◆チュートリアル、第6回M-1グランプリ優勝、おめでとう。予選1位、決勝パーフェクトの堂々たる優勝だった。ネタ的には手慣れた「冷蔵庫」と「チリンチリン」をそれぞれ4分間に凝縮したハイテンションに仕立て直しており、僕的には目新しさはなかったが、それでも十分楽しませてもらった。
徳井君の京都人らしい偏執狂ぶりは(もちろんデフォルメされているが)テンションの緩急が面白いのだが、今回は時間の関係からか大袈裟な表情で押し切る分かり易い漫才を披露していた。この辺りの応用力はさすがに大阪吉本を支える看板選手の底力であろう。
相方の福田君はそうした徳井君を終始冷静にリードし、うまく緩急をつけていた。往々にして漫才は突っ込み役の巧さが表に出にくいのだが、福田君は人柄の良さが「普通」っぽくて良い。時折見せる「柄の悪さ」は封印して「普通人・福田」を強調する方がテレビの場では安心できる。
チュートリアルの漫才が劇的に面白くなったのは、ここ数年である。
コント仕立ての「昔話」ネタから脱皮して、漫才としての掛け合いで笑いが取れるようになった。それはやはり福田君の成長が大きいのだが、コンビとしての成熟がようやく時代と合致してきたのだろう。いずれにしても今回の大舞台で披露してくれた漫才は、このコンビならではの「芸」であり、お見事、と言うしかない。
これで来年は全国区での活躍の場が大きく広がるだろうが、コントもいけるしトークも上手いコンビだけに大ブレークを果たして欲しい。昨年度のブラックマヨネーズが同期だが、フットボールアワーを加えた3組で全国区の番組を持たせても面白いのではないか。大阪臭さが充満するだろうが、この3組は芝居もいけるしトークもいける、意外なヒットが見込める気がするのだが。ま、構成次第かな。
◆そのフットボールアワーは、ちょっと岩尾君のテンションが高すぎて一部音声が聴きずらかったのが惜しい。てっきり「温泉旅館」ネタをやるのだろうと思っていたのだが、手慣れた安全パイを出してきたのは肩すかしだった。前々回のチャンピオンが再挑戦、という図式は誰が描いたのか知らないが、やはりハードルは高くなる。漫才そのものの面白さと安定感は、いま現在ダントツである。二人とも楽器も出来るし歌もかなり上手い。巧くて器用で賢い彼らの面白さを引き出せるテレビマンが居ないのが実に惜しい。
◆麒麟は結構好きである。一時マンネリ感があって面白くなくなっていたのだが、田村君の成長で良いテンポの漫才になって再び楽しめるようになってきた。川嶋君の巧さはますます磨きがかかっている。田村君のキャラクターを引き出す立て板に水の抑揚のある弁説は流麗で心地よい。田村君は徐々に可愛気のある天然ボケの片鱗を見せている。好感の持てる二人である。
あとはネタ次第である。習熟が必要なコンビだけに、手慣れたネタをやるのは仕方がないのだが、随分おいしい部分を省いてしまった印象だった。
川嶋君が全国区のタレントとして羽ばたいて欲しい、という気持ちはあるのだが、このままでは大阪のNGKの看板漫才師として納まってしまうのかも知れない。都会的で洗練された言語感覚と当代一の弁説を持っているだけに、それでは惜しい。どうか本人自身がもっとどん欲になって、テレビ番組にに積極的にチャレンジして欲しい。
◆初のアマチュア決勝進出、とある種鳴り物入りで登場した「変ホ長調」だが、ま、こんなものだろうな、という漫才だった。
いわゆるテレビや芸能界のネタにして、ゆる~い淡々とした掛け合いで展開していく独特の「ローテンション漫才」なのだが、これは女子校の文化祭の演し物である。ネタ的には代田ヒカルあたりがやっている「毒ツキ」ネタだが、ま、フジテレビ女子アナや天気予報士ネタ、渡鬼ネタなど、思わずクスリとさせられる小ネタを被せていく構成は、これはこれでアリではある。しかしこれはプロでは使いにくい。女性2人組漫才というニーズはあるが、プロになるのは辞めておいた方が無難だろう。
◆笑い飯に関しては「もう結構」と言うしかない。
この「Wボケ」という彼らの漫才は、一見革新的だったが、目新しさが無くなると単なる悪ふざけになってしまう。彼らほど実力があればオーソドックスな掛け合いをやっても十分面白いと思うのだが、何故か「ボケ合戦」に終始してしまう。漫才の面白さはボケをしっかりと受ける突っ込み役の力量にかかっているのだが、ここを省略してしまうと単なる「ボケネタ発表会」になってしまうのである。現職、元職の漫才のプロたちに「審査」される場であるこのM-1だから、漫才の枠を壊した斬新さをアピールしようとするのは理解できるが、所詮奇手は最初だけである。
結局またもや同じパターンの漫才となって、「目新しさ」も感じられなくなっては結果は厳しい。
もう一度「奈良の大学生の会話」という原点に戻ってみるのはどうだろうか。
◆ ◆ ◆
いまテレビのお笑い番組は大きな転機を迎えている。
東京キー局発のバラエティ番組が、軒並み視聴率が獲れなくなり、事実面白くなくなってしまった。ビッグ3はとうの昔に老い、惰性で番組が続いているだけだし、ウンナンは消え、ダウンタウンも爆笑問題も視聴率的に低迷している。ナイナイは番組のパワーが明らかに落ち、生番組をやらせれば昨夜のTBSのように大コケする。
その後に続くミドル3も第4世代も、一見賑やかだが、予定調和の内輪芸ばかりで退屈である。
タレントや芸人に乗っかった安易な番組作りをするテレビ局の問題ではあるが、タレントの力量不足も甚だしい。
もちろん「お笑い」としての力量と、バラエティ番組での「ひな壇役」とでは決してイコールではない。優れた芸人が今のテレビ番組で果たして居場所があるのかどうか、確かに心許ない。
舞台でのネタをそのままテレビで演じられても、何度も見る気はしない。いまやネタ番組すらテレビ局の構成作家によって「演出」され芸人はキャラクターを提供するだけになっている現実もある。
しかし視聴者にとってはテレビ局の事情とは無関係に「面白いモノが見たい」のである。
面白い漫才はやはり面白い。良く出来たコントも、巧い古典落語も、じっくり面白さに浸っていたい。そんな「芸」はテレビには必要ない、と言ってしまえる程、今のテレビは面白くはない。
もちろん本物の芸は、きちんと木戸銭を払って楽しむのが本当だろう。しかし無料で自宅に送られてくるテレビ番組だから、テキトーで良いなどとテレビ局自身が思っているのなら、それは驕り以外の何者でもない。
テレビ局は免許事業として国家によって守られた規制業種である。その座に安住してまともな笑いすら生み出せないのなら、そのしっぺ返しは強烈になるだろう。
笑いは文化である。その文化が貧相で先行きが暗いようでは日本は終わりである。
徳井君の京都人らしい偏執狂ぶりは(もちろんデフォルメされているが)テンションの緩急が面白いのだが、今回は時間の関係からか大袈裟な表情で押し切る分かり易い漫才を披露していた。この辺りの応用力はさすがに大阪吉本を支える看板選手の底力であろう。
相方の福田君はそうした徳井君を終始冷静にリードし、うまく緩急をつけていた。往々にして漫才は突っ込み役の巧さが表に出にくいのだが、福田君は人柄の良さが「普通」っぽくて良い。時折見せる「柄の悪さ」は封印して「普通人・福田」を強調する方がテレビの場では安心できる。
チュートリアルの漫才が劇的に面白くなったのは、ここ数年である。
コント仕立ての「昔話」ネタから脱皮して、漫才としての掛け合いで笑いが取れるようになった。それはやはり福田君の成長が大きいのだが、コンビとしての成熟がようやく時代と合致してきたのだろう。いずれにしても今回の大舞台で披露してくれた漫才は、このコンビならではの「芸」であり、お見事、と言うしかない。
これで来年は全国区での活躍の場が大きく広がるだろうが、コントもいけるしトークも上手いコンビだけに大ブレークを果たして欲しい。昨年度のブラックマヨネーズが同期だが、フットボールアワーを加えた3組で全国区の番組を持たせても面白いのではないか。大阪臭さが充満するだろうが、この3組は芝居もいけるしトークもいける、意外なヒットが見込める気がするのだが。ま、構成次第かな。
◆そのフットボールアワーは、ちょっと岩尾君のテンションが高すぎて一部音声が聴きずらかったのが惜しい。てっきり「温泉旅館」ネタをやるのだろうと思っていたのだが、手慣れた安全パイを出してきたのは肩すかしだった。前々回のチャンピオンが再挑戦、という図式は誰が描いたのか知らないが、やはりハードルは高くなる。漫才そのものの面白さと安定感は、いま現在ダントツである。二人とも楽器も出来るし歌もかなり上手い。巧くて器用で賢い彼らの面白さを引き出せるテレビマンが居ないのが実に惜しい。
◆麒麟は結構好きである。一時マンネリ感があって面白くなくなっていたのだが、田村君の成長で良いテンポの漫才になって再び楽しめるようになってきた。川嶋君の巧さはますます磨きがかかっている。田村君のキャラクターを引き出す立て板に水の抑揚のある弁説は流麗で心地よい。田村君は徐々に可愛気のある天然ボケの片鱗を見せている。好感の持てる二人である。
あとはネタ次第である。習熟が必要なコンビだけに、手慣れたネタをやるのは仕方がないのだが、随分おいしい部分を省いてしまった印象だった。
川嶋君が全国区のタレントとして羽ばたいて欲しい、という気持ちはあるのだが、このままでは大阪のNGKの看板漫才師として納まってしまうのかも知れない。都会的で洗練された言語感覚と当代一の弁説を持っているだけに、それでは惜しい。どうか本人自身がもっとどん欲になって、テレビ番組にに積極的にチャレンジして欲しい。
◆初のアマチュア決勝進出、とある種鳴り物入りで登場した「変ホ長調」だが、ま、こんなものだろうな、という漫才だった。
いわゆるテレビや芸能界のネタにして、ゆる~い淡々とした掛け合いで展開していく独特の「ローテンション漫才」なのだが、これは女子校の文化祭の演し物である。ネタ的には代田ヒカルあたりがやっている「毒ツキ」ネタだが、ま、フジテレビ女子アナや天気予報士ネタ、渡鬼ネタなど、思わずクスリとさせられる小ネタを被せていく構成は、これはこれでアリではある。しかしこれはプロでは使いにくい。女性2人組漫才というニーズはあるが、プロになるのは辞めておいた方が無難だろう。
◆笑い飯に関しては「もう結構」と言うしかない。
この「Wボケ」という彼らの漫才は、一見革新的だったが、目新しさが無くなると単なる悪ふざけになってしまう。彼らほど実力があればオーソドックスな掛け合いをやっても十分面白いと思うのだが、何故か「ボケ合戦」に終始してしまう。漫才の面白さはボケをしっかりと受ける突っ込み役の力量にかかっているのだが、ここを省略してしまうと単なる「ボケネタ発表会」になってしまうのである。現職、元職の漫才のプロたちに「審査」される場であるこのM-1だから、漫才の枠を壊した斬新さをアピールしようとするのは理解できるが、所詮奇手は最初だけである。
結局またもや同じパターンの漫才となって、「目新しさ」も感じられなくなっては結果は厳しい。
もう一度「奈良の大学生の会話」という原点に戻ってみるのはどうだろうか。
◆ ◆ ◆
いまテレビのお笑い番組は大きな転機を迎えている。
東京キー局発のバラエティ番組が、軒並み視聴率が獲れなくなり、事実面白くなくなってしまった。ビッグ3はとうの昔に老い、惰性で番組が続いているだけだし、ウンナンは消え、ダウンタウンも爆笑問題も視聴率的に低迷している。ナイナイは番組のパワーが明らかに落ち、生番組をやらせれば昨夜のTBSのように大コケする。
その後に続くミドル3も第4世代も、一見賑やかだが、予定調和の内輪芸ばかりで退屈である。
タレントや芸人に乗っかった安易な番組作りをするテレビ局の問題ではあるが、タレントの力量不足も甚だしい。
もちろん「お笑い」としての力量と、バラエティ番組での「ひな壇役」とでは決してイコールではない。優れた芸人が今のテレビ番組で果たして居場所があるのかどうか、確かに心許ない。
舞台でのネタをそのままテレビで演じられても、何度も見る気はしない。いまやネタ番組すらテレビ局の構成作家によって「演出」され芸人はキャラクターを提供するだけになっている現実もある。
しかし視聴者にとってはテレビ局の事情とは無関係に「面白いモノが見たい」のである。
面白い漫才はやはり面白い。良く出来たコントも、巧い古典落語も、じっくり面白さに浸っていたい。そんな「芸」はテレビには必要ない、と言ってしまえる程、今のテレビは面白くはない。
もちろん本物の芸は、きちんと木戸銭を払って楽しむのが本当だろう。しかし無料で自宅に送られてくるテレビ番組だから、テキトーで良いなどとテレビ局自身が思っているのなら、それは驕り以外の何者でもない。
テレビ局は免許事業として国家によって守られた規制業種である。その座に安住してまともな笑いすら生み出せないのなら、そのしっぺ返しは強烈になるだろう。
笑いは文化である。その文化が貧相で先行きが暗いようでは日本は終わりである。