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興義、小太郎の時代…「大島小太郎とその時代」展 (3/30まで)

2011年03月08日 | 展覧会
大島興義の肖像写真 明治3年(1870)
※ 写真の無断転載はご遠慮ください。


「大島小太郎とその時代」展の章毎の紹介、第二回目です。

Ⅱ 大島興義、小太郎の時代

 松浦叢書に収録された村松文書による小笠原藩士録によれば、大島興義は幕末藩治最終時の職務は右筆とあり、食禄は七両三人口、後に十三石二人口とあります。また、大島家の仕官年代は寛永年中の小笠原長重の時とされ、本国は若狭で、興義は五代と記される。近代図書館に収蔵されている大島家文書の由緒書には、大島太左衛門の長男として、小三太興義は文政12年(1829)に生まれたと記されています。一方、興義の長男小太郎は安政6年(1859)に誕生しています。
 この時代は、小笠原唐津藩では、文政6年(1823)、二代長泰に天保4年(1833)、三代長会、天保7年(1836)、四代長和に、そして天保11年(1840)には五代長国といように、五人もの藩主が短い期間に交代するように、藩経営にも苦慮する時期でもありました。
 三百年続いた江戸の徳川政権には、ペリーアメリカ艦隊の来航、日米修好通商条約締結問題からの尊皇攘夷運動、大老井伊直弼による安政の大獄、桜田門外の変、蛤御門の変、第一次長州征伐、薩英戦争、第二次長州征伐と続く幕末の激動の末、終焉を迎えます。
 慶応3年(1867)の大政奉還から藩籍奉還までの驚くような動きを経て、ご維新という呼び名の「明治」という時代が生まれたのです。
 新しい時代の風とともに、唐津の人々は近世という足枷からどのように脱却していったのでしょうか。
 一方、明治・大正・昭和という近代の時代は、欧米列強に伍すべく日本という国を作り上げようとした時代でもありました。薩長政権によって作られた明治国家は、殖産興業の名のもとに、近代化を目指すとともに、富国強兵という側面によって、時代の谷へ駆け下りていくことになります。地方における近代化は、こうした世相とともに展開したのです。


この章では、大島家にかかわる年譜や古文書などの資料を中心に紹介しています。
中には、小太郎の父・大島興義の明治3年(1870)肖像写真の複製も。
上野彦馬の写真館で撮られたもので、「崎陽」において、の裏書きがあります。
「崎陽」は長崎の漢文風の美称なので、「長崎において」ということになりますね。

ちょっと横道にそれますが、上野彦馬(1838-1904)をご存知ですか?
幕末から明治期にかけて活躍した日本最初期の写真家(カメラマン)です。
長崎の蘭学者の家に生まれた彦馬は、オランダ人医師ポンペに舎密学(化学)を学ぶうちに写真術に関心を持ち、研究を始めました。
困難を乗り越えて写真技術を習得、文久2年(1862)に長崎に写真館「上野撮影局」を開業します。ここでは、幕末の志士や明治時代の高官、名士など数多くの肖像写真が撮影されました。


大島小太郎とその時代展

【とき】
  3月5日(土)-3月30日(水)まで 入場無料
  午前10時-午後6時(入場は午後5時30分まで)

【休館日】
  月曜日

【ところ】
  唐津市近代図書館 美術ホール(1階)

【主催】
  唐津市教育委員会

【問い合わせ】
  文化課:0955-72-9171



■唐津市近代図書館■
TEL (0955)72-3467
〒847-0816 佐賀県唐津市新興町(JR唐津駅南口すぐ)
ホームページ http://tosyokan.karatsu-city.jp/

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