ポカリスエットとは何なのか?
僕は学生である。
バナナはフルーツである。
オレンジジュースは飲み物である。
バヤリースはオレンジジュースである。
ポカリスエットは〇〇である。
さて、〇〇にあてはまるものを書きなさい。
そんな問題があったら、あなたは何と答えるであろうか。
私がマーケティングを専攻しているからというわけではないだろうが、このようにポカリスエットはいちブランド、製品名でありながら、いまいち「〇〇!」と言い切れない。スポーツドリンクというのが近い答えのような気がする。
しかし、本論2-1の製品にも書かれていることだが、ポカリスエットはスポーツドリンク市場に限定していない。CMはスポーティーなニュアンスが漂っているが、アクエリアスに比べ、また、同じ大塚製薬のエネルゲンやアミノバリューに比べると、スポーツドリンクに特化していない。
この理由は、過去の広告のコピーや清涼飲料水の歴史の項を見れば一目でわかるだろう。
つまり、ポカリスエットはポカリスエット以外の何者でもないのかもしれない。
変わるポジショニング、そして広州と日本
新製品が市場に投入されたとき、我々は2つのポイントで分析することができる。ひとつは、消費者のニーズを汲み取った商品である。潜在的ニーズを顕在化させる商品、あったらいいなと実現した商品である。最近で言えば、ノンアルコールビールを私は思いつく。
もうひとつは、まったく消費者のニーズのなかった商品である。ニーズを結果的に作り出した商品と言える。ポカリスエットが市場に登場したとき、後者であった。
「飲む点滴」というコピーの通り、薬を飲む感覚で、味も格別おいしいわけでもない。しかし、風邪、二日酔い、スポーツの後など、水分を効率よく摂取できる商品が他にはなかった。いや、だいたい私たち消費者は、そんな状況で飲むのに適切な飲み物などリポビタンDのような栄養ドリンク以外知らなかった。その栄養ドリンクも継続的な水分補給には不向きなドリンクだ。
こうしたことを前提に考えると、私たち消費者は必要のないものを買わされていたのかも知れない。必要のないもの。そう、消費者はそう思ったからこそ、ポカリスエットの初期の販売促進では、飲むべきシーンやその効能について語っているのだ。
この光景を筆者は、今年(2009年)の夏、中国、広州のポカリスエットの看板で見た。
さて、2009年の日本ではどうだろう。近年のポカリスエットのCMをTVやYoutubeで見ると、そうした飲むべきシーンよりもイメージを宣伝している。もっと具体的に言えば、メーカーは無知な私たち(消費者)に対して知識を教育しようとしているのでなく、概知を前提にイメージを付加しようとしているのだ。
アイデンティティの喪失
もしかしたら、ポカリスエットという未知の飲み物に対し、スポーツドリンクという衣装はスケールが小さすぎたのかもしれない。しかし、現実にはスポーツドリンクに特化しているアクエリアスがポカリスエットの2倍のシェアを持ち、現代生活の足りないものを日常生活中で取り込むDAKARAがすぐ後ろに迫っている。
ポカリスエット登場以後のスポーツドリンクはポカリスエットに似たものだった。味も似たり寄ったりだったし、機能と言っても目に見える機能は備えてなかった。ラヴェルをはがし、コップに注げば、すべての商品がポカリスエットだった。そして、消費者は喉が渇いたときに、ゴクゴクとポカリスエットやそれに類するものを飲んでいれば、満足だった。
しかし、都市化した社会に現代病とされる3大成人病が流布し、人々はワークアウトに励み、見るのでなく、するスポーツ市場は大きく成長し始めている。スポーツがどんどん科学され、それがTVや雑誌などを通じて、一般化し出した。太っていることは豊かさの象徴でなくなり、痩せていることが美徳になってきた。マックスウ・エーバーのせいか、日本が狭すぎるのか、どちらかはわからない。
そうした中で、スポーツドリンクには機能を求められている。サプリメントを別に摂取するより、機能的なスポーツドリンクでその分を摂取した方が効率的だ。喉も潤い、汗で失われた成分を補い、さらにワークアウトの効果を挙げてくれる。
ポカリスエットは日常生活で飲むにはお茶や水に比べて糖分が多すぎるし、スポーツのあとに飲むには他を当たりたい。バックパッカーのカバンの底で粉になって眠るだけが、ポカリスエットの仕事なのか。