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風来雑記帳

時事社会・国際問題からスポーツまで、幅広い話題をごにょごにょと考えます。

●M-1グランプリ決勝大会 雑感

2006-12-25 12:10:12 | 時事社会問題
チュートリアル、第6回M-1グランプリ優勝、おめでとう。予選1位、決勝パーフェクトの堂々たる優勝だった。ネタ的には手慣れた「冷蔵庫」と「チリンチリン」をそれぞれ4分間に凝縮したハイテンションに仕立て直しており、僕的には目新しさはなかったが、それでも十分楽しませてもらった。
徳井君の京都人らしい偏執狂ぶりは(もちろんデフォルメされているが)テンションの緩急が面白いのだが、今回は時間の関係からか大袈裟な表情で押し切る分かり易い漫才を披露していた。この辺りの応用力はさすがに大阪吉本を支える看板選手の底力であろう。
相方の福田君はそうした徳井君を終始冷静にリードし、うまく緩急をつけていた。往々にして漫才は突っ込み役の巧さが表に出にくいのだが、福田君は人柄の良さが「普通」っぽくて良い。時折見せる「柄の悪さ」は封印して「普通人・福田」を強調する方がテレビの場では安心できる。
チュートリアルの漫才が劇的に面白くなったのは、ここ数年である。
コント仕立ての「昔話」ネタから脱皮して、漫才としての掛け合いで笑いが取れるようになった。それはやはり福田君の成長が大きいのだが、コンビとしての成熟がようやく時代と合致してきたのだろう。いずれにしても今回の大舞台で披露してくれた漫才は、このコンビならではの「芸」であり、お見事、と言うしかない。
これで来年は全国区での活躍の場が大きく広がるだろうが、コントもいけるしトークも上手いコンビだけに大ブレークを果たして欲しい。昨年度のブラックマヨネーズが同期だが、フットボールアワーを加えた3組で全国区の番組を持たせても面白いのではないか。大阪臭さが充満するだろうが、この3組は芝居もいけるしトークもいける、意外なヒットが見込める気がするのだが。ま、構成次第かな。

そのフットボールアワーは、ちょっと岩尾君のテンションが高すぎて一部音声が聴きずらかったのが惜しい。てっきり「温泉旅館」ネタをやるのだろうと思っていたのだが、手慣れた安全パイを出してきたのは肩すかしだった。前々回のチャンピオンが再挑戦、という図式は誰が描いたのか知らないが、やはりハードルは高くなる。漫才そのものの面白さと安定感は、いま現在ダントツである。二人とも楽器も出来るし歌もかなり上手い。巧くて器用で賢い彼らの面白さを引き出せるテレビマンが居ないのが実に惜しい。

麒麟は結構好きである。一時マンネリ感があって面白くなくなっていたのだが、田村君の成長で良いテンポの漫才になって再び楽しめるようになってきた。川嶋君の巧さはますます磨きがかかっている。田村君のキャラクターを引き出す立て板に水の抑揚のある弁説は流麗で心地よい。田村君は徐々に可愛気のある天然ボケの片鱗を見せている。好感の持てる二人である。
あとはネタ次第である。習熟が必要なコンビだけに、手慣れたネタをやるのは仕方がないのだが、随分おいしい部分を省いてしまった印象だった。
川嶋君が全国区のタレントとして羽ばたいて欲しい、という気持ちはあるのだが、このままでは大阪のNGKの看板漫才師として納まってしまうのかも知れない。都会的で洗練された言語感覚と当代一の弁説を持っているだけに、それでは惜しい。どうか本人自身がもっとどん欲になって、テレビ番組にに積極的にチャレンジして欲しい。

初のアマチュア決勝進出、とある種鳴り物入りで登場した「変ホ長調」だが、ま、こんなものだろうな、という漫才だった。
いわゆるテレビや芸能界のネタにして、ゆる~い淡々とした掛け合いで展開していく独特の「ローテンション漫才」なのだが、これは女子校の文化祭の演し物である。ネタ的には代田ヒカルあたりがやっている「毒ツキ」ネタだが、ま、フジテレビ女子アナや天気予報士ネタ、渡鬼ネタなど、思わずクスリとさせられる小ネタを被せていく構成は、これはこれでアリではある。しかしこれはプロでは使いにくい。女性2人組漫才というニーズはあるが、プロになるのは辞めておいた方が無難だろう。

笑い飯に関しては「もう結構」と言うしかない。
この「Wボケ」という彼らの漫才は、一見革新的だったが、目新しさが無くなると単なる悪ふざけになってしまう。彼らほど実力があればオーソドックスな掛け合いをやっても十分面白いと思うのだが、何故か「ボケ合戦」に終始してしまう。漫才の面白さはボケをしっかりと受ける突っ込み役の力量にかかっているのだが、ここを省略してしまうと単なる「ボケネタ発表会」になってしまうのである。現職、元職の漫才のプロたちに「審査」される場であるこのM-1だから、漫才の枠を壊した斬新さをアピールしようとするのは理解できるが、所詮奇手は最初だけである。
結局またもや同じパターンの漫才となって、「目新しさ」も感じられなくなっては結果は厳しい。
もう一度「奈良の大学生の会話」という原点に戻ってみるのはどうだろうか。

       ◆ ◆ ◆

いまテレビのお笑い番組は大きな転機を迎えている。
東京キー局発のバラエティ番組が、軒並み視聴率が獲れなくなり、事実面白くなくなってしまった。ビッグ3はとうの昔に老い、惰性で番組が続いているだけだし、ウンナンは消え、ダウンタウンも爆笑問題も視聴率的に低迷している。ナイナイは番組のパワーが明らかに落ち、生番組をやらせれば昨夜のTBSのように大コケする。
その後に続くミドル3も第4世代も、一見賑やかだが、予定調和の内輪芸ばかりで退屈である。
タレントや芸人に乗っかった安易な番組作りをするテレビ局の問題ではあるが、タレントの力量不足も甚だしい。
もちろん「お笑い」としての力量と、バラエティ番組での「ひな壇役」とでは決してイコールではない。優れた芸人が今のテレビ番組で果たして居場所があるのかどうか、確かに心許ない。
舞台でのネタをそのままテレビで演じられても、何度も見る気はしない。いまやネタ番組すらテレビ局の構成作家によって「演出」され芸人はキャラクターを提供するだけになっている現実もある。
しかし視聴者にとってはテレビ局の事情とは無関係に「面白いモノが見たい」のである。
面白い漫才はやはり面白い。良く出来たコントも、巧い古典落語も、じっくり面白さに浸っていたい。そんな「芸」はテレビには必要ない、と言ってしまえる程、今のテレビは面白くはない。
もちろん本物の芸は、きちんと木戸銭を払って楽しむのが本当だろう。しかし無料で自宅に送られてくるテレビ番組だから、テキトーで良いなどとテレビ局自身が思っているのなら、それは驕り以外の何者でもない。
テレビ局は免許事業として国家によって守られた規制業種である。その座に安住してまともな笑いすら生み出せないのなら、そのしっぺ返しは強烈になるだろう。
笑いは文化である。その文化が貧相で先行きが暗いようでは日本は終わりである。


●アベシンゾーの起死回生策と少子化対策

2006-12-22 12:03:26 | 時事社会問題
ドイツW杯での1分け2敗という成績で、アジアでは日本代表に対して評価が下がっている。オーストラリア、イラン、サウジアラビア、韓国などの第1グループに対して、日本は遅れを取っているのではないか、という評価がAFCのHPやサッカーBBSで主流を占めている。オシム監督になってこれまで支えてきた有名選手が代表から消えた事で、そうした評価になったらしい。
サッカー後進地域であるアジアでは、欧州のチームに在籍する選手がどれだけいるかで代表チームの強弱が語られる。そう言う点ではオシム・ジャパンが弱体に見えるのは無理もない。ま、確かに欧州で活躍できる選手はレベルも高いし、普通なら代表チームに不可欠な存在なはずである。看板となる海外選手のいない日本代表が弱体化していると考える他国の評価は、実は日本のトップ層の厚さを見誤っている。日本サッカーの特殊性はアジア各国の中で例外的に選手層が厚い事にある。世界で通用する「超」の付くトップクラスの選手は、残念ながら身体能力などの点で数多くはないが、しかしそのすぐ下のクラスの選手はアジアで一番多いのだ。
選手層の薄いアジアサッカーの常識は日本には通じない。Jリーグという欧州方式のシステムを持ったプロリーグの存在によって、日本では海外組クラスの選手はもう2チーム分くらいの人数が居るのである。それがアジアの他国には分かっていないらしい。
もちろん過大評価されるより、少し侮られている方が戦いやすいのは事実であるが、事ほど左様に事情を知らずに他国を評価するのは危険な事だという事である。
これはサッカーやスポーツに限らない事だろう。

◆話は飛ぶ。
アベシンゾーの評判がどうも今ひとつ冴えない。本間税調会長の身の下問題による辞任の責任を問う向きもある。ま、自民党としてはアベシンゾーに早々に死に体になられるのは困るが、小泉前政権の時のように高い支持率を背景に党を引きずり回すような官邸主導を続けられるよりマシらしい。しかし、支持率の低下が続けば来夏の参院選は果たして大丈夫なのか。参院選対策のための選挙管理内閣のつもりだったはずなのに、このままでは厳しいのではないか。
と、そこで起死回生策である。
困った時の北朝鮮、て訳で6カ国協議が終わればもう一段階くらい制裁を強化して北朝鮮を締め付け、危機を煽りますか。それとも、ひょっとして電撃訪朝とかね。
小泉前首相に倣って、4~5人の拉致被害者を連れ帰れば、支持率は急激にアップするかも。
6カ国協議で日朝会談はないらしい。北朝鮮の方では日本には用は無い、と言う事なのだろうが、なにそう見せかけて水面下で訪朝の打診なんて事が進行中なのかも知れない。
ま、実際はそれ位の事が出来ればアベシンゾーも大したものであるが、どうもそこまでの胆力や決断力という点では前任者とは格段に劣るらしい。困ったボンボンである。
北朝鮮カードが使えないのなら南はどうだ、と言う訳で韓国のボンクラ大統領、いやいやノムヒョンが来年早々に訪日する計画が進んでいるらしい。おいおい本気かアベシンゾー。今さらノムを相手に何を語ろうというのか。「どうしたら支持率を上げられますかね」なんて尋ねても、相手は支持率10%を割ろうかという崖っぷち大統領だ。逆に縋り付かれるのがオチである。世界の笑いモノであるノム相手に、いくら日韓関係修復なんて言ったって日本国民は白けてしまうだけである。悪い事は言わない、韓国とは出来るだけ疎遠でいる事だ。アホに関わるとろくな事がない。

またもや話は飛ぶ。

●出生数6年ぶり増加へ~減少歯止めは不透明
(061222/産経新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061222-00000016-san-soci
厚生労働省が21日に公表した人口動態統計(速報)によると、平成18年に生まれた子供の数(出生数)は10月時点で、昨年同月に比べ2万1178人上回っており、6年ぶりに出生数が増加に転じる見通しとなった。若者の雇用環境が改善し結婚や出産を決断できるカップルが増えたことが主な要因。ただ、厚労省が20日に発表した新たな将来人口推計では出生数は減り続ける見通しで、今回の反転は一時的な現象だとみられる。

厚生労働省はご苦労だが、ぜひその統計数値の精査をさらに行って欲しい。その数値が今まで実にいい加減だったから、いま現在「少子化」が問題になっている訳で、「少子化問題」はひとえに厚生労働省の責任であるのだから。
社会現象としての「少子化」は当たり前の事である。女性の高学歴化、晩婚化が進み、結婚人口自体が少なくなっている現在、子供が生まれなくなるのは当然で、問題はそうした事態を数十年前から分かっていたのに、人口統計予測値を勝手に高め高めに発表して、行政の対応や各種社会サービスの遅延を招いた結果にある。あきらかに厚生労働省の怠慢、もしくは意図的な数値操作によって、年金の設計は破綻し教育システムは崩壊が近い事態になった。「少子化問題」とはひとえに行政の怠慢なのである。
で、問題は「お国の音頭で子供は増えるのか」という事である。少子化対策なんて結局少なくなった子供に金をばらまこうと言う事である。生まれてきた子供に金を使うのも結構だが、一体どうやって子供を産んでもらうのか。目先のわずかな児童手当の増額で結婚しない女性達は子供を産むのだろうか。
そんな事よりも簡単な増産方法があるじゃないか。
優生保護法をきちんと機能させて、堕胎を減らせばいいのである。経済的理由による堕胎や、未婚による中絶なんて認めているから子供の数が増えないのである。
子供は国の宝である。日本のような先進国で少子化が進む国家にとって、生まれてくる日本人の子供は単にその親だけのモノではない。日本人の子供は国が、社会が大切に育てるようにすればよいのである。
戸籍制度を抜本的に改革して、養子縁組を簡便にしそこに何らかのインセンティブをつける。児童福祉施設を拡充・改良して経済的・社会的に子育てが難しい状況にある親達から子育てを代行する新しい里親ボランティア制度を広く浸透させる、など、国家が地域社会と一体となって子育てに責任を持つ環境を早急に作れば良いのだ。
産業界の守銭奴達の言うように「移民受け入れ」を安易にやって、現在欧州が抱える民族・宗教対立を抱え込むよりも、自国民の子供を大事に社会全体で育てるシステムを作り上げる方が余程いい。
百歩譲って、もし「移民」を受け入れるなら、その前に海外から「乳児養子」を大量に受け入れればよい。子供を育てたい日本人が養子縁組をして、きちんとその子供に日本の教育を受けさせきちんと日本人として育てるのである。東南アジアやインド、戦乱の中東や貧困にあえぐアフリカからでも良い。過酷な環境から生まれてきた子供達を救い出すのも、先進国に生きる日本人の務めである。肌の色や目の色が違っても、きちんと日本語が読み書き・会話が出来て、皇室と国旗に忠誠を誓えるなら間違いなく立派な日本人である。

もちろんこうした事を実現するためには様々な抵抗があって一朝一夕には行かない事も理解できる。しかし逆に言えば、日本人自身が本気で少子化をどうにかしたいと考えているのなら、これ位の事はチャレンジするべきである。
美しい国だの教育基本法改正だの、挙げ句の果てに憲法改正だの、理念先行の空虚な言葉だけの施策をブチ上げるアベシンゾーだが、本気で国を作り替える気持ちがあるなら、ここら辺りから手をつけるべきである。いまからやれば20年後の少子化は随分緩和されるはずである。

●アジア大会雑感から愛国心教育を考える

2006-12-15 12:59:11 | 時事社会問題
アジア大会の女子サッカー決勝戦を眠い目をこすりながらリアルタイムで見ていた者としては、実に残念な結果ではあったが、不思議と腹は立たなかった。そりゃあの北朝鮮チームは実に良く訓練された強豪である。ステートメント・アマというかさすがは国家丸抱えのプロフェッショナル達である。おそらく日本に負けたら何らかのペナルティがあったのではないか(まさか噂されていたような炭坑送りという事はないだろうが)
そんな強豪相手に日本女子チームは大善戦だった。耐えて機会を窺う、というゲームプラン通りの試合展開で、そう言う意味では日本が良くゲームをコントロールしていた。オフサイドで取り消されたゴールは実に惜しかったが、ま、北朝鮮の友好国である中国の審判団だから仕方がない。普通なら日本のワンチャンス・ゴールで試合終了であった。中国人だからこれ位は仕方がない。
北京五輪では日本チームはどの種目でも覚悟しておいた方がよい。中国人だから仕方がない。だって中国人なんですもの。
ま、北朝鮮チームは素直に強かった、それは認めるが、しかしあの出稼ぎ強制労働者の異様な応援光景は勘弁してもらいたい。なにかすごく哀しいものがある。北朝鮮は実に哀しい国である。

で、そのアジア大会なのだが、韓国が金メダル数で日本を上回って大喜びらしい。ま、日本ではだからどうした、って感じなのだが、日本をライバル視する韓国にとっては「民族の優秀性を証明する出来事」なのだそうである。ご苦労な事である。
正直、アジア大会のメダル数に一体何の意味があるのか、もしそんなモノに民族のアイデンティティを求めるのなら、随分安っぽい民族だなぁ、という感想しかない。オリンピックでもそうである。もちろんメダリストに対する賞賛や、頑張ったアスリートに対する評価としてメダルの色が話題にはなるだろうが、国家としてメダル数に威信をかけるような事はお笑い草である。
ていうか、そういった発想がかなり昭和的な感覚であり途上国的メンタリティなのだろう。バブル崩壊から15年間の国家としての内省期を通じて、日本人はそうした国家アイデンティティから脱却し、ようやく先進国としての精神的成熟を獲得できたのだろう。もちろん日の丸が掲揚され君が代が流れるのを見るのは、嬉しい。その機会が数多いに越した事はないが、だからといってメダル数が多いからと言って立派な国である証明にはならない。我々日本人の国は、そんな事を気にしなくても世界中から賞賛される立派な国である。世界中の人々が憧れる21世紀のユートピアの一つなのである。

どうもそこらあたりの事が昭和の教育を受けた年寄りには分かっていないらしい。政治家も官僚も、財界のお飾り達も、こうした国民の成熟度に追いつかず、ついつい「国家」なるものを無闇に振り回そうとする。安倍内閣も「愛国心教育」なんて殊更採りあげる前に、やる事は他にいっぱいあるはずだ。「愛国心」など敢えて強調しなくても、日本人は「日本国」以外に行き場所はない。日本が大好きだから、世界に出ていってもいずれ日本に帰ってくる、それが日本人なのである。余計な事をしなくても、きちんと国を運営すれば、日本人は国を心の底から愛し続けるだろう。安倍内閣の「愛国心教育」など、自分たちの自信の無さから出てきた無能の所産である。政治家や官僚がきちんとした国家運営をやっていれば、日本人は今まで通り日本の国を愛し続けるだろう。その自信さえあれば「愛国心」など持ち出す必要はないはずである。

安倍晋三が本気で愛国心発揚を望んでいるのなら、真っ先にやる事は、富士山の6合目あたりにでもエリートスポーツマン強化施設を造る事である。日本のスポーツ振興は裾野の拡大にばかり目が行き、トップ層のエリートスポーツマンの育成は実に手薄になっている。野球やサッカーなどのプロ・リーグがある種目はいいが、その他のスポーツはほとんど選手自身の自腹か民間企業などの支援で強化されているのに過ぎない。五輪や各種の大会でメダル数を競え、というのではない。スポーツの裾野を広げるためにもその頂点を世界レベルに引き上げよう、という事である。いくら日本が豊かな社会であろうと、個人の経済力や民間企業の支援だけではトップ選手を育成するのは限界がある。せめて世界レベルの強化施設と指導者育成を国の予算でやるべきであろう。
スポーツや芸術の分野で、世界的な評価を得る人々を輩出する事は、これからの日本にとって実に重要な国家アイデンティティの問題である。ともすれば経済力やモノの豊かさだけで評価されるだけの存在になりがちな日本にとって、例えば松井秀喜やイチローの存在、小澤征爾やミヤケイッセーの存在は実に貴重なモノである。
日本の政治家や官僚など、彼らに比べれば芥子粒ほどの知名度も世界では無い。せめて世界で戦える日本人をもっと数多く生み出す事を、自身の職務として取り組んではどうか。


●学校教育が全てではない豊かな社会

2006-12-12 14:41:30 | 時事社会問題
最近妙に教育問題がやかましい。
ま、確かに教育問題なんて誰でも一家言持っているし、文句を言い出したらきりがない。
ただ確実に言える事は、我々大人が考えている以上に子供達はタフで賢く、そして楽しくやっているという事である。そしてそれはいつの時代でも変わらないのだ。社会の変化、時代の移り変わりを写して、子供達を取り巻く環境はどんどん変わっている。しかしその中で子供達は適応して逞しく生きているのである。
我々はともすればその変化を押し戻そうとする。昔のシステムに戻した所で、上手くいくはずがないのにも関わらず。

◆<教員意識調査>会社員以上に、仕事に満足感と多忙感
(12月12日/毎日新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061212-00000002-mai-soci
公立小中学校の教員は会社員よりも仕事に満足感を得ていると同時に、多忙感も感じる傾向にあることが11日、文部科学省の調査で分かった。また、教員自身は勤務実績などで給与に差をつけることを否定的にとらえているが、保護者は肯定的ということも分かった。文科省は10月、全国354校の公立小中学校教員8976人(回収数8059人)と保護者1万4160人(同6723人)を対象に意識調査を行い、平均点を算出。中央教育審議会の「教職員給与の在り方に関する作業部会」に中間報告した。中間報告によると、「仕事にやりがいを感じている」と答えた教員が5点満点で平均4.23点だった。一方、「仕事が忙しすぎて、ほとんど仕事だけの生活になっている」のは3.75点となり、調査会社が所有している会社員のデータと比較すると、教員は会社員よりも満足感と多忙感を同時に感じているという。また、「指導力不足教員らに給与などへの反映が必要」と考える教員は3.37点。保護者への同種の質問では4.41点となり、両者のかい離が際立った。

小中学校の教師という存在は一体何だろう。身分的には公務員として保証され、給与水準も今では決して民間大企業に引けを取らない。朝8時半頃から夕方6時位までの勤務時間など、ごく普通の勤務である。テストの採点や事務処理で大変とは言っても、生徒数が減っている今、大したことではない。授業準備に時間がかかる、と言っても教師用教材の発達で民間の比ではない。春休み、夏休みなど「自宅研修」という名の長期有給休暇がある。はっきり言って仕事としては楽な職種である。
社会的には以前ほど尊敬されなくなった、と言っても、コミュニティの中ではそれなりに遇される。子供達にとって「将来なりたい仕事」の一つでもある。

●公務員教師なんかに教育されたくない、という現実
元来日本の教師は「世間知らず」で良かった。世俗の事象に影響されることなく子供達への教育に専念する事が教職に求められていた時代だった。しかしよその家の芝生は常に青いものであるとしても、今回の文部省の調査を見ると小中学校の先生達の「世間知らず」の度合いは、相変わらず酷い。
あなた方の仕事など今の日本に於いては、もはや大した仕事ではないのだ。
ただ受け持った子供達を無事義務教育から送り出せば良いだけの事である。学力を上げるとか、躾をするとか、人間としての生き方を教えるとか、そう言った教育の根幹をあなた方のような「公務員教職員」に期待はしない。余計な事をせず、毎日機嫌良く子供達が過ごせるよう、学校運営を行えば良い。それだけでいい。
21世紀日本の教育とは、家庭と社会の責任に於いて行えばよいのである。

●学校は単なる「子供預かり施設」に過ぎない時代
僕は基本的には現在の日本の教育状況は随分良くなったと思っている。
学校教育の比重が下がり、無意味な横並びの競争が緩和された。お受験だなんだで入試の低年齢化は浸透したが、結局時期が繰り上がっただけで受験の厳しさは随分緩和された。
僕たちの頃は、高校受験に失敗して自殺する奴が何人かいた。公立高校に行けずに私立に行った奴はそのままグレる奴が多かった。「15の春」という言葉は決してダテではなかったのである。高校受験の時のあの崖っぷち感は今思い出してもゾッとする。
今はそんな事はない。お受験に失敗してもいくらでも敗者復活の道はある。高校なんか行かなくっても大学に行く道がある。
学校、特に義務教育段階の役割は、社会性や協調性を養い、生きていく上での闘争心を養う場であって、教師は単なる監督者でよい。そうした学校生活に馴染めない子供は、さっさと転校するかフリースクールへ移ればよい。文科省は早急に通信制の小中学校を認可すべきである。そうなれば学校なんかに通うことなく義務教育を終了できるようになる。
学校が全てではない、というのは実に風通しの良い事なのだ。

●時代が変われば教師像も変わる
世界有数の豊かな国に於いて、教育は画一性から解放される。何も全員がエリートを目指してガツガツと勉強しなくても良いのである。勉強や学習はやりたい奴がやりたい時期に自由にやればいい。生きていく上で学歴が必要な者は相変わらず必死で「上」を目指して競争するだろうが、少子化の中「日本人」だと言うだけで値打ちのある時代になれば学歴など無くても最低限生きてはいける。教科書をなぞる学校の「お勉強」なんかより、音楽やスポーツやアート、はたまたゲームやネットなど、自分の好きな事に打ち込みそれなりにコミュニティを築いてしまえば、単なる「エリート会社員」なんかよりよほど豊かな生活が送れる時代である。
「俺は才能がないから勉強しか出来なかった」「16年間も学校に行ったのは他に行き場がなかったからだ」という時代になれば、教師なんて必要ではなくなる。
今の教師に問いたい。
果たして自分たちが強制収容所の舎監だと言う自覚があるのか。その自覚も無しに教職に居座るのなら、それは単なる給料泥棒だ。給料泥棒が偉そうに「仕事が忙しすぎる」なんて言うのは、無茶苦茶である。

●地方公務員を三分の一にせよ~財政再建はまず地方から

2006-12-06 12:16:46 | 時事社会問題
新卒者の就職状況はかなり好転しているらしい。うちの愚息も今年早々に内定をもらい、親が気をもむ事もなく無事就職戦線は終結した。ま、取りあえずは良かったのだが、正直拍子抜けである。上場企業への就職がこんな風にすんなり行ってしまうと、親としてはついつい余計な事を言ってしまう。「民間企業は厳しいぞ、公務員試験も受けてみたらどうか」親心としては安定が何よりである。「公務員はこれから大変な事になる。いまから公務員になったら20年後は悲惨だ」と言う。おやおや、である。

公務員とは「何もしなくても給料が貰える盗人稼業」「9時5時有休病欠なんでもあり」「年功序列、終身雇用、手厚い年金・退職金、天下り」と、いやぁ実に羨ましいご身分だとばかり思っていた。僕のようなその日暮らしの広告屋稼業にしてみれば、まさに夢のようなお話である。地域の上場企業に比肩する給与水準、そして談合や袖の下といった「役得」もその気になれば貰い放題、やり放題である。そんな公務員が悲惨な事になる、ってそれはそれはいい気味、いえいえお気の毒だが、本当か、本当にそんな事になるのだろうか。

◆夕張市職員、早期退職検討は85%…労組調べ
(12月6日3時7分更新/読売新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061206-00000101-yom-soci
来年度からの財政再建団体移行に伴い、総人件費の大幅削減を断行する北海道夕張市で、早期退職を検討している職員が8割を超えることが5日、市職員労組の行ったアンケート調査で分かった。仮に回答した全員が辞めると、一般職は一気に4分の1に減少し、行政運営に困難を来しかねない状況だ。

夕張市の財政破綻は大きな全国ニュースとして採りあげられている。おおむね「住民負担が大幅に増える」「行政サービスの低下」「住民の離散」などといった視点から同情的な論調である。
しかしなぜそうなったのか、という部分で指摘される「炭坑の閉山で基幹産業を失った過疎化進行する街」という事は、いくら考えても言い訳でしかないように思うのである。
石炭から石油へのエネルギー転換は確かに炭坑の街であった夕張を直撃した。基幹産業の凋落で次の産業を観光事業に求めたのは果たして正しかったのか。国の援助や起債によって行政主導で強引にハコモノを作り、閑古鳥の鳴く観光施設の運営資金の確保にまたまた借金を重ねてしまった。あきらかに地方行政施策の失敗である。
夕張市は基幹産業を失った時点で、いくつかの選択肢があった。結果論としてその選択に失敗し、道や国から援助された膨大な資金を無駄に使ってしまったばかりか、身の丈に合わない無茶苦茶な借金をしてしまった。挙げ句の果てに民間金融機関らから「隠れ借金」までしていた事が発覚した。これは明らかに違法である。問題はこうした事態を招いたのは歴代の首長だけの責任か?と言う事である。
夕張市のこうしたある意味放埒な財政運営によって利益に預かっていたのは誰か。まず第一に市職員である。安定的な身分保障と地元企業の給与水準より高い高給をもらい、そして日々のんびりと危機感もなく暮らしてきた結果がこれである。
そしてその反省もなく、財政破綻となるとしっかり割り増し退職金をもらって早期退職か、本当に羨ましいメンタリティである。

●思い切った公的サービスの民営化、民間委託で全国の先駆けとなれ!

21世紀の日本の課題は公的セクターをどう効率化し、スリムにしていくかである。
はっきり言えば公務員の仕事を見直し、民間へのアウトソーシングとITによる効率化によって、公務員の総数を大幅に減少させる事である。
特に現業部門の国家公務員や地方公務員は、民営化も視野に入れた民間外注化が必要だろう。市役所の窓口業務など公務員法を改正すればすぐにでも民営化できる。IT化によってコンビニの端末で24時間住民票やその他書類を交付する事も可能なのである。
警察や消防・救急といった業務も、すぐに全面民営化は無理でも一部業務を民間委託する事は出来る。駐車違反取り締まりの一部民間委託はこれまでの所まずまずの成果を上げている。教育サービスなど、教師が公務員である必要は全然無い。学校施設は自治体が提供し、実際の教育サービスは民間企業が提供する。保護者の所得や資産に応じた手厚い奨学金制度と、第三者による学校評価制度があれば、小中学校の義務教育でも大丈夫である。

       ◆ ◆ ◆

こうしたアイデアは既に様々な識者が提案し、議論が重ねられ、一部導入されたり検討されている。しかし全面的に日本の公務員制度を改革するのは至難の業である。
現代の日本に於いては公務員という身分が既得権益そのものであり、巨大な利権を生み様々な権力を握っている。この部分では行政組織側も労働組合側も利害が一致する。彼らは公的セクターの効率化は賛成しても、公務員身分への執着は簡単には断ち切れないのである。
彼らをして公務員のスリム化に賛成させるには、徹底的な干し上げしかない。
夕張市のように財政が破綻すれば否応なく公務員は放り出されるのだから、実際にそうするようにし向けなければならないのである。
地方交付税の削減、三位一体改革が地方行政に与えた影響は大きい。夕張市以上に財政破綻している自治体が全国の過疎地を中心に8箇所以上あるという。財政健全度指数で見ると債務不履行に陥る寸前の自治体はいくらでもある。まずこういった自治体から大きな改革をやっていくしかない。

       ◆ ◆ ◆

夕張市の場合でも現在在職している給料泥棒など、全員止めさせればいいのである。財政破綻の連帯責任、違法な隠れ借金という犯罪の共犯者として、全員懲戒免職にしてもいい位である。
そして全国に先駆け新しい行政システムを持つ自治体に生まれ変わるしかない。
地域限定の人材派遣会社を作ってここに市役所の臨時職員を派遣してもらう。時給制のパートタイマーである。NPO法人による消防や防災のボランティアシステムを行政サービスに組み込み、業務委託をする。学校や病院は運営や経営を民間に委託するし、低所得世帯には奨学金として授業料を補助する。
当面これだけでも、十分退職していく職員のカバーは十分に出来るはずである。
金が無いなら、無いなりの知恵を出せばよい。違法な借金を堂々として恥じない神経があるなら、公務員法や行政法に抵触する試みでもやってみるがいい。法律を楯にして、既得権益者の利益を守る事ばかりでは、未来永劫夕張市は立ち直る事はない。
今回の財政破綻を契機として、ともかく全国に先駆け、先進の行政システムを思い切ってやるしかない。それは同時にチャンスでもあるのだ。

●平和と環境~左翼残党のプロパガンダ

2006-11-15 11:59:48 | 時事社会問題
お~い韓国、ホームでこの面子の日本にやっとこさ引き分けって、不味いんではないかい?
ま、普通の決定力さえあれば3-1だったゲーム。早々に先制して気がゆるんで、後半にはいると足が止まって息が上がって、おい、これがあの韓国なのかよ!日本のメンバーはプロ入り初試合なんて奴もいる8人が代表初試合、辞退者続出で紅白戦も出来ない17名しかいない。それが1週間も前から合宿して万全の準備で迎え撃って、こんなしょぼいサッカーしか出来ないのか?
最近たるんでるのではないか、反日教育が足りないのか、それともAVやアダルトゲームの違法ダウンロードで日本に骨抜きにされてしまったのか、いい加減にしろ。
ま、日本チームは使える奴と使えない奴の選別が目的だから、結果は別にして成果は多かった。
この中からは、水野、谷口以外は数人かなぁ、高校生の乾君は空回り気味だったが面白い存在、カレンは存在感はあるがこの程度の韓国DFに押さえられるようでは情けない、奮起を。
来週には日本ホームで同一カードがある。この日中韓サッカー五輪代表大会、外務省の肝いりらしいが、その趣旨から言えば引き分けで良かったのか。しかし平日の五輪代表戦とはいえ、韓国でサッカー日韓代表戦が満員にならないなんて、韓国の景気は思ったより悪いのか、それとも北核問題で相当社会が沈滞しているのか、やはり悪政の影響なのか。


◆平和主義者という名のノーミソお花畑活動中

昨日、所用で区役所に行くと庁舎の前で何やら幟旗を立てて署名活動をやっている。「平和・無防備地域条例を実現する市民の会」による「非核・平和無防備地域実現のための条例」の制定を請求するためだという。んとにオメデテーナ。
「福祉関係者、公務員、助産師、看護師など市民有志約30人で結成」だとよ、「市民」ておいおい、脳みそお花畑のプロの方々だろうが。
もうね、おいちゃん情けねぇよ、こちとら日々のおまんまのために、下げたくもねぇ頭を下げ、言いたくもねぇベンチャラを言い、明日をも知れない稼業を何とか続けてる零細弱小広告屋でぇ、そんなおいらに「市民の平和と安全のためにご協力下さい」たぁ、一体どういう了見でぇ?
「あたしんちは何されたって一切抵抗致しません、皆さんの良心に従ってどうぞお好きにやって下さい」って、お前ら本当にそんな事思ってるの?
そんな想いをぐっとこらえ「いやぁ勘弁して下さい」とにこやかに拒絶して立ち去ろうとする男前に向かって「日本に戦争をさせないためにお願いします」と追い打ち。おいおい。
数人のジジイばばぁが同様に掴まって署名させられている。お前ら分かっているのか?

この市民の会とやらのバックには一体何処の魑魅魍魎が控えているのかは知らないが、「非核」とか「無防備」て署名活動したけりゃ北朝鮮に行ってやって来いよ。韓国でも良い、中国でも良い、北方四島でも良い、日本の周辺国家の何処でも行ってやってみな、笑いものならまだまし、コロされるぞ。「福祉関係者、公務員、助産師、看護師」ってそんなに暇なのか、羨ましいゾ。


◆自分だけ安全地帯からモノを言う、お花畑の困ったチャン

よしんば彼らの活動が実って「非核・平和無防備地域実現のための条例」がもし制定されたとしよう。そしてその条例に従って自衛隊や米軍の受け入れを拒否し、高校生や大学生の自衛隊への入隊を阻止し、勧誘を拒否する。それは自分の所以外でやってくれ、と言う事なのか。自分の所は「非核・平和無防備地域」だから軍事施設や兵士は一切入ってくるな、他所へ行ってくれ、という事なのか。
米軍基地は北朝鮮や中国の核ミサイルの標的になるから迷惑だし、低脳の米軍兵士がウロウロされるのは困る。基地公害や治安悪化を考えたら基地はいらない、そんな迷惑施設は沖縄に押しつけて補助金でもやっておけ、という事と一体何処が違うのか。
他所の地域の犠牲の上で自分たちの暮らしが守られている、という認識があれば、自分の所だけ平和ならそれで良い、なんてまともな神経では言えないだろう。

「だから日本全国、無防備地域になればいい」と本気で言っているのか?
大体「非核・平和無防備地域宣言」なんて欧米の左翼活動のまんまパクリである。欧州はEUの拡大によって国境が取り払われ少なくとも周辺国家からの脅威はない。アメリカはテロ活動が心配事であって戦争の部隊になる危険など考える人間はない。そんな欧米の防衛事情と日本の置かれた立場は違う。
人民解放軍という名の巨大な共産党傘下の実戦部隊を抱え、核ミサイルの照準を日本全域の各都市に合わせている巨大軍事国家・中国。旧ソ連崩壊でしばらくなりを潜めていたロシアが、エネルギー資源の高騰で経済が息を吹き返し、再び日本への圧力を強めあわよくば北海道侵攻を目論んでいる。無抵抗・無防備の日本国民を拉致し30年以上罪を認めないばかりか、今度は核開発をし恫喝する北朝鮮、そしてその北朝鮮と休戦中の韓国は無抵抗の漁民を殺害し日本の領土を勝手に武力占領した上に、不法滞在によって日本社会に浸透してきている。
そんな現状で一体何が「非核・平和無防備地域宣言」なのか。

誰だって「世界平和」だの「自由と平等」だの「人類愛」だのといった「お題目」は大切だと思っている。しかしそうした「お題目」を唱えていただけでそんな世界が実現するとは、今どきの小学生だってまともな人間なら信じはしない。いやいや、社会で言い続ける事が必要なんです、というのは結構だが、それはある種の宗教であろう。そうした「お題目」を実際にこの社会で実現させるには、さまざまなシステムや社会的装置が必要になってくる。
日本人が平和で安全に暮らすには、日米軍事同盟による米軍基地配置や自衛隊の軍事力整備に加え、途上国への経済支援や国際機関への出資など経済力を中心にした国際社会への貢献、そして政治や産業界による外交力の整備など、さまざまな具体的な政策、対策が必要だろう。どれ一つ欠けても我々の平和は脅かされる。
日本を取り巻く周辺国家と友好関係を深める事は大切だが、それは無防備に相手の善意や好意を信じ込む事ではない。


◆左翼残党の隠れ蓑、公的セクター改革を

こうした「平和主義」は左翼の隠れ蓑になり易い。ここで言う左翼とは、マルクスレーニン主義を信奉し、共産主義革命による労働者独裁を目指す政治集団、信奉者の事を指す。イデオロギーとしてのマルクスレーニン主義が失敗だった事はソ連の無様な崩壊で証明された。労働者独裁という共産主義の欺瞞が、ただ単なる官僚主導の硬直化した社会システムに陥る事は、世界中の人々が知っている。
旧ソ連、東欧圏の政治的敗退によって行き場を失った世界中の左翼は、欧州を中心にアジア、南米、アフリカなどで「社会民主主義」「民族覇権主義」「開発独裁体制」などといった仮面をまとって生き延びようとした。それぞれの地域・国家によってその衣は違うが、その基本は「反米」である。左翼運動はイコール反米運動となって世界に広まり、根強くしぶとく生き延びようとしているのである。

日本に於いては少し事情が異なる。日本の左翼運動は旧ソ連崩壊を待たずにとっくに衰退していた。70年代の学生運動の挫折、80年代のサブカル興隆による反体制文化への変質によって、日本の左翼は無害化され、そしてバブル経済の狂乱は「反体制」が「格好悪いモノ」と変質させていった。結局、団塊の世代が体制側に呑み込まれる過程で、日本社会は左翼を解体し無害化する事に成功したのである。旧ソ連の崩壊に驚きはあったが、共産主義思想への哀惜は無かった。
現代の日本人にとって「左翼」も「反体制」も何らムーブメントにはなり得ない。世界で一番高度にコミュニケートされた日本社会において、ただ「アンチ」だけでは最早人々を納得させる事は至難の業なのである。

それでも日本社会のあちこちに「左翼残党」が生き残っている。彼らの拠り所が「平和主義」と「環境問題」である。これらの言葉を持ち出せば人々が反対できないからである。そしてそうしたお題目を唱える事で自分たちの勢力を広げようとする。彼らの掲げる「平和主義」と「環境問題」は単なるお題目なのだ。その証拠に、そうしたお題目を実現するために一体何を具体的に行動するのかというと「デモ」や「署名活動」といった実に政治的な行動である。
残念ながら政治的な行動からは、世の中を変える力は生まれないのである。世の中を変えるのは企業の研究所の試験管の中や、大田区や東大阪の町工場の片隅にある試作品なのである。テクノロジーが社会を変え生活を変え、そして政治を変えていく。
核兵器を無効にするシールドとかミサイルを完全に迎撃する無人自動システムとかが開発されれば、世界中の核ミサイルから解放される。物質を原子レベルに分解し再構成して再生させる物質変換器が開発されれば、環境汚染は阻止できるようになる。「平和」や「環境問題」を解決するのもまたテクノロジーなのである。
本気で「平和」や「環境問題」を何とかしたければ、デモや署名をするのではなく、地道にテクノロジー開発に取り組めばいいのである。

日本の左翼残党は、公務員や労働組合、行政の後援を受ける社会団体などに巣くっている。いずれも構造改革が遅れた公的セクターである。自ら何も生み出さず、何も創り出す事のない、社会の寄生虫である。彼らが大きな顔をして、尤もらしいお題目を唱えながら大きな声を上げている。
日本の声なき民草は、彼らの言動にそろそろ我慢が出来なくなっている。安倍政権の参院選後の課題はこうした公的セクターの大胆な整理だろう。彼らはそれを予感して自らの生き延び策を「平和」や「環境問題」に求めたのだろう。しかし最早騙されはしない、残念でした。

●プロ野球放送改革私案~地上波巨人戦消滅を前にして

2006-11-13 12:07:42 | 時事社会問題
いやぁ負けちゃいました、惜しかったなぁ。
て、いやサッカーなんですけどね、AFCユース決勝。PK戦での負けは「敗戦」ではないとは言え、それでもまたしても準優勝だもんな、めげるわナ。立ち上がりあんなシュート決められるのは勘弁して欲しい、あれだけチャンスを逃したらそりゃ勝てない、などなど、文句をつけたくなるのをぐっと我慢して、選手、コーチ陣、本当にご苦労さん、と言ってあげよう。
で、やっぱ負けちゃいました、いやぁ順当って言や順当な結果だけど、やっぱイタリアには勝てないな今の実力じゃ、って女子バリボーね。そりゃ大砲がなけりゃ勝負にならない、ま、メグカナらの復帰が待たれるわけで、それを考えると未来は明るい。
というわけで、日本ハムのコナミ杯優勝おめでとう。
台湾のラニューはなかなかのチームでした。投手陣が安定していて、きちんとした野球が出来ていた。もちろん日本ハムとは点差以上の差があったが、それにしても気持ちの良い野球をするチームで好感が持てました。そのラニューに負けた韓国の三星ライオンズは、ま、こんなもんでしょ。しょぼい、せこい、下手の三拍子揃った韓国チャンピオンの姿は、韓国の人々に「身の程を弁える」という事を教えたのではないでしょうか、よかったよかった。


●プロ野球「巨人戦」の消滅は日本のTVメディアを大きく変える

で昨日のTBSサンデーモーニング。
関口宏さん「業界の話になりますが、いま来季の野球中継編成が大変なことになってまして、まあ、このままだと、ほぼ無くなる方向になると思います。」「いいとこだけをチョチョチョってやって、あとは全部CS」との事。ははは、2chにスレ立っていた。

これって実は結構大きな出来事である。
日本のTVメディアはプロ野球中継とプロレス中継を両輪として発展してきた。バラエティやドラマなんてものは、プロ野球中継の無い冬場か、中継の合間の時間つなぎでしかなかった。川上巨人時代の9連覇によって巨人戦プロ野球中継はテレビ編成にとって無くてはならない大コンテンツに成長し、長島巨人で頂点を迎える。連日連夜、ゴールデンタイムの視聴率が20%を越える超優良コンテンツである。しかも野球は攻守切り替えのイニング毎に確実にCMを挿入出来、地域ごとの入れ替えもやり易い。
プロ野球中継は巨人戦を中心にテレビ局やスポーツ新聞を中心に一大市場を作り上げていく。そうした独占市場の中で、実に日本的な談合や利害調整が行われ、既得権益が積み上げられて歪な形が出来てしまった。
それでも、テレビコンテンツとして視聴率が獲れて、観客動員が多い間は、プロ野球の諸問題は何とか覆い隠されていた。その肝心の視聴率がもはや無視できないほど低迷し出したのである。


◆プロ野球巨人戦の視聴率低迷の原因は明白である。

第一に巨人が強くないからだ。
パ・リーグを始め他球団の主力選手を札びらではたいて強引に引っ張ってきて、とっかえひっかえ使い捨てにする。挙げ句の果てにパ・リーグで通用しなかった隣国の扇風機をあろうことか4番に据え、韓国でのわずかな放映権料獲得に血道を上げる始末。幸いセ・リーグ投手力のレベルが低いからHR数は伸びたが、日本球界の盟主を自称しながら、その4番バッターがチョーセンジンかよ。日韓友好などと勘違いして得意気な球団社長、所詮新聞屋あがりのお花畑か、おめでてーな。
巨人ファンはバカだから巨人が強く無ければ面白くない。往年の阪神ファンや今の横浜ファンのように「弱くて負け続けるチームを応援する自分が愛おしい」という倒錯したファン心理や、「強いのに、いい選手がいるのに、マスコミのために不当に扱われている、可哀想」というパ・リーグファンなどの高尚な心理は、おバカな巨人ファンには通用しない。
チーム作りが無茶苦茶だから弱くなる>だから勝てない>勝たない巨人は面白くない、という連鎖はある意味当然なのである。

第二にテレビ番組としてプロ野球中継が面白くないからだ。
中継技術は確かにある程度進歩した。しかし肝心の実況アナウンサーの話術、解説者と称するOBたちの無駄話はまったく30年前からほとんど進歩していない。目の前のゲームがどんな内容にせよ、視聴者が聞かされるのは実況アナと解説者のやりとりである。2時間以上も面白くない会話を垂れ流して、それで視聴率を稼ごうというのはテレビ局の思い上がりである。
だからといってバラエティタレントやアイドルを連れてきて、素人の感想を聞いたって面白くはない。スピーディでプロフェッショナルな実況、野球解説として豊富な話題と的確な解説、こうした当たり前の質の高い野球実況が何故実現しないのか。NHKのメジャーリーグ中継ではシアトルにいた長谷川滋利元投手による解説が大人気である。メジャー経験者として、その貴重な経験と実績を元に語られるビビットなMLBの裏話や解説が実に楽しいからである。メジャーの投手心理やバッターの癖なども、聞いていて飽きさせない。民放のプロ野球中継の実況や解説は、余りにも低レベルである。これで視聴率が上がる訳がないのだ。

第三にスポーツ興業としてのシステムが限界に来ているからだ。
日本のプロ野球は読売新聞社の販売促進から始まった。ベーブルースらを擁した全米オールスターを日本に迎え、その対戦相手として急遽結成された読売巨人軍。所詮、新聞拡販の景品だが、ま、それなりに大成功だった。で、欲をかいた正力松太郎が怪しい力で始めたのが日本のプロ野球である。それから曲がりなりにも80年以上、日本の娯楽の中心に居座り続けたのだから、もはや賞味期限はとっくに過ぎている。途中、セパ分離や一部球団の身売りや消滅などがあったが、基本的な「新聞拡販の景品」としてのシステムは変わっていない。
スポーツならスポーツとしてのシステム、興業なら興業としての面白さをとことん追求したシステムを、構築しなければならなかったのに、スポーツとも興業ともつかぬ、中途半端な興業形態を変える事が出来ずに、時代に取り残されつつある。もちろん自業自得である。
お飾りのコミッショナー、「オーナー」と称してふんぞり返る中小企業のおっさん達、経営感覚など持ち合わせない天下りの球団社長、選手を縛りつけ搾取する選手契約、裏金どっさり裏工作横行の選手スカウト、やくざ利権が蔓延する地方興行利権、などなど、これが近代的なシステムなのか。
既得権死守と問題先送りの体質は何もNPBに限った話ではないが、末期症状を呈しつつある日本プロ野球機構は一度解体して更地にしなければ再建は不可能であろう。


◆BSやCSによる放送ではプロ野球は崩壊する

もはや人気の無くなったプロ野球など地上波でやらなくても、BSやCSなどの特定層に向けたテレビ局で放送すればいいという意見がある。
多チャンネル時代だから、BSやCSなら視聴率に関係なく番組として成立するという考え方である。CSなら有料放送にすればよい。また楽天やソフトバンクのようにネット中継という手もある。
しかしそれでは日本のプロ野球は成り立たない。
プロ野球は試合中継だけではなく、ニュース中のスポーツコーナーやスポーツニュースと言った地上波テレビプログラムでの露出、翌日のスポーツ新聞や一般新聞での記事露出、と言ったパブリシティのマス展開が見込めるところに、コンテンツとしての魅力がある。新聞拡販の効果や会社のイメージアップ、新興企業の知名度アップや優勝セールや感謝セールによる直接的な販促効果など、プロ野球チームをスポンサードするメリットは大きい。だから年間数十億単位の支援を続けられるのだ。地上波中継が無くなればその広告効果は大きく阻害される。
一部のファンや特定の地域だけに知られる存在では、その支援金額に見合わない。
もちろん、プロ野球がスポーツ興業として収支がバランス取れればよいのだが、そうなるには選手年俸を少なくとも現在の四分の一レベル、サッカーJリーグ並みに抑える必要がある。
それではめぼしい選手は全員MLBを目指すだろう。

もちろん巨人戦の地上波中継が来年から数を大幅に減らしたからと言って、すぐにプロ野球は崩壊しないだろう。関東地方だけの問題であって、北海道や中部地方、関西や九州など地元チームがホームタウンとしてしっかり基盤を築いている地域では、巨人戦がなくてもほとんど影響はない。関東首都圏と言っても所詮日本人の三分の一である。広告効果という点では「声は大きいが大して販促につながらない」地域である。だから放っておけばよい、という意見も一理あるのだが、しかしその影響は数年先にはプロ野球機構崩壊という事態に繋がるだろう。
丁度ナベツネのジジイがくたばる頃である。爺さん冥土のみやげにNPBボロボロにした報告をあの世の正力松太郎にきちんとしろよ、多分「おめぇじゃやっぱり無理だったんだヨ」とでも言ってくれるだろう。南無阿弥陀仏、合掌。


◆対策は別組織での新リーグ結成しかない

では地上波コンテンツとしてプロ野球に変わるスポーツ番組があるのかどうか。
サッカーは代表戦くらいだし、バリボーも国際試合だけ、頻繁にやってもどちらも年に十数試合が限度、長丁場のリーグ戦は視聴率的に無理である。バスケットボールやラグビーは論外だしフィギアや体操という訳にはいかない。結局テレビ局的には野球しかないのである。
もちろん地上波アナログテレビが停波されデジタルへ移行すると、大幅なテレビ離れが起きるだろう。今までのテレビが映らなくなれば、大きく視聴者数は減る。広告媒体という点で地上波テレビはデジアナ変換を無事乗り越えられるとは限らないのである。プロ野球もその流れに呑み込まれて、大きな組織改編、興業システムの変更を余儀なくされるだろう。

地上波のデジアナ移行が上手くいかなくて、テレビ局の経営環境が厳しくなれば、当然経営効率の悪いプロ野球中継は淘汰される。遅かれ早かれ20011年になればプロ野球中継の放映権料は見直され、一層厳しくなるだろうと言う事は自明の理である。果たしてプロ野球関係者はその影響に気付いているのだろうか。
既得権益と硬直した組織のままでは未来はない。しかし自分たちで変えていく意志も力もない、となればただ淘汰されていくしかない。

地上波テレビ局として、優良コンテンツとしてプロ野球を存続させたければ、従来の日本プロ野球機構を見限って、全く新しいプロ野球リーグを発足させるのが最も効率が良い。
従来の球団をピックアップして新リーグを作るのではなく、全く一から組織を作るのである。そうして既得権を排除する。80年前新聞社がNPBを作ったように、今度はテレビ局が新しいプロ野球リーグを作ればよい。

新リーグで大切なのは、
(1)ホームタウン制の徹底<地域密着>
(2)チーム数の拡充システム<マイナーリーグやユース制度、地域リーグの組織化>
(3)選手契約の簡素化と明確化<最低年俸保証と統一契約基準>
(4)国際試合の充実と「日本代表」のブランド化<MLBやアジアでの協力関係>
(5)球団経営の簡素化と透明化<収支構造健全化、暴力団排除>
(6)アマチュア・学生野球との関係健全化
などが留意点である。要はサッカーJリーグの運営形態に学ぶのである。身の丈にあった球団でよい。必然的に選手年俸は大幅にダウンするが、それは競合するNPBも同様である。

そして新しいプロ野球中継の方法を改善する。
(1)実況はアナウンサーだけでよい。ベンチレポートなど取材記者に任せる。
(2)中継システムは小型HVデジカメを多用し大幅に省力化・費用低減を行う
(3)生中継ではなくデイレイ中継(少し時間をずらす放送)にしコンパクトに2時間にまとめる。
(4)放送カードは特定球団に特定せず、デジタル多重チャンネルに対応した編成にする。
(5)インターネットと連動したデータ提供や、実況BBS開放などを行う。
要は、新しいテレビでのスポーツの見せ方を開発するのである。
それしか地上波テレビで野球のリーグ戦中継が生き残る道はない。

地上波での巨人戦全国中継が無くなっても、正直僕たちの暮らしには大きな影響はないかも知れない。また新リーグなんてまどろっこしい事を試みるより、現状のNPBをメジャーリーグに編入して、メジャーのポストシーズンに参加させればよい、という意見もある。
いずれにせよ、今のままのNPBでは保たない、という事が前提である。
果たして地上波テレビ局のデジアナ移行が起こる2011年には一体どういう事が起こるのか、単にプロ野球という枠を越えて興味が尽きない。
この事はどうせ来年の放送枠決定が決まればまた取り上げる事になるだろう。



●世の中いろいろ大変!竜巻とイジメ問題

2006-11-10 12:05:38 | 時事社会問題
わはは、コリア大丈夫か?
プロ野球アジアシリーズで三星ライオンズが日本ハムファイターズに3安打の貧打で完敗、インドで開催されているAFCアジアユース選手権準決勝で、延長でも決着がつかずPK戦の末「格下」日本ユース代表に敗戦。バ~カ、調子こいて日本の事を舐めているからスポーツでも負けるのである。ま、先日の女子バレーボールといい何であれスポーツでコリアに勝つのは気分がよろしい。
来週のサッカーU21の親善強化試合もこの調子で頼む。
と、まぁ喜んでいたのだが、世の中いろいろ大変である。

北海道佐呂間の竜巻被害は本当にお気の毒である。竜巻などアメリカかどこかの話だとばっかり思っていたから、ニュース映像でその被害の甚大さを見てびっくりしてしまった。亡くなった方々はもちろんだが、家を無くした方々はこれからの寒い冬ごもりの日々を前に途方に暮れているだろう。何とか迅速で手厚い支援をお願いしたい。
しかし竜巻なんて日本で起こる様になってしまったんだなぁ、これも地球温暖化による気候異変なのだろうか。先日より立て続けに地球温暖化による異常気象のDVDを見たので、どうも常ならぬ天変地異が起こると、すぐにそれと結びつけてしまう気持ちになるのだが、ただ地球温暖化が本当だったとしても、その原因を人間の生産活動や文明活動に求めるのは少し短絡的すぎやしないのか、という気持ちがある。

地球温暖化というのは過去何度も起こっている。
有名どころでは恐竜が闊歩したジュラ紀は今より相当気温が高く、酸素濃度も高かったらしい。また近いところでは1万数千年前の「縄文海進」の時代は北極や南極の氷が溶け海岸部が相当浸食され、それまでの文明が追い立てられるように内陸部に移っている。
この時代には当然ながら工場も自動車も存在しない。温暖化は人類の責任ではない。
地球は過去何度も温暖期と寒冷期を繰り返しながら、その気候の揺らぎが生命進化を促進してきたのである。異常気象とはいっても1万年単位の変動と比べれば大したことではない。

もちろんそうは言っても、現実生活に於いて今回のように予見できない竜巻の発生や、超巨大台風の上陸、温暖化による新しい伝染病の北上、植生の変化など、実に困る。北極の氷が溶け海面上昇が起こったら世界中の海辺の都市は水没してしまう。島嶼国家のうちには国土が無くなってしまう悲劇も起こるだろう。
だからこそ教えて欲しいのである。本当に人間の活動で地球が温暖化しているのか、と。
人類活動は単に地球温暖化の促進剤に過ぎず、実は地球の歴史に見られる天文学的な原因ではないのだろうか。もしそうなら、二酸化炭素の排出制限なんて馬鹿馬鹿し過ぎる。それよりも、生産施設や都市施設の高地への移転や、高緯度地帯の開発、海岸部からの移動が必要になる。そうした世界的な対策に人類の英知を結集し、資本を集中させた方がよほど利口である。
地球温暖化がこのまま進行して危機的になるのは恐らく今世紀末くらいだと言う。
では充分に間に合う。日本なら東京・大阪を始めとする湾岸都市の開発を凍結し、北海道や東北、信州の内陸部への新都市建設を進めるのである。パニックになってはいけないから首都移転を名目にしても良い。50年もあれば日本の力なら1億人を助ける国土作りが可能だろう。
湾岸部に先進機能が集中している中国はダメだろうな、先進地域が無くなり残されるのは貧しい農村地域と10億の農村戸籍人。もちろん日本が助ける義理はない。


いじめ自殺の問題はいよいよ末期症状を呈してきた。バカが文科大臣宛に自殺予告を送ってきやがった。もう本当に脳幹が弛んでいるとしか思えない、自意識肥大の典型的なノータリンである。文面を見れば幼稚で、何よりなんちゅう字だ、下手クソというかある種のビョーキだろこんな字を書く奴は。今朝の高2だという女子の同類に至っては、まず文頭に「大臣様」ときた。おいおい今どきのゆとり教育では手紙の書き方は教えないのか。「大臣様」って「お代官様」のノリかよ、江戸時代か。ま、吉宗の目安箱のつもりかも知れないから、ひょっとしたらシャレのつもりかも、とは思うのだが、一体こいつらにいい歳をした大人が付き合う必要があるのか。こんなノータリンでも親はいるだろうが、自分の息子や娘がこんな手紙を送っているとは気付いていないだろうし、もし本当にいじめられていたとしても親たちは多分知らないだろう。

「いじめ」はいじめられる人間もいじめる人間も、そしてそれを傍観する人間も、みんな各々に問題を抱えている。その問題の所在をきちんと切り分けて考えないと、途端にトンチンカンな泥沼の議論になってしまう。

基本的には「他人をいじめる人間」が一番悪いのである。何であれ弱者をいたぶり苛める精神は、人間性の下劣さの表れであり、断固として認めてはならない。「弱い者イジメをしてはならない」という事は文明人のモラルとしてきちんと子供のうちに教え込むべき事柄なのだ。
人として天に恥じる行為をしてはならない、という事を徹底的に幼少期に教え込む。果たして家庭でも幼稚園でもそれがなされているのか。
小学校に上がれば徹底して「生命の大切さ」や「他者を大切にする心」を教え込む。刷り込むように教える。弱者を苛めるのは「天に恥じる行為」として、叱りつける。人間として恥ずかしいという認識を子供達が共有すれば、自然とイジメを見過ごす子供達は居なくなる。それでも弱い者イジメをする者は教室から排除するしかない。
苛める側を取り除くのである。
そう考えれば、今起きているイジメの問題は、明らかに教育現場の問題であり、また現場任せの事なかれ教育行政の弊害である事が分かってくる。
義務教育に於いて教師が教えるべき事柄は算数や国語だけではない。「人間いかに生きるべきか」という基本的な規範である。もちろん家庭教育の責任でもあるが、第一義的には学校現場である。
もちろん教科書はいらない。文科省の指導要綱に「人間として、日本人として、どう生きるべきか、その規範を教えなさい」と記載しておけばよい。あとは教師の力量に応じて自分なりの「人間教育」を行えばよいのである。そんな事は出来ない、というのなら教員資格は返上すべきである。そんな人間に民間より遙かに高給を支払い、身分を保障する事は無駄である。

CXフジテレビが何をトチ狂ったのか、ここへ来て「教育問題」に全面シフトである。教育基本法改訂を目論む安倍内閣へのアシストのつもりだろうが、さてテレビ屋の思惑通りになるかどうか楽しみである。
しかし教育基本法の改定でいくら字面を変えても、実際に教育に当たる現場の教師が今のままでは同じである。テストの点数の良い優等生ばかりを採用してきた結果、社会性や人間性に問題の多い歪な人間を教壇に立たせておいて、一体何を子供達に教えると言うのか。
もちろん何もかも教師や教育現場に押しつけて、子供を取り巻く問題を全て学校教育に解決させようなどと言うのは論外である。
イジメの問題すら解決できない社会など、果たして「美しい国家」なのかどうか、ひとつ安倍首相にお尋ねしてみたいものである。
そのために目安箱に投げ文する気は無いが、小沢民主党代表さん、僕の代わりに質問してみてよ、え、ダメ? ホントに使えない奴だな、岩手のボンボンは。

●近隣諸国からの観光客受け入れで好感度アップ~現場は大変

2006-11-08 12:23:43 | 時事社会問題
アメリカの中間選挙の結果がもうすぐ出るらしい。
共和党が大負けしてブッシュ政権はレイムダック状態で後2年間迷走せざる得なくなるのか、それとも予想外の大逆転なんてのがあるのかどうか。
ま、どっちだって日本は大変だけどね。

●台湾が選んだロングステイ地、沖縄が一位に
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1157128863/
Smart 智富月刊誌は「台湾人に最適のロングステイ地10選」の記事を掲載した。ランキングは沖縄をトップに、京都、深?、シンガポール、クアラルンプール、蘇州、上海、バンコク、アモイ、青島となっている。調査は旅行業者と移民仲介会社からのアンケートによってなされた。沖縄は家賃、生活費、航空運賃が高いにもかかわらず、政治的安定、治安、医療、ビザなど他の項目で高い評価を得た。沖縄と京都は台北より家賃と生活費が高かったが、他の都市はすべて台北より安い。中国は5都市がランキングに入ったが、医療で後れを取った。
★ ソースは、な~るほど・ザ・台湾 [台湾] とか。
http://www.naruhodo.com.tw/news/search.php?page_num=0&no=3292


2chのスレッドからちょっと面白そうだったので。
日本は観光立国を目指して外国からのお客様をもっとたくさん受け入れるという方針らしい。政治家やお役人が取りあえずこうした政策をブチ上げるのは良いが、実際に予算が付いて政策が動き始めるといろいろと支障が出てくる。
日本に観光に来る外国人、って結局韓国や台湾、そして中国の近隣諸国民である。大阪にも結構な数のこうしたお客様達が増えている。心斎橋や本町といった僕の仕事先が多い地域でも、妙にケバいエラはりのモンゴリアンや、ネクタイを外した背広姿のおっさんのグループが蠢いている姿をよく見かけるようになった。うざい。

ま、国際交流というのは、同時に摩擦を引き起こすモノで、それを承知で観光客を受け入れるのだから、受け入れた側に問題がある。
スキー場で勝手にコースを外れて遭難し、日本の捜索隊が必死になって捜索救助してみれば、泊まっていたホテルに難癖をつけて捜索費用や病院代どころか宿泊費まで踏み倒して帰国した韓国人や、由緒ある温泉旅館でのあまりに傍若無人な振る舞いに、旅館側が注意をすると逆ぎれして暴れ回って器物損壊しても知らん顔の韓国人とか、1週間の日本旅行に10kgものキムチを持ち込み、それを観光バスの中で食い散らかして匂い充満させ「もう2度と朝鮮人は御免だ」とバス会社から嫌われる韓国人など、民度の低さと頭の悪さと、性格の歪みを露呈してしまう韓国からのお客様達だが、これは受け入れた側の覚悟が足りないのである。韓国人や中国人に文明人としての立ち居振る舞いを期待してドースル。
彼らはそう言う生き物であり、民族なのである。受け入れた日本人の認識不足も甚だしいのである。

では台湾からのお客様方は、というと現場ではおおむね好評である。
ごく普通に日本での観光を楽しみ、マナーもルールも少なくとも日本人並みであるらしい。ただ一つの問題点は、彼らはやたらタフで好奇心旺盛に動き回るという事だという。彼らの日本観光旅行パックはやたら忙しい。3泊4日で東京から箱根、日光、仙台~青森、とって返して信州長野から京都・奈良を回り大阪から帰国なんてパックがあるらしい。タフなのは結構だが受け入れる現場は大変だろうと言う事はよく分かる。
これは2chの該当スレで紹介されていた台湾の若者の日本旅行の様子だが、彼らの旅行はどうやらパック旅行では無さそうだが、それでも結構忙しそうである。なかなか良くできた観光記録なので一応URLを置いておく。(http//myweb.hinet.net/home14/weijon/20040101/20040101.htm)

韓国人も台湾人も、そしてその他の人々も、金儲けとかビジネスとか、そういったぎすぎすした事ではなく、一度日本をゆっくりと楽しんではどうか。
日本人が美しいと感じる風景、日本人が美味しいと感じる食べ物、日本人が楽しいと感じる出来事、それこそが今世界のトレンドである。ごく普通の日本人がその日常でごく普通に体験している事=Japanese Lifeこそ、実は本当の日本の魅力なのである。
それを他国の人々が味会うのは、実は意外と難しい。
駆け足で廻るパック旅行では、日本の暮らしぶりは見えては来ない。上っ面だけ観て、「何だ日本は大したこと無い」と自尊心を満足させて本国に帰っては勿体ない。1ヶ月でも2ヶ月でも、日本にゆったりと滞在して、自分の足で日本の街を歩いてみる事である。
もちろん郷に入れば郷に従い、滞在中は日本人のマナーや習慣を尊重する事である。自分たちの暮らしを日本に持ち込むのではなく、日本の暮らしに自分たちを溶け込ませる事、それが出来る人だけ来てくれればよい。

日本人の中にはアジアからの来訪者増加を喜ばない頭の古い人たちが未だにいる。僕も残念ながらその一人である。それは経済難民を受け入れたらそのまま居着いてしまったという過去の苦い経験があるからであり、現在も増加しているニューカマーのザイニチの問題が懸念されるからである。しかしザイニチ対策とロングステイの観光客受け入れは全く違う問題である。
不法滞在者の多い国からの訪問者には、場合によっては指紋押捺やデポジット制度などの不法就労対策を厳しくすればよい。そうした対策もなしに観光客受け入れなど論外なのであるが、どうも政治家もお役人も反応が鈍い。
日本を理解し、日本を好きになって貰う努力の一環として、近隣諸国からのロングステイ受け入れは重要な施策である。同時に不法滞在を徹底して取り締まる事もまた国際化された社会には必要なシステムであろう。

反日をアイデンティティにするくせに日本の事が大好きな「ツンデレ」韓国人も、身近な外国として日本の風物を物珍しく感じる台湾人も、ともかく日本人の暮らしに触れて心の底から80年前の祖先の気持ちを取り戻してみては如何か。「あぁ日本人になりたい」と。
ま、今度はこちらがお断りなんだけどね。

●民主党は変身できるのか~野党に求められるモノ

2006-09-13 09:45:12 | 時事社会問題
<社説>小沢氏再選 結束も政策も試される
(060913/朝日新聞)http://www.asahi.com/paper/editorial.html
民主党の代表に小沢一郎氏が無投票で再選された。(中略)小沢氏の狙いははっきりしている。来夏の参院選で与党を半数割れに追い込むこと。その先にこそ、次期総選挙での政権交代の展望が開けてくるからだ。そのためには党内の力を結集するしかない。代表選挙にあわせて自らの理念や政策をまとめた「小沢ビジョン」にも、党内融和への腐心が見える。これで政権を任せてくれという政権構想にはほど遠い。小沢氏は来年の参院選の前までに「日本改造計画」の発展版として包括的な政策をまとめるという。小沢ビジョンはそのたたき台という位置づけのようだ。かつて民主党には、憲法改正や構造改革路線をめぐって小泉自民党に歩み寄るような腰のふらつきがあった。とりあえずそこにぴしゃりと扉を立て、安倍自民党と全面的に対決していく。そんな決意表明なのだろう。いずれは政策の説得力という、政権担当能力が問われることになる。(社説より抜粋)

物事の評価をする時に重要な事は「評価の基準がぶれない」という事である。
一方を評価する基準と、もう一方を評価する時の基準が同じでなければ、客観的な評価とは言えない、公平ではないという事になる。
朝日新聞の社説子は、自民党総裁選に対する評価基準と、民主党代表選への目線が明らかに違っている。民主党と同じ事を自民党がすれば口を極めて罵倒するはずなのに、民主党に対する実に優しいアマアマの評価は一体どういう事なのだろうか。
て、そりゃ単なる贔屓だって事は分かっているが、朝日さんよ、そうやって甘やかしているからいつまで経っても民主党がまともな大人の政党になれないんだろうが。民主党の未熟さは日本のメディアの責任でもある。確かに政権与党に対する批判は必要だが、野党への批判も忘れてはならない。民主党がダメだから政権与党がダメになる、という考え方も出来るのだから。

       ◆ ◆ ◆

民主党は何故代表選をきちんと戦えなかったのか。党再建を優先する、なんてバカな事を言い訳に使うな。政党の活力は内部の戦いである。党の代表になりたい、というエネルギーが沸き立ってこない政党など、一体何処に存在価値があるのだろうか。

小沢一郎という小心者は批判される事を嫌う。誰かと争って党首の座を争うなんて権力闘争は、肥大化した自己意識には耐え難いのであろう。この男は有力者のバックアップ無しには闘う力はない、プライドだけが高い、ただの小心なボンボンなのである。代表になるのにも、周囲から押されてやむなく、という格好をつけたがる。代表選挙なんてとんでもないのである。

自民党が総裁選挙で候補者による舌戦を通じて国民の関心を集め、期待感と政治的欲求を高め、何より党内の活力を高めようとしている時、民主党はそれに隠れるように無投票で代表を選んでしまう。それは国民の目からは民主党のダメさを際だたせるモノでしかない。
結果的に小沢一郎を選ぶのであっても、何人かの候補者と意見を戦わせる事で民主党に国民の支持を集める事が出来る。政策のバリエーションや目指す方向性の摺り合わせも、国民の前に見えてきたはずだ。そのせっかくの機会を民主党は自ら封じてしまった。不戦敗である。

       ◆ ◆ ◆

小沢の掲げるいわゆる「小沢ビジョン」も穴だらけの欠陥商品である。
持論の国連への過度な傾斜、現実的ではないどころか国を売る事になる国連待機軍構想、総花的な「日本型セーフティネット」構想による財源無視のバラまきなど、朝日新聞ですら指摘するほどの欠陥がある。これを無投票で信任して本当に民主党の議員はいいのか?
民主党の深刻さは実はここにある。

民主党の議員は選挙となると好き勝手な事を選挙区で約束する。「私が当選して民主党が政権を取ったら」というエクスキューズ付きだから、何を言っても守る必要がない。政権を取れない事を本人も知っているから、実現させる気のない実現不可能な事をいくらでも言えるのだから、本当の意味で政策の勉強なんかはする必要がない。官僚の意向を調べ、実現の可能性を探り、法律案の整合性を検討し、財源の手当や実効性を充分に検証する。そうして初めて政策として説得力のあるモノが生まれるのだが、民主党の議員はそこまで勉強してはいない。勉強しなくて政策を通す力が無くても、テキトーな事をさも誠実そうに約束して廻れば取りあえず当選できるのであれば、政策を実現させなくても充分であろう。
野党に安住している限り、民主党の議員はバカで充分務まるお気楽極楽な職業である。
バカさ加減は自民党の比ではない。だから小沢を無投票で代表にしてしまうのだ。

       ◆ ◆ ◆

野党がしっかりしないから日本の政治が良くならない、という言い方はずっと言われてきた。
野党が政権を取ればどうなるかは、細川、村山政権で実証された。日本の野党に政権担当能力なんか全くない、という当たり前の事を日本国民は大きな代償を払って学習した。その後生まれた民主党に一体何を期待するのか。自民党を追い出された旧田中派による自民党に対する怨念だけが推進力でしかないこの政党もどきに、今さら何かまともな事が出来るはずがない。

そうではない、というのなら民主党はまず党内の労組議員を説得して公務員改革をブチあげる事である。例えば公務員の給与を30%以上下げ、人員を30%減らす、というドラスチックな公務員の減量を政策に掲げるだけでよい。それだけで支持率は急騰するだろう。民主党が公務員改革に本気であると、国民が判断すれば党勢は急拡大する。
国内問題はそれだけで良い。

外交に関しては特定アジアへの傾斜を封じる事である。小沢訪中は北朝鮮のミサイル発射事件とも重なって最悪の結果となった。中国へのおもねりは国民は支持しない。
中韓への姿勢は強硬なくらいで丁度いい。それでこそ自民党との違いを際だたせ、攻勢に転じる事が出来る。「中国や韓国の無理な要求に何故屈するのか!国益を堂々と主張し彼らの捏造した要求を断固粉砕せよ」くらいの事を言えば、今の日本国民は民主党に投票する。

       ◆ ◆ ◆

民主党が党勢を拡大し政権を本気で取ろうと思っているのなら、今のダメな民主党の主張の真反対を主張すればいいのである。自己否定こそが道を開かせる。
小沢一郎がもし本物の政治家なら、本当に政権を奪おうと考えているのなら、躊躇無く今の自民党のさらに右に民主党の舵を切るべきである。安倍晋三より日本の国益を主張し、特定アジアに厳しく対峙し、公務員に厳しいリストラを要求する事が、民主党を始めとした野党の生き残る道である。いつまでも「市民派」だの「民主社会主義」だの寝言を言っていたのでは、ますます未来はなくなるだろう。
自民党より右よりの野党、こそ21世紀の日本に必要な政党なのだ。民主党は果たして脱皮できるのだろうか。