「●●は日本から出て行け!」
「●●は強姦魔だ!」
「●●は殺人集団だ!」
「●●の特権を許すな!」
「●●は日本人に謝罪しろ!」、
この「●●」に「アメリカ兵」と入れれば『表現の自由』になり、
「韓国人or朝鮮人」と入れれば『ヘイトスピーチ』になります。
日韓関係の悪化について、韓国側は「日本の右傾化が原因」「加害者と被害者の関係は1000年経っても変わらない」などと、一方的に日本を批判している。だが、歴史を振り返ると、韓国はこれまで、日本に理不尽かつ非道な行動・対応を取り続けてきた。韓国が口を閉ざす「理不尽な真実」について、元大手商社マンで日韓問題研究家の松木國俊氏が迫る。
松木國俊(まつき・くにとし)
「李承晩(イ・スンマン)ライン」。それは、日本の主権回復を承認するサンフランシスコ平和条約発効直前の1952年1月、韓国が海洋資源を独占し、領土を拡張するため、島根県・竹島を取り込んで、一方的に公海上に引いた軍事境界線・排他的経済水域である。
いかなる国際法を持っても正当化できるものではなかったが、日本政府は憲法第9条などに縛られて手も足も出せなかった。これより13年にわたって、日本漁民は、韓国警備艇による射殺、体当たり、拿捕(だほ)、抑留、餓死という塗炭の苦しみ味わった。
日韓漁業協議会発行の『日韓漁業対策運動史』に、当時の詳しい記録が残っている。韓国の暴虐を風化させないため、あえて、その悲惨な過去を振り返ってみる。
韓国警備艇は、李承晩ラインの外側を航行中の日本漁船にまで見境なく襲い掛かり、罪のない日本漁民を拿捕して釜山港へ連行した。棒でたたくなど残虐な拷問を加え、自白を強要し、文明国では考えられない人権を無視した一方的な裁判で判決を言い渡した。
獄中生活は悲惨を極めた。雑居房には20人前後が押し込められ、手足だけでなく体も重ねあわせて寝なければならなかった。食事の不潔さは言語に絶し、カビの生えた麦、腐敗した魚は度々で人間の食べる物ではなかった。ほぼ全員が栄養失調状態となって死線をさまよい、ついに餓死者まで出たのだった。
54年以降は、「刑期」を終了した者さえ釈放せず、韓国側は抑留者を「人質」にしてさまざまな要求を日本に突き付けてきた。帰国の希望を奪われた抑留者は、肉体的にも精神的にも限界を超え、狂乱状態になるものもあったという。残された家族にも、重い経済的、精神的負担が発生した。堪えかねて精神を病み、自殺した妻もいた。
日本漁民を守るべき海上保安庁の巡視船は「不測の事態を避ける」という理由で砲を撤去させられていた。拿捕されそうな日本漁船を救出するため、丸腰で韓国警備艇との間に割り込み、自ら銃弾を浴びながら漁船を逃す以外になかったという。
65年に日韓基本条約や請求権・経済協力協定、日韓漁業協定が締結されるまでの間、韓国の不法拿捕により抑留された日本漁民は3929人、拿捕時の攻撃による死傷者は44人、物的被害総額は当時の金額で約90億円にも上る。
にもかかわらず、韓国は現在に至るまで一言の謝罪も補償もしていない。それどころか、朴槿恵(パク・クネ)大統領は高飛車な態度で、反日発言を続けている。日本人は、韓国の非道な行為で無念の死を遂げた同胞のことを、決して忘れてはならない。
http://ccce.web.fc2.com/sinnsai.html
関東大震災(大正12年)時、デマに惑わされた日本人暴徒が多数の朝鮮人を虐殺した。
学校教育等で、近現代史の汚点として、このように教えられますが、
実際は、不逞鮮人によるテロに等しい集団暴力事件の多発。軍も出動。
日本人は自身や家族を守る為に、自警団でそれに対抗。
不逞鮮人と自警団・軍隊の激突で双方に被害者がでた、一般鮮人にも死者がでた。
不逞鮮人と左翼系組織との連携があり、偶発的な事件ではなく計画性があった。
事後に、左翼学者による不逞鮮人の暴動の隠蔽工作、一般鮮人被害者数の水増し工作。
無実の一般鮮人を巻き添えにしたという日本人の良心の呵責を利用し、
疑問や反論も許さぬ「タブー」として、日本人が悪いと印象操作を行うことで、
お人よしで人を疑わない日本人を騙し、世論は朝鮮人と左翼の狙い通りになっていった。
今年の4月24日~26日にかけて北京市を訪問した際のことについてのインタビューのようですが。
この中で、 サラリととんでもないことが、舛添知事自身の言葉として記述されています。
これです。以下原文。
唐家セン日中友好協会会長とも晩餐会を開いて下さいました。
唐先生はわざわざ私の印鑑を作ってくださっていました。
なんとあのハg……もとい舛添知事、4月の北京訪問の際に、
中国の大物・唐家センから印章をもらっていたようなのです。
で。なんでこれを話題にするかというと。
怖いことをいうと思うだろうが、 天安門事件のあと、天皇陛下が中国を訪問したが、 そのとき中国側が陛下に印鑑を渡そうとしたそうだ。
印鑑をおくられる、ってのは、イギリスがナイトの称号を送るのと同じく、中国にとって『日本は俺の手下だ』と世界に対して表明する効果を伴う。
宮内庁職員が気づいて拒否したが、非常に危ない瞬間ではあった。
【アピール】「印鑑贈呈」の真相解明を 1993.08.08 東京朝刊 7頁 オピニオン (全1063字)
大学教授 中村粲 59(神奈川県鎌倉市)
いささか旧聞に属するが月刊誌『フォーサイト』本年二月号にこんな記事が載っていた。
昨秋のご訪中の折、中国側から陛下に印鑑を贈りたいとの申し出があったが、日本側の反発で取りやめになり、この件は両国関係を損なうおそれありとして極秘扱いになった。
印鑑を贈ることが古来、中国では相手に朝貢を求める際の儀礼であることは後漢・光武帝が倭奴国王に与えた金印の例からも明らかであり、
日本側が反発したのも、印鑑授受は歴史に照らして朝貢外交の疑いを招きかねないとの理由からであったと同誌も書いている。
もし記事の内容が事実とすれば、中国はご訪中を中華思想誇示という政治的儀式の演出に利用しようとしたわけで、事は著しく重大になる。
この前近代的感覚の非礼の事実を、外務当局はなぜ極秘にしようとするのか。
とかく中国に対しては美しい幻想を抱きがちな日本国民に、中国外交の実体について啓蒙する上からも、このような事実のあったことを公表する責任がありはしないか。
たとえ先方の意図は実現しなかったとしても--。
ともかく事実を確かめるため、外務省担当者に手紙で実否を問うたところ、相当の日を経た後に要旨次のように電話で回答があった。
(一)中国側から印鑑を贈る申し出があったかどうかについては答えられない
(二)訪中の土産に印鑑(印材の意か)を好む日本人が多いので、陛下への贈り物の中に印鑑があったとしてもおかしくない
(三)次のように断言することはできる。「ある意図をもって中国側が陛下に印鑑を贈ろうとしたことは絶対にない」と。
朝日新聞の大罪
【南京大虐殺問題】
1971年(昭和46年)3月から朝日新聞記者本多勝一氏の
著作「中国の旅」をもとに南京大虐殺という虚構物語を
捏造し宣伝キャンペーンを行い世界に広めた朝日新聞。
40年経っても己の間違いを認めず嘘を撒き散らして
知らぬ顔のごんべえ。
【従軍慰安婦問題】
1991年(平成3年)8月朝日新聞記者植村隆氏が従軍慰安婦の
スクープ歪曲記事をでっち上げ、それがもとで河野談話という
国家的犯罪行為をもたらした。
2014年(平成26年)8月、ようやく20年余りの歳月を経て
誤報・虚報を取り消した。しかし、今度は慰安婦問題の本質直視を、
などと詭弁(きべん)と卑怯(ひきょう)な言い訳けで
何のことはない開き直り、すり替えに終始。
その間反日プロパガンダは世界に拡散、もはや取り返しの付かない
事態に到っている。
【靖国問題】
1985年(昭和60年)まで中国も韓国も何の問題も
提起しなかったのに、同年8月朝日新聞記者加藤千洋氏が
「中国『日本的愛国心を問題視』」という記事を掲載、中国にご注進し
火をつけ反日の歴史カードに仕立て上げた朝日新聞。
30年経っても依然その思いを変えず、靖国は戦犯をたたえる神社
とそそのかし事あるごとに中・韓の立場 オンリーで反日記事を
掲載し恥を晒して悔いない朝日新聞。