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唐津市近代図書館のイベント情報

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唐津焼の飛躍と普及…「唐津焼を愛でる-器に広がる無限の景色-」(4/10まで!)

2013年04月07日 | 展覧会
現在開催中の中里家寄贈品展「唐津焼を愛でる-器に広がる無限の景色-」、
会期も残りわずか、今日を含めて残り3日となりました。

古唐津を中心とする61点と陶片47点を展示しています。
入場は無料ですので、この機会にぜひご覧くださいね。


【唐津焼の飛躍と普及】

 波多氏の改易後、寺沢氏の時代に入っても、岸岳諸窯の一部は、ごく短い間存続していたと考えられますが、その多くは岸岳山麓を離れ、新たな地で窯を開いたと言われています。さらに肥前には、文禄・慶長の役により多くの陶工が朝鮮半島より連れてこられ、伊万里・武雄・多久・有田など、各地で陶器生産が開始されます。
織豊政権により重視された「茶の湯」は、徳川幕府成立後も、秀吉ほどの派手さはありませんが、引き続き大名間の外交において重要な位置を占めたことから、諸大名は茶道具を揃えることに熱心でした。

慶長7年(1602)頃から、千利休後の「茶の湯」をリードした、古田織部の茶会記に「唐津水指」の名が見られ、また、慶長8年(1603)と推測される、鍋島勝茂が国許の家老に送った書状に、「方々の茶会に出席したところ、佐賀にいる朝鮮陶工の焼いた肩衝や茶碗がでた。それについて現在京都の三条で焼物を焼いている者たちが佐賀へ行くとのこと。このまえにも佐賀へ下って焼物を焼かせ、それを持ちのぼったとのことである。むざと焼かせぬよう申しつけよ」と命じているなど、唐津焼が普及しつつある姿がうかがえます。

このように慶長・元和期(1596~1624)に肥前の陶器生産は急成長を遂げ、国内の陶器市場でも重要な位置を占めるようになっていきました。叩きの水指などを多く作ったことを、出土品や伝世品で知ることができますが、その他にも花入や、会席で使用する皿・向付なども数多く焼かれています。
この時期には、現在でも「絵唐津」と呼ばれ親しまれている、鉄絵装飾が盛行します。また肥前陶器窯の量産体制とその流通量の多さは、佐賀県下の窯跡の多さと、全国の消費地から出土する大量の唐津焼からも容易に推測され、まさに唐津焼の全盛期を迎えたと言ってよいでしょう。

元和元年(1615)、大名茶人古田織部が、豊臣方と通じた嫌疑を受け切腹します。古田織部は、「織部焼」と呼ばれる美濃の陶器だけではなく、茶陶としての肥前陶器にも大きな影響を与えたと考えられる人物です。この頃を境に、1610年代より唐津焼の鉄絵装飾は急速に衰え、無文の碗・皿が有田などで量産されるようになります。一方、武雄地域などの陶器窯では、鉄絵に代わり白化粧や象嵌手法を用いた、三島手や二彩手と呼ばれる装飾が主流となっていきます。
(展覧会リーフレットより)


第4回 中里家寄贈品展
「唐津焼を愛でる-器に広がる無限の景色-」

【とき】

  4月10日(水)まで 入場無料
  午前10時-午後6時
  (入場は午後5時30分まで)

【休館日】

  4月8日(月)

【ところ】

  唐津市近代図書館 美術ホール(1階)

【主催】

  唐津市教育委員会

【問い合わせ】

  唐津市教育委員会 文化課
  TEL 0955-72-9171