アドヴァイタの小部屋

ニートです。

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CHAPTER 1 The Secret of Shapes, Sounds and Fragrances

2013-11-05 23:48:29 | 日記
26 April 1971 pm in Woodlands, Bombay, India

手の中に鍵をもっているとする。わしらには、その鍵それ自体から直接その目的を理解することはできぬし、また”その鍵の助けによって大いなる宝が明らかにされるであろう”と、その鍵からイメージすることもできぬ。その鍵には、宝に繋がる秘密の印はない;その鍵自体が秘密なのじゃ。たとえそれを壊したり、ばらばらにしたとしても、それができている金属についてはわかるかもしれぬが、その鍵が明かすことのできる秘密の宝については何一つ知ることはできない。そして、そのような鍵が長い間保存されるならば、それはわしらの人生の重荷にしかならんのじゃ。
人生には、今日でさえ、宝の扉を開きうるそのような鍵が数多く存在しておるが、残念なことに、それらの宝についても、開くことができるそれらの錠についてもわしらは全然わかってはいないのじゃ。宝も錠もわからなければ、わしらの手の内に残されたものは鍵と呼ぶことさえできぬ。それが鍵でありうるのは、錠を開くときだけじゃ。これと同じ鍵は、過去幾度も宝を明らかにしてきたのであろうが、今日では何も開けられないために、その鍵は重荷となってしまったのじゃ。しかしそうであったとしても、わしらにはどうしたわけかそれを投げ捨てる気にならんのじゃ。
その鍵は。
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これ

2013-04-14 04:24:38 | 日記
いい曲やな

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やっぱり

2013-04-13 04:01:09 | 日記
お金があったら幸せでお金がなかったら不幸せなわけないし健康やったら幸せで病気やったら不幸せなわけないし認められたら幸せで貶されたら不幸せなわけないし誰からも愛されたら幸せで誰にも愛されんかったら不幸せなわけないし能力があったら幸せで無能やったら不幸せなわけないねんな。幸不幸を感じる自分とか満足不満足を感じる自分がいる限りそんなもん幸せでも不幸せでもないし満足しても不満足でもないねん。だいたい得たと思ってるもの失ったと思ってるものなんて全部外部に依存してるやん。何でそんなもんを必死で得ようとしたり必死になって守ったり失ったっていって嘆いたするんやろな。俺っていう存在は条件付の快不快に反応するしかないんか。となると結局黙るしかないってとこに戻ってくんねん。でも心はやっぱりこの現世で色んなことを達成したり評価を得たり獲得すると幸せになって楽しく不安なく生きれるよ~って言い出してそんでどうしようもなくなるまでそれを繰り返すからな。数日数年かけてしてみるけど全てが何の価値も無く徒労に終わったってことに気づいてそのことに疑問を呈してまたここに戻ってくるっていう。ってわけでもう生きながら死ぬしかない気がするわ。何にしてもこの自分とはもうやっていけん。この自分がいる限りこの世で生きててもどうしようもないからな。就職結婚子供ができて親に孫を見せて安心させ幸せな家庭を作って子供の成長を励みに仕事を頑張って財産作って隠居してあぁいい人生だったなぁと回顧して死んでいくこんなプロセスの途上に俺がいたとしても自分という存在がそこにいるなら現在の自分の人生を誇りに思っている思い込んでる自分という存在がそこにいるなら虫唾が走るわ。
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まだ

2013-03-31 01:40:35 | 日記
死なずにすみそう。いや死なねぇ。っていうか思い返してみるとこのところかなり精神状態やばかったわ。いったん死に憧れると凄い求心力で引き寄せられてどうやってこの生きてても死んでもどっちもかわらん無意味な人生を終えようかってことのみに思考が集中しだしてん。いやほんまにこんな力強く引っ張られるとは思わんかった。でまぁ餓死かぶら下がり健康器で首吊るかしようって決めてんけどとりあえず最後に実家帰ろ~ってことで帰ってしばらくしたらまた前の澄んでる状態に戻った。もう何やねんこれ。結局あれやな。その死について思いを巡らせてるときってのはやっぱ自分がその思考になってしまってたわ。そんで連鎖的に死に関する思考がぽんぽん生まれてきてぐるぐる巻き込まれんねん。っていうか俺である思考に意味が無いってことから死に吸い寄せられたはずやのに思考に翻弄されてるってことは始めから間違いやったんやろな。それに思考が無意味で無価値ってことを今までの人生で散々身をもって学習してたはずやのにこの様やからどれだけ俺は我が強いねんって思うわ。でもちょっと静かにしてみると希死願望それ自体が意味のないものになんねんなこれ。今まではどす黒い雲が空一面に広がっててそればっかに焦点を合わせてたけど雲の切れ間から見える僅かな青空に気づいて思い出したらあれれ~俺はやっぱりアホかって感じで何をあれこれ考えててんってつっこみたくなるからな。しかしまぁアホやな。考えるからアホやねん。考えてどうにかなるって思ってるのがアホやねん。考えて出た勝手な結論を信頼してそれを実行すれば万事OKとか考えるからアホやねん。考え出し始めたその瞬間に気づかんからアホやねん。今回のは重い車輪を回し出したらもう止まらんくなるって感じやった。そうやな。何かが生まれたら見逃さずに静かにそれと共にとどまるか。
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う~ん

2013-03-21 21:02:06 | 日記
生きる意味がない。
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これは

2013-03-09 04:46:59 | 日記
当たり前すぎて当たり前。言葉で述べる必要のないほど当たり前。言葉では述べることができないほど当たり前。何の特別なこともないし特別なことがあってもこれとは何の関係もないし腹もすけば糞もでるし花粉か黄砂か何か知らんけど鼻もかゆけりゃ目もかゆいってことでまた戻ってきたでこれ。いや注意が反転してるだけでこれはもとから在って在って在り続けてるものやと思うっていうかただ今この瞬間に在るってことしか確かじゃないな。沈黙静寂全き闇。あれやな。ただ思考に翻弄されてないだけってだけで起きながら寝ているようなこの世にいながらこの世のものではないようなそんな感じ。これまでの人生はほんま四六時中頭の中で喋くりまくってたからな。この世の悩みも何もかもほんまにただ完全に有無を言わさず黙るだけで万事OKやろ。っていうかもうここにいるには黙るより他にどうしようもないやん。パパジはほんま上手いこと言っててんな。やっぱ言葉の字面ばっかり追ってちゃあかんな。話聞いて理解したら即実際に黙ってみろゴルァ!!!って感じのほうが伝わりやすいかもな。結局やってみんとわからんやろこれ。いやそれは結果論でこの世界と自分の無意味さに気づいて初めてこれに目が向くようにできてるんかもしれん。本気で絶望するその時までは遊んでろって思し召しなんかもな。この狂ってる世で正常に生きようとするよりもこの世で狂って今死んだほうがどれだけ救われるか。無知が智で知識は愚。沈黙が師。あれ盲人が盲人の手を引く喩えって言いえて妙やな。
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そう

2013-03-06 20:12:04 | 日記
どこまで行ってもこの俺っていう行為者意識が存在する限りは不幸やねんな。寝て目が覚めたら「俺」っていう丸い孤島の上にぽつんと立ってんねん。そんでその島の周りは海やねんけど何故か俺はその広大な海を渡っていこうとすんねん。たいていは波に飲まれたり鮫に襲われたり途中で力尽きたりしてゲームオーバーになんねんけどたまに命からがらその先に辿り着くこともあってそこにあんのはそれはそれはでっかい門で押しても引いても叩いても叫んでもどうやっても開かん。そんで引き返す気力もなくどうしようもなくなって悲嘆にくれながら眠って起きてみるとまたスタート地点の「俺」島にいるのに気づいて再度ゲームが始まんねん。で今日は昨日行った場所には門があるってわかってるから別の方向に進むねん。まぁその先にも門があんねんけどな。何度も何度も死にながらも根性で8方向全部試してみるも実はその海は八方塞がりとはこのことか!って感じで8つの門で閉じられてるからどの道どうしようもないねん。バタフライしてみても鯨と仲良くなってみても門のところでガッツポーズ決めてみてもやることなすこと全てが結局間違いで悪手やねん。俺の心はわざわざ不幸になりに動いてんねんな。そうほんまわざわざ中毒みたいに。肉体はいろんなことをしてもいいやん。そんなことはまったく問題ないねん。それに取り憑く心が問題やねん。とはいっても五感を全部破壊したところで心は殺せんし自殺をしても殺せるのはおそらく肉体だけっていう。そんなこんなでもう打つ手がないんやったら完全に沈黙するしかないやん。肉体が何をしてようと外側で何が起ころうと「俺」島にいとくしかないやん。不幸になると知っていながら不幸になりに行くなんて狂ってるとしか思えんけどその狂ってるのが俺やからもう黙るしか方法はないねん。もう24時間365日春夏秋冬健やかなるときも病めるときも喜びのときも悲しみのときも富めるときも貧しいときも命のある限り死ぬまで黙り続けるより他に道はないんちゃうかこれ。
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え~

2013-03-03 01:59:16 | 日記
あれやな。ちょっと何か訳してみよかと思って実際PCの前座ってみたら今は何でか知らんけどその気がすっぽり落ちてて取りり掛かれんかった。教えは各人の色とりどりの指でしかないからほんまに純粋に真理を指し示す言葉以外いやその言葉ですら指やからもうこれ以上耳に入れるのはあえて混乱を作り出す行為と等しいんちゃうかってことなんかもな。俺が心に取り付けばプラスの思考であれマイナスの思考であれ何であっても即不幸にGOやもんな。まぁこんなこと書いといて今後どうなるかなんて知ったこっちゃないけど。んであれやな。道かどうかもわからんけどこの道って俺の全存在を否定することやねんな。そんで瞑想っていうのは24時間絶え間ない生き様そのものやってんな。これまでは安易に瞑想瞑想って言葉使ってきたけどこれって今まで積み重ねて自分が持ってると思ってるお金やら知識やら経験やら技術やら家族やら恋人やら人間関係やらはもちろんのこと過去の思い出も未来の想像も現在という観念さえもっていうよりこの世の源である俺そのものを殺すことに他ならない全人生を賭した行為やん。帰り道はないよ~っていう。まぁこのまま何の基盤もない一抹の泡のようなこの世界に生きててもそのうち死ぬだけの一方通行を水平的に歩いてるだけやしこの世界も俺もどこまでいっても無価値やからな。話は変わって今まで主だと思っていたものが従やって存在すら認識してなかったものが実は主やん。で主が現れれば住が隠れ従が現れれば主が隠れるみたいにどっちかしか認識できないからニサルガダッタさんの言うようにほんまの主だけにとどまることが要やってんな。そしたら俺が死んでぎゅるっと逆転するっていうか垂直的にエレベートするいやこれも違うなまぁ即席死インスタントデスINSTANTDEATHみたいなそんなFFの呪文の名称にも採用されそうにないこんな感じやろなってお前はタラちゃんか…
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さて

2013-02-28 02:39:45 | 日記
ちょっと前の澄み切った状態は中国からもくもくと沸き起こってきているらしい大気汚染物質に勝るとも劣らずっていうか勝りまくって勢力を増している心の雑音に覆われてる感じやな。というよりも自分から進んで駄々っ子の心に構ってあげてるというかなんやろ心と自己同一化してるというか。そうそう最近の夢はほんまリアルな上に目が覚めるまさにその瞬間にバチッとこの世界と切り替わったりすんねん。んでその夢の中の俺は全く存在の感覚に注意しようという気もさらさら起こらぬまま昔ながらに喜んだり悲しんだり悔しがったり憎んだり怒ったり嘲ったりを何の疑いもなく繰り返してるから起きた後そのことを回顧して何で心に振り回されてたんやろ至極無念って感じる時あるわ。まぁ夢の世界がここまでリアルやとそれはこの世界と何の違いもない心が生み出した実体のない幻影ってことがよぉわかるな。あとはあれやな。アジャシャンティって人とか取り分けパパジの弟子のムージって人めっちゃいいと思う。今生きてる人の中にもこういう人ちゃんとおってんなっていうか俺が知らんだけで実はいっぱいおるんかもしれん。ラマナ・ニサルガダッタ・パパジ等の教えの中で対話に埋もれがちな核心の部分だけを馴染みのない宗教用語を用いずに現代の言葉で繰り返し説いてくれるっていう有難い人達が。そういえば白隠禅師座禅和讃とかもううへぇ~ってなるくらい真理真理の嵐やん。って今改めて聞いてみたらもう教えから実践から悟りまでまるっと5分の内に収まってるわなにこれ凄いな。それにあんま知らんけど道元さんの只管打坐とかも純粋なアドヴァイタと何ら変わらんもんかもしれん。灯台元暗しで日本にも禅という素晴らしい伝統が脈々と息衝いてたんか。これは素晴らしいなあっぱれ日本。まぁそれはおいとこか。結局のところ真理の教えの真髄は禅でもアドヴァイタでも何でも一緒やからな。汝自身を知れ…ってこれソクラテスさんやん。ここにも覚者がおったんか。あとは倦まず弛まず俺という感覚に注意を向けるのみ!やねんけどさてどうなるんやろ。
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んで

2013-02-19 16:44:41 | 日記
壺の周りにある人の顔を一回でも認識できたらそれはもう当たり前にそこに存在するものになるしその感覚を把握するのは一度自転車に乗れたらそうそうその感覚を忘れないくらい自然なものになんねんな。でもそれでもこれまでの癖か何か知らんけど心は外のものにひっつきたがってるわ。そこで登場すんのがニサルガダッタさんの言葉”「私」が忘却の彼方に消え去るまで「私」に焦点を合わせ続けろ!!!”もうこれしかないやろな。
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うへぇ

2013-02-19 13:30:50 | 日記
昔買って一回読んだだけで書棚の肥やしになってたラーマクリシュナさんの不滅の言葉(コタムリト)第一巻ぺらぺらめくってみてんけどこの人もラマナ・ニサルガダッタ・パパジ等と同じやってんな。前に読んでたときはそのことに気づかんかったわ。帰依の道バクティと知識の道ジュニャーニャはコインの裏表というか全く同一なもののを2つに勝手に分離させてたものつまり何等変わらんもんやってん。そうそうこれもまた田中さんの訳書やねんけどやっぱ素晴らしいわ。ラーマクリシュナの純朴で生き生きとした姿が目に浮かぶような文体はほんま見事やと思う。読みやすい文ってこんなにも飲み込めかたが違うねんな。上質の蜂蜜みたいなもんやな。んで全5巻組のうちの第二巻も今年の1月に出たらしいけど1冊4000円弱するのがなかなか…そういえば田中さんって去年に亡くなられてたらしいわ。
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ほんま

2013-02-18 12:55:30 | 日記
当たり前すぎて何の特別なものでもなく空気みたいに自然にただ在り24時間営業のコンビニみたいにいつでも来客OKっていうのも違うけど何ていうか今この場所からから一歩動かずとも永遠に利用可能なものが俺やねんな。そういえばこの存在の感覚が在ることに気づいたのって壺を見たら人の顔が見えず人の顔を見たら壺が見えないあの中学校の美術の教科書に載ってた騙し絵の図柄を把握したときの感じが近いかもしれん。これまでは見ようとしてるのに見えないし見えてるのに見えてなかったけどじっと見てたらおぉ見えるやんこんなんあったんかうえぇ誰や見えんなんて言った奴責任者呼んで来い!みたいな。ここであきらめんとじっと見るって行為が大事やったんかもな。すぐ見えんっていってあきらめて放り出してそっぽ向いて他の事に従事して心を奪われたら確実に目的のものをもう既に見てるのにその見てるってことに気づく可能性自体を放棄することになるもんな。それにしても田中嫺玉さん訳のバガヴァッド・ギーターはめっちゃ読みやすいな。これが翻訳って言えるレベルなんやろな。素晴らしいわ。特にクリシュナが自身のこととか賢者について語ってるとこ読んでると山から湧き出る清水のようなクリシュナの至高の言葉が心身に染み渡るわ。田中さんリブ・ギーター訳してくれんかな。
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そうか

2013-02-16 05:46:55 | 日記
そうか…俺はチョコやってんな。「俺」という光に愛の告白とともに捧げられ照らされればドゥロドゥロに溶かされるチョコレートやってんなーーー!!( ゜∀゜)o彡゜ メンマ!メンマ!「俺」に俺が渡す俺自身であるチョコ。神チョコ。サンキューフォーバレンタインデーギフト!!!これはもう一生手渡し続けるしかないやろ…乙女か!
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ここで

2013-02-15 20:01:16 | 日記
父さんから電話来て何やろ珍しいな~って思ったら仕事帰りに高速で自損事故起こして車大破して胸骨骨折したけど明日退院するから家まで電車で帰るのに肩借してほしいそうな…って高速で事故とかもうちょっとで死やん!!!でも胸骨骨折って次の日退院できるもんなんかな。仕事の関係で無理言ったんちゃうかなあの人…ってことでまた実家に帰ることに。そうかこれが今年のヴァレンタインデーを気にもとめず気にもとめられず華麗にスルーした者のプラーラブダいわゆる運命なんか。さて今後の人生は俺の与り知らんところでどう転ぶんやろ。
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とりあえず

2013-02-15 16:51:43 | 日記
はなまるうどんでカレーセットゆずとろろ昆布食べよ思って久しぶりに外にでて歩いてみたらこう何というか世界と体は勝手に動いてんねんけど俺は止まってるみたいな感覚やった。これが極まれば動中静ってやつになんのかな。話は変わってニサルガダッタさんよく確信とか信念とか言ってるけど何でそんな重要なんやろって思っててん。でもこれが探求の要やってんな。また話は変わって最近時々死の恐怖というか焦燥感が現れんねんけどこれはこのままいけば俺は死ぬってことなんかもしれん。遺書でも書いとくか…恥の多い生涯を送ってきました…ってパクリやけどまぁほんまに恥の多い生涯を送ってきた気がするわ。思い返せば幼稚園の年中くらいから自我が芽生えて自分をこの肉体だと思い始めたんやな。そのころから他人が好む俺になるように自分が好む俺になるように振舞いだしてん。小中高とだんだんとその癖が強固になって大学生の頃にはほんまもうどうしようもなくなってた気がするわ。他人に好かれたいはずやのに他人が俺を好きといってくれてもそれを信用することができずかといって他人も自分も心から好きになるわけでもなかったしな。いつもいつも他人の目が気になって意識は常に他人と自分の肉体と心にあったから頭の中は寝てるときを除いては休むことなく不安と期待でごった返してた。優越感と劣等感に交互に浸り続けるそんな自分がほとほと嫌になって改善しようと自己啓発本とか買って試みるも元の木阿弥ですぐに舞い戻ってくるっていう。その時からの流れは適当やけどたぶんこんな感じやな…自己啓発本(藤本憲好とかマーフィーとかデール・カーネギーとかウエイン・W・ダイアーとかナポレオンヒルとかやれば出来る系その他もろもろ)→神との対話→中村天風→ヨガナンダ→生命の実相→エックハルト・トールとかOSHOとかクリシュナムルティとか来て次に確か2010年くらいにラマナ・マハルシの教えに出会うも「これ真理やろ。けどこれを信じたら俺の存在理由がなくなってまう。俺は人からも自分からも認められるような俺になるんや!」って感じで絶対的な危機感をひた隠しにして天風さんの教えの中で世俗的側面の強化である体力胆力判断力断行力精力能力の向上とかヴィパッサナー瞑想とかクリヤヨガにすがりつくもまぁいつものごとく挫折してんな。それからニサルガダッタやパパジの教えに出会い心惹かれるもやっぱりこの”この世界で認められたい”って思いが強くて今度は宇宙人系のバシャール・ハトホル・マシュー君・フラワーオブライフ・マカバとかそこらへんに目を移してん。それもまぁ結局2012年何もなかったしたとえ外側で何が起こったとしても俺が俺であるかぎりいつまでたってもつまりこの俺が消えんかぎりは確実に不幸やろってことでニサルガダッタの言葉をそれも「I am」に関する言葉の抜粋を集中的に訳したのがこの1月やったようなそんな風に流れてきた気がするわ。長。まぁそれがどんぴしゃやってんけどな。今俺はやっと名前を持たない俺自身を信じることができるわ。存在を神というなら俺の中に神がいるんじゃなくて俺が神なんやな。お前は夜神月か!というつっこみはそこそこに自分が神になるんじゃなくて名前のない自分が神であるってことを自分を見て自分で知ることがこの探求の肝心要やってんな。これまではずっと聖人達の言葉というか字面ばっかり見てて”自己を見ろ”っていう言葉の先を自分で見ることを疎かにしててん。そのことに気づいたのは何でやなんやろな。ニサルガダッタさんの言葉で確か「瞑想とは対象を心に留めることである。その対象が自己なのだ!」とかそんな感じの言葉がヒントになった気がしないでもないな。今までは雲を見ていて空を見ていなかったというか。波を見て海を見ていなかったというか。金の装飾品を見て金を見ていなかったというか。月を指す指を見て月を見ていなかったというか。そんな例え話はたくさん聞いてきたけど全部頭の中で理解してきただけで実際自分で調べんかってん。そうするように俺の心を初めて向けさせてくれたニサルガダッタさんにはほんま感謝やな。あぁこれがグルの恩寵なんか。いやそうとしか考えられんよな。
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