東京大学入試地理B

東京大学入試問題(前期)地理Bの問題・解答・解説。2006年・2007年の2年分。

07年第2問設問B 窒素の循環

2007年03月01日 | 東京大学
2007年東大2次地理B

第2問設問B 都市と農村の窒素の循環について、各問いに答えなさい。 

食料の生産と移動を、それに含まれる窒素の量によって表すことができる。下図は、1935年と1990年の東京湾に注ぐ河川流域の窒素の量の出入りを示す。



(1)1935年の図で、人間から田・畑へ向かっていた窒素は何を示すか。30字以内で述べなさい。

(2)1935年と1990年とを比較すると、鶏・豚・牛といった家畜に関する窒素の出入りも大きく変化した。この変化の具体的な内容を、90字以内で述べなさい。

(3)1990年には、東京湾に向かう窒素の量が、1935年の8倍以上になっている。このことによって、東京湾でどのような問題が生じているか、60字以内で述べなさい。

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第2問設問B解答

(1)農地への有機肥料として、人間と家畜の排泄物が使われた。
(2)1935年、家畜の飼料は周辺農地で栽培された。家畜の屎尿は農地の肥料となった。窒素は循環した。1990年には飼料は輸入され、家畜の屎尿は東京湾に廃棄された。窒素は循環しない。
(3)東京湾に窒素が大量に流入し、富栄養化が進んだ。赤潮が発生して魚介類が大量に死滅し、東京湾の水産業に大きな被害があった。

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図の1935年は誤りかもしれない。 図では、人間からの窒素は田・畑に向かうが、実はこれは屎尿だけである。間違いは、残飯が鶏・豚・牛に向かう矢印がないことである。残飯は農地の肥料にはならない。家畜のエサになる。赤矢印の部分が必要であろう・・・・・。



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第2問設問B解説

(1)有機肥料
下水道以前 1935年、戦前の東京では、下水道は未整備であり、屎尿が汲み取られて農地まで運ばれ、有機肥料として使われた。東京都市圏の残飯は、家畜農家にとっては、家畜のエサとして重要であった。屎尿や残飯などがムダに廃棄されず、農業に役立っていた。窒素に注目すれば、人間の活動が自然界の窒素の循環に組み込まれていたことになる。東京の大規模公共下水道が建設されたのは、1960年代、高度経済成長期のことである。
戦前、屎尿汲み取り業を「おわいや」と呼んだ。池袋に馬車で運ばれた「こえ桶」を貨物電車(現在の西武池袋線)に載せて所沢方面に運び、沿線の農家に売り渡した。それで今でも西武電車を、ある種の郷愁を込め、「おわいや電車」と呼ぶ人がいるのである。


(2)家畜の飼料
輸入飼料の増加 首都圏の近郊農業地域では、乳牛・豚・鶏が飼育された。農家は残飯を集めて家畜のエサとしていたが、手数がかかるし、家畜の肉質も悪くなる。
戦後は、とうもろこし、大豆、牧草などの飼料作物が大量に輸入された。国内の飼料業者によって、家畜の種類や生育段階に応じたエサがつくられ、さらに栄養分なども補給された。これが、配合飼料あるいは濃厚飼料である。農家は、配合飼料を購入して家畜に与えた。家畜は肉質がすぐれ、高価格で売れた。農家は残飯回収をやめ、飼料を購入した。このため、畜産は残飯処理の役割を果たさず、窒素の循環は断ち切られた。


(3)東京湾の汚染
窒素の東京湾流入 大規模公共下水道で屎尿が処理され、東京湾の目に見える汚染は減った。処理済みの下水にも、微量の窒素が含まれる。また、畜舎からの未処理の屎尿が東京湾に流れ込む。農地の肥料として散布された窒素・燐などが雨水とともに東京湾に流れ込む。東京湾岸の工場排水中にも窒素が含まれていることがある。
一般に水域の汚染を富栄養化というが、東京湾では富栄養化が進んで、高水準でとまった。富栄養のままである。窒素が少し増えたり、海水温度が上がると、植物プランクトンが異常発生して赤潮になり、魚介類を大量に死滅させる。


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第2問設問B終了
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