しない。「I am」が生じれば、全てが生じる…「I am」が退けば、全ては退く。さて、これが私があなたに伝えようとしていることなのだが、あなたは別のものを望んでいる。あなたは自分の将来について、顕現の一部を望むが、私はそれを打ち壊しにかかろうとしているのだ。
 あなたはちょうど朝の5時半からずっと私を見続けている…働いたり話したりするのを。しかし何処でも、私は自分自身を一人のジュニャーニ、あるいは別の何かとして気づいてはいない。一方で、何年も前の子供を忘れてはいない。82年前、私は幼稚な知識を、不完全な知識を持っていた…それは私が誕生したという無知から生まれたものだ。3つの歳になるまでは、私は何も知らなかった。その歳を過ぎて、私の母によって言葉というもの…そう…概念に見舞われ、そしてそれら概念から他の全てが現れた。このマーヤは82年前に始まったものだ。マーヤは浮かび上がってきては、再び沈む…満ち欠けし循環するのだ。もう暫くすれば、82年前に始まった体験…それをアイデンティティーと呼ぶのはよそう…である無知をベースにしたこの幼稚な知識、不完全な知識もまた消滅し、終わるだろう。
 この「I am」はアナウンスなのだ…本物ではない。それは別のものから生じたものだ。本物とは何かを、私はあなたに伝えてはいない…言葉がそれを打ち消すからだ。私があなたに何を言おうと、それは真理ではない…なぜならそれは「I am」から生じたものだからだ。事実、それは表現不可能であるが故に、私はあなたに本質を描写することはできないし、それを明らかにすることはできない。故に、それから全ては流れ出る…しかし、私が何かを言うときは、それが「これではない、これではない(ネティ、ネティ)」と打ち消されることに気づいている…それが私の体験だ。さらに、私は神を見たことはないし、他のものも見たことはない。しかし、私自身の体験について私は確信しており、あなたに伝えているのはそのことについてなのだ…誰からも引用してはいない。 
 食物体が存在するために、パンの切れ、「I-Amness」が現れる。これは肉体に属しているために無知なのだ…したがって、この「I-Amness」という知識は永久に存続することは不可能であり、この食物体の一作用なのだ。食物体が存在している間は、この「I -Amness」は存続するだろう。それから先は消える。
 前に述べたように、同じ幼稚な知識、「I-Amness」が未だ持続している。「I-Amness」ビューは子供の体の中に現れた…今日ここにあるように。しかし、マーヤによって断続的な変化が起こる…状況は変わってしまったが、相変わらず「I-Amness」は続く。どれくらい?食物体が存続する限りは、だ。食物体が生の息吹を失えば「I-Amness」は退く。故に「I-Amness」も永遠ではない…意識は永遠ではないのだ。
 私達の首相は自分自身について確たる観念を有しており、どんな概念でも彼は心に抱く。彼はそれらを変えたいと思わない…神の概念etcを。私達人間は非常に多くのお気に入りの概念を、既成概念を持っている。自分の考えと一致する者の言うことを聴くとき、私達は賛同する。そうでなければ拒絶する。同様に「私は”絶対者”の中に確立した」と言明するジュニャーニ達は、実際にはビーイングネスの中にいるのだ。彼らは聖人と称されている。彼らは特定の観念を、特定の概念を好み、それらを普及させたいと望む。しかし彼らが普及するのは「概念」だけであって、概念は真理ではない。真理とは概念を越えた状態なのだ。
 ベンガルボダイジュの木の種を手に取りなさい。それは非常に小さく、カラシ種よりも小さい。その種子はたいへん微細なものであるが、粗雑な要素は皆既にその中に入っている。そのパラドックスがわかるだろうか?同様に、あなたの本質的存在は最も精妙なものであるが、全宇宙を包含しているのだ。もう一点…種子とは何を意味するのだろう?ビジャとは「第二の創造」という意味であり、過去が繰り返されていることを示している。それは木であった…その木は種子の中に集約された…そして、その種子は、自身が包含する過去の歴史を再創造するのだ。
 
 Q:「I am」は種子の中にあります。ここで、人が「I am」、種子に気づいている時に”絶対者”となるためには…
 
 M:あなた自身が種子、あなたが「I-Amness」なのだ。あなたは言葉を用いてすら、それを粗雑にすることはない。内なるコア、自己、内側にあるもの?これは皆、その種子の内側にあるのだ!

 Q:マハラジは、内なるコアは光であるとも仰いました。
 
 M:違う、ここで言う光とはただ象徴的なものだけを指している。このような光のことではない…”自己”発光のことだ。
 全ては真理、”絶対者”だ。この”ブラフマン”はあなたのビーイングネスから創出される。この”ブラフマン”は幻であり…”絶対者”の見地より、あなたのビーイングネスのために、無知から生まれた…、無知に過ぎない。再び、無知から、このビーイングネスは全てを、全顕現を発現させる。”絶対者”によってビーイングネスが現れ、それによって幻が生じ、幻は真理を占拠する。
 
 Q:ではこのプロセスを逆転させる方法とは?
 
 M:退き、退きなさい。ライオンは何処へ行こうと後退する。そのように後退し、源へ、種子へと向かいなさい。
 霊性の道、自己知識の道を辿れば、あなたの欲、あなたの愛着は皆ただ立ち去るだろう…あなたがそれを使って自己を理解しようとしているものを調べ、それにしがみつくならば。その時何が起こるだろう?
 あなたの「I-Amness」は状態「to be」だ。あなたは「to be」であり、その状態に属している。あなたは在ることを愛している。さて、私が言ったように、この探求においてあなたの欲は落ちる。では根源的な欲とは何か?在ることだ。
 そのビーイングネスに暫しとどまれば、その欲もまた落ちる。このことは極めて重要なことだ。これが落とされれば、あなたは”絶対者”の中にいるのだ…最も本質的な状態の中に。
 
 Q:まさにそれが今日我々に起こった感覚です。それを悟る際には或る悲しさがありましたが、”絶対者”についての大きな理解があったのです。

 M:悲しさ…なぜならその「I-Amness」が悲しんだからだ(笑)
 
 Q:あなたは”Being”があることをわかっており、”non-Being”へと向かっています。そして、”Being”に属する物事があるけれども、ああたはそれらが本当はないのだということをわかっています。しかしそれは愉快なものでした…それが続いている間は偉大な幻だったのです。

 M:あなたの本当の状態…その中にとどまりなさい。それはずっとそこに、その純粋な状態の中に、触れられることなくある。意識、「I-Amness」だけが”絶対者”から故意に退いているのだ。その「あなた」…あなただけが存在する…あなたからはほんの僅かな動きもない。それは芝居をたたんでいるのだ。

 Q:もうすこしわかりやすく仰って下さいますか?

 M:よろしい。あなたが意識の中にいれば、あなたは意識の本性を理解し、あなたは退く。あなたの前進は続く。この意識は徐々に自身を消滅させていく…故意に消えていく。しかし”あなた”には何の影響もない…なぜならそれが”絶対者”だからだ。炎が消え、煙が消えても空はそのままであるように。

 Q:お見事!

 M:それが死の”ブラフマン”、死の瞬間だ。見ることが起こり、生の息吹が肉体から離れ、「I-Amness」が退き、消える。それは最も素晴らしい瞬間、不死の瞬間なのだ。
 肉体、炎、「I-Amness」がある…その動きがあり、私は観察する。そしてそれが消滅した。生の息吹が肉体から抜け、その炎はなくなる。あなたはそれを観察する。その観察があなたに起こる。無知な者は死の瞬間にたいへん怯える…その者はあがいている。しかしジュニャーニは違う…彼にとってはそれは最も幸福の瞬間、最も至福の瞬間なのだ。
 しかし現実は、あなたは聖者の元やらアシュラムやらといったあらゆるところに赴く…”個人”として知識を集めて。そんなことをしてはいけない。越えて行きなさい。この知識の蓄積はあなたの助けにはならない…なぜならそれは夢の中のものだからだ。この夢はそれ自身を繰り返す…人間の体として、多くの他の体として、動物や神として、何でもだ。それは問題ではない。ここで述べられていることの理解に努めなさい。それだけが解決策であり、あなたをある場所へ至らしめるだろう。
 私とあなたの関係とは?私はあなたがここに来て聴いてもそうしなくても構いはしない。それを見つけたなら、それを手に取りなさい…それが欲しくないなら、去りなさい。この部屋の空間はその他の部屋の空間に反対も擁護もしないし、夢中にもならない。それは1つなのだ。同様に、私は煩わない。
 私が配布している知識とは、一筋の流れ、澱みない川のようなものだ。利用したければ、水を手に取り、飲み、吸収しなさい。自然に流れさせなさい。あなたに何も請求してはいない。毎日あなたは沢山のお金を振り撒く。さぁ、お金を取っておき、私の水を飲みなさい。
 同様に、それについて話をしていると同時に、私はあなたを水源に連れて行く。そこでは、水がちょろちょろ出てきている。この細流が、後に川に、河口に、そして最終的には海になる。私はあなたを繰り返し繰り返し源へと連れて行く。
 源に到達すればすぐに、実際には川など存在しないことをがわかる。水とは単なる味、ニュース「I am」なのだ。
 この肉体ー精神は悪戯から生み出された。それ故、私が述べる時は肉体ー精神意識から質問してはいけない…そしてそれに応じるなら、それはあなたが悪戯の外にいるということだ…あなたはこれ以上有害な質問をすることはないだろう。
 これらの言葉を聴いて、それらの意味を理解したら、自分が”それ”であり、自分が全体性なのだという確信にとどまりなさい。そうすると、膨大な至福がそれからあなたに流れ込むだろう。
 あなたはマハユックになる…つまり、自分自身に溶け込み、自分自身と結合する。たった1つの原理しか存在しない…その原理とは「you are.」だ。あなたが在るから、全ては在る。それを自身にしっかりとどめなさい。
 あなたの目的は何か?私が話していることを本当に望んでいるのだろうか?これまで述べられてきたことをあなたは耳にした。さぁそれに従って生き、それとともにとどまりなさい。
 あなたは途切れることなく世俗の活動に従事している。ならば眠りに就く前、それを全て忘れ、真実を熟考し始めなさい。なぜなら私達は社会から完全に離脱することができるからだ。そして次に…戸ごとに走ってはいけない。私の見たところ、あなた方の多くはそんなことをしている…知識をただ集めているのだ…それには何の意味もない。ここで述べられてきたものから一文選んで、それと共にとどまりなさい。それで十分だ…それがあなたを自身の源へと導くだろう。
 知識として私の言葉は…もしあなたの中に植えられるなら…他の言葉を皆、概念を皆取り除くだろう。それ故、この目的のためにあなたに1つ物語を話そう。ある人が一人の男をホテルに連れて行き、あるもの食べさせた。その後で彼は「6ヶ月後に君は死ぬよ…食事の中に毒を入れておいたんだ。」と伝える。そのため男は怯えた。男は彼のもとを去り、別の友人に会ってたった今起こったことの顛末を話した。この友人は言った…「心配するな。このグラスを見てくれ…尿で一杯だ。さぁこれを飲むんだ。そうすれば生きていられ、お前の死はなくなるよ。」。そのため男は飲んだ。何が起こっただろう?彼は死にはしなかった。このように最初の観念「俺は確かに毒を盛られた。」によって、男は恐怖に満ち、自分は6ヶ月後に死ぬことになると確信した。その後に2番目の友人が「お前は死にはしない。」という別の観念を与え、男は生き延び、死を越えたのだ。
 生命の、生の息吹の属性の一つは、概念、観念、創造物を何度も何度も捕らえることだ。これを理解する者とは?自分自身を探求した者だ。それをすることでのみ、あなたはこれに気づくようになる。
 全ての幸福の源が、あなたのビーイングネスだ。自分自身をそこに確立し、そこに在りなさい。しかし自分自身を流れに巻き込ませるなら、あなたは不幸になる。
 流れとは何なのかわかっているだろうか?全てのマーヤ、活動のことだ。あなたは活動から満足を得ようとする…これは病の結果だ。私があなたに言ったことを追憶し、熟考し、静まりなさい。なぜならそうすればあなたは静寂へ至るからだ。
 手には5本の指があるのと同じように、あなたの肉体が5つの要素からできているということは、あなたには自明となろう。5要素によって肉体は存在する。あなたのビーイングネス、意識とは、肉体の中を循環している生の息吹の結果として現れることになるもののエッセンスなのだ。そして、意識が消えると、生の息吹が肉体から抜けると、全ては消える。あなたにはこのことが非常に明白であるべきだ。ちょうどこの化学成分(彼のライターを指して)によってこの火花が起こるように、ただこの食物があることによって全ては存在しているのだ。このようにあなたの「I-Amness」や意識は、この食物体によって、生の息吹があることによって存在するということを理解しなさい。そうすればこれらの要素を見ることができるだろう…あなたの肉体、生の息吹、あなたのビーイングネスを。あなたがそれを見るポジションにいるとき、あなたは真実の中に確立したのだ。
 人が癖を取り除くことができるのは、ただ相当な困難をもってしてだけだ。癖が形作られたら、取り除くにはかなりの時間を要する。同様に、あなたは今この知識を得たが、それが何を自分にもたらすのかがまだわからない。それほど長期間にわたって肉体ー精神と付き合ってきたために、それを取り除くにはかなりの時間が掛かるだろう。しかし、あなたがその知識の中に確立するためには、それを熟考し瞑想することが極めて重要だ。そのためには、あなたがいつも夢中になっている癖を1つ止め、別の癖で代替する必要がある。ではこの代わりに用いる癖とは何だろう?自分は肉体ではないと常に思うことだ。
 例えば、自分自身を誰かとの口論に従事させていれば、観察し、自分のマインドによって始まった1つの口論が存在するが、あなたは単なるその目撃者なのだことをはっきりと理解しなさい。あなたが参加しなければ、口論のあるなしは最早重要ではない。この世の活動は皆マインドによって起こる。「私は肉体ー精神だ。」と考えるなら、運命は決まっている。
 あなたが完全に”ブラフマン”と1つならば、マーヤに頼りはしない。故に、音は存在しない、あるいはあなたは話すことができない。あなたはじっとしているか、静かにしている。話すためにはこの道具、マインドを利用しなければならない。それ故、あなたは”ブラフマン”から少し離れる必要があるのだ…ただそうすることによってのみ、話は現れることができる。』

490

2012-12-27 22:12:04 | 日記
『O:あなたの感じ方とは、あなたの内側で回り続けている車輪のことだ。ただ見てみなさい…それはたいへん美しい…なぜなら、それに気づいているうちに何かが成し遂げられたためだ。今あなたは外側の言い訳から解放されている…外側には何も起こらなかったが、それでもあなたの気分は幸福から不幸へと数分のうちに変わってしまったからだ。
 これは、幸福と不幸はあなたの気分次第であり、外部に依存しないということだ。このことは理解されるべき最も基本的事柄の一つだ…なぜならばその時には多くのことが為されるからだ。理解すべき二つ目の事柄とは、あなたの気分とはあなたの潜在意識に依存しているということだ。それ故、ただ見て気づきなさい。幸福があれば、ただそれを見るだけで同一化してはいけない。不幸があれば、それもまたただ見てみなさい。それはちょうど朝と夜に同じものだ。朝、あなたは昇る太陽を見て楽しむ。太陽が沈んで闇が訪れると、それも見て楽しむ。』

489

2012-12-27 20:50:58 | 日記
『O:各個が意識的で油断なく、注意深くなければならない…そして生を試み、自分にとって良いものを見つけ出さなければならない。自分に平安をもたらすもの、至福で満たすもの、平静をもたらすもの、実在に近づけるもの、それからその素晴らしい調和が良いものだ。自分の中に葛藤、苦しみ、痛みを生み出すものが悪いものだ。誰もあなたの代わりにそれを決めてはくれない…個はそれぞれ自分独自の世界を、独自の感受性を持っているからだ。我々はユニークな存在なのだ。それ故公式は役に立たない。世界全体がこのことの証明だ。
 決して誰にも何が正しく何が間違っているか訊いてはいけない。人生とは正誤を見分ける実験なのだ。あなたは時に間違いを犯すかもしれないが、そのことはあなたにその体験を授け、避けなければならないことを気づかせる。正しいことをすれば、あなたは素晴らしく益を得る。その報いはこの生を超えた天国や地獄にあるのではない。それらは今ここにあるのだ。
 どんな行為もすぐにその成果を連れて来る。ただ油断なく在り、観察しなさい。成熟した者とは、自分自身で何が正しく、何が誤りで、何が良く、何が悪いかを観察して見い出した者達をいう。自分の力でそれを見つけることによって、彼らは不動の権威を得る。全世界が異を唱えても彼らには関係ない。彼らは付き従う独自の体験を有しており、それだけで十分なのだ。』

488

2012-12-27 20:04:20 | 日記
『O:ローマに向かう3人の旅人の古い逸話がある。彼らは法王に謁見し、法王は最初の一人に尋ねた…「お前はここにどのくらいいるつもりだ?」男は答えた…「3ヶ月です。」法王は言った…「ではお前はローマの大部分を見ることができるであろう。」どれほど滞在するのかという問いに、2人目の旅人は6週間だけとどまることができると答えた。法王は言う…「では、最初の者より多くを目にすることができるであろう。」3人目の旅人が2週間だけローマにいることができると言うと、それに応えて法王は「お前は幸運だ…見るべきものは全て見ることができるだろう!」と言った。
 旅人達は困惑した…彼らにはそのマインドのからくりがわからなかったのだ。考えてみなさい…1000年寿命があれば、あなたは多くのものを見逃すだろう…なぜなら物事を先延ばし続けるだろうからだ。しかし人生は余りに短く、先延ばしにする余裕などありえない。それでも人々は先延ばす…自分自身を犠牲にして。
 あと一日しか生きられないと誰かに言われたと想像してみなさい。何をするだろうか?不必要なことを考え続けるだろうか?いいや、そんなことは皆忘れる。愛し、祈り、瞑想するだろう…なぜならたった24時間しか残されていないからだ。本当に重要で不可欠なことを、あなたは先延ばしにしない。』